やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

受け継ぐものと終わらせるもの『仮面ライダーBLACK SUN』 初見感想

本記事は『仮面ライダーBLACK SUN』を全話一周見終えた時点でのざっくりとした感想であり、ネタバレを含みます。

 

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各話感想(更新予定)

仮面ライダーBLACK SUN 第一話 感想

仮面ライダーBLACK SUN 第二話 感想

 

 

 

いやー、割と面白かったね。完全に娯楽(他人事)として楽しむつもりだったので、まさか泣くことになるとは思ってなかった。ちなみに『BLACK』『RX』はつまんで何話か見たことはある程度でそんなに知らないけど、まぁ全然アリですね。原作見てから本作を見直すという楽しみが残ってるのは単純にアツい。
今回はとにかく思ったことを一通り書き散らしてまとめておきたいだけなので、話もあっち行ったりこっち行ったりしながら気ままに話します。


一本の長いイロモノ映画

全体を俯瞰して見たとき、本当に白倉さんの言う通り一本の長い映画みたいだったなと思う。全話一挙配信ならではのやり方で、1話の終わりに『555』のような取ってつけたようなヒキを用意するでもなく、めちゃくちゃぬるっとしれっと終わるので、すげー気になるとかじゃないんだけどごく自然にそのままの流れで次も見始めちゃうような、これまでにない不思議な視聴感。
正直「徹夜で全話見てやるぞ!」なんてつもりは毛頭なくて、1日1話で2週間くらいかけて見るつもりだったんだけど、一度見始めたら止めなければ次の話が再生され続けるPrime Videoの仕様も相まって、なんとなくやめどころが分からなくなっちゃってる内に結局朝まで見てましたね。たまたま金曜が休みだったのも相まって。

僕はやっぱり、可能なら一気見を推奨するかな……。例えば週1話ペースで2ヶ月とかかけてダラダラ見るのには向いてない。
確かに最低限「今回のバトル」的な部分はそれぞれあるんだけど、根本的にしっとりした雰囲気なのも相まって「めちゃくちゃおもしれー!」ってなる瞬間はないので、その1話だけで楽しもうとするのは無理を感じるし、そもそも作る側としてもそういう視聴方法はあまり想定してない気がする。ふーん、ふーん、ふーん、おっ、ふーん、おっ、ふーん……みたいなのがずっと続くので、ドカーン! ってくるような見どころがそんなにないからこそ、一気見をおすすめしたい。
ただ実際に見てみて「今日はもういいかな」って思ったならそれはそれで引きどきだと思うので、時間とモチベの許す範囲で、なるべく続け様に見た方がストレスないと思う。
BGMのパターンが少ないのかメイン級のやつは聞き飽きるくらい流れるから、飽きてるにも関わらず無理して見続けるとその辺はかなり気になるんじゃないかな。


あと、作品として万人におすすめできるかっていう視点から見るとそれはちょっと微妙かなー。
激辛料理をなんの前置きもなくただ「おいしいよ、食べてみて!」とは薦めないのと同じように、『BLACK SUN』も気心知れてるわけじゃない不特定多数に向けて「面白いよ! 見て!」って無邪気に応援するのは結果的に作品にとって良くないんじゃないかなぁという気もする。
インパクトや訴求力のある展開がある訳じゃあそんなにないはずなのに、やたらとクセが強い。特に思想的な意味で、最初からしてデモ場面が多くて、反怪人側はかなり単純化された上にオーバーな差別主義者だし、反差別側は後で少し触れるけど『ゼロワン』のヒューマギアよりもかなり沸点低くてすぐブチ切れて変身しちゃうしで、割と見ててストレスがあるかないかで言えばある上に、終盤も"アレ"だからね……。
ルー大柴演じる総理も「こういう偉い人間を皮肉強めに描くやり口キライだなー」って感じで、なんだかんだそこは貫いて終わるし。ただルー大柴さんは変わらないんだけど、若い頃が同時進行で描かれることによってキャラとしての厚みが増してくっていうギミックはかなり面白かったな。

