やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010 感想

仮面ライダーW ビギンズナイト』

・「中身が追いついてないのに格好だけ真似しちゃいけない、半人前が帽子を被るな」ってのは、明らかにカメンライドのことを揶揄している。以前地球の記憶とリンクし"全てを背負った"フィリップはディケイドのメタファーだって話したけど、翔太郎もまたそうなんだな。
この映画は、こういう作品の垣根を超えたメタなリンクが非常に見ていて面白いんだ。

・帽子を被るのは冷たさと優しさを隠すため……まぁつまりライダーの仮面と同じ役割なんだろうけど、本編を見ている感じ冷たさはフィリップが担っているとしても、優しさ……という名の"甘さ"は翔太郎の長所だし、この時点の彼にはそれすらもないというのはイマイチ納得しがたいところ。

・しかし、翔太郎は若いからカッコつけててもカッコつくんだけど、荘吉の歳になってまだハードボイルドとか言ってカッコつけてるとそれはもうちょっとイタいと思う。見ててなんだか恥ずかしい。
自然と滲み出てるとかじゃなくて、自分で「男の目元の冷たさと……」とか言っちゃってるからただのナルシスト。尤も、ここは翔太郎の夢だけど。
おっさんライダーとしてはヒビキさんの方がよっぽどかっこいいと僕は思うね。「お兄さん? おじさんでいいんだよ」の気取らないかっこよさったらない。

・2人組だったのが、姉が死んで一人で活動することになった……って完全に最終回の翔太郎、仮面ライダージョーカーの話じゃん。この頃から既に構想はあったのかな。

・1号の緑とBLACKの黒、より古いフィリップの側から登場する荘吉。
こうして見ると、新しい方な翔太郎が懐古趣味で、古めなフィリップが近代的というクロスになってるのか。それぞれ自分にないものを求めているのかも。

・複眼(たくさんの目)に触角(アンテナ)、そしてOシグナル(第三の目)と、仮面ライダーの記号は「周りの状況を察知する」能力に長けているイメージがある。目は言わずもがな周囲の風景を、触角は温度や音,匂いなどを、第三の目はそれらを超越した直観や霊的感覚などを司り、ともかく全てに共通するのは"探る"のが役割だということ。ついでに言えばマフラーも、風の有無がひと目でわかる。
だから特に近年仮面ライダーは、流行を取り入れ周囲に合わせ、得てして目の前にある現実を"受け入れること"がテーマ的にピックアップされることが多いのだと思う。
その上で、デザインコンセプトとして触角はWが2本,アクセルが1本、スカルが0本というかたちで配されているらしい。というのも恐らくスカルこと鳴海荘吉が、常に自分の中に揺るぎない芯を持っている、つまり周りの状況に左右されないことをイメージして、触角がないのだと思われる。照井も結構、人の話聞かない方な気がするし。

・フィリップや亜樹子とは違った、翔太郎の家族には一切触れられていない……と言ったけど、刃野いわく「ここしか帰るところがねぇ」らしい。まぁおおよそ察しはついてたけど、やはり死んでるっぽい。だからこそ、亜樹子に父の死を告げられなかった……という側面もあるのかな。
普通こういう触れられることのない家族の死って、単に運が悪かっただけで翔太郎本人が悪いことしたのが原因、ってことでは多分ないと思うんだけど、そうであればこそ、ようやく手に入れた親代わりの人を自分がした選択の結果として失ってしまったというのは、悔しいのだろうと思う。
それまでは家族の死に対して「どうして自分がこんな目に」っていう被害者ヅラができたけど、今回の出来事で「もし家族があの時死ななかったとしても、結局こうやって自分が死なせてしまったかもしれない」って気持ちが芽生えるから。

・園咲家のパーティー、よく見たら他ならぬ園咲邸で行われていて少し笑ってしまった。確かに彼らがどこかへ出向くというのは変な感じだし、客を招くというのは金持ちっぽいけれど、場所がいつものダイニング(で、いいのか?)だから、そことは別に大広間とかないのかよと(笑) まぁ、普段から来客用も兼ねた一番豪華なとこで飯食ってるってことなのかもしれないけど。

・エピソードゼロ的立ち位置の話、Wではビギンズナイトだったのがゼロワンではデイブレイクになってるのがなんか面白いな。同じく夜モチーフのデカレンジャーも、そういえば塚田さんだっけ。

