8章 快楽のスラムデイズ
父の影を追う
・僕はエージェントのことを「ノア」という一人のキャラクターとして見てるのでこれからもそういうスタンスで喋っていくけど、この章まではなんだかんだエージェントとしての役割に懐疑的な選択肢も出てきてたところから、ちょっと積極的な態度に変化した様子。
彼女の心のトリガーになったのは「カオストーンを集めればライダーたちの記憶を取り戻せると知ったこと」らしくて、おそらく父親と過ごせなかった無意識的な寂しさから、彼がその代わりに時間を費やしたエージェントとしての使命を辿ることで、ノア自身も失ってしまった父親との"過去"を取り戻そうとしているんだろう。
ノア自身は父親のことをよく知らないけど、先代と関わっていたレオンや他の先輩ライダーたちとの交流を通して、間接的に父のことを知っていくと。
レオンは今回も、カオストーンにはライダーの記憶が宿ってることを先代との頃から知りながらもノアにはずっと黙っていたのがますます怪しいけども、前回はしそびれた話として、先代に対する愛情は本物っぽいし、6章 第1話で「カオスイズムは絶対に撲滅すべき悪!」って選択肢に強く共感してたりして、カオスイズムへの憎しみもまた本当なように見えるんだよね。
脅されて仕方なく協力してる……みたいな話なら憎しみとスパイ疑惑とが両立するけど、周りの環境に溶け込むカメレオンだから、嘘付いてるとかじゃなくて『進撃の巨人』のライナーみたいに解離を起こしてる可能性も結構あると思ってて、それもあってレオンに対しては悪感情が全くないんだよね。高橋悠也的には『ゼロワン』の雷みたいに、本人は本気で仲間のつもりなんだけど、意識してない内にスパイとしての人格が悪さしてることもある。なぜか"歪んだ愛情"なんて表現をされてたことを思うと、もしかすると先代を……ってとこまでゼロではないのかも?
先代は巻き込まないように家族を遠ざけてたってことを知りつつも、それでも先代の遺志を絶やしたくなかったからなのか序盤では「ご主人様に選択肢はありません」ってエージェントになることを半ば強制していたのも、レオンの人となりを結構表してる気がする。執事と言いつつもご主人様の言いなりになる訳じゃなくて、良くも悪くも我が強い。
それが、色んなことに気を配って先回りして用意してくれるから頼もしいと感じることもあれば、「藍上レオンの暴走」なんてタイトルもあったように自分の判断で勝手に色々やっちゃうから、それが結果的に主人……先代エージェントの意向に反してしまうことも時々ある。
この辺は結構『ゼロワン』のイズと通ずるところがあるなぁ。
"秘書"なんてポジションにいると、況してや人の指示に従って動く人型AIなんて言われたら、なんでもかんでも自分の思い通りになって当然かのように錯覚してしまうけど、妄想の世界に閉じこもっている訳じゃないのだから、思い通りにならないことなんていくらでもあって、イズの場合はミスをして迷惑をかけてしまうし、レオンの場合は良かれと思って余計かもしれないことをしてしまう。
ノアは多分「父が信じて選んだ人だから」って理由で、レオンには全幅の信頼を置いてるんだろうな。ライダーに対してもそうやって基本的には好意的に捉えているから、他のキャラから「ライダーにも悪いやつがいるかもしれないからあまり信頼しすぎるな」って忠告されてしまう。
この心の動きはちょうど先日見た高橋悠也脚本の『エイトレンジャー』にも出てきて、主人公のブラック(横山裕)はキャプテン・シルバーという伝説のヒーローの影を追って、人々を守るために戦うことを決意するニュアンスがある。
仮面ライダーで言うなら『キバ』かな。渡にとってはブラッディ・ローズをお手本としてバイオリンを作ることが、音也と繋がる唯一の手段だったのと同じ。
プレイヤーが覚えている限り