エンタメとして楽しむというよりは、今の社会に対する批判的精神を多分に含んだ映画みたいな。
クウガ』『響鬼』あたりのそれとも違うし、むしろもっと酷い形で「うるせー! やかましい!」って言いたくなるような。まぁ少なくとも楽しい気持ちにはならないよね、説教されてるみたいなもんだから。下手したら「かんがえさせられる」以外の感想を封殺してしまう懸念すらある。
自分は差別賛成ですなんて言うつもりはない、ないし、予告から読み取れるだろうとも確かに思うんだけど、それでもやはり「娯楽作品にまで言われる筋合いないよ」と。思ったのは事実ですね。
場合によってはその微妙に不快な感じをそのまま出力して「BLACK SUNつまらなかった、ゴミ!」って言う人も出てき得るし、だからこそどういう心づもりで見るのかというのが大事な作品だし、そういう意味で無条件に「面白いよ」とは薦められない。
「今話題の問題作!」みたいな煽りなら大丈夫かな。『チェンソーマン』とかもそうだけど、分不相応にヒットしちゃうとハードルが不必要に上がって、その結果「そんなにみんなが持ち上げるほどではない」ってなっちゃうから、「自分は今から一般ウケしない"イロモノ"を見るんだ」という認識を持ってもらえるよう紹介するのが丸いと思います。

 

果たして"大人向け"か?

『アマゾンズ』は当然として『BLACK SUN』も「仮面ライダーだからと言って侮るなかれ、大人向けです!」みたいな文脈で語るのは無理あるというのが第一印象。
冒頭からして、僕は「髪の毛出しっぱなしで外科手術は絵面として納得感なさすぎるだろ」っていうのが気になって仕方なかったのよね。よく見ると着てる服からしてネクタイが覗いてたりしてきちんとした手術感はないから、その時はまぁ「そういう設備がきちんとしてないところでやってるというシチュエーションが後々重要になってくるかもな」ってことで一旦スルーしたものの、にしたってねぇ。
衛生というか患者の体内に髪の毛入っちゃうかもみたいなこと気にしないようなマッドサイエンティストなんですよという演出である可能性もあるんだけど、蓋を開けてみたらちゃんとその道のプロである南,秋月博士だったから、まぁ軍には隠れて非公式に施術したからだろうなというのはありつつも、気にするのであればせめてバンダナくらい巻けるだろとも思うし……。
だから、リアリティはこの作品においてそこまで重要なファクターとして扱われてないと僕は理解した。少なくとも「いきなりバンダナ巻いたおっさんがぬっと出てきたら流石にバカっぽすぎるな……いっそ髪の毛出しっぱでいいか」くらいのライン。

翻って、マスカレイドドーパント的な普通の服で隠して顔と手元だけが怪人っていう、絵面のバカバカしさやチープさみたいなのも、隠さずというかむしろ味として出してたとこあるから、正直パッと見の悪印象をそのまま引きずって「出来が悪い」と判断する人もきっと多い。クモ怪人が結構、腸以外の部分はかなり違和感のない映像として仕上がってただけに、実際そうであるかはさておき視聴者目線では、余計にお金かかってない感が強調されちゃってる。
そういう映像のスタイリッシュさを追求する路線を期待してるなら、過去の『仮面ライダーTHE FIRST』を全く超えてこないと言ってもいい。
最近で言うなら『シン・ウルトラマン』とちょっと近いところはあるかも。あれもウルトラマンがぐるぐる回ったりするのがダサいって声もあったけど、そのダサさがいいよねっていう作り方をしてるじゃん。
手抜きでそうなってるんじゃなくて、シュールさをポジティブなものとして捉えられるかどうかが、本作を見るうえで第一の関門かな。

(参照:『シン・ウルトラマン』 感想メモ)