・「撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけ」。コードギアスだなぁと思いつつ他に元ネタがあるんだろうと調べたら、それこそフィリップ・マーロウのセリフらしい。そこまでは予想外だ、尤も覚悟という訳はやっぱりギアスのものっぽいけど。

・スカルって、形容詞+名詞(疾風の切札,燃える鉄,変幻自在の銃)というハーフチェンジのルールを踏まえると普通に考えたらボディサイドのメモリじゃないかと思うんだけども(サイクロンスカルというのもあるし)、何故か銀端子なんだよな。まぁロストドライバーで使うぶんにはその方が都合良さそうだけど。
ただ"骸骨の"も左側の言葉として一応理解できなくはないか。白骨化した人間……に対するイヌとかネコ、みたいなのを想像すれば。というかそれを言い出したら全部そうだが。

・銃は一応護身のためだし、最近の作品で言えば例えばヒューマギアは正常なうちは便利なものって言い訳があるから「作ってる人間が犯罪者だとは言い切れない」けど、ガイアメモリは表向きには全く社会から必要とされていないものなので、並べて語るもんじゃない。地球の記憶自体は劇中でフィリップがやってるように良い方向に利用できるだろうけど、精神を侵してまで人体を強化することは、犯罪を助長するだけで特に必要がない。子供が分かるかを抜きにするなら、どっちかと言えば麻薬とかの方が比喩として理解しやすい。乱用すれば精神に異常をもたらすけど、医療用としても使われているので栽培や研究することが即ち犯罪になるとは限らない。銃はあくまでも、基本は責任能力のある人間が明確な自分の意志で持って使う(と判断される)ものだから。

・戦ってるときの荘吉の服が、白と黒の半々だったのが印象に残った。そして、本作で先行登場するファングジョーカーも白黒。
翔太郎の服は灰色って感じで、どっちつかず。本編において甘さ(優しさ)を担ってるのはあくまでいつも冷たいフィリップを見ていたからこそ「自分はこうなっちゃいけない」と思って発露するもので、一人のときは冷たさと優しさを兼ね備えた荘吉に憧れるが故に、どっちも中途半端(お前にはまだどっちもねぇだろ)だったのかもしれない。

・1話の初っ端に流されるこの初変身、特筆するべきは敵がタブードーパントだという点。
明太子みたいなあの体は、本来ある足が袋か何かで拘束されているイメージだそう。それを聞いて納得したというか、確かに「女が股を開かせてもらえない」理由は"タブー"だ。
で、それに相対する仮面ライダーW。放送開始前、公式サイトのイントロダクションにて「RIDER AND THE CITY」というキーワードが掲げられている。"ライダーと街"というのは何も間違っていないけれど、その構文は明らかに『SEX AND THE CITY』を思わせる。微塵も見たことないけど、どこで見たんだか知らないけどタイトルが強烈だから印象に残るのよね。しかも、固有名詞だから憚ることなく表示される。
ここまで知っていれば、2人でひとつになる仮面ライダーWが、イコールでSEXを暗示していることはもはや疑いようがない。少しのズレも許せない〜セコい人間になってたよ〜♪
タブーとは対照的に、禁忌とされていること……動くなという命令はもちろん、半分こ怪人という前衛的なデザインや、2人で1人の主役という設定などをやってしまう罪を背負ったW、という構図になっている。

・一人前になるまでは帽子を被ってはならない(おそらくフィリップの名も軽々しく名乗ってはならない)というタブーを破る罪を、「それに見合う人になれ」という願いに昇華する見事さよ。
冒頭ではディケイドの揶揄だと言ったけれど、否定するだけでは終わらないのがいいところ。仮面ライダーを名乗りその力を使うなら、それに値する存在にこれからなる責任を負うということでもある。
これはある種の詭弁だけど、例えばローグは味方になる前から"仮面ライダーローグ"ではある。どんなに「仮面ライダーの名に相応しくない」と思うキャラクターでも、これから改心して罪を償う可能性がゼロではないのなら、その名前はそういう願いなのかもしれない。
新しい仮面ライダーもそう、どんなに「バッタじゃないしバイクにも乗らないし、悲劇性もない。これはもはや仮面ライダーじゃないのだから違うタイトルにすればいい」と思っても、その名が冠されていることによってそれを演じる役者が歴史の重みを感じ、襟をただし真面目に作品と向き合わなければと感じるのであれば、必ずしも無意味ではない。

