やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

雑記、補足など('19年2月分)

1月

雑記、補足など('19年1月分)

 

記事にする程でもないTwitterでのつぶやきをまとめておく場所です。ページ内検索等使って読みたいところだけ読むもよし、気になった記事の投稿日周辺から補足を探すもよし、好きにしてください。

 

平成ライダーって、変身バンクみたいなものがあんまりない? なんでだろう。ウルトラマンは変身前後をシームレスに繋ぐの難しそうだけど、戦隊はライダーと変わらないよな。何が違うんだろう。

「(平成)仮面ライダーらしさ」を考えていたら、そこに辿り着いた。

 

 

・昔から忘れ物が多い。一番記憶に残ってるのは、前日に何度も何度も確認して、当日出かける前に最終チェックとして一度リュックの中身を全部出して必要なものを再確認したまま、ほぼ空っぽのリュックを持って行ったこと。どうすりゃいいんだ。

今日は友人と出かけるんだけれど、財布を忘れないか約束したときからずっと不安。ちなみに前回はしっかり忘れて、その日の出費すべて立て替えてもらった。

今見たら昨日リュックに入れたと思ってた財布が外に出てた。恐ろしい。

 

・当時から思ってたけど、玩具的には最初からパトレン側はちょっと魅力が足りないのよね。「VSチェンジャーにつけるとトリガーになる」って、そもそもトリガーはあって当たり前じゃんて。
その上で変形するってところまで行ったら、逆にパトレンの方が魅力的に見えちゃうかな。

 

・ディケイドでクウガとキバが同じ画面に写ってるのを見たんだけど、こう並ぶとやっぱりクウガってちょっと地味ね。ライジングマイティは文句なくかっこいいと感じるんだけど。

 

・久しぶりにいきものがかりの曲を聞いたけれど、やっぱり吉岡さんの声好きだな。なんか知らないけど昔から『コイスルオトメ』が一番好きでずっとリピしてる。

多分しっとりした曲が好きなんだと思う。

 

・『リトル・ピープルの時代』分厚いな! 手元に(積んで)ある本だと『終戦のローレライ』とほぼ互角。読み応えありそうだな……。

ローレライは特に興味があった訳ではないのだけれど、近所の図書館が蔵書整理で状態の悪い本を無料配布してたことがあって、タイトルに聞き覚えがあったのでなんとなくもらっといたやつ。たぶん3年近く積んでる。

 

・ジオウアームズは当然サイキョーギレード出しますよね? ついでにジカンザックスかヘイセイバー、そしてジオウライドウォッチⅡとディケイドウォッチのセットもラインナップして発売しますよね……?

まぁ当分は出ないだろうけどね。ホントにやる気を感じないよな、食玩なりきりアイテムは。

マキシマムマイティXガシャットには一応ムテキを発売できるようにジョイントがあったけれど、ジカンギレードにはそれらしきものもない。サイキョーギレード側に依存して挟み込む感じでなら可能だろうけど、期待はできない。

 

・5人戦隊なのに3体合体(戦隊成員数とロボ成員数が不一致)って理解できないんだけど、最近多いよね。なんでだろ。話はほぼ見たことないから、なんか深い意味があるのかもしらんけど。

 

・ライダータイムって、ジクウドライバー使って龍騎に変身でもすんのかな。

 

・1列に並んだ平成ライダー(写真にもよるだろうけど)の中で僕が一番先に目を奪われるのは、フォーゼかな。龍騎と(Wと)エグゼイドを除くと他はアンダースーツが暗い色なんだけど、彼らはそうじゃない。

その中でも特に僕は、多く使われてる黒とハッキリ対照的なフォーゼの白が目立って見える。

クウガとアギトって個別に見れば正直そんなにデザイン似てないと思うんだけど、"平成ライダー"の括りに入れられると確かに似てるなってなる。この流れでアンダースーツをいきなり赤にしたのってすごいな。作品内でのライダーの数が多いから埋もれないようにってのもあるんだろうけど。

昭和ライダーを見てみたら、V3の時点で黒じゃなくなってた。やっぱ下地に色付いてるとインパクトあるな。

 

・あ、フータロスってもしかして、アナザー電王になったアタルが生み出したのか? 流石にもう前後関係とか全然覚えてないけど。

 

・斬月の謳い文句に「初の舞台化」ってのがあるけれど、ヒーローショーやファイナルステージみたいなのは"舞台"でないとするならなんなんだろうと少し気になる。

 

・この間行った中古のおもちゃ屋さんで、なんの脈絡もなくショーケースに高岩成二さんがどうのこうのみたいな話が書いてあって、あぁオタクのノリって感じだなぁと。高岩さんの体をスキャンしてつくられたとかなんとかってフィギュアのところでそういう話するなら分かるけどさ。

「スタッフは電王が好きです!」

知らねぇよ。こっちは玩具を見に来てんだからそのスペース使ってもっとよく玩具見せろよ。

 

・伝説(レジェンド)って、「過去のもの」ってニュアンスが含まれるよね。もう少し正確には、「遠いもの」。

でも一度「過去のもの」になれば、その距離感で定着させることもできる。「過去の(遠い)ものであるにも関わらず今意識している」ということに価値があるのかな。

 

・薄々気付いてたけど高橋一生さん好きだな。民衆の敵も彼の魅力で最終回まで見たみたいなとこある。

分かる人には分かるだろうけど、『みかづき』を見ました。

 

仮面ライダースーパーブック』を読んでる最中のツイート

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・イラストだとナイトの目がかなりはっきりと見て取れるな。

僕が仮面ライダー好きであることを聞いたらしいそんなに親しくもないクラスメイトが「自分は要らないから良かったら」とくれたワーコレのナイトには目はない。

・王蛇のマスクがコミカル……? 浅倉のイメージと結び付いてるからそう感じないだけだろうか。

あ、でも言われて見ると分からんでもないかも。

リュウガはNG稿だと金ラインが入っててアナザーのイメージにより近いな。

オーディン変身忍者嵐……確かに少し似ている……

・シャイニングフォームのボツデザイン(?)めちゃくちゃかっこいいな。

・インタビューもいいけどこういう本も悪くない

・タイタンって人気だったんだ。まぁかっこいいもんな。強さの化身って感じする。

・ねぇずっと思ってるんだけどアルティメットフォームのツノってどう見ても5本だよね……? 真ん中のあれはツノじゃないの?

・巧のその設定は初耳です……

・2003年(555放送中)の時点で既に「平成仮面ライダーシリーズ」という単語が出てる。やっぱ"3"って数字はでかいのかな。

・ジオウの"魔王"というキーワードは漫画版Blackから取ったものだろうって話はどこかで聞きかじっていたけれど、期せずしてこのジオウ放送中のタイミングでその漫画版Blackの最終回を読むことになるとは、月並みな表現だけど運命的な何かを感じざるを得ない。

・そういえば、super bookでハサミジャガーとかカメバズーカって名前を見て、ビルドのモチーフはこれかとようやく思い至ったんだけれど、想像するに組み合わせの気持ち悪さが怪人らしさを成立させていたであろうものをベストマッチと謳う意図はどこにあったんだろう。

 

・「"感想"を読めばわざわざその作品を読まなくていいじゃん」と思われてしまうことは、感想を書く身からすると実は避けようと心がけていることではあるんだけれど、なかなかその塩梅が難しいのよね。
僕が「感想の名を冠したあらすじ紹介(粗くない場合は特に)」を嫌ってる理由はその辺にあったりする。

方法論としては大きく2パターン、いい塩梅にうまそうに見せておいしいところは明かさないというものと、知ってる前提で話を進めてどういう話をしているのか分かりにくくするというものがある。僕は主に後者寄り。