でもって第二に、ストーリーについても僕は手放しで「出来が良かった」とは言えない。
というのも、別に無茶苦茶だとか矛盾が起こってるとかそういうレベルの話では多分なくて、筋は向こうの中で通ってるんだろうけど、それを視聴者である我々に分かりやすく説明しようという気がほとんどないのよね。それ故に、受け取り手次第で容易に「意味分からん」ってなるだろうから、そういった意味で決して"悪い"ことはないんだけど、不親切なのは間違いない。

徹夜で見てた訳だから普通に見逃した可能性もあるが、前半はずっと葵が親と再会するって話はどこいったんだ? って思ってた。そもそも直前に捕まった男女が葵の親なのかどうかもしばらく確信が持てなかった(手配写真と見比べたら分かったかもしれないけど)ので、二話の「行くとこなくなっちゃった」は少なくとも養母を殺された件について言ってるもんだとばかり思ってて、あのシーンが「養母を殺されて、肉親もずっと待ってたのに来なくて……」という二重の意味を持ってたんだと理解したのは後になってからだった。
道中で「来るかなぁ」みたいなセリフ入れるとか、たまにキョロキョロしながらずっと待ってるタイムラプスが入るとか、そういうフォローがあればあそこが親との待ち合わせ場所だったんだって分かったかもしれないけど……分かんなかったなぁ。

四話のバイクで二人乗りするシーンはすごい良かったんだけどね。恋人でも娘でもない葵がいることで、なんとなく自分が"バイク乗り"に抱いてるイメージ……不器用だけど父性を受け入れて頼れる背中を演じる孤独なおっさんというか、ロンリーヒーローっぽさが際立ってた。

説明不足の話に戻ると、ニックがなんで情報通なのかとかも謎だったよね。最後まで見れば、まぁオリバーの息子ならある程度の人脈があってもおかしくないのかなと思うが、いきなり何のフォローもないまま「とにかく情報通なんだよ」ってことで進むから。
風都イレギュラーズはその辺、ウォッチャマンはブログやっててネットに詳しいみたいなのがあったけど、外国人ということ以外にキャラ付けがないから。

あとあれね、これはライダー文脈を多少知ってるからこそ湧く疑問かもしれないけど「石の力で怪人になるんじゃないの? なんで光太郎と信彦はキングストーン取られた状態で変身できるんだ? あぁ、そこを補うために特別に外付けしてるのがあのドライバー(≠キングストーン)って設定なのか?」みたいなところも一切、説明どころか本当に一切微塵も触れないし。
石で言うと、キングストーンを持ってるはずだからあの夫妻は追われてたんだろうなというのは察しつつも、だとしたらなんで娘を確認しないのかも分かんなかったなぁ。


毎話44分もの尺があった割には「説明はしません、ご自分で読み取ってください」ってことがかなり多くて、じゃあ説明セリフを廃してリアリティ志向なのかといえばそんなこともなく、まぁフィクションとしてはあるあるな「登場人物たちにとっては周知のはずのことを物語開始時点でわざとらしく確認するセリフ」はかなり目に付いた印象。
どちらかと言えばエモーション重視で、喋らせることが不粋になるなら分かりにくくても言わせない、という方向なのかな。デモとか宣言とかは口に出すことに意味があるから、その辺があまりにも直接的過ぎるのとは両立可能だし。

尤も、分かりにくいことを根拠に大人向けですって言うのも違うけどね、子供は分からないなりに楽しめる生き物だから。今僕が言ってるのは、きちんと理解して楽しみたい大人であればこそ、読み取りきれなくて不満に感じそう、ということです。

(参照:仮面ライダーは「子供向け」なのか)

 