今回は「赤の他人のような存在だった」とまで言ってるけど、戴天の恒常星4エピソード「高塔戴天、華麗なる日曜日」ではレオンにきっかけを貰ってのこととはいえ、お墓参りに行こうみたいな気持ちはちゃんとあるらしいので、例えば『エグゼイド』の永夢ほどこじれた関係ではなく、単純に「赤の他人のよう」だったことを後悔して割り切れずにいると見て良さそう。
『ゼロワン』の文脈もあって"ノア"って名前からはやはり方舟伝説を思い浮かべるけど、そうやって故人のことを覚えておこうとすること、よく知ろうとすることって大事なことだよね。
偶然だけどつい先日祖父が夢に出てきて、それこそあんまり思い出がなくて死んじゃっても悲しいっていう気持ちが思ってた以上に湧いてこなくて当時は困惑したんだけど、その夢の中での僕は存在しないはずの"思い出"を思い出して、初めてその死に対して悲しいって気持ちが湧いてきてわんわん泣いていた。
時系列的にありえないシチュエーションなので、本当に100%捏造された記憶だったのかもしれないし、もしかすると僕が覚えてないだけで記憶もない幼少期に似たようなことがあったのかもしれないけど、例え嘘っぱちだったとしても、死んだあとにもそうやって思い出す機会があるというのは、なんだかんだ尊いことなんだなと実感した。
これは両親に関してもそうだけど、彼らの人生についての知識というのが自分には全くなくて、本当に自分が直接関わった僅かな期間についてしか知らないから、死んでしまったらそれきりで、もう二度と取り戻すことができないんだと思うと、えも言われぬ喪失感に包まれる。特に僕は現状、人生の中で子供を作るつもりがないので、なおさらというか。
ノアにはその名の通り、そうやって失われてしまったライダーの記憶を、本人たちと一緒に……時には本人は知らないままノアだけが、認識して覚えておく物語的な役割がある。
それは、ライダーたちがカオストーンに奪われた記憶はもちろんだけど、メタ的な意味で僕らプレイヤー/視聴者が、彼らの元ネタもとい"前世"での記憶を保持しつつカメンズと関わることとも相似関係でもある。
こないだライドカメンズは『ギーツ』と共通点が多いって話をしたけど、ここもそのひとつかな。英寿は母親のミツメのことを忘れたくなくて、人の一生を超えて記憶を維持し続ける輪廻転生の力を手に入れた。それは『電王』における特異点の設定と同様に、世界が作り変えられても、世界が終わってしまっても、或いは作品が入れ替わっても、それらを忘れることなく記憶の糸を紡ぎ続けられる視聴者のメタファーなんだろうから。
……あれ、よく考えたらこのロジックって『ゼロワン』のイズにも適用できるな? ミツメはあくまでも「英寿だけが幸せになれればそれでいい(だから自分は不幸でもいい)」と願っていたところから、英寿は母と自分が一緒に幸せになりたいと願う心で「幸せと不幸は引き換えなんかじゃない、誰もが幸せになれる世界を作ってみせる」と幸せの適用範囲を拡張した展開は、『令ジェネ』での其雄と或人の話とまるっきり同じでもあるし。
ライドカメンズだけじゃなくて『ゼロワン』の参考にもなるんだったら、やっぱり『ギーツ』ちゃんと見返さないとダメだなこりゃ……。
本家の仮面ライダーシリーズは1年ごとに終わりを迎えてしまう運命が決まってるけど、ライドカメンズはそのルールの外にあるので理論上ずっと続くことができるし、10年とか経って仮に終わってしまったとしても、覚えている視聴者がいる限り何度だって新しく生まれ変わることができる。
そもそもライドカメンズのライダーたちは誰が元ネタかって情報が公式からはまだ出てなくて、僕らがそこにわずかでも"同一性"を見出す限り、つまり「これ〇〇じゃん」って積極的に記憶を呼び覚まし続ける限り「永遠にみんなのそばにいる」by本郷猛(SH戦記)。
バンドマンとジャスティスライド