悩んだ末に箇条書きという分かりにくいであろうスタイルを選んだのも、"元の形"を少しでも隠そうというのが理由のひとつ。

もうひとつはもちろん、単に構成を考えなくて良いので楽だということ。

そういうことなんで、各話感想は前々から「それ単体ではなく本編を見るタイミングで一緒に読む」ことを推奨している。現行作品でないものは特に。

僕の言ってることを吟味してやろうとわざわざ見返してもらえたりしたら僕としてはとても嬉しいんだけどね。

・そしてそういう読み方を想定するなら溜めて1日1記事ずつ公開していくのはどう考えても合わないんだけど、僕の心も一枚岩じゃないんでね。

 

・キバ、僕はエピソード単位での構成に注目してたからあんまりそうはならなかったけど、キャラクター単位で見てる人にとっては現代編が好きなら過去編が、過去編が好きなら現代編が、鬱陶しく感じることはありそうだなと。基本的には交わりはしないものだから。

時代転換でアイキャッチ的なものが流れるので、単に疲れるというのもあるかもしれない。

 

電王公式読本を読んでる最中のツイート

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・イマジンが子供っぽいって話をしたけど、当たり前か。思い出す過去がないんだもんな。今を生きてるからこそのあの子供っぽさか。

・(たぶん)筒井さんの影響で"時をかける"という表現がかなり当たり前なものになってしまったけれど、逆に最初に"かける"という表現を選んだ意図はなんだろう。例えば"賭ける"とかかってたりするんだろうか。原作を買ったものの積んでる僕には全然分からない。

同じ著者の『笑うな』は面白いのでおすすめですよ。

・ジオウIIどっかで見たことある気がしてたけど、たぶん素のゼロノスだ。ゼロノスゼロノスで、緑なのもあってベルデっぽいんだけど。

・デスイマジンむちゃくちゃかっこいいよね……

・子供の視点ということで参考にできるものが現状自分の子供時代しかないので、仮面ライダーについて考えるのが好きな身として、もっと(仮面ライダーが好きな)子供と接したいなと思うときがたまにある。

平ジェネFOの感想とか、書いててすごく楽しかったし、うちでしか読めないものにできたと思うし。

・『ヒーローと正義』を読んだあとだと、「電王という作品で携帯モチーフのガジェットが出たこと」に意味を感じる。

 

 

・レオンチャンネルさんが"6年も前"ということを理由に、たぶんミネルバの話を振ってくる人を批難してたのを見たんだけれども、それ言ったらクウガは20年も前のコンテンツなんだよな。それが未だに話題に上るというのはそれなりにあることだし、説得力はあまりない。普通に「嫌だからやめて」でいい。

 

・外部からの入力を(ほぼ)絶たれたとしたら、僕の内側から出てくるものは「おなかすいた」と「ねむい」と「こんにゃく」くらいのものだろう。

僕はこんにゃくという語感をいたく気に入っているらしく、小学生くらいの頃から度々意味もなく口にするのだ。

 

・僕がブログ記事……特にエッセイを書くときは、最初期はかなり簡素なかたちで書き終えることが多い。書きながら整理するのではなく最初からある程度までは整理されているからだ。これを僕の"主張"として、それを"記事"に膨らませたい。すると自然、話し言葉になる。

 

・突然イーブイの名前の由来がEvolutionを略してEVなのだと分かった。

こういうのって意外と昔どこかで読んだのを忘れてるだけって可能性が高いんだけど。

 

・病院のレクリエーションみたいなもので、リレー小説的なものを何度かやったことがあるんだけれど、これがすごく面白いのよね。共同作業ならではのすれ違いとか発見とか、綺麗にまとまったときの達成感とか。

「今回の脚本家はどうのこうの」みたいな話をよくする人には、ぜひ一度体験してみて欲しい。

それまでの展開をどう料理してやろうかって考えるのも楽しいし、トンデモな状況を投げてどう料理するか見るのも楽しい。

 

・「参考文献を辿る」って行為になんかすごい憧れがあるんだけど分かりません?

 

はてなブログやってる人にしか伝わらないことだろうけど、「今月のPVが〜を突破しました」って通知あるじゃない。あれ僕まだ100と1000しか見たことないんだけど、その上っていくつなのかな。5000の時は何もなかった気がするから、やっぱケタ毎なのかな。

あれ、Analyticsによると1万超えた月はあるらしいけど、その通知見た記憶はないな。忘れてるのか、次はもっと上なのか。

・それなりに記事を充実させてきたつもりだけど、よく見たら直帰率は全然下がってないじゃん。なんかちょっとショック。

 

・敵の体に名前が書いてあるのも電王とジオウで共通なんだ。

 

・ムゲン魂かっこよくて好きなので何かしら立体物が欲しいんだけど、まだ「これだ!」ってものと出会えてない。現状はGCが一番似てると思うんだけど、クリア故かどうしてもふわっとしてる感じが拭えないというか、メリハリがない。

 

・イベント事がある度に「気が早いな」って思ってる気がする。特に縁がある訳でもないからいいんだけどさ。

 

・「メタモルフォーゼってメタとモルフォと……ゼってなんだろう、接尾辞か何かかな」とか考えてたら、うまるちゃんって"隠れオタ"に"変身"するなと。なんか色々頭の中で整理された気分だ。

本人がニチアサを見ていることは劇中で語られていたし、となると作者が見ている(見ていた)ことも想像に難くない。あれも"変身もの"のいち形態なんだなと。

・とか考えながら調べてたら、"変身"というワードがバンダイによって商標登録されていることを知った。ビジネスって大変やなぁ……。

 

・視聴率だけ低くて玩具や映画の売上が高いって話をよく目にするけれど、まぁ知識のない身からすると不思議な話ではある。録画機能なんて僕が子供の頃から(ビデオだけど)あったし、近年になって普及したようなものじゃない。にも関わらず年々下がっているということの示す意味がよく分からない。

玩具はともかく、映画は本編見てなくていきなり見たくなるものではない気がするし、映画の売上が高いということはそれだけ本編の人気も高くて然るべきなはず。

そして映画は"リアタイ"と同じで、どちらかと言えば作品に自分の生活を合わせるタイプのもの。この差はなんなんだろう。

あ、子供も忙しくなってるってことか。なんかスッキリした。

(あっ、映画は戦隊と同時上映なんだった。あんまりアテにはならないか)

 

キバ公式読本を読んでいる最中のツイート

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・僕は時代並行描写を「(後にキバがあるのを知った上で)既に何度か見た」と思っていたけど、制作側は斬新なつもりだったのか。

・健吾に対する"初めての友達"発言についてだけど、実際幼い(主観)頃の記憶って、"今の自分"に含めることに多少の抵抗がある……っていうと変だけど、自然とは含まないよね。

5歳と7歳くらいのころに知り合いの子にキスされたことがあるけど、そういうのは"恋愛経験"としてなんとなくノーカンじゃない?