差別との闘争

まぁ『BLACK SUN』の感想を語ろうと思ったらこの要素に触れないことはできないよねぇ……。と言っても差別されたことがなくて別に一家言とかないし、ありきたりのことしか言えないけど。
最初はかなり抵抗の方がむしろあって、特に序盤はデモの描写が多かったから、あぁいう"運動"自体にアレルギーを感じる身としてはちょっとあんまり面白くなかったというのが正直なところ。デモってそういうもんなのかもしんないけど、あれってあくまでパフォーマンスであって、なんかなるほどそういう考え方もあるのかーみたいな納得とか発見がないじゃん。ただ「はんたーい!」を延々聞かせるだけ。
……なんだけど、警察の目線から描かれたところはかなり面白かったな、その発想はなかった。
表現の自由があるからデモそのものは止めないけど、2つの派閥が衝突することで起こり得る暴力沙汰だけはきちんと抑えないといけない……この表面張力みたいな葛藤の視点から見て初めて、あぁいうシーンを緊迫感や現実感のあるものとして捉えられた気がする。

「反怪人デモってなんだよ」とは薄々思ってて、反差別運動はあっても差別しようぜって方向のデモというのはイメージが湧かない。差別なんてしてるようなやつを憎もう、というひねた捉え方をすれば別だけど、作中でも「怪人が好きだ! 人間も好きだ!」って言ってるから明らかに社会通念上おかしいようなことは言ってないことが分かる。
で、仮に怪人が得体の知れない別種だったとしても、あそこまで似ててコミュニケーション可能な人たち、況してマイノリティに対して大手を振って排除しようという運動が容認される、そもそも多数派がデモを起こすこと自体が考えにくいんだけど、怪人のルーツが日本政府にあるなら、国が怪人にも市民権を与えるような動きを見せて、その社会情勢に反対してる……という流れなんだとしたら多少は納得がいくかな。
まぁ怪人が主に人体改造によって生まれるのであれば、劇中に出てくる怪人が「自分たちは元々捕まってた人間で、改造されてこんな体になったんだ」みたいな話を一切しないことにも疑問は生まれるんだけど、カニ怪人の様子がちょっとおかしかった辺りで頭の中身もいじれるんだよってのを描いてたのかな?
ってことで、怪人差別もある意味では「戦争反対」「兵器保有反対」「徴兵反対」等々に通ずる主張だった……というひっくり返しは、リンチまでさせてあれだけ露悪的に、純粋なる悪かのように描いたことのフォローくらいにはなってるかなと思う。

ちなみに最後の移民反対みたいなのをここで言う差別的デモだとは捉えてなくて、仮に差別的感情が根っこにあるとしても、正当性を全く感じないようなものじゃないのよ。国際法みたいなのについてはよく分かんないけど、仮に今の日本が満場一致で鎖国のようなことをしたいと言ったとして、それを絶対に拒否できるような根拠があると思えないというか、そういう国が存在する自由を認めないというのは、規模の差はあれど個人の自由を認める世の中の基本姿勢と整合性取れなくない? と思うし、少なくとも自分の中の倫理観には微妙に反する。
あくまで国が保障してくれるのは自国民の権利なんだから「国民にする/しない」って線引きはどこかで引かないといけないし。そりゃ「うちの国では合法なので侵略戦争します」とか言い出すのは論外だけど、鎖国はギリ許されてもいいんじゃないのと思う。
世界は当然として日本も経済的に困るだろみたいなのは想像つくけど、実際にするかどうかじゃなくて「もしするとしたら、理屈としてはし得る(許される)のか」って話だからね。自由とか権利って。合法だけど、流石に迷惑かかるからすんなよってことはいくらでもあるし。
余談終わり。


これは汲み取り過ぎかもしれないけど、『BLACK SUN』の全体的なチープさとか色んな違和感、例えば葵や主題歌の英語が日本語的というか流暢に思えなくて聞いてて少し恥ずかしいみたいなのって、全部根幹のテーマたる「自分の中にある狭量な価値観に閉じこもって"違和感"を批判し排除したがる差別の論理、の否定」に通じてるから、多分意図的だとは思うんだけどうまいというかズルいみたいなとこはあるよね。
日本語しか分からない人は当然英語を知ろうとする、英語話者は逆にたどたどしい発言者が何を言わんとしてるか汲み取ってあげるという"歩み寄り"をしないといけないようなつくりになってて、それは着ぐるみが殴り合う"特撮"っていう文化そのものや、全話一挙配信という形式、その他に対するあらゆる「なんかちょっと……」にも言える。
この辺が頭に入ってると大概のことは脳内で「まあまあ棒」がブレーキとして働いてくれる、と思う。
と、せっかくいい演出だと思ってたのに、どうやらあの英語演説シーンには字幕なしで見てても日本語字幕が表示されるようになったらしいです。救済措置はあってもいいと思うけど見られるのがデフォになっちゃうと一気に興が削がれるな……「だがそこがいい」で褒めるのは諸刃の剣よね。