・今回のゲストは4色のバンドマン。本作のキーとなっている4つの感情をそれぞれ持ちながら、同時にジャスティスライドの4人のことも表していそうで重要な人たちなのは間違いない。
喜怒哀楽の喜と楽って何が違うんだよという全人類が一度は抱く疑問に、それぞれ黄色と緑という色をあてがうだけで直感的に理解させる手際、割とすごいよね。
で、現状その4人と色の繋がりとして明言されてるのは、以下の"それぞれに欠落した感情"の組み合わせ。
喜(黄) 慈玄
怒(赤) 紫苑
哀(青) 陽真
楽(緑) 才悟
……なんだけど、これとは別に「今ある感情や色」もそれぞれあるはずなのが、また話をややこしくしてるんだよな。
陽真に青色が当てられてますとか言っても「いやいや、んなこと言っても陽真は赤でしょ」ってどうしても言いたくなる。
そういう素直な理屈で見るなら、髪色的にはこうなる。
黄 紫苑
赤 陽真
青 慈玄
緑 才悟
さっきのは喜怒哀楽ベースだったから赤≒怒の前提で話したけど、陽真はどう考えても赤だけど怒ってる人では別にないので、ランスが言うところの「怒り、情熱、興奮、警戒」のうち、情熱や興奮の要素を抜き出して赤担当なんだろう。
この2つを見比べて気になるのは、やっぱりなんで才悟だけが一貫して緑なんだろうってとこだよね。多分ここは、才悟にだけ偽の記憶が存在していなかったことと関係があるのかな。
豊かな経験を持ってる人からある一面を除いたらそうじゃない一面が残るけど、元から何も持ってない才悟は変化できない? まぁ担当色が緑ってことで、4つの中だと青と黄色の合成だから一番豊かなんじゃないの?という気がしないでもないけど、一人だけ仲間はずれな理由としては納得感がある。逆に白いカオストーンはあっても黒いカオストーンはまだ出てきてないので、色の三原色(CMY)じゃなくて光の三原色(RGB)だとするなら、仲間はずれな理由は分かんないけど原色ではある。
でもこの色合わせって、今回手分けした面々が遭遇した組み合わせで言うと今度は慈玄が緑になったりして、整然とは全くしていない。
この辺はまだ情報が少ないので8章の話に戻るけど、このバンドマンの関係性として重要なのはどうやら「本人にその気はなかったけど、青が解散を想起させるようなネガティブなことを言った」「黄がそれを真に受けて、本格的に解散に向けて話を進め始めた」の2点。
でも意外とこの2つをジャスティスライドに当てはめるのって難しくて、ひとつめの配色だと陽真が若干弱気なことを言って、慈玄が解散だと騒ぐ……これはまぁ想像できないことはないけど陽真の方がやや不自然で、髪色の方だと慈玄が言い出して紫苑が解散なので、これはこれで紫苑の方が想像できない。
この関係性……特に青の言動は才悟が陽真に対して「友達じゃない」って言ってたのと似てるんだけど、彼はどっちの可能性で考えても青担当ではないんだよな。彼は今回も紫苑と慈玄のことは誘わずに「少数精鋭の方がいい」って足手まとい扱いしてて、それを受けてラストで「俺たちは連携が足りなかった」って陽真が気付くことに繋がるので(※)、うまいことハマると思ったんだけど……おっかしいなぁ、いっつもこのノリでだいたいスッキリ繋がるんだけど。
Qを含めたスラムデイズの4人と符合するようにも思えないので、本当に何の関連も匂わせでもないただのゲストなんだろうか……? いつまでも次の話題に移れないのでスキップ!
※陽真には悲しみが分からないので、青木を説得できない。悲しみにどっぷりと浸る青木に対して「悲しいなら別れなきゃいいだろ!」ってツッコむ姿は、さながら例の「踏めば助かるのに……」のロボットみたいでもあったりして。
自分は中高生のころは結構この青木くんみたいなバカめんどくせータイプだったので同族嫌悪で陽真の肩を持ちたくなるけど、まぁ一応物語の流れ的には陽真が乗り越えるべきハードルとして置いてあると思うので、無神経発言として扱わせてもらう。
ランスの鍵を握るのは新クラス?