経験があるからじゃあ今全く初めての人と比べてうまく(うまいヘタがあるのか知らんけど)他人とキスできるかっていうとそんなことは全くないので、それと似たような心境なのかなってなんとなく思ってる。

別に大したことでもないからそもそもそんな気にしてないけど。

ざっと3年も空いたら気持ち的には"初めて"とそんな変わらん気がする。どれだけ経験して染み付いてるのかにもよるだろうけど。

まとめると、"初めてじゃない"ことをわざわざ強調する意味というのは「経験値によるフィードバックができる」ことくらいしかない気がするので、フィードバックが不可能または困難な場合は初めてであるのとほぼ同義だろうと。

そして渡が太牙のことを"友達経験"に含め話したのは、確か静香に若干煽られて(?)ムキになってのことだったので、普段とは状況が少し異なる。

まぁ、僕が恋愛経験のなさをネタに煽られてさっきのエピソードを言うかは微妙だけど。笑い話としてはその場の流れで何度か出したことあるかな。

・キバの読本はキャストインタビューが主なのね。電王では監督やカメラマンさん、特殊効果の方の話なんかも載っててバラエティ豊かだったのに。"メインキャラ"が多いから仕方ないのかな。

・真夜の衣装は驚いたなぁ。あの概観から、実は足をガッツリ見せるショートパンツ(というらしい)を履いてるとは、全く思わなかった。

でもキャラ的にもそれくらいの(第一印象との)ギャップはあったので、今思えばむしろ合ってたのかもしれない。

・そういえば、『イニシエーション・ラブ』って『キバ』……正確には『THE FIRST』のちょうど逆なのか。本屋で煽り文を読んで衝動買いしたんだけど、結局そもそも恋愛ものを読まないので一度読んだきり友達に貸したままあげてしまった。「絶対2度読みたくなる」って書いてあったからそれへの反発心もちょっとあったにはあった。

 

・「仮面ライダー 子供向け」のキーワードでアクセスされるのはちょっと狙ってたけど、まさか「クウガ 感想」で3番目にうちの記事が表示されてるとは思わなかった。アギトに至っては1番目。それだけ需要がないということかもしれないけど、素直に嬉しいね。

 

・あんまり器用な方ではない……というか、遊ぶときに細かいことを考えたくないので、おもちゃの扱いって割と雑なんだけど、そういう触り方すると壊れちゃうイメージがあったトランスフォーマーが案外そうでもないというのが、前にも記事にしたけど驚き。

塗装の剥げは少し見受けられるけどね。

スティンガーについて言えば、ルーフがそれなりに大きく広いパーツにも関わらず腕と一点で繋がってるだけなので、そこが少し不安ではある。

 

・本を探すときは表紙より背表紙の情報が欲しいってみんな思うことな気がするんだけど、なかなかない。

 

 感想とかは、今の認識とはだいぶ違ってたりするのでその辺は注意。

 

・書き言葉と話し言葉ってやっぱり違うので、「セリフを書く」って独特なセンスが必要な気がするのよね。
僕が西尾維新を好きだったのは多分、そういうところのバランス感覚というか、小説的でありつつも会話ならではの軽快さが成立してるところだと思うんだよな。

 

・ジオウで石像を除いて今のところ何も触れられてないのってカブトだけ?

 

投げ銭……ってもんでもないけど、広告収入を得ているブログを楽しんだ礼として、わざと興味もない広告をクリックするというのは、アリなんだろうか。いいねやスター的なノリで。

なんか変な罪悪感があってやったことないんだけど、どうなんだろ。

 

バルキリーの玩具も何かしら欲しいんだけど、煩わしい変形は合わないので、ファイターとガウォークの2形態だけかっこよく再現できる商品があったら欲しい。

・ビーコンのビークルモードめちゃくちゃかっこいいのに、せっかくそのかっこいいガワをほぼなかったことにしてしまう変形が気に食わない。

記事には追記したけど、僕の気に入らない"ガワ変形"というのは、世間の言うそれとは少しベクトルが違うらしい。

youtu.be僕が最近の文脈で言いたいガワ変形というのは、この動画で言われてる「変形じゃなくて変身」って感覚に近い。

 

オオカミ少年って、ひつじが食べられちゃうことがバッドエンドとして教訓に繋がる訳だけど、"家畜"という概念がない子は、ここからどうバッドエンド感を汲み取るのだろう。もう少し身近な"ペット"に置き換える? それとも単に"生き物が食べられちゃう"ことに恐怖を覚える?

理由はともかくとして、"オオカミ少年が悲しんでいる"という描写だけで成立するだろうか。

 

装動で一番遊んでた頃の画像が出てきた。

 

・ 『JIN-仁-』を見てからというもの脚気にならないか心配になるくらいには、少量のおかずと大量のごはんを食べている。1食、1合のお米とソーセージ2本とか。

 

・ジオウってタイトルもタイムマジーンの表記も、和暦じゃなくて西暦なんだよな。

・サイキョー!でもなくサイキョウ!でもなくサイキョウー!なのが絶妙に気持ち悪くていい。

・「強すぎてはね返せない」ってどちらかというと割とありがちな解決法な気がしてたんだけどそうでもないのか?

 

・かなり昔から、「カイデン アンチ」のキーワードでそれなりのアクセスが来るんだよね。以前は同名の何か別のものだろうと思ってたんだけど、検索してみてもエグゼイドのカイデンバグスターの話題しか見当たらなくて、困惑してる。

 

・僕が1話でジオウの音楽をアラビアンな感じとか言ったものの実際はインド風らしいんだけれど、間違い指摘してドヤァみたいな人には今のところ出会ってない。そもそも僕は両者の区別が付かないので間違えたとも特に感じてない。
もし指摘するときは、ぜひインドとアラブの違いも一緒に教えてくださいね。

地理的な話もそうだけど、音楽のジャンルってのもそもそもよく分からん。"ロック"ひとつ説明できない。

マリカの変身音はアラビア風だそうです。素人からするともう同じよね。

・国名を書くときにいつも迷う。日本を英語にするとJapanに(更にカタカナに逆輸入してジャパンに)なってしまうように、もしかするとインドでは自国のことを"インド"とは似ても似つかない発音をしているのではと。せっかくカタカナという便利な文化があるんだから、そういうとこは尊重して楽したいよね。

日本→ジッポンはまぁ分からなくもないけど、そこからJapanを経由してジャパンになっちゃうんだからなぁ。伝言ゲームって面白いよねぇ。

 

・ディケイド登場の時にもレジェンドアーマーの"必要性"の無さが叫ばれてたけど、それについてはたしか『ヒーローと正義』に似たような話が書かれていたので必見。

より多くの人に伝わるようにまた別の書籍を例に出して説明するなら、伊藤計劃の『ハーモニー』が近いかな。こちらは物語で映画化もされてるので、より触れやすいんじゃなかろうか。

自分で言っててなるほどなぁと思ってしまった。やっぱTwitterって頭整理されるわ。クウガの気持ち悪さ(段取りくささ)はそれか。

 

・なんでだんだん力の弱そうな者が増えていくんだろう。自分より弱いものしか手伝わせられない、みたいな話なんだろうか。

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以下はディケイド公式読本をんでいる最中のツイート

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・そういや渡は結局バイオリンつくらなかったんだな。

・公式読本、初版だからなのかなんなのか、僕がこれまで読んできた本と比べてやたら誤植が多い印象。ガタックがカブトムシモチーフだって。多少のミスはいちいちあげつらったりしないけど、流石にこうも多いと気になるし文句のひとつも言いたくなる。

・"あげつらう"の使い方あってるかな……他人のミスを指摘する文章なだけに気になるな……と不安になったので一応謝っておきます。ごめんなさい。

何やっても謝ればいいと思ってる。謝れば何やってもいいとは思ってない。

・こういう風に、"矛盾してる気がする"という第一印象があると、落差でいいこと言ってるように見えがち。

 

・単なるリペのマッハチェイサーより一応新しい組み合わせの超デッドヒードマッハが見たかったって100回くらい思ってる。

そもそもなんであれ急に青くなったの。チェイサーに青要素あったっけ。

・マッハドライバー、N字になるとこいいよね。好き。

 

・そういえばパトカー、救急車、消防車、ぜんぶ乗ったことがあるな。僕の中での3大「働く車」を制覇した気になった。

エグゼイドの夏映画の日だから、もうかなり前なんだな。エグゼイドの熱烈なアンチだった自分が救急車で運ばれるというのはなんだか面白いな。

 

