やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダージオウ EP30「2019:トリニティはじめました!」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・「最後の最後までもがいて、俺たちを苦しめればいいじゃん。俺は……俺たちは、白ウォズに負けないように戦うからさ」
ここ良かったね。僕はソウゴのこういうところがすごく好き。と同時に、やっぱりマッチポンプという言葉を思い起こさせるセリフでもあるよね。僕の中では、まとめ記事のタイトルにするくらい『剣』とそのワードは親しいものなんだけれど、その剣編でってのも手伝ってる。
アナザーキカイの件もあるし、ジオウがメタフィクションの体をとっていることもある。仮面ライダーが立ち向かわなければならない"悪もの"を想像するのも、仮面ライダーを想像したのと同じ制作陣なんだよね。ヒーローがヒーローとして成立するためには、立ち向かう悪が(それが人格的である必要は必ずしもないが)必要。
これを主人公のスタンスに取り込むことで、番組としての「敵に立ち向かう仮面ライダー」という構図を確保してしまう、この『ジオウ』の"お約束"の活かし方が見てて面白いんだよな。

 

 ゲイツとウォズ
・自分たちにとっての過去を"未来"にすり替えるのは、考えてみれば当然の帰結。そもそも彼らは「過去(2018)に戻って未来(自分たちにとっての過去)を変える/保つ」ためにここにいる訳だし。
「(ジオウを倒さないというなら)未来の仲間は助けなくていいの?」というのは前々から感じてた疑問ではあったけど、それも含めて未来の話。過去を完全に断ち切ってソウゴに寝返るのもなんだかなぁと思ってたので、これはうまい落としどころ。
ただ、この項の名前に現れている通り、反目をやめてしまったら「ジオウの家臣その1とその2」みたいな印象になってしまうのではという不安はある。レッドがヨイショされる戦隊のメンバーみたいな。まぁ、ソウゴも大概ふわふわしてるから、そこまで薄くはならない気もするけど。

 

 もうひとりのウォズ
・彼の心情は正直に言ってよく分からなかった。見返しで考えます。

 

 海東大樹
・士のそれと同型のカメラの修理を頼んだのは、彼なのかね。となると前回順一郎さんがいなかったのは、単に修理をしてたからかな? 朝食も普段通りの量は、既につくってあったのかもしれない。
・彼のお目当ては白ウォズのノートだったのね。何故欲してるのかは本編見ないと分かりっこないからこれも保留。

 

 剣崎一真
・みんなやたらと「剣崎が運命に負けてる」って言うけど、負け判定厳しくない? 本来、「世界を守るためにジョーカーを2人とも封印する」「勝者が決まり世界が滅ぶ」のどちらかが"負け"でしょ。どっちもまだだよ。
離れなきゃいけないことがビターエンド(つまり本人たちにとって最高の状態ではない)なのだとするなら、その時点で「みんなで仲良く一緒に暮らすことはできない」って運命には白旗ブンブン振ってるんだよなぁ。それはよくてこれは駄目ってのはもう理屈じゃないので、特に言うことはない。
根本的な話をすると、残ってるのがジョーカー2人の時点でどっちが勝っても破滅は決まってるんだから統制者はもう滅ぼしちゃえよってことになるんだけどね。そこはまぁ、全生命が破滅よりはマシだと願ったってことで納得してもいいけど。
・今回の戦闘も、「必殺技まで使ってるけど(カリスは)変身解除すらしていない」「アナザーブレイドが天音だと知った動揺で割と落ち着いている」など、かなりグレーに描かれている。
白か黒か、暴走か冷静か……そういう二極化した捉え方をやめてこういう曖昧さを受け入れることは、"リアリティ"にも繋がってくる。
"どっちか"じゃない拮抗状態というのは、それこそ『剣』のラストが提示しているものでもあるしね。

 