・ルーイ曰く、ランスは真実を知ろうとしすぎた代償として、人格そのものを書き換えられてQが生まれたらしい。
フツーに考えるなら、探偵としてある事件の謎を追っていたところ、たまたまカオスイズムに関する何か重大な秘密を知ってしまった……という筋書きになるんだろうけど、カオスイズムに誘拐される前のランスってまだ15,6歳とかそこらなので、それで本当に探偵としてやっていけるのか?というのは疑問ではある。
そこの疑問を整理するなら、恐らく元ネタである『W』で言うところの翔太郎とおやっさんのように、或いは更なる元ネタのひとつであろうホームズとベイカーストリートイレギュラーズのような「大人の名探偵」と「それに協力する子供」の構図があって、ランスは師事している名探偵のために『ビギンズナイト』での翔太郎のように深く踏み込みすぎた結果、Qというカオスイズムに従順な人格を植え付けられてしまったと。
まさに「君の罪は勝手な決断をしたこと、僕の罪は決断をせずに生きて来たこと」って感じだ。
エージェントに助けられたのが翔太郎側であるランスなのがちょっと違うけど、まぁ人の心を失ってたフィリップに人間らしさを取り戻させてあげたって意味では同じかな。
イレギュラーズの少年みたいな立ち位置だったなら、スラムデイズに所属してるのも納得がいく。彼らって確か貧民街の子たちだもんね。
あと帰国子女で銃器の扱いには心得があるって話から、場所はロンドンじゃなくてアメリカのどっかなんだろう。
こないだ星4【天空仰ぎて】高塔雨竜にケイ・アレクサンダー・タカトウってキャラが親戚の子として出てきたんだけど、もし彼の親が『ゼロワン』の与多垣ウィリアムソンやリオン・アークランドみたいなノリで出てくるんだとしたら、本格的にアメリカが話に関わってくることは有り得そう。日本人とのハーフがいる可能性は、イギリスよりアメリカの方が高そうってだけでケイくんの出身国がアメリカだと決めつけてるけど。
外国が出てきたらウィズダムシンクスが国家直属の諜報機関なこととも絡めても色々話が展開できそうだし、何よりも「外国人やハーフだけのクラス」は絶対にそのうち出てきそう。
ランスの本格的な掘り下げはそのくらいの時期までおあずけかなー。
※これ書いたのは先月なんだけど、11月末に開催された「ミステリーは秋風に揺れて」を見る感じは違うかも?
今回のミステリーイベント、ホームズやポアロの名前は出すのにイギリスという国名は頑なに出したくないみたいで、世界情勢はいつどうなるか分かんないから明言を避けてるってことなのかな。
— やんまヘボ (@yamma_heybox) 2024年11月26日
ランスがどこからの帰国子女なのかってのも、そもそも明かす予定はないのかも。 pic.twitter.com/X9WtZVVwiE
・っていうか、ルーイはなんでその辺の事情を知ってたんだろうね? 彼がまだカオスライダーだった頃にランスを拉致したから……って訳では、多分ないんだろうし。
静流もある程度は承知してるみたいだったから、本人からふんわりとは聞いてるってだけなのかな。可能性だけの話をするなら、記憶を失う前のランスと会ったことがあるのかも。
カオスライダーとしての活動ってことで言うと、今回Qが管轄内(たぶん娯楽地区)から15人の幹部候補をリストアップしていたことが判明したけど、これは別に僕が前から言ってる五期生はあの8人以外にもたくさんいる説の補強にはあんまりならないんだよな。
仮に15人×6地区で100人くらいリストアップされてたとしても、そこから怪人にならずに済む素質を持ってる人間がどれくらい残るのかは結局よく分かんないから(※少なくとも久遠瞬十は五期生らしいことが判明しました)。
でもそうやってリストアップできるってことは、少なくともQは「カオスの意志を受け継ぐ素質」とやらが何なのか知ってるってことになるのかな。き、気になる〜!
あともう一個気になったのが、卒業試験でのピアスの様子が明らかに五期生のときと違うこと。雨竜がカオスライダーになったときみたいな阿鼻叫喚は全く起こってなくて、極めて淡々と「お前はカオスイズムの幹部として働いてもらう」と告げている。
「なにー!? 俺たちは正義のために戦う政府に選ばれた戦士だと思ってたのに、今までの訓練はカオスイズムなんていう悪の組織の手先になるためだったなんて!」ってくだりがない。Qの回想だから少々特殊というのはあるにせよ、もしかすると四期生〜五期生の間で教育方針が変わったのかもしれない。
というかそう考えてみて初めて思ったけど、プロローグでノアがアカデミーに迷い込んだのは博物館で神々しい仮面を見つけたのがきっかけだったはずで、つまり五期生はエージェントの後継者を誘うことで脱走させる前提で育てられてたかもしれないってこと?