Wikipediaなー。正直たかだか数文のために参考文献探して読むのも馬鹿らしいし、自分の言いたい文脈と使われ方が違ってたりしたら嫌だし、それなら孫引きと開き直って「Wikipediaで抜き出され多少改変されたかもしれない文章を参考にしました」とする方が楽だし誤解も少ないと思ってる。逆に参考文献を読む前にWikipediaを読んだ影響で、それをアンカーにその本の捉え方の方針が決まってしまうということも十分ある訳で。だったら、僕はWikipediaの記述を見て「あ、これ書きたい」と思ったんだから、それをダイレクトに書いた方がいいと思う。参考文献も書いてあるし。

まぁそもそも、Wikipediaにある"知"に出典(根拠)が求められるならば、その参考文献に出典が求められない理由は"権威"しかない訳で、少なくとも僕はその人の名前も本の名前も聞いたことないからね。まぁ最近出した浦島太郎の話は、精神分析の話だから更にフロイト等に遡ることは容易だろうけど。

むしろ最近は"Wikipedia"にもある程度の権威を感じるようになってきた自分がいる。

無限後退の話は、ジオウの感想かなにかでも何度かしたよね。要はそういうこと。

・あ、最近よく使う"アンカー"という言葉は、文脈として心理学や行動経済学等でいうところのそれです。そちらの方が"錨"を参考に抽象のハシゴを登って意味付けたのだから本来の錨という意味からある程度は推測できるはずだけど、そもそも錨自体にあんま馴染みがないからな。一応これは言っとく。

・ちなみに"抽象のハシゴ"という表現は外山滋比古『思考の整理学』から取ったものだが、さっと調べてみるとこれにも元ネタがあるようで。

www.keiomcc.net

 

・作品を見て「考えさせられる」とだけ言っている人が具体的に何を考えてるのかいつも気になる。

そもそも"考える"とは何なのか。思考を整理に近いものだとするなら、考えさせられるというのは「頭の中を散らかされる」というようなイメージになる。

そういう人が言葉少なになるのは、散らかった部屋を見られたくないみたいな心理なのかもしれない。

 

龍騎のブランク体はまぁ(モンスター的に)ノンモチーフと言われても分かるけど、王蛇はなぁ。"契約前"と"契約後に何らかの事情でモンスターの力が失われる"は別ってことなんだろか。

 

・知り合いの女の子が水琴窟に似た音が鳴る鈴なるものをいつも付けているんだけれど、その音がとても癇に障る。人自体に悪印象は持ってないと思うけど、それだけはどうも苦手だ。

そうそう、これこれ。無理。頭痛くなってくる。

t.co

 

・街とか道路とか見てると、これら全部を人がイチからつくったなんてとても信じられなくて、それこそ五分前か知らないけど、一気にパッとこういうかたちで自然発生したんじゃないかと思えてくる。

 

・ま、まさかこの漫画『仮面ライダー』、古すぎてISBNがまだない……? 完全に想像の外だった。まさかそんな本があるとは。でも実際目の当たりにしてみると当たり前すぎる。 

 

・「感想とは自分語りだ」と何度か言っているけど、つまり「感想が思い浮かばない」というのは自分の感性の貧しさの露呈に他ならないと思っている。

僕が昭和ライダーを見る気にならない、見てみても何も感じないのはそういうことだと認識してる。

肯定も否定もできないって、本当に空っぽだよね。

 

・13なんかよりななの方がずっと嫌いなんだけど、なかなか人に分かってもらえない。むしろ"ラッキー"な数字じゃんと。視覚的に何かをセンターに置いてその横に6つ並ぶかたちなら平気なんだけど、"なな"という概念で認識しようとするととにかく気持ち悪い。数字を見るのも嫌だから、ひらがなに開いてる。

 

・噂に聞く慰安婦問題なるものがイメージしやすいと思うんだけど、(便宜上の)加害者にとっては、"(便宜上の)被害者が嫌がること"が不愉快なことである訳で、その意味では加害と被害が逆転する。

"殴りたい"と"殴られたくない"という互いの欲が噛み合わなかっただけというか。

殴られた人は殴られることを許容しなかった。その心の狭さが殴った人を"加害者"たらしめる。この両者を分かつのは、周りの共感や同情……つまり"味方の多さ"以外に見つからない。

とはいえ、暴力に訴えた人が数の暴力でやられるのだと考えると、それはそれで面白い構図だけどね。

 

・僕の話をちゃんと聞いてない人に適当な否定されるのも腹立つけど、ちゃんと聞いてない人に適当な肯定されるのはもっと腹立つ。

僕の伝える力不足だと言われたら返す言葉がないけれども。

 

・細かい話をすると、トクサツガガガ5話の仲村さんが「変じゃないよ」と諭すシーン、そこの言葉選びは「変でもいいよ」の方が適切なのではとしばらく悩んだ。

ヘンっていうとマイナスな印象あるけど、珍しいことはそれなりに説得力を持った事実なんじゃないか。わざわざ諭す程度には。

変でもいいよ↔変じゃないよ
独身でもいいよ↔独身じゃないよ
特オタでもいいよ↔特オタじゃないよ

それは許容や肯定じゃなくてただの現実逃避なんじゃって。

 

・ダブったことを嘆くセリフとして「持ってない人に行き渡ってほしかった」って素晴らしすぎるな。

 

・「悪の仮面ライダー」について語りたいなら、当然仮面ライダーもだけど悪の定義も重要よね。

例えば(前の)僕なら、エグゼイドやブレイブのことを平気な顔して「悪の仮面ライダー」と呼ぶと思うよ。スナイプも無免許だからそうかもね。レーザーも嘘つくしなぁ。

 

・あ、ジオウⅡってファイズ2も意識してるのかなって言うつもりだったけど忘れてたわ。

あと、ジオウを見て真司ももしかすると融合してたのかもと思ったりとか。

 

・こんなに分かりやすくはっきりと明言するとは思わなかった。「お好きなように想像してください」ってスタイルかと。

いやまぁ、白倉さんが何を言ったところで視聴者が勝手な想像をする権利はなくならないけども。いわゆる"公式"(関係者)同士で解釈違うこともそこそこあるしね。

わざわざ質問してきてる訳だから濁す理由はないか。

 

・生きるためには、まず親に気に入られなければならない。自立にあたっては、会社に自分の労働力を売り込まなければならない。他人に価値を見出してもらえなければ、生きることは難しい。交換するものがなければ、奪うしかない。

もう少し踏み込むと自分で自分に価値が見出だせない場合は、自分は自分を生かす努力を放棄するので、自分は自分に価値を感じられるよう努めなければ生きられない。

人類愛という言葉でさえ、愛の対価に"人類であること"を求めていると読み取れる。こう書くとちょうどアギトっぽいけど。ちなみにこの人類愛という言葉は漫画版仮面ライダーから引っ張ってきました

 

・マイノリティな悩みよりもマジョリティな悩みのほうが解決にコストがかかるから認められにくいという側面もあるかもしれない。

または「それくらいみんな我慢してる」の圧力。

ガガガの感想で「それくらいみんな我慢してる」という圧力は気のせいだと言う話をしたけど、それは個人的選択の場合であって、社会的な選択(福祉)ではその"みんな"が主体なので話が変わってくる。

 

サリンジャー読みたいけど読んでないみたいな話を以前したけど、なんで僕は日本語訳と原語のどちらかしか読まない前提だったんだろう。日本語訳で概略を掴んでから原語読めばいいじゃん。いや積読本多すぎてそんな余裕あるのかってのはもっともだけど。

 

・ひらがなの仮面ライダーはしん王となでしこ、あきら変身体くらいか。

 