・ファングジョーカー。「肉体なしで精神のみをドーパント化した場合、その能力は本来より数段劣る」という設定が本編のバイラス回において語られていたけれど、だとするなら普段から精神のみで翔太郎のジョーカーに匹敵する出力を誇るフィリップが自分の体で変身したら、単にファングメモリの能力が高いということを差し引いても、そりゃ強くなる訳だ。
そしてこのフォームは、左右のメモリを変えることで9通りの変身ができるWにとって、記念すべき"10種類目"の形態でもある。9から10へ、これもディケイド要素のひとつだろう。

・ただ、翔太郎達が初心に返るために、別にこのファングジョーカー戦は回想する必要が全くないよね。スカルの戦闘シーンもそうだけど。クウガと一緒で完成度が高いみたいな風に言われることも多いけど、こうやって割と雑にゴリ押すとこがあるんだよな。

・死人返りの起こった日はいずれも19日。これは騙す,欺くという意味のjuke(ジューク)にひっかけた小ネタかな。ちなみに僕の誕生日も19日。別に嫌な気分にはなりゃしないけど。
変身者のロベルト志島だけど、ロベルトはともかく静寂(しじま)の方には元ネタに思い当たる節がある。「世に静寂が許すことなく眠るものなし(ジョビギジラグ ジュスグボドバブ ベルスロボバギ)」というのは、クウガの1話(ただし特別篇)の冒頭でダグバが喋っている内容(の一説)だ。棺桶から蘇る死者、平成2期の1作目ということで、ディケイドはもちろんだけどもクウガを意識するのも自然。志島が眠ることを許すと変換すると、確かに生と死を意のままにしているようにも受け取れる。

・死人返りというのも、もちろん終わった作品を掘り起こすディケイドのこと。ダミーの能力がディケイドだというのは、宇野さんも指摘した通り(というか今までしてきたのはほぼこの話を読んだからこその解釈だと思う)。
亜樹子と翔太郎が、父の死を受け入れて前に進むための物語。
余談だけど、「私聞いてない」と「だいたい分かった」も結構対をなすセリフだと思う。後者は自分が知らないこともあると許容,諦観しているのに対して、前者は知らなかったことに対する怒り,知ろうとする探究心が感じられる。勿論、事件の謎を解き明かす探偵2人もそう。

・D=Dummy≒Death≒Decade(ディケイド)≒Double(W)≒Decide(決断)≒Demon(悪魔)……このビギンズナイトは、本当に言葉遊びが巧みで面白い。そもそも"ドーパント"もDで、最後のタイヤなんか完全にドンファンだし、ポケモンの。
更にファングのFは、贖罪に対する許しのForgiveと、忘れてはならないという意味でForgetあたりだろうか。後者は普通前にDon'tとかNeverとかを付けて初めて忘れないという意味になるから微妙だけれど、Forget-me-notとどういう理屈なのか(強調?)後ろにnotがつく場合もあるので、自分的にはFが頭文字でもオッケー。
完全に"後半へ続く"な内容だし、その後半ではディケイドが出てくるし、厳密にはこの映画も本編とはパラレルとして解釈するべきなんだよな

 

仮面ライダーディケイド 完結編』

・劇場では、おそらく最新作であり観客の興味が強いWパートだけ見て後は寝る……とならないように、またディケイドならともかくWの方に「話が途中なのに終わった」という印象を付けないために、前後が逆だったんだろうけれど、DC版ではダミードーパントをWが追うシーンから、東映マークの時点から流れ始めるBGMによってその緊張感をほぼシームレスに引き継ぐ形で、スカイライダーがディケイドに撃墜されるシーンへと移行する。
その文脈で見ると「今まで決断してこなかった(お仕着せで云々)けど、自分の意志と責任で決断するようになった仮面ライダー(W≒ディケイド)」が「あるものに成り代わる偽物(ダミードーパント≒本人ではないスカイライダー,スーパー1,カブト)」を倒す、という演出意図なのだと分かる。この違いはかなり大きい、というか惜しすぎる。