それまでは最初からカオスライダーにするための洗脳教育を施してきたけど、五期生だけは最終的に正義のために戦う仮面ライダーとして世に放つつもりだったから、そのための演出をしたのかな。せっかくカオスライダーつくったのに何人も仮面ライダーとして引き抜かれるから、だったらもういっそそこまで織り込み済みで計画立てちゃおうと。
いやー、なんか反証する描写あったような気もするけど今回は一旦そういう結論にしてみるか……。
静流の情熱とドライさ
・カードストーリーを読んでる感じ、静流さんが思ったより面白い人で気になってたんだよね。もうすっかり、寂しい寂しいって言いながら一日中酒飲んで、ことあるごとに惚れたって言うやべーやつという印象が……(笑)
でもツンツンしてるルーイと違って結構本気で仲間のこと愛してるのが伝わってくるところもすごく良くて、もう大好き……なんだけど、正直Qと同じくゲストをわざとカオスワールドに誘ったときはぶったまげました。「だ、大丈夫かな……自分この人のことこれからも好きでいられるのかな……」って。結果的には、そんな心配は全て吹き飛んだんですけど。
映画に合わせて今見てる『風都探偵』でも、元々ドラッグに見立てられていたガイアメモリをお酒に読み替えることで、これまで以上に「誰でも溺れる可能性のある代物」として描いていたアルコールドーパント編が印象的だったけど、ベロベロに酔い潰れるまでお酒飲んじゃう破滅的なところがある静流が、内に秘めた欲望のままにカオストーンに魅入られてしまうことを否定しないのは、確かにめちゃくちゃ筋が通っている。
「言葉は所詮、言葉。そんなものに深い意味はないさ。ただ俺たちを呼ぶ便宜上の名前に過ぎない」……このセリフを高橋悠也脚本で聞けるの解釈一致すぎる!
「仮面ライダーの定義」がどうたらこうたらって言われがちな『ゼロワン』だけど、あの作品の精神性は本当にこのセリフに近い。以前それについて詳しく論じる記事にも書いた通り、言葉の定義なんてものに生きている人間が従う義理なんか存在しなくて、なんと呼ばれようがなんと名乗ろうが、究極的には自由になんでもできる。
仮面ライダーと呼ばれている人が悪さをすることだってできてしまうし、ロッカーと言われると激しめな曲を想像するけど、しっとりバラードを歌うことだってきっとある。
多分だけど、静流は音楽も歌詞とかよりはメロディ優先で捉えてる人なんだろうな。ルーイに対して「遊び"仲間"って言ってるじゃん」みたいなツッコミしてたのは「言葉にこだわってる、言ってることと違うなぁ」みたいなことにもなると思ってしばらく考えてたんだけど、だからその考え自体がもう言葉にとらわれてるんだろうね。「言葉に深い意味なんかない」って言葉自体にも深い意味なんてないから、言葉の意味を気にする時もある。
肩書きや過去の言動といった言葉に制限されることなく、その場のノリと勢い、フィーリングで生きるのが静流の言う"自由"というスタイルなんだろう。
……という言葉でさえも信用ならない。実は背後に一本通った筋や信念が隠れているのかもしれないし、やっぱりそんなことはないかもしれない。
ひとつ確実に言えるのは、ひとりの人間をそんな一言二言で正確に説明しきるなんて不可能だということ。その人のことを知りたいなら、その人と何年も付き合って"生き様"そのものを実感として得る以外にはない。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)
・静流は星4【記憶を繋ぐ音】ももちろん切なくてすげーいいんだけど、比較的誰でも読める星3【娯楽地区での日常】も彼の人となりを掴む上で大事な話が読めるのでいい。
カードストーリーの分岐は、基本的にはちゃんとどの色の感情を集めたかに準拠した内容に分岐してるっぽいよね。このエピソードで言えば、赤を集めるとイケイケノリノリで飲みに行こうぜってなって、緑を集めてリラックスさせるとポロッと昔話をこぼしてくれて、仲間を大切に思ってる一面が垣間見える。
「ロックミュージシャンに柔軟なやつはいない」っていうのは恐らく彼自身のことでもあるんだろうし、自分を曲げるのではなくて曲として自己表現をして、場合によっては社会に反抗することもある訳だけど、静流はそういう"衝突"をネガティブなものとしては捉えていない。これもねー、かなり『ゼロワン』の思想なんだよね……それもあって静流のこと好きになっちゃった。