・「できる」という状態はある種の幻想であって、実際は「できている」か「できた」、そして「できるはず」のどれか。

更に抽象度を上げると"現在形"が幻想だという話になりそうなんだけど、なぜ現在形だけが特別なのか自分でもよく分からない。

吃音が今よりひどかった時期は特に思ってた気がする。「話している」ことはあるけど、「話す」ことはできない。

・違った、話したかったのはこれじゃないな。

例えば漢検に受かったときに、「すごいね」と言われるのがしっくりこない。できて当たり前というか、不自然なことは起こり得ないのだから自然なことなんだ、って。

主体としての僕なんてものはいるのだろうか。僕はいつも僕'の奴隷だ。これを"気分"と呼ぶこともある。僕'が何に従っているかは知らないが、とにかく盲目的に僕'の言うことを聞いている。

 

・白倉さんにやったように適当に自分のユーザー名の意味を調べて繋げてみると、"母殺し"になった。

偶然だけど面白いから由来のひとつってことにしちゃおうかな。

 

・エグゼイドの当時は「登場人物が全員アホ」だと文句を言っていたけど、漫画版仮面ライダーを読んだことで「アホでこそ仮面ライダー」って考えになるの我ながら面白過ぎる。原作って偉大だなぁ。

 

・記事でも言ったけど、要は"ショッカー怪人"の中にも数人くらい良いやつがいるかもってのが仮面ライダーな訳で、"仮面ライダー"という概念が定着したらその中に数人くらい悪いやつがいるかもってのが所謂ダークライダー。

"仮面ライダー"というよりは『仮面ライダー』についての話になってくるけどね。

「正義一色や悪一色というのは"不自然"ですよ」という。
すると今度は「必ず一色で説明できない」という命題に対して絶対性が生まれてくるので、正義一色の『仮面ライダー』もあるのが自然ってことになるんだろうけど。

女性ライダーも、外国人ライダーも、人外ライダーも。あぁ、じゃあ陳腐にまとめると"多様性"ってことになるのか。

 

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・出版順に読んでいるのでこれから『リトル・ピープルの時代』に手を出すんだけれど、そういえば僕って一度も村上春樹作品読んだことないんだよな。ヘボットで彼を意識したキャラクター「春風ムラキ」を見たのと、あとは現文の問題で少し読んだか読んでないかってくらい。

今「たしか『海賊と呼ばれた男』は録画してあったような……」とか思ったけどそれは百田尚樹だった。

僕は"聞いたことある度"で物事を判断することが多いのでこういうことがよくあって困る。実際似てるかは全く関係なく、ただ僕がその名に触れる機会が同じくらいだったというだけ。ちなみにこの認識方法は、主に歴史上の人物と関係する事柄をそれぞれ繋げるような問いに役立ちます。

・そういえば、苗字のせいか何かと春樹と並べられる村上龍については、一応読んだことがある。

自選小説集5(『海の向こうで戦争が始まる』『愛と幻想のファシズム』)を読んで、あとは『限りなく透明に近いブルー』と『69』を積んでる。エヴァの元ネタらしいと聞いたのと、友達の親から薦められるという珍しいルートだったのもあって、興味が出た。

内容についてはほぼ覚えてないけど、「まぶたの裏の景色」という概念だけははっきりと覚えてる。あと「メロンが食べたくて売春した子」の話。8割UVERworldの影響で印象に残ってる。

最近になってあぁそれで"フルーツ"と呼ばれてたのかななんて一人合点したけど、フルーツのことはフルーツと呼ばれている女性だということ以外覚えてないので全く関係ないかもしれない。そもそも『海の向こうで戦争が始まる』の方のフレーズだったかもしれない。

・春風ムラキは「ネジが島クロニクル」との出会いによって発狂してしまうんだよなぁ……。

・読めば読むほど村上春樹が読みたくなる。

・スーパーブックでは、ざっくり「漫画版仮面ライダーは文明批判だ」と書かれているんだけど、僕はこれ違うと思うんだよね。いや、御本人の証言があるのかもしれないけど、それをひっくり返してでも僕は違うと思う。

自然対文明だと言うならば、記事にも書いたようにショッカーこそが自然の使者に見える。

こうして僕は「分かってねぇなぁ」と思う訳だけれど、たぶんあちら側もこれを読んだらそう思うだろうな。

・宇野さんの「日本のロボット文化」分析のせいで僕の中のジュウオウキングに変な意味が付加されてしまった。だってそう言われたらまさにそうじゃん。そういう視点も面白いけども。あと僕もザンバットソードについて似たことをしたけども。

・『リトル・ピープルの時代』、同じことを何度も何度も何度も何度も反復するので、馬鹿でもそこそこ頭に入ってくる。

・絵描き歌って不思議な文化だなぁ。僕は小学生くらいの頃、絵描き歌の歌詞をできるだけ正直に飲み込んで滑稽な"ドラえもん"を書く遊びをしていたけれど、それに現れているように、あれはドラえもんという像を共有した前提で、それを書くガイドラインとしてのみ意味を持つ歌なんだよな。ドラえもんを知らない人はあの歌を聞いても書けない。つまり「僕らの中にいるドラえもん」を他者が説明し、それに従って書くという、変な構造を持っている。

「まる書いてちょん」という極めて記号的なところから豆、根、植木鉢……という若干の物語性を帯びた抽象表現への橋渡しを、音楽に乗せる(考える暇を与えない)ことでむりやり実現している。こういうとこ音楽は強いよな。

・この「聖地巡礼」という文化の解釈は面白いな。僕は正直全く興味がないので無理解だったのだけれど、少しわかった気がする。

・記事(仮面ライダージオウ EP24「ベスト・フレンド2121」 感想)では僕個人に馴染み深いリラックマを挙げたけれども、ポケットモンスターも案外似た構造をしているな。

ただしリラックマは僕が"変身"と表現したような現象を起こすのに対して、ポケモンは商業的キャラクターとしての側面と物語的キャラクターとしての側面を、それぞれ「種と個体」に読み替えることができる。これはなかなか面白いな。

…………でもそう考えると「(ほぼ)同じ見た目の個体がたくさんいる」というのは、『ミュウツーの逆襲』で描かれた「自分の偽物への嫌悪感」と相反するものではないのだろうか。少なくともアニメではあまり個体差というのは(外見上は)見受けられないし、むしろ外見的にはコピーポケモンは一際"違う"。

内面的にはどうかというと、「偽物であるが故に本物に勝たなければ存在意義がない」と「本物であるが故に偽物に負ければ存在意義が失われる」という裏表で、似ているといえば似ているけど似てないといえば似てない。

ミュウツーの逆襲』は、本質的なそれというよりは"コピーということば"に対する嫌悪感の表出なのかもしれない。或いはコピーかどうかは問題ではなく、2者間に生まれる差別心や対抗心であればなんでもよかったのか。

・「ジョーカーよりも先に日本には浅倉がいた」という物語のために浅倉のいくつかの描写が揉み消されているように見える。本当に暴力を行使できさえすればよいならば、"ゾルダの中身"など彼にとってはなんの意味もなさないはず。

僕はバットマン見たことないのでジョーカーがどんなもんかは、この本から読み取れる程度のことしか知らないけれど。

AKB48については「昔すイエんサーに出てた」ぐらいの認識なんだけど、仮面ライダー(内在的存在)と並べて語られると少し興味湧くな。実際に曲を聞いたりとかはしないだろうけど、"AKB分析"は機会があったらまた読んでみてもいいかもしれないという気になった。

そういえば以前、「そんなにうまくなかったり多少ヘタクソだったりしても、大勢で大合唱すればそれなりのものになる」という発見はした。大人数のアイドルを聞いたのか、他の何か(例えば子供の合唱とか)だったかは忘れたけど。あ、天てれかな。