 相川始
・彼がハカランダを後にした理由というのは、別に何か目的があるとかではなく、天音の依存心こそが原因だったらしい。まぁ確かに彼女のイメージって「始さんが好き」くらいしかなくて、彼女自身の個性というのは言われてみると全然思い付かない。あと、彼女にとっての始ってのはそもそも「亡き父の代わり」という側面もあったはずで、そういう意味で自立を促すというのは思ってたよりも自然な流れ。
ここで「アナザーブレイドになった天音を助けにきたじゃないか」って思った人は極端。化物になって人を襲い始めたら自立とかそういう次元の話じゃない。普通割って入る。
・今回のジオウが仮になかったとしても、天音ちゃんが事故か何かの危機に陥って、始がカリスになれば助かるかもしれない……そういうシーンに直面しないとは限らない。
そこで剣崎との約束を守り天音ちゃんを見捨てるのが良いのかどうか。心(SPIRIT)を持つ者としてその選択は正しいのか。理屈じゃない心があるからこそ、"冷静さを失う"ということも有り得る訳で。
これは剣崎の側でも同じことが言える。全ての人を守りたいといった彼が、天音ちゃん一人を守ればとりあえずはいい始よりも力を使わずにいられるのかどうか。
どう考えても目の前の一人よりも世界の崩壊の方が悪いけど、それを悩むのが人間であり、きっと剣崎でもある。
僕は漫画版仮面ライダーを読んで「人間の持つ精神の自由とは、愚行権のことだ」と改めて思った(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)けれど、その文脈で行くと『剣』は(あと多分『ビルド』も)とても仮面ライダーとして真っ当だ。理屈じゃなく感情的で、時に馬鹿なこと(馬鹿に見えること)もするけど、それこそ彼らが自由な証。
・ここまで考えて、『剣』という"作品"はあそこで終わってるからこそ平和に見えるのではないかと思った。
「作品を閉じる」というのはすごいパワープレイで、その後どうなったかを描かないことで小綺麗にまとめることができる。
RADWIMPSの『シュプレヒコール』という曲に、こんな詞がある。

語り継がれた物語の終わり方はいつも決まっていた

「そして彼らはいついつまでも幸せに暮らしましたとさ」

ちょっと待ってよ 知りたいのは その続きだよ 守りたいのは

やっと手にしたハッピーエンディングを 枯らさずに咲かせとくカプセルを

youtu.be

現実の認識論として、"終わる"ものは夢,物語(≒過去)、"続く"ものは現実(≒現在)になるんじゃないかという話を以前Twitterでした。夢と現実を交互に繰り返す中で、もし夢が毎度前回の続きからだったとしたら、僕らの"現実"は2本立てになっただろうと。
つまり、『剣』のキャラクター達はあの"ビターエンド"によってそのリアリティを殺されたのだ。その"続編"とは、死者が蘇ったように映るのかもしれない。なんの葛藤もなく永遠に過ごすなんて、そんなの"有り得ない"。
いずれは破綻する現実を、比較的ハッピーでクライマックスな瞬間までを切り取ることで綺麗な物語に昇華する。
散り際の桜は美しいけれど、枯れ切った桜はそうでもない、みたいな。
始さんがいつまで経っても年を取らないのであれば、天音ちゃんが死ぬ前にいずれ正体バレ(しかも仮面ライダーではなくアンデッドであることの)は起こる。そこから目を避ければ、『剣』の世界は見せかけの平和を保つことができる。
これだけ無理のあるビターエンドを、平凡ではあるがそれなりのハッピーエンドに昇華したことを、僕個人としてはむしろ褒め称えたい。

 

 