ちょっと本題とはズレるけど、一昨日『風都探偵 仮面ライダースカルの肖像』を見るために遠くの映画館まで自転車漕いでたら、ランダム再生してたウォークマンから"さユり"さんの曲が流れてきて、普段そういうニュースはそもそも見ないし何かを感じることもないんだけど、たまたま訃報が目に入ったのを思い出してしまって、特に彼女の曲って心の叫びというか訴えかけてくるようなニュアンスが強いのと、これもたまたまYouTubeに上がってた路上ライブの映像を昔見たことがあったのが重なって、なんだかすごく切なくなった。
こんな風に人の心に残るものを何か残せるってすごいなぁと、でももう曲を歌えないなんてそんな理不尽なことがあるのかと。
タイアップしてたアニメが『僕だけがいない街』や『ヒロアカ(4期)』と「助けを求めて声を上げること」が重要な作品だったのもあって、彼女がもう「声を上げられない」という事実が、なんだかとても残酷なことのように感じられてならない。
ライドカメンズと同じ高橋悠也脚本の『TXT Vol.2 ID』に「何より恐ろしいのは、自分自身の感情を殺してしまうことだから……」ってセリフがあるんだけど(そして作中ではこのセリフは必ずしも全肯定されてる訳ではないんだけど)、高橋さんはそういう抑圧されてしまいそうな"声"を掬いあげることを大切に描いてくれる方なので、そういう文脈も込みで、カオストーンを与えてまで心の声を解放させようとする静流たちのスラムデイズの行動は納得することができる。
僕はリアタイ当時『エグゼイド』の熱烈なアンチだったんだけど、この静流さんの「愛するが故に相手を正したい。そのもどかしさが怒りを生む。俺は愛おしくて仕方ないよ」というセリフを見ると、まぁ僕自身のアンチ活動が本当に愛ゆえなんて美しいものだったかはさておくとしても、高橋悠也がそういうネガティブな感情も含めて「作品を通して客の中に湧き上がったもの」を大切にしているんだなというのが感じられて、その度量の広さに白旗を振りました。完全に降参です。
最初は『エグゼイド』も楽しんでたところから一転アンチになって、そこから『ゼロワン』に過去一番どハマリして、なぜか『ギーツ』は全く合わなくてこれもまたアンチ気味になって、今はまたライドカメンズにどっぷりと浸って生活している。『TXT Vol.1 SLANG』は超面白かったのに『TXT Vol.2 ID』は「こんなもんかぁ……」ってなったり、もはや高橋悠也に人生を振り回されていると言っても過言ではない。
ぜひとも末永く振り回してください。
ルーイの言う"自由"とは?
・自分はライドカメンズの中ではルーイが一番好きなんですけど、意外にもそこに『ゼロワン』が元ネタだからって要素はほとんど関係してなくて、その証拠というべきか颯のことは別にそんな推してる訳でもなくて、ルーイと颯のカップリングにも他のキャラと同等に抱いている過去への興味以上のものは正直ない。なんか『ゼロワン』が好きってアカウントを見てみると滅亡迅雷推しの方がかなり多い印象なんだけど、僕は作品そのものが好きなのであって彼らを特別好きって感情はあんまりないのよね。強いて言うなら或人と天津が好きだけど、やっぱり全体が好き。
でもって、ルーイが一番好きっていうのも本当に言葉の綾みたいなもんで、気持ちとしては『ゼロワン』と同じくライドカメンズという作品全体が好きなんだけど、その中で強いて言うのであれば、色の中だと黄色が好きなので、黄色くて雷みたいなライズと、それに最も合うと言っても過言ではない紫色のボディを持つ仮面ライダーRUIのビジュアルが一番カッコいいと思うっていう、ただそれだけのことではある。
もちろん他のキャラと同程度には顔や声が好みだなって気持ちも、元ネタと照らし合わせて面白いなみたいな気持ちもあるけど、タイトルに「ゼロワン好きの」と掲げてる割には、ルーイや颯のことを特別扱いするつもりはありませんというのは、一応どこかで一度言っておきたかった。
・「おたくはアンドロイドかなんか?」なんてセリフもあったけど、ぶっちゃけルーイはライドカメンズの中でも元ネタに要素が似てるとはあんまり言えない方のキャラではあると思う。