そういえば知り合いは嵐が好きだけど、彼らにもこういう分析的な視点の本とかがあったりするのかな。

あ、認識といえば、カラオケで彼女が歌ってたっけ、AKB。「へーこういうの聞くんだ」って印象に残ってる。まぁそもそも彼女に関しては「カラオケとか行くんだ」ってとこから驚いたけど。

僕の周りではあんまり男性のAKBファンって見かけなかったな。女性の嵐ファンはよく見たけど。隠れてただけなのか、僕が見てなかっただけなのか。

・そういえば、大きなもの(壁≒システム)との対峙という意味では『剣』ってまさにそんな感じだったけど、宇野さん全然注目してなかったな。

剣って「職業ライダーというコンセプトを活かせてない」なんて風に言われてるのをよく見るけど、1話で崩壊してる時点でそもそも"コンセプトだった"というのが怪しいんだけど、証言でもあるのかね。

渡のこの世アレルギーも似たような認識。

例えばカブトのワーム判定スコープと違って、自然消滅(フェードアウト)的になくなったんじゃなくて明確に、意図的に消したんじゃん? それならもうそれは「そういうもの」と捉えていいんじゃなかろうか。

企画段階では云々放送コードが云々……というのはあくまで裏話に過ぎないので、あくまで完成した作品としては、の話ね。

おぉ、なんか剣って本当にリトルピープルの話に合ってる気がしてくるな。会社(国)に属しているということが自己を記述しなくなったアイデンティティ不安が序盤の"迷走"であり、最終的にまぁざっくりと"友情"的な、個人と個人の繋がりの中でキャラクターを確立していくという。実際に細かく見ていくとまた違って見えるんだろうけど。

あとあれか、宇野さんは市場に受けているという理由で村上春樹を出してるわけだから、受けなかった剣の話をしても仕方ないってのもあるか。キバだけそこそこページ割かれてたのは知らん。

 

・"自分の所持品"という意味を持たせて撮影することは駄目なのかとちょいちょい考える。例えば本棚の写真を取るにも、背表紙にだって著作権があるかもしれない。まぁ本棚の場合は並び等で創意を表現することができるかもしれないけれど、その辺のラインが難しい。

でも逆に本の表紙なんかは書店で平然と公開されているので(不特定多数に見せる前提のものなので)いいんじゃないかという気もする。

 

・放っといても自分の心配をしてくれる人がいる人は、安心して自分の損得を度外視できる。そうでない人は自分以外自分の利得のことを考えてくれないので自分の利得を最優先して考えるしかない?

 

アスペルガーってもともとたしか人名だよね。人名としての"Asperger"の由来までは知らないけど。功績によって自分の名前が蔑称として定着してしまうの悲しすぎるな。

僕が最近よく使う「ラプラスの悪魔」なんかも誤ったイメージを定着させかねない。ラプラスさんが空想した悪魔の話であって、例えばラプラスという場所に住んでる悪魔でもなければラプラスという名前の悪魔でもないし、「ラプラスの悪魔! 人でなし!」的な文脈でもない。

こういう誤解をなくすためには、形式的な名前を使わず「現在におけるこの世のすべての状態を知ることができる存在がいると仮定すると、それにとっては未来すべての事象はすべて自明に導ける(神はサイコロを振らない)のではないか。という考え、またその中に出てくる超常存在」といちいち書くべき。

 

・この間、僕はカウンセラーさんに『ヒーローと正義』を貸した。主に9.11やオウム事件等について、自分は肌で経験したことがないので、より実感できるであろう人が読むべき本だと感じたからだ。

でも、もしかすると僕は、本当は父に貸したかったのかもしれない。

と、カウンセラーさんが思っているかもしれない、と思い至った。カウンセラーさんに『ユング心理学入門』を薦められたお返しとしての意味ももちろんあったのたが、その中に"転移"についての話もあって、それを思い出したのだ。

つまりカウンセラーさんは「本当は父に貸したい本」から僕を分析する。

そして僕はその直後と言って良いタイミングで、"父の倉庫"から『仮面ライダー』を"借りた"。
これはなかなか面白い現象ではないか。

そして『ユング心理学入門』を紹介したカウンセラーさんは、僕が転移について知っていることも知っているはずであって、ここに至るというところまで想定済みだったりするだろうか。

似たエピソードとして以前はルパパトの玩具(とジュウオウキング)をわざわざ病院に持っていってカウンセラーさんに見せながら遊んだことがある。あれも今思えばそういうことだったのかもしれない。"玩具で遊ぶ"から"本の貸し借り"という関係性の変化は、僕の精神的な成長を物語っていたりするだろうか。

昔から思ってるけど、自分のカルテ(?)を見たい。ロールシャッハテストの分析については頼み込んで聞かせてもらったけど、そこでも踏み込んだことはあまり話してくれなかった。スコアリングの方法や"一般的な解釈"の話(本で調べられるような話)は多かったが、僕個人についての深い解釈は少なかった。

 

・そういえばONE PIECEでは普通に"改造人間"の話やってるけど、これはテレビ局ごとに違うのか、実写とアニメの違いなのか。

まぁ究極的な話、目や耳の存在を前提としたメディア(映像や画像、音声)の存在そのものがバリアフリーとは程遠いんだよな。音声解説と字幕でどちらか片方なら対応があるけど、これだって完全に平等とはとても言えない。

最近のよく喋る仮面ライダーのベルトとか、字幕だけ出されてもマジで意味分からんでしょ。

次回のトクサツガガガ見るとき、まず目を瞑って解説だけ聞いてみようかな。

↑こういうの、健常者側は一見簡単に障害者の気持ちになれるように思えるけど、見えなくなったと見えないはかなり差があるよね。

例えば「シャバドゥビタッチヘンシーン」も、過去に聴力があったなら脳内再生が可能だけど、一度も音を聞いたことがなければ抑揚という概念すら分からないかもしれない。 

逆に、はじめから見えないのと見えなくなるのとでは後者のほうが恐怖心は強い、みたいな差もあるかもしれないけど。

 

仮面ライダーが教育に悪い、ねぇ。

子供が見たものを真似るのが好きというのは、確かに色んなところで聞いたことがある。キックを見たら、キックを真似するかもしれない。ちなみにこの間はスーパーでやられ役を演じてる子供を見かけた。何か見えないものにボコボコにされてた。

しかし、見なくても自発的にやることというのもある。教わらなくても肺呼吸ができるように、仮に一度も"暴力"を見たことがない子供が例えば怒りを覚えた際、本能的に暴力をふるうということは、絶対にない、或いは可能性が低いのだろうか。

っていうかそもそも暴力的になるというのは、怒ったときというよりは"戦いごっこをする"ということについて言ってるのだろうか。

まぁいいや。僕には関係ない。子は親を選べないというけど、その親の組み合わせでしかその子は生まれ得ないんだから、その親がどんな風かも合わせて変えようのないその子の個性とも言えるだろう。僕が口出すことじゃない。

 

・夢の中に出てくる"他者"……例えばAさんならば、概ね"僕の中のAさん像"ということになるんだろうけれど、彼や彼女は僕を満足させる程度の雑談ができる。僕は僕の中の世界だけで完結してそれなりに面白おかしく生活ができるのかもしれない。

少なくとも僕の脳は、"Aさん"と"自分の中のAさん"を区別できない。例え現実で予想外のAさんを知っても、それは即座に、あるいは徐々に、"自分の中のAさん"に含まれる。