主題歌『Did you see the sunrise?』も、超学生さんのことは存じ上げないけど、まさか今になってこんなかたちで『六兆年と一夜物語』に新たな文脈が加わることになるとは思わなかった。確かに、この曲を小学生が歌ってたというのはそれだけでひとつ意味がある。
怪人として生まれた子供の話として改めて聞くと……すごい。この上手いとはお世辞にも言えない感じがまた、切実な訴えっぽく解釈する余地もあったりして。

小学生が「六兆年と一夜物語」を歌ってみた【超学生】 - ニコニコ動画

 

あとこれは完全に言いたいだけの雑談だけど、僕は視覚優位のきらいがあるので基本日本語の作品でも字幕がないとなかなか頭に入ってこなくて、今回見た時点では日本語字幕がなかったからないよりはマシということで英語字幕で見てたところ、他に目立ったものは見つかんなかったもののひとつでも面白い翻訳が見られたので良しとしました。

「保険かけて色んなやつにしっぽ振っとかねぇとな(I have to "bat" my eyes at everyone to keep myself covered.)」
「コウモリしっぽあったか?(You are Koumori, a bat, after all.)」
「ものの喩えでしょうよ(It was just a metaphor.)」

"bat my eyes"が日本語で言うと"目配せ"に近いのかな、目をぱちくりbatして媚を売るようなニュアンスにしてるらしい。比喩を変えたことでツッコミが「コウモリだけにね」みたいな肯定系になりつつも皮肉っぽさは失われてないのもはぁーってなった。
こういう小さな発見があるから、好きな作品は外国語字幕までしっかり味わえたら楽しいだろうなって昔から思ってる。

 

怪人なんていない方がいい?

生活保護者、独居老人、子供を作れないLGBTQ……怪人やヒートヘブンの材料になる人間は腐るほどいる」
怪人の元になった人間をそもそも社会的弱者にしてしまったのも思い切りがいいよね。初代なんかはナチス・ドイツの優生思想を受け継いでて、頭脳明晰,スポーツ万能な選ばれた人間しか改造手術を受けられず、その他は奴隷労働をさせられるってことになってたけど、確かに怪人をマイノリティの比喩として描くならそっちの方が都合がいい。
更にその弱者であるはずの怪人(の中で選ばれたやつ)がヒートヘブンという形で更なる弱者から搾取してるというのも、人食いって意味で『アマゾンズ』と被るからかあまり大々的には扱われなかったけど面白い。
"子供を作れないLGBTQ"に関しては、最初は「無理解にも程があるだろ」って思ったけど、流石にLGBTQ=子供が作れないって言ってるんじゃなくて、LGBTQの中で子供が作れない(作る気がない)人っていう限定の修飾かな。

 

この改変のキモは、比喩対象である社会的弱者も「望んで弱者になった訳じゃない」ところだと思ってて、最低限度の生活にしても孤独な老体にしても、単なる嗜好(敢えてこう書く)の違いや女性というだけで社会から抑圧されることにしても、心身障害者にしても、そもそもそんな不遇を受けないに越したことはないというのがおそらく大多数なんだけど、そんなことを言っても現実は変わらないからこそ、そのアイデンティティを逆に誇るなどして自分を守る必要に駆られる。……言いながら気付いたけどこの話は現実というよりは主に"エルディア人"を念頭にしてます。本作はかなり『進撃の巨人』をベースにアレンジしてるようなイメージが強いので、もし未見の方はぜひぜひ。
(参照:進撃の巨人 1巻/1期1,2,4,5話 感想)