パッと見の表層的な話でも、基本的にはお仕事をするために作られる存在であるヒューマギアが元ネタなのに、まともに働かずにゲームやネット上の取り引きばかりしてて、それでいて収入はしっかり確保してるからその余裕でヒモを養ってる……ってのは、かなりこう、面白い具合にひっくり返してきたなって感じがするよね。仮面ライダーの要素を反転させたネガの存在として『ジオウ』のアナザーライダーって概念があるけども、ルーイはその意味ですごく"アナザーヒューマギア"に見える。
ヒューマギアは、AIでありながらも知能だけじゃなくて人間のような体を持ってることにそこそこ意味がある存在なんだけど、ルーイは肉体を使った労働的なことはまずしないし(「D&N」を見るにできない訳では全くない。戦闘面でも強いし)、あくまで「情熱を持った人間のサポートをする存在であるべきで、人間が怠惰に暮らす言い訳であってはならない」とされていたコンセプトからも、意図的にハズしてきてる気がする。
もちろん静流に情熱が全くないのかって言ったらそんなことはないけど、普通にライブハウスのバイトしてるって設定で良かったはずなのに、じゃあたまのバイト以外は何してるんですかって言ったら精力的に音楽活動してるとかではあんまりなくて飲み歩いてるイメージしかないので、やっぱり「ダメ人間を養ってあげてる」という風に配置されてる"意図"は見える。
ややズレるけど、マッドガイもスラムデイズも最年少の荒鬼とランスじゃなくて真ん中の神威と静流が養われてるの、年齢とかじゃなくて人間性でしっかり設定決められてる感じがいいよね。
颯が割と元の迅に雰囲気似てるから、そことのコントラストで余計に違いが目についてる可能性もあるけど、誰に似てるかって言うと要素だけで言うならやっぱり『エグゼイド』の花家大我だよね。ゲームを楽しんでるだけの享楽主義者を装ってるけど腹に一物抱えてそうで、現在や未来よりも"過去"に並々ならぬ執着を持っている。
『ゼロワン』の滅は"自由"とは対極に位置してるキャラクターで、まぁそれ自体は贖罪のための責任感で動いてる大我も違うっちゃ違うんだけど、表面上はただのゲーム狂いを演じてることだったり「失うものが何もない」が故に自由に動けるみたいな側面があったりもしたのに対して、滅には本当に自由の欠片もない。本人も命令に従うことだけを考えてるし、他人……息子である迅にも自由を認めず使命を押し付けるタイプ。最終決戦後は多少その傾向も緩んだけど、彼が最後に自分に課した役割を思うと、やっぱりそういった諸々の呪縛からは自由にはなりきれなかった感も強い。
当然"快楽"なんて言葉からも程遠い(むしろ禁欲とか敬虔って単語が似合う)し、"過去"に関しても興味を示さない。滅には父親型ヒューマギアとして作られた過去があるんだけど、そういう"自分"のことは全部否定して「アークの意志に従う」ことだけをひたすら己に強いるが故に、その頑固さが本編終盤の悲劇の原因ともなった訳で。
更に言うと、ルーイはランスがカオスイズムにQ人格を植え付けられたことについて「自業自得」と話してて、最初に読んだときは静流の言い分のほうが絶対に正しいでしょって思ったから少し不自然な会話だなーなんて思ってたんだけど、よく考えてみたらこれは恐らく、ルーイが"自由"……それも「〜からの自由(解放)」ではなく「〜への自由(自律)」という理念を掲げているからこそ、自分のやりたいようにやるからには、その結果起こったことの責任は自分で取らなきゃいけないという強固な"自己責任論"をポリシーとして持っていることの描写だったんだなと腑に落ちた。
そしてしつこいようだけど、この考え方も元ネタの滅とはあんまり似ていない。彼は自分の行動の全てをアークの指示に頼っていたし、アークから解放された終盤においても最後の最後になってようやく彼は「自分がしてきたことの責任」を自覚することができたので。
この自己責任論の片鱗は星4カードの【負け知らずのコアゲーマー】や【F/P/S】なんかでも、自分より年少の相手に対して、本人の本当の意志を問い質すような厳しくも優しい姿勢として表れている。
この辺はあれなのかなー、颯が自分から離れてどっか言っちゃったけど、本人の自由意志が一番大事だからって自分に言い聞かせてるとかなのかな。