 設定

・僕も結構頭はかたいほうなので最近省みつつあるんだけど、アナザーブレイドが生まれても『剣』の歴史が消えていないのは、単に「擁立者や本人に消すつもりがなかったから」という可能性もあるのかもしれない。
クイズがアナザークイズを倒した(変身解除させた)けれどアナザーウォッチが壊れていないことがあったように、「必殺技」も「アナザーライダー誕生」も、お約束色は強いものの人間の行動の1つに過ぎない。そこに"手加減"の入る余地は、あってもいいんじゃなかろうか。
・アナザーブレイドがジョーカーの力を吸い取るというのは歴史改変能力(あるいはアンデッドとの融合能力)の応用として少なくとも僕は納得できるんだけど、それよりも気になるのはやはり「ジョーカーを抜かれて残る始ってなんなの?」ってところだよね。
まぁ、僕は普通に「剣崎が人間からジョーカーになったようにジョーカーから人間になることも有り得る。本編を経て始はただのジョーカーじゃなくて人間の部分も手に入れたのだ」ってのでなんで納得できないんだろうって感じちゃう(『剣』本編が好きなら特に)んだけど、言っても仕方ないので他の理屈も提示してみる。
28話の感想で軽く触れたけど、タイムジャッカーが"アナザーライダー擁立"というかたちで番組を"終わらせている"のとは別に、新番組を"始めている"者がいると思われる。
今回の『剣』のように前番組の世界をなかったことにする世界改変が起こらなくても、次作の『響鬼』の世界は存在している。それはつまり、「『響鬼』の世界観をつくる」という改変が別に起こっていることを意味する。それがスウォルツの仕業なのかまた別のやつの仕業なのかはまだ分からないけれども。
で、それを前提に考えると『剣』にも、彼らに仮面ライダーの力をタイムジャッカーよろしく与えた瞬間があったはず。「『剣』という番組に依存している存在は番組が消えたら消える」という理屈で行けば、本来人間だろうがアンデッドだろうが残るはずはない。残るとすれば役者さんくらいだ。でもそうならないのは、元々『剣』とは関係なく剣崎一真や相川始という"人間"は(少なくともジオウの歴史には)存在しており、そこに"仮面ライダー"や"ジョーカーアンデッド"という設定を世界5分前仮説的に与えられている様子を記録したのが『剣』ということになる。この構造は役者さんが役を演じることと相似形をなす。相川始は、「相川始という人間の心を持ってしまったジョーカーアンデッド」を演じていたという解釈になる。そうなると、彼から"ジョーカーという設定を抜き取る"のは可能だ。与えられた役を、返すだけのこと。
・剣崎が記憶を保っていたのは、アナザーライダーによる世界改変が起こっていない、かつジオウによる"継承"もまだだからということでいいのかな。剣崎が所有権を渡したことで、タイムラグがあった後にいずれ忘れる可能性もなくはないけど。天音ちゃんが2人のウォッチを持ってたのは、天音ちゃんにブランクウォッチを渡せば普通に辻褄が合う。循環については過去に何度も書いたので割愛。

 

 

まぁまぁ面白かった。ここでも感想記事でもさんざん書いた通り、僕はそもそも「汚された」なんて思うほど『剣』が綺麗ないい作品だったとは思ってないので、これは特になんの反感もなくアリ。
次回はアギト編らしいね。「これまでの危機で戦わなかった理由」が今のところ全く思いつかないので、どうなるのか楽しみ。

追記:「与えられた状況の中で、できるだけ良い方向に行けるようにもがく」ってのが僕の中の剣の核であり、好きなところ。ジオウでは"与えられた状況"が変わった訳で、この手札の中でなら間違いなく今回の結末が最善だとは思ってる。ジオウ組が解決しちゃうってのも含めて、今回彼らに与えられた運命。しかも特に抗う必要のない都合のいいものである。だったら彼らの視点ではあくまで「ジョーカーに負けないように頑張る」のが最善なんじゃない。

剣崎の融合係数が高くて13体融合キングフォームになれたり、その副作用としてジョーカーになれたりすることも、別に剣崎が努力して手に入れたとかそういうことではないんだよな。たまたま素質があったってだけ。でも彼はそれを手札のひとつとして利用してできる限りのハッピーエンドを導き出した。

「自分がジョーカーになるしか始と世界を救う方法はない」という運命を納得して受け入れたのが剣崎であって、僕の中での『剣』は、運命を受け入れるイメージなんだよな。配られた手札には文句を言わない。

ちょっと整理できた。僕の『剣』への好きな気持ちと今回のジオウは共存可能。『剣』が嫌いだから受け入れられるんじゃなくて(そういう側面もゼロではないが)、好きでもきちんと筋を通せる。すっきりした。

 

ジオウ感想一覧

前話

仮面ライダージオウ EP29「ブレイド・ジョーカー!?2019」 感想

次話

仮面ライダージオウ EP31「2001:めざめろ、そのアギト!」 感想

過去作

剣(ブレイド)感想一覧