多数派であっても、大なり小なり誰しも持ってるであろう「生きづらくなるような特性を持って生まれたくはなかった」という自己否定的な気持ちが「怪人にはなりたくない」っていう我々が根源的に抱く感覚と見事にマッチしてて、安易に「共存できたらいいよね」という着地点にはなってない。
現にいる以上は受け入れないといけないけど、本当は怪人なんていない方がいいのかもしれない……そういう感覚のひとつの極地が「エルディア人安楽死計画」、本作なら「創世王を殺す」だったりする訳で。
この辺の感覚は、生来の特性よりは精神障害系の話題によく触れてる人の方が意識しやすいかも。うつ病患者を差別するのは良くないけど、本当はうつ病なんかならないに越したことはないよねっていう。
病気になったおかげで得られたものもあるんだ、だから病気になったことを悲観しなくていいんだ、みたいな論調もあるんだけどね。その辺はニックが担当してたかな。単純に変身願望のある物好きなやつなのか、どうせ社会的弱者(※)なんだったら、最終回のようにワンチャン一矢報いれる怪人の方がいいよねっていう考えなのか、どっちにしても怪人になることをポジティブに捉えるやつもいるって役どころとして。
※黒人……としてキャスティングされてそうだけど、そんなに黒くもない。また別の要因でマイノリティなのかもしれない。

 

他人事ではなく自分事として差別を捉えるっていうのは、無関心ではなくきちんと抑圧してくる人間と戦おうって話でもあるんだけど、差別を自分の"外"に見出してそれを糾弾するよりも、自分の"中"にある自分や同族を否定する気持ちこそが最も根深い問題なんだと気付くことが重要なんだと思う。
これはカマキリ怪人になった葵がまさに体現していたことで、『BLACK SUN』なりの「脳改造を受けていない」の表現なのだとしたらとても良い。自分は怪人で当たり前、人間だった頃なんてないんだと思わされてしまった方がいっそ楽かもしれないけど、敢えてアイデンティティを揺らがせて「自分は怪人としても人間としても生きられるかもしれない、今の自分を否定するかどうか決めるのは自分次第だ」という余白を残しておく。
ちょっと逸れるけど、葵がカマキリモチーフってのもいいよね……創世王を復活させるための巫女的な存在としての説得力を持ちながら、他力本願にお祈りなんかしないで自分のこのカマでぐさぐさ殺しちゃうぞ、オスのカマキリなんか食べちゃうぞっていう攻撃力の高さも合わせ持ってる感じが。

たまたまおすすめに出てきたものの個人的にはあまり好きではないなと思った動画なんだけど、「黒人を一番差別するのは黒人なんだ」という証言が印象的なので貼っておく。

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なぜ好きではないかというと、差別問題にピンとこない我々日本人が喜びそうな論調をとても綺麗な日本語字幕で話してて、"耳触りが良すぎて"気持ち悪かった。「やっぱり黒人の人でもこう思うんだ! 自分の感覚は間違ってなかったんだ!」と思わされてしまうから、こんな意見ばかり聞いてたら価値観が凝り固まってしまうという危機感を覚えた。
ちょうど『BLACK SUN』とは真逆かもね。今作は耳触りの悪い話ばかりしてくるからそれはそれで不愉快、という。
初代のショッカーはナチスのせいっていう言い訳があったけど、今回の怪人は純粋に日本(我々)が生み出したものだからなっていう理論武装もね……。

 

受け継ぐものと終わらせるもの

次期創世王にならんとする秋月信彦と、それを止める南光太郎……。結局BLACK SUNは数秒だけ、SHADOWMOONに関しては一度も出てこなかったよね、ソフビのようなきちんとした仮面ライダー態。
武器として使ったせいでずっと片脚(怪人態のときは羽に見えるのもいい)がもげた状態で、最終決戦前にヒートヘブンでも食べて完璧な状態で決着つけるもんだと思い込んでたら最後までそのまま……なんなら両方もげちゃったからびっくりした。