というか、夢の中のAさんだって現実に100%準拠してる訳じゃない。そこそこ突飛に動き、しかしAさんであることを逸脱しない。

それならば、自分の中だけで"新しい発見"を繰り返し、生活することが可能なのではないか。この発想は寄生獣のミギーのラストのそれにそっくりだけど、まさにあれ。「ここにある材料だけでやってみたくな」る。

あぁなるほど、それでミギーは"眠る"という表現をしていたのか。じゃあ同じだ。夢は内面への探求なんだ。それを昼夜で繰り返して、人は生きていくのか。よくできてるな。

 

・視聴率を除けばエグゼイドビルドともに悪い話はあまり聞かなかった。世間的に"ウケてる"とは、少なくとも僕は思ってる。"作品としての出来"を考えようとすると、昨日の質問じゃないけど「僕は気に食わない」という話になってくる。

フィクションの設定というのは多かれ少なれ"嘘"を前提としている訳で、それを納得できるかどうかというのは、好みやその周りの知識、そして寛容さなどに大きく左右される。

仮面ライダーへの適合手術(微量のバグスターウイルスを投与し抗体を得る)というのは少なくとも僕の知る限りでは現実の予防接種のそれと酷似していて、微量のバグスターウイルスというのが所謂"ワクチン"にあたる。しかし何故か一般人にやらないどころか終盤で「やっとワクチンができた」と言っている。

まぁそういうのを聞いて僕は「はぁ?」と思った訳ですよ。一部では「"適合手術"が改造人間を想起させて初代オマージュで素晴らしい!」なんて言われてたけど、ただの予防接種ですからね、と。

しかも「ソルティワクチン」がどうのこうのってセリフからするとバグスターごと(ゲームごと)に必要な抗体は別種であるはずなのに、新たに予防接種を受けずにレベル3や5のガシャットを使えてたのもおかしい。と。

敢えて永夢の殺人については触れないけど、当時の僕はそれらがどうしても気に食わなかったらしい。

「結果じゃなくて過程を見せろ」とも言ってたけど、今はそれらに違いがあるのかよく分からない。それは切り取り方によるんじゃないか。

 

・白倉さんのパラレル発言について一番重要なのは、「質問されたから答えた」ということ。あるアカウントが"白倉さんの認識"を要求したので、それを出したに過ぎない。映画の作品内で明言されてない(とあなたが思っている)ことがその根拠である。

インタビューとか数個読めば、制作陣も一枚岩じゃないことくらいは察せると思うんだけどなぁ。

そういう意味で、小説や漫画みたいなものとは根本的に違うつくり方がされてるよね。漫画も編集やアシスタントくらいはいるけど。小説はどうなんだろう。プロットとか編集に見せて意見求めたりするのかな。

 

・『Yuri on ICE』久々に聞いたけど相変わらず綺麗だ。ゾクゾクする。

結局その後フィギュアを見ることはなかったけど、ユーリのフィギュア映像はとても好きだった。カット割りの魔術。

 

平成ライダーは変身バンクが少ないって話をしたけど、これはクウガの影響かな。

 

・忙しいことの比喩として、「手が足りない」というものがある。ではこの時4本の腕を持つ体になりたいかといえば、そういう訳でもない。

じゃあ手がない人は、「手があれば楽になりそう」なときに、手が欲しいと思うだろうか。

思うのだとしたら、少なくともその人は、「障害は個性」だとは思っていないと言えるかもしれない。

僕は自分のことを「腕が2本の生物である」と認識して納得しているので、腕が増えてくれとは思わない。仕事が減ってくれと思う。

逆に、「自分は4本腕の生物でありたいのに2本足りない」と思う人に対して、2本の義手を付けることは、"エンハンスメント"としてあまり快く思われないかもしれない。

エンハンスメントという概念と論点はこのPDFを読めばだいたい掴めると思う。

エンハンスメント技術の受容に関する基本的問題

 

 でも実際、テレビではできなかったことをやったらしい『スペクター』や小説は、絶賛の嵐だったよね。アマゾンズもそこそこ人気な印象だし。少なくとも僕は「これを本編でやれ」という声をたくさん聞いた。

個人的にはスペクターつまらんかったけど。

あと"公式"ってどこまでのことを言うんだろうなぁなんて。例えばエグゼイドでは反響が大きかったから貴利矢を復活させたという話が有名だけれど、つまり視聴者が展開のひとつを決めたことになる。では貴利矢ファンは"公式"であるか?

自分の発言に責任を持つというところでは、顔と本名晒してるところで十分だという気もする。こうして名指しで否定されること覚悟して言ってるんだろうから。

そういや鎧武も何かを急遽ダンスチームに変えざるを得なかったとかって話を聞いたな。

少なくともあの文脈での面白さや牙ってのは、明らかにそういうものを指してるよね。僕はアマゾンズがどう面白いのかは知らないけどさ。

アマゾンズは監督たちがこぞって「やりたい」というほど、ニチアサで溜まってたものを自由に出せる制作現場だった、みたいなニュアンスの話は読んだことがある。

こうして読み解いていくと、どちらかっていうと、今あるかたちの仮面ライダーが面白くないというよりは、企画段階での仮面ライダーたちが(より)面白かったのに実現しなかった、ということに対する話なんじゃないかなぁと僕は勝手に思っている。

別につまらないって思ったなら言えばいいと思うけどさ。

 

 かなり分かりやすい例だと、食べ物の好き嫌いとかかなぁ。嫌がるからと言って野菜食べさせないとか、極端に離乳食にすらしないとか。

僕は父がよくカーペンターズを聞いていたからかカーペンターズの声が好きだけど、これは「押し付けられた」とは思ってない。でも、当時は何度か「今はもう飽きた」と思うことはあった。

英会話の勉強とかも、最初に連れてかれたときは不安で嫌だったけど、行ってみると案外楽しかったりして。

 

・そういえば、ライダーにはライダーの力って言い出したのもソウゴでしたね。いける気がしちゃったら勝てるのか。

太郎顔の戦兎もソウゴが辻褄合わせすんのめんどくさかったで片付きそう。

ジオウはスロースターターだって言ってたけど、それはライブじゃなくて録画して何度も見直す前提でつくってるってことなのかな。

 

・知ったばかりの言葉や漢字を面白がって多用するのは、やってる内に定着するので言葉の勉強法としては正しいと思うよ。

「難しい言葉を使えば頭いいと思ってるだろ」とか言う人もいるけど、きちんと意味分かってるなら伝わらない頭の悪い人にも説明できるからね。

僕はTwitterやブログだと割と「自分で調べろ」なスタンスですけど。はてなブログの場合はてなキーワードのリンクつけてくれるしね。

正直ミライダーでお腹いっぱいなのでフューチャータイムしたウォズへの思い入れがあまりない。かっこいいとは思うけど、素のウォズかっこいいしそんな変わらないし。

アップルウォッチのベルト付け替えをイメージしてるんだろなってのは分かるんだけど。

・電王ライドウォッチ出るなら桜井さんに持ってきて欲しい。絵面的に。

平成ライダーが現実逃避の世界って、よく考えたら小説版ディケイドじゃね。

 

・ロストブレイズって呼んじゃ"いけない"理屈が分からん。自分の思う表現をして、伝わらなかったら言い換えてみるのは普通のことでしょ。

ところで僕は「聞く」「訊く」くらいは区別して使って欲しい派。

 

・ポルノに過剰反応してポルノ側を規制しようとするのどっかで見たことあるなぁと思ったけど花粉症がつらいからって「花粉消えないかな」とか言ってる人たちだ。

 

・仮に平成ライダーが本当にソウゴの夢だったとして、それに反感を抱く人は平ジェネFOREVERを見ればいい。おそらくその為のあの映画だ。

でも確かソウゴって4月生まれだけどね。

それを根拠にソウゴの夢ではないととるか、ソウゴが「自分の生まれる少し前からこういうヒーローがいたと空想していた」ととるか。それとも現実のソウゴの世界ではそれこそテレビ放送してたんだろうか。

