やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

「嫌いなら見るな」と「価値観は人それぞれ」の間違い

「嫌いなら見るな」

「好きの反対は無関心」という言葉がある。僕はこの言い回しがそんなに好きじゃない。元は「愛の反対は憎しみではなく無関心」だとか、マザー・テレサさんが言ったとか言ってないとかあるけど、細かいことは置いといて、好きじゃない。"嫌いじゃなく"、"憎しみじゃなく"つってるところが気に食わないね。

確かに関心の有無を基準にしたら好き(も含めた関心)の反対は無関心だけれど、関心の正負を基準にした場合は、好きの反対は嫌いでいい。

 

「何が反対か」はどこを基準にするかで決まる。数直線で考えるなら、0を中心とすれば2の反対は-2だけど、1を中心とすれば2の反対は0になる。そんなの考えるまでもないと思うのだが、何故か「好きか無関心か」を二者択一として提示してくる人達がいる。
そもそも人の感情を白か黒かで捉える時点で不思議なんだけれど、「嫌いなら見るな」という言説がそれなりに力を持っているのが不思議でならない。

 

自分が大嫌いな仮面ライダーエグゼイドを見直したのは、以前記事でも書いたとおり「楽しめるという希望を捨てきれないから」である。その根拠には、例えば世間的には絶賛されているという背景がある。「エグゼイドは自分の感じた通りの駄作で、ファンは流し見をしているから『命の大切さが描けてる』なんて寝ぼけたことを言うのだ」と決めつけてしまえば楽だが、それはあまりに暴力的というものだろう。だから僕は6度も見返した訳である。
仮に楽しめずともそういう情報を発信していれば、エグゼイドが好きな人の目に止まり、何らかのリアクションを貰えることもある。それを参考にすれば、或いは筋が通るのかもしれない。事実、Twitterで文句を呟いていただけでフォローもされていなかった3、4人のファンから声をかけられたことがあるので、その可能性は皆無ではない。

 

リアルタイムでエグゼイドには散々不快な思いをさせられたので、今更何度見ようが変わらないというのもある。好きな作品をふと思い出して「良かったなぁ」と感じることがあるように、ふと思い出して「悪かったなぁ」と感じることもあるのだ。
結局、エグゼイドという存在を完璧に忘却することでもできない限り、仮面ライダーシリーズを見ても頭を過ることがあるだろうし、Twitter上にはエグゼイドの"ネタ"が嫌というほど転がっているし、不快に思わないことはほぼ不可能だ。
それならば、いっそ見返して感想をまとめて反応が来るのを待ってみようと思うのは、そこまで理解できないことだろうか?

別に誰かに強制されている訳でもなし、見たいから見るし文句を言いたいから言っているだけだ。もっと言えば、僕は「エグゼイドを見るのが嫌」なのではなく「エグゼイドを楽しめないのが嫌」なのだ。だから何度も見返すことで新しい発見があるのだとしたら、見ること自体にやぶさかではない。

 

「好きな作品の否定的な感想を見ると不快になる」と言う人もいる。気持ちは分かる。僕も嫌いな作品の(納得いかない)肯定的な感想を見ると不快になることがある。
だが、だからといって「肯定的な感想を言うな」とは言わない。それが自分の首も締めることを知っているからだ。
好き嫌いに優劣などないだろう。もちろん人に対して謂れのない侮辱をすることは憚るべきだが、自分は根拠を持っているつもりだし、もしもそれを否定するに足る根拠が示された(あるいは自分で気付いた)のならば、撤回するつもりでいる。

 

「価値観は人それぞれ」

これも好きじゃない。正確に言えば、暴力的なまでにこれを乱用する人が好きじゃない。
"価値観"というのは、正常に事実を認識した上でそれにどのような価値を見出すのか、というものであって、認識の違いを正当化するものではないはず。

 

だから僕は、エグゼイドに対して「命の大切さを描けている」という評価を下す人と価値観が違うなとは思わない。
メインの登場人物ほぼ全員が殺人やそれに準ずる行為をしていると分かった上でそう言っているのなら「価値観(倫理観)が違うんだな」と思うが、そもそも「永夢は黎斗を殺してない」とか言う人とは事実認識の時点で齟齬が発生しているので、それ以前の問題である。
僕か先方のどちらかが、事実を歪めて見ていることになる。そこを正さずしてきちんとした評価は有り得ない。まぁ、見えてるものは同じでも解釈が違うというケースはあるけど。

 

別に僕は絶対的に正しい評価がしたいなんて傲慢な考えの元にブログを書いてる訳ではないのだけれど(ただの感想だし)、正しく認識すれば楽しめるというのならばそれを目指したいし、間違った認識をブログとして公表することも考えものだと思うのは理解できるので、ぜひとも"いたずらに"「価値観の違い」で片付けず、言いたいことがあれば言ってもらえると嬉しい。

 

アンチと呼ばれる自分の心理 - やんまの目安箱