さっきも言った通り、新たな創世王を生み出さないということは、そもそも怪人なんて生まれてこなければいいという、いわゆる反出生主義的な考えの発露と言える。
創世王が消えて改造手術を受ける人はいなくなっても、既にいる怪人が各々の意思で子供をつくる権利自体は否定していないというエクスキューズはありつつも、そういったネガティブな主義主張を主人公が背負うというのは未だによくあることではない。人間と混血すればするほど、怪人の血は薄くなるかもしれないし、結局行きつく先は怪人の根絶かもしれない。
正直なところ光太郎と信彦の心情変化は初見じゃうまく追えなかったんだけども、光太郎が決着を付けたあとに創世王に飲み込まれてしまったのは、信彦から意思を受け継いだことで自分の中にも迷いが生まれてしまったからなのかな、というくらい。
ゆかりの本音についても父が自分たちにキングストーンを託した理由についても、あくまで光太郎は「本当のことは分からないけど、自分はそう思いたい」というスタンスで描かれていたはずだし、信彦も序盤から割と最後の方まで「創世王がいる限り無限の苦しみが生まれるから倒す」という意見だったはずで、それを最後の最後でひっくり返して自分が創世王となり怪人だけの社会を望んだ訳だから、光太郎にも同じ道を辿る可能性はあった。


そして最終盤、「もう泣かないで」って言いながら仮面ライダーを継承した葵が泣いてて、光太郎が笑いながら安心して死ぬところでもう僕もボロボロ泣いてました。
光太郎……ってかあのアルティメットフォーム(黒創世王)は普通に光太郎を突き抜けて白倉おじさんの話として見てたけど、彼が自己否定して泣きながら戦う重荷から解放されることに対する喜びと、その業までも受け継ぎ背負って生きていく葵に対する悲しみとでぐっちゃぐちゃになったよね。泣きながら戦う仮面ライダーなんて本当はいない方がいいはずなのに、誰かを笑顔にするために誰かが戦わなくてはならない……。
あのシーンで泣いてたんだから、我々も"仮面ライダー"のバトンを渡されちゃったのかもしれない。おも……。
葵に変身ベルトが出現したのもいつも通り説明がなかったけど、あれは創世王が後継者候補として認めた証なのだとすれば、あのタイミングで葵が変身する理由も、過去編で光太郎と信彦の頭をなでなでする創世王の描写も納得が行くかな。だからこそ"世紀王○○ドライバー"なんだろうし。


∞のマークを出すことで"BLACK"のクレストに「永遠に続く戦いに終止符を打つ」って再解釈を施すことにも震えたよね。光太郎がもう戦わなくていいように、今度は葵が戦う。葵が戦いから逃れるためには、また誰かに託さなければならない。
これ、結局のところ「子供をつくるか否か」っていう人間の根っこにある葛藤が滲み出てるのがとても良いんだよなぁ。それは『Did you see the sunrise?』の歌詞を読むとよりくっきりと浮かび上がってくる。

Did you see the sunrise?
Black shining sadness
Tell me, Tell me
Why was it born?

Waiting, Waiting
Believe in promise
Eventually this body decays
Fall in to the "BLACK"……

1番では「Even if this body decays. Waiting over time.」となっていて、いつまでも待ち続ける覚悟はあったはずなのに、自分の体はやがて衰え朽ちてしまうという焦りとともに、暗闇へと落ちていってしまう。
"BLACK"の囁きがあまりにもエッチなのでそういうニュアンスで捉えてるんだけど、苦しみの連鎖を断ち切るために子供はつくらないと決めていたはずが、誘惑に負けて次世代を生み出してしまう泥沼。
そう考えると今度は精子卵子に向かっているマークにも見えたりして、非常に両義的な意味を感じる。

 