・メモリをブレイクするWとは対照的に、倒したライダーをカード化して収集していくディケイド。まぁね、そこは元ネタがブレイドなんでね。

・嘘予告の世界(仮)。僕はあまり人間の顔を識別するのが得意じゃないんだけども、コンプリートフォームに殴られているのは、海東じゃなくて士ってことでいいんだよね。通常とは違ってヒストリーオーナメントがディケイド一色になっていて、劇中ではこのような状態は出ていなかったはず。玩具ギミック的に考えるなら、コンプリートフォームになった状態でケータッチ側でディケイドにカメンライドすると、こういう風になると思われる。その際、龍騎サバイブやファイズ ブラスターフォームが出現するように、コンプリートフォームがもう一体現れるのかは定かではないが、ともかく「コンプリートフォームの力を使ったコンプリートフォーム」という自己言及的な形態であることは間違いない。

士が殴られていることと合わせて考えるならば、これに変身しているのは『ディケイド』の本当の主役(ジオウで言うSOUGO的な存在)であって、影武者あるいは偽物である本編の門矢士がその地位を奪われている……のだと思われる。ネットに上がっている嘘予告を見ると、明確に「本当の士」って言ってるね。「この世界は俺がもらう」って言ってるユウスケ或いは鳴滝、どっちかの正体がこの本当の士なのかな。
この映像を見る感じ、あの世界(初期プロット)を踏まえた上で存在しているのがこの映画の世界(決定稿)ということなのだと思う。時系列的に繋がるかとはまた別の話だけど。本当の自分と決着を付けて、自分を取り戻したのが今の士なのかな。

・ディケイドのこともそろそろ過去の思い出にして、片付けようと提案する栄次郎。
たくさん人がいてわちゃわちゃしていた鳴海探偵事務所とは打って変わって、夏海と栄次郎2人だけで寂しい光写真館。

・すべて自分の意志で以て決断することを決めた結果、他人からは破壊者とか悪魔とか言われるようになってしまう……この辺はジオウっぽいね。ソウゴが自分にとって最高最善の世界にしても、他人にとっては最低最悪と取られてしまう。それと同じで、ビギンズナイトの結論が抱えている負の側面だけを抽出した感じな激情態。

・「ファインダー越しでしか、世界と向き合えなかった」
「それでも撮り続けたのは、みんなと向き合いたかったから」
終わった作品だからって、めちゃくちゃ簡潔で無粋に要約するよな。歴史の舗装、でもあるかもしれない。

・「これまではお仕着せでするべきことを決めていたが、今は自分のするべきことは自分で決めている」と言ってるけど、このDC版の順番で見ると「Wパートの話を踏まえて"そういう役割"を演じている士」に過ぎない気もするから切ない。

仮面ライダーというスターがいなくなれば、必然的にタックルやその他のモブたちにもスポットライトが当たって目立てるようになるけど、そのために士はライダー狩りをしているのかな。
少し後で海東が興味を持っていた「君がここに存在している理由」もそれで、世界からライダーが減ってきたからこそ、その代替存在としてタックルのようなキャラクターがこの世界に現れ始めたのかな。

・悪魔を倒すために悪魔になる……ミイラ取りがミイラになると言いかえれば、すごくクウガっぽい。ミイラを見に来た五代がミイラと同じクウガになっちゃって、その末グロンギにもなりかけてる訳だから。

・ライダーが消えることで相対的に目立つのではなく、モブ(夏海)自身が仮面ライダーになることで対等な存在として目立つ。弱いものに合わせるのではなく、世界をインフレーションさせる。
ただ、同じ仮面ライダーでも主役の横に並ぶだけの戦闘要員その2,3では、やはり印象に残らない。クウガもディエンドも、ディケイドの"サブライダー"でしかなかった。
ナイトやカリスのように、向かい合い対立してこそ対等に近い存在感が生まれる。タックルも自分とは誰も向き合ってくれないと言っていたけど、少なくとも鉢女は命の取り合いをした訳だし真面目に"向き合って"くれていたように見えた。だからこそ士はヒールを演じる。
まぁ、冒頭の彼らはそれでも印象に残らないけど、でもそこはそれ、逆に劇場版の順番でこそ「いきなりディケイドがライダーを狩り始める」というインパクトは強かったのかもしれない。

・演じる"役"に乗っ取られ、イカデビルとゾル大佐になる栄次郎と鳴滝。

・激情態、本来きっちり分かれているはずのカードが溶け出し混じり合っているようなフェイスデザイン。

・出番が極端に少なかった黒目アルティメットにもまた活躍の機会を与えるディケイド激情態もとい劇場版ディケイド。
・キバーラもまた、ディケイドの元ネタであるカリスと同じハートのライダー。自殺は怖いから殺してもらう?