ここでもし元ネタに寄せるんだったら、颯に離れて欲しくなかったっていう我慢してた本当の気持ちを吐露する展開とかが待ってるのかな。宗雲と雨竜があぁいうところに落ち着いたから、ルーイと颯は逆に今まで以上にハッキリくっつく方面で変化するのかもしれない。
静流の元バンド仲間(確定)やランスの探偵の師匠(妄想)もそうだけど、スラムデイズは仮にクラス解散したときに一緒になれる"誰か"が示唆されてるような気もする。
てか散々元ネタとは似てないって言ったけど、慈玄vsRUIのとこはなんか死ぬほど『ゼロワン』でしたね。
緑山を励ます慈玄が「前だけを見て突き進め!」って諭す第4話の不破で、その前に滅(ルーイ)が立ちふさがるのは第8話。
さっきは自己責任論の話をしたかったので便宜上「〜への自由」として分類したけど、ルーイの言動はこの尺度ではどうやら計れないらしい。
自分を邪魔する何かしらの束縛からの解放である消極的自由と、自分が理想とする在り方に向かっていく自律としての積極的自由っていうのは、大雑把に言うと"自分"がどう動くかについてのこういうベクトルの対比として語られてると思うんだけど、
消極的自由 束縛→自分(逃げる)
積極的自由 自分→理想(求める)
ルーイのスタンスはどうやらちょうどこの中間地点、つまり「ベクトルを持たないただの"自分"」を最も重視するものらしい。
僕は以前「F/P/S」の感想記事で、自由を求めるなら過去なんて知らない方が好きにやれるんじゃないかという疑問を呈して、そのときは「自由は自由でも積極的自由だからなんだろう」と結論づけたんだけども、今回の話を見るとそうじゃなくて、例え今の自分の在り方を束縛するものであってもそれが事実ならば過去は知って受け入れなければならないし(消極的自由の否定)、例え美しくて綺麗なものであってもそれが今ある現実と異なるならばそんな理想は捨ててしまえばいい(積極的自由の否定)と。この2つの側面に共通してるのは「現実の自分」を最も尊重しているということ。
過去なんて思い出さなくても新たな人生を歩めればいいっていうウィズダムのスタンスや、化粧したり周りの環境を整えてみたりして「最も美しい自分」を追い求めて試行錯誤してる神威の生き方とは、対極にいる感じらしい。
なんとなく一般的には"自由"って「追い求めるもの」みたいなイメージがあるような気がするし、実際ルーイも過去の記憶は"追い求めて"はいるんだけど、少なくとも彼らの掲げる"自由"っていうのは、求めるものではなくて「ここにあるもの」というニュアンスらしい。
スラムデイズの話、思ってたよりかなり込み入ってて難しいな……。分かってみれば頭の中では整理できてるはずだけど、人に説明できてるのかよく分かんないや。
でも「若いやつにありがち」って表現からすると、昔はルーイにもそういう理想や思想があったのを諦めたっぽい感じもあるよね。
心の奥底にある本音をさらけ出すためにわざとカオストーンを与えるなんてことしてるくらいなんだから、今は悪ぶってるけどいつかは彼もそこを取り戻すときがくるんだろうな。
・ちょっと今回長くなっちゃったので、Qに関する話は一旦パスして「エキサイトトリック」のときにするということで……。
・ゲストにわざとカオストーンを与えた時は本当にドン引きしたけど、彼らの目的はそうすることでゲストの「本当の気持ち」を引き出して、自由に生きられるようにすること……らしい。
ガイアメモリ的な人を怪人に変えてしまうシステムはそれなりに長いことあるけど、スラムデイズみたいな立ち位置のキャラは意外といなかったかもしれない。本性を剥き出しにすることをネガティブに捉えないっていう最終結論としてはゼロワン(マギアやレイダーになったゲストとライダーが戦うことで、彼らの鬱屈したストレスを受け止め発散してあげる)と同じだけど、キャラ設定の段階からそういうことになってるのは……リバイスはギリッギリ含めてもいいかもしれないけど、やっぱり新しいかも。
「記憶を宿したカオストーン以外は要らないから、ゲームとしてゲストに与えられる」ってところも筋が通ってるし。
前回
ゼロワン好きの『ライドカメンズ』実況 第1部 7章 執念の阿形松之助
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