その狭間でもがく葵の取った選択が、子供たちを集めてテロまがいの戦い方を教えるというオチも最低最悪だよね……(褒めてる)。
ただあの最後を信彦みたいになったって言ってる人が多くて、なんかその言い方は違うなぁと思う。オーバーに言うと光太郎は怪人が全滅する未来、信彦は人間が全滅する未来を描いてて、その上で反移民デモに差別反対を掲げてた少女は怪人ではなくただの外国人だろうから、2人の中間として人間も怪人も関係なく、ただ一方的に弱者を抑圧するような"何か"と戦うために武力を必要としてるっていう話のはずで、信彦みたいに積極的に人間を攻撃することを計画してる訳じゃあないはず。

そもそも葵で一番印象的なのは、父親をカニ怪人にされ(この辺はノミ怪人から聞いてるものと思われる)、自らも怪人に変化させられた現況であるビルゲニアに対して、「ここで殺しても、誰も戻ってこない! 何も変わらない! でも、いつでも殺せるから。私を舐めるな」と脅しておきながらも、なぁなぁのまま関係を続け最終的には葵は殺さないままビルゲニアは死を遂げるというくだり。
あの描写がある以上、子供たちに戦い方を教えるのは本当に万が一それを使う必要性に駆られたときのためであり、弱者だと見込んで一方的に蹂躙してくる輩に対する"牽制"のための武力である側面が強い。
「人間も怪人も、命の重さは地球以上。1グラムだって命の重さに違いはない」を初めとする、殺傷は良くないという道徳観もまた並行して教えているのだろう。原作の少年戦士では「だがゴルゴムも彼らの人間性までも奪うことはできなかった!」って言ってたけど、同様に葵も彼らの人間性までも奪うことはきっとできないので安心してください。

 

とはいえ、今年の2月頃にウクライナ市民がみんなでせっせと火炎瓶をつくっている動画が「……さんがいいねしました」で流れてきたのを思い出さざるを得なかった。
一般人が戦わんとしてることを肯定する気には到底なれないし、なんかその……みんなで一緒に頑張ろうぜみたいな空気が震災からの復興! とかじゃなくて、暴力性をむき出しにする方向に進むのは、単純に見てて気持ちの良いものではない。
『ゼロワン』なんかも「奪われないために自分の笑顔は自分で守れ」と個人やヒューマギアが武装するような思想を仄めかしてはいたが、ここまで生々しくガチなものを見せられるとやはり尻込みせざるを得ない。頭では分かる、けど……。
(参照:特撮雑談クラブ 第19回「ゼロワン」)

加えて『龍騎』は9.11テロの影響を受けて……みたいな話も飽きるほど見てるにも関わらず、あの事件が起こった背景にどんな思想や摩擦があったのか、という部分に目を向けたことがないことに自分で驚いた。
ただ「テロは良くない」「どんな理由があろうとも暴力に訴えるのは良くない」ってところで思考停止してるようだと、序盤の真司と変わらない。少なくとも葵たちが政府に対して暴力でもって抵抗するのだとしたら、絶対に間違ってると言い切る自信が自分にない。
『555』でも描かれていたようなパラダイスロスト……安心できる楽園を捨てて、葛藤のある地獄を生きるような"混沌"を是とする価値観が如実に、かなり露悪的なかたちで全面に出されている。ある程度は白倉ライダーの文脈を知ってる自分でさえ第一義に肯定はできない訳なので、初見の人に薦めるのはやっぱりどうなんだろうな……。
(参照:混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想)

 

仮面ライダー』があり『BLACK』があり、平成ライダーが生まれ、そしてまた次の世代へ受け継がれていくバトン……過去の意思を受け継ぎつつ、無限に続く苦しみを終わらせるという2つの交わりを描いた『仮面ライダーBLACK SUN』。
本作を経て仮面ライダーが、世界が、そして僕がどう変わっていくのか……楽しみです。

 

86ma.hatenablog.com

 

告知 11/5 21:00〜23:30に特撮雑談クラブ 第20回として『BLACK SUN』について感想を話すスペースを開催予定です。リスナー/スピーカーを問わず、参加したい方がいましたらご自由にどうぞ。

※終了しました。参加してくださった方、ありがとうございました。