・紅渡(DCD)、今見るとクォーツァー的な存在としか思えない。
破壊から生まれたライダーの物語はカタログ化され、永遠となった。
ディケイドはカタログそのものだから、物語として載っていない(≒物語がない)?

・"士君の写真"……士が撮った写真と、士が映った写真。ディケイドを倒せるのが夏海だけなように、士の写真を撮れるのも夏海(視聴者)だけ?
カード(写真)となった他のライダーと同様、ディケイドにだってライダーカードはあるけれど、それとバックルを1話で士に手渡したのも夏海だったな。

・士が消えてハッピーエンド……クウガブレイドと同じ終わり方だけど、海東は気に食わない様子。ほろ苦いというか切ないというか、美しくはあるかもしれないけど子供向けの娯楽としてそれはどうなの? みたいなニュアンスも含んでいるんだろう。

・「通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ!」という決めゼリフが、明らかに悪役が発しがちなセリフ第1位「覚えてろ!」を意識したものだって話、まだしてなかったっけ……?

・感光していたフィルム。光がないと写真は取れないが、光に当たると写真は見れない。カメラの仕組み的に言えば、シャッターが壊れて新たな光で写真が上書きされてしまっている状態……つまり、Wという新作がディケイドを塗り潰している現状を比喩している。
でも、覚えている限り、ライダーはいる。

・フィリップのごとく、井戸みたいなところで生み出されたネオ生命体。「いただきます」というのもWっぽい(ティーレックス,テラー)。
おもちゃが欲しい……というのも、好奇心の赴くままガイアメモリを製造していたフィリップと重なる。

・ディケイドが激情態じゃないのは、あくまで"記憶の中にいる綺麗な士"だから?
全ての破壊者としての士はディケイド激情態、通りすがりの仮面ライダーとしての士は通常のディケイド。2つある役割のうち、後者を選択。

・最強コンプリートフォーム、ぶっちゃけ言われなきゃ違いなんか分かんないよな。僕は初めて見たとき気付いてなかったと思う。見た目が変わってないのも悪いけど、一番はやっぱり見せ方。牙狼もそうだけど、新武器とか新技とか、何も言わずしれっと出すから全く印象に残らない。
最近のガジェットはうるさいと言われがちだけど、「はいここ注目するとこですよー! 新フォーム手に入れて盛り上がってますよー!」っていう分かりやすい目印としては便利だと思う。注目しなくていい時は省略される訳だし。

ライジングアルティメットと超クライマックスなのは、僕はてっきり「本編後のパワーアップ形態も含めた姿」なんだと思ってたけれど、実際は微妙にニュアンスが違うな。前者は『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』、後者は『劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド 鬼ヶ島の戦艦』とどちらもディケイド絡みの作品で得た派生形態だと言える訳で、つまりこれは今回の話を経てディケイド自身もカタログに含まれ歴史になったからこそ、"ディケイド関連作品の力"もメタ的に扱えるようになった結果得たフォームということになるのかな。もちろんそこには、ワタルやアスムたちの力も含まれてるけど。

 

『MOVIE大戦2010』

・FFRオールライダー、よく見たら変形後自力で動けない組は別の能力に置き換わってるのね。
・絶滅したマンモスの力≒過去作の力を強制的に借りる、ディケイドと同じ
・ただでさえ色んな意味があったDにドラス(を生み出したネオ生命体だから、ドラスティック?)が加わって、アルティメットDへ進化。
2人(ディケイド,W)から3人(ディケイド,CC,JJ)へ、翔太郎とフィリップの2人に照井が加わる
・ロベルト志島は死んだ……?
・キャラクターの関係性が世界を、物語をかたちづくる
すべてを背負わされた悪魔であるディケイドを、終わりのない物語から救い出したW。
・チキンの胸と足、どちらか片方ではなくどっちもとは。お祭りだからそんな贅沢もいいよね。
・鳴海と鳴滝に何か関連はあるのだろうか、どっちも鳴+水っぽい漢字だけど。鳴海って名字はや"かもめ"ビリヤードは、風都が水の都だった頃の名残っぽいよね。

 

仮面ライダーW 感想メモ