あぁ、『ジオウ』も夢なら、人口半減は特に何かのっぴきならない理由がなくても破壊衝動ってだけで片付くかもしれない。夢の中での殺人まで罪に問うのは変だ(ただし多少の罪悪感の有無は人間性に関わってくる)。

ソウゴが"思い通り"にできる以上、「オーマジオウは犠牲を半分に抑えた説」はもう弱い。今の僕的にはどうせ夢だからと悪虐の限りを尽くした説が濃厚。

弱いって言ったけどそうでもないか。キカイの世界についていったのと同じで、裏のソウゴが破壊を望み、表のソウゴがその被害を半分に食い止めたというケースは十分ある。

 

・多分「主人公がやべーやつ」なこと自体は僕はそれほど嫌いじゃなくて、それに作品として無批判に近いかたちなのが腹立つ。代わりに自分で批判してバランス取ればそこそこスッキリするけどね。

 

・僕に龍騎リアタイ当時から残っている記憶は、カードダスのベントカードに輪ゴムをつけてそれで髪の毛を結んだこと(自分で言ってても意味が分からない)と、音が鳴らないダークバイザーで遊んだことと、父のパソコンで公式サイトの過去エピソード紹介を延々と眺めていたことの3つ。

クウガとアギトはかろうじて、放送後に家にあった小学館から出てるページのぶ厚い本を読んだ記憶が残ってる。でも見てたは見てたらしい。

 

iss.ndl.go.jp

ユリイカ届かず仕方ないので「語れ! 平成仮面ライダー」を読み出したんだけど、なぜ最初のページがシャイニングなんだろう。いやめちゃくちゃかっこいいけど、そこは嘘でも口火を切ったクウガじゃないのか。

龍騎の劇場版やSPはループの一部説はいい加減きちんとした根拠が知りたいんだけどなんでみんなそんな前提みたいに扱うんだろう。

まぁなんでかって言ったらそりゃ既に何年も前に放送されて僕の知らないところで議論し尽くされてるからなんだろうけども。

・しかしそもそも「知られざる謎」とは一体。これも2000-2018全史みたいに、どこ向けてんだかよく分からない本なのかもしれない。作品見たことあるなら知ってて当然のことについて"知られざる謎"なんて銘打つからには、(少なくとも全部は)見たことがない人向けなのかね。にしてもネタバレ多いけど。

・荒川さんが高寺さんの意見に否定的なこと言ったら「やる気がない」なんて思われたのか……いや、他にも色々状況はあるんだろうけど、そこだけ聞くとすげー排他的というか、嫌いになるよ。否定的って言っても、ここで一番に挙げられてるのは「予算的に厳しい」だし。

いちいちはしごだか入力するのはめんどくさいし検索にも引っかからなくなるので、脳内変換してね。

 

・小野寺クウガが不評って話だけはよく聞くけれど、そもそも別にクウガって五代にしかなれない訳じゃなかったよね。先代なんてのがいたくらいだし、変身したきっかけも偶然に近い。

 

・ジオウで"物語"についてフォーカスされてるから、新時代に求められる仮面ライダーに物語はなく、それこそ冗談で言われてたクイズ番組であるとか、それくらいぶっとんだ企画が来るんじゃないかと今から戦々恐々としている。一応僕は物語が好きな人間なので。

 

・根本的な話、赤色だからってタイタンソードにできないなんて設定あんのかね。キバみたいに武器由来でフォームチェンジしてる訳じゃあるまいし、マイティなんだからどの武器もそれなりに扱えてよくね。

 

・そういえば今更だけどアナザークイズってどことなくアンデッドっぽいよね。

 

・僕は遅刻しないように1時間前とかに着くように行くこともザラなので、待つこと自体は平気なんだけど、わざわざ待ち合わせてまでやる予定だったことができなくなる(時間に追われるようになる)のは腹立つ。

スマホの普及で暇潰しには困らないんだから、待たされること自体にはそんな怒らなくてもとは思う。

 

・不寛容に寛容であるというのは難しい。世界が寛容なので僕は多少不寛容でもいいだろう。僕が不寛容を表明する程度では人の自由は失われやしない。

 

・結局、自分の欲望と良心に従って自己中心的に生きるしかないんだなっていう結論になってしまう。

『EGO 〜Eyes Glazing Over』ってホントいい曲よな。

 

・世間的には、積極と消極が並ぶと、積極が悪にされやすい。ストーカーとか。

はじめしゃちょーが度々動画で「家に来るな」って話してるけど、僕はあれあんまりピンとこないのよね。

法律が実際どうなってるかは別として、知らない人の家に接触を試みるのって、駄目なんだろうか。例えば僕は、喉が渇いて限界だったらきっとダメ元で「水をください」くらいは言うと思うんだよね。

少なくとも黙ってぐったり倒れるなんてことはしない。本当に道端に倒れてるとかならまだしも、下手にベンチなどの寝てても違和感の少ない場所に行く元気があった日には誰も助けてくれない。

「しつこい」のはまた少し話が変わってくるけれど、最初の1回くらいの交渉権は、僕はあって欲しいんだよな。

とか言うと、「◯度断られた後で更に頼む」という行為は"初めて"だとかいう屁理屈も浮かんできたりするんだけども。

いわゆるナンパとか、僕はしようとは思わないけど、「しちゃいけない」ってのはなんだか寂しいと思うんだよな。そういう人もいていいじゃない。
積極と消極、するしないの白黒じゃなくても、そういう余地というのはさ。余地というか、グレーゾーンというか。

僕は知らない人に話しかける度胸は持ってない(道を訊くとかは別だけども)から、向こうから話しかけてもらえるととても嬉しい。嬉しくないパターンもそりゃあるだろうけど、何もないよりは玉石混交の方がいい。

突き詰めていくと、やっぱ「事なかれ主義」って壁に当たるんだよな。

・引き算じゃなくて足し算で……って話ももう何度かしてるか。

不適切と言われる表現を"なくす"より、「暴力などはいけない」という表現でバランスを取ればいい。

この前、突然書店で「君の腰そこ? 足長いね。僕は足短いのがコンプレックスでさ」と話しかけてきたおじさんの話をしたけども、こういうのもたまには面白いじゃない。

僕が小学生のときに、リラックマのキーホルダーをつけていたのを見つけたことをキッカケに見知らぬ高校生と仲良くなったように。

ヤマダ電機うろちょろしたら満面の営業スマイルで新商品のアツい解説をしてくれる店員さんとかさ。

でも、断れない(ことを自分の選択だと思わない)人からすると、「そもそも話しかけてこないで」ってなるのも、分かるには分かるんだよなぁ。

トクサツガガガに絡めるなら「残業をお願いする」というプロセスが今扱ってる話題に当たる訳なんだけれども。

・そしてもちろん、言葉だけがコミュニケーションじゃないというのは十分考慮に値する。でも(意図せず)歯切れ悪く了承した後にそれを察した相手が「やっぱりいいよ」と引くと、なんか気まずくて今度は強く了承してしまうという心理もある。

 この場合"意図せず"というところが重要で、相手に気を遣うこと(悪く思われたくないこと)が一応断ることよりも上位にきた結果としての行動だから、引かれると困る。

 Twitter上だと比較的こういうのゆるいんだけどね。「FF外から失礼します」がテンプレ化する程度には。

以前「聲の形」の感想でアサーションの話をしたけれど、結局あれも押し付けに過ぎないんだよな(ただ一応折衷案ではあるので納得させる力はそこそこある)。