やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 30話「忘れられないの」 感想

自分の名前が勝手に使われてると怒るヘボット。僕はあんまり、(知的)財産の専有って方針には共感できないんですよねぇ。

何かとても有用なノウハウがあったとする。それを秘匿して使えば、確かに自分達だけが効率よく商品を作れて、他の企業を出し抜けるかもしれない。でもそれを公開すれば、他の同業他社が「こうしたらもっと良くなるんじゃない?」と更なるアイディアを付け足すことができるようになる。そういうアイディアの練磨はひとつの社内でもできるけど、みんなで考えた方がより速度や質が上がる可能性もある。ネットの海を長年生きてる人なら、数が多くても質が低ければゴミが量産されるだけだと思うだろう。船頭多くして船山に登るという言葉もある。でも出たアイディアを採用するかどうかは結局その会社次第なので、そこの見る目による。僕が問題としているのは、秘密にしてしまうとそのノウハウの良し悪しについて考えるというスタートラインにも立てない人が多く出ること。
目先のことだけ考えるなら確かに専有した方がいいけど、社会全体……つまり人類による"集合知"の進歩を考えるなら、情報はなるべく共有した方が良いのではないかと思うのだ。もちろん、目先の利益が手に入らなくなることで企業のモチベーションが下がり、逆に進歩が遅れる可能性も考えられるので、どっちが正しいって話ではないのだけど。

物語の解釈については、概ね僕の意見の方に理があるように思う。僕はあんまり好きじゃない表現なんだけど、俗に言う"考察"した内容というのは、自分の中に留めて満足するよりも、大体の人は発信することで他者から認められることに喜びを感じる人が多いのではないか。そうやって情報が共有されることで、そのアイディアを踏まえてもう一歩踏み込んだ議論が始まる。
僕がなんで考察って言葉を好きじゃないかというと、なんか字面が仰々しいからと、であるにも関わらずかなり乱用されて大したことない発見にも使われてることに対する気持ち悪さが原因。なーんかどうしても冷めた目で見ちゃうのよね。みんなが使ってて意味を伝えるのに便利な言葉には違いないので、僕もたまに使うけど。

はい。ここまでおよそ1000字の文章中で、僕は何回ヘボと言ったでしょう。
答えはなんと0回。これで本当にヘボットの感想かよ……いつものことだけど、脱線話が多過ぎてもはやなんのテキストなのか分からんヘボ。認識できる範囲を(ry
数えてみましたが、ヘボネジの台詞においては24回(ヘボ21,ヘボット3)、裏でヘボヘボ言ってるのが23回。"ヘボット"に含まれるヘボを抜いて合計すると、44回ですね。答えはいかに。

 

 

チギルにダメ出しされたおかけで(?)絶好調なのか、前回のナイスマヨネーズ! に続いてめっちゃ出てくるゲキアツドラゴン。油分を落とせって言われてたのにマヨネーズ、しかも揚がってるいもチンまで付けて……と思ったけど、スゴ様が生み出したのがカロリーハーフでない証拠は別にないな。農林水産省の定義によると、厳密には油分を一定以下に落とすと"マヨネーズ"という名前には該当しなくなるらしい(だから商品名はあくまでキューピーハーフ)のだけれど、人間はデフォルトで頭のネジがいくらか緩んでるので、ぶっちゃけどっちもマヨネーズだよな。よってマヨネーズと呼ばれてるからと言ってハーフでないことの証拠にはなりません。こんな回りくどい説明をしてまでゲキドラがチギルのアドバイス守ってることにする必要があったのかは謎だが、知識も増えたので良しとしよう。

僕は出前とか取ったことないので分からないけど、いくら客が洗ってくれて見た目は綺麗でも、その店の基準に沿った洗い方をしてる保証はどこにもないので、結局洗い直さなくてはならないはず。逆にそうでないのならちょっと正気を疑う。それを二度手間だと嫌う人もいるかもしれないし、効率ではなくマナーの問題として推奨する人もいるかもしれない。どっちがいいのかは分からないけど、僕はかるく水ですすぐくらいはしたくなるかな……。料金を払わないことに関しては論外だけども、3ヶ月に渡ってちゃんと頼まれたら持ってきてるゲキドラも真面目ね。同じヴィーテ配下のよしみなのか、或いは彼女からの指示で仕方なくやってるのか。そもそも周回の記憶がない場合(チャラブレ以降)、果たしてまだヴィーテの配下として機能してるのか? 彼女を目撃しただけでユーコさんは危うくデリートされそうになった訳だし、記憶がないのにわざわざ接触して特異点を増やすのは彼女(とフィーネ)の本意ではないかもしれない。その分、周回組の負担は増えて忙しくなってそうだけど(28話)。ゲキドラとしてははっきりとは記憶がないまま、何でか分からないけど良くしてあげたくなるみたいなそういう感覚なのかな、ひょっとするとヘボネジコンビに対しても。

それはいいとして、玄関においてあった器は3つなのに対して食べる人はリーマンズにキルマンを加えた5人。内訳を考えると、キルマンがそれぞれ一人前で、リーマンズが3人でひとつをシェアというのが一番しっくりくる(まさか居候とはいえ目の前で食べといて2人はおあずけなんてことはなかろう)が、お前らいいやつかよ……あ、でも金払ってないなら別にそうでもないな。社会人としてなってないグチ。しかも普通に5等分して小皿に取り分けた可能性もあるわ。
どうでもいいけど僕も片付けできない人。特に自分のためにはできない。ゴミもどうせ捨てに行くなら両手で持てるマックスまで溜めた方が効率的じゃん? 食器とかも、使った後にはすぐ洗わない。どうせ洗うなら、使う前にしっかり洗った方が一番綺麗な状態で使えそうじゃない? まぁどれも面倒くさいのを正当化するための方便ですけどね。

 

ヘボネジコンビほかにとっても求められるスゴスゴインダーネジ。
登場の仕方や見た目からして、明らかに男性器を意識しているんだけど、本人は「あるべきもの(スイッチン)があるべきところにない!」とか言われたりレディを自称してみたりと女性的なニュアンスも感じさせる不思議な存在。

フロイトによるとエディプスコンプレックスに類するものは女性(女児)にもあって、曰く「あるはずのものがないということは自分は"劣っている"のだ」と感じるのだそう。フェミニストの方に聞かせたら「それはフロイト自身が女性を劣ったものとして見下している証拠だ」とか言われそうよね。関係する話として、小学生のころ仲の良かったクラスメイト2人に「女子って本当にないの?」と聞いたことがあるんだけど(馬鹿にするような意図は誓ってなかったです)、その時2人とも「小さいけど"ある"」と言ってたのが印象に残ってる。母さんはその頃にはもういなかったのもあって、そこからしばらくそうなんだと思ってた。

その経験を元にフロイトの話を一旦信じるとして、少なくとも日本語圏においては「女性器を意味する言葉が一般的でない」というのが大きな要因のひとつではないかと思う。しかも男性器を指す言葉や隠語は溢れてるのに、ってのが重要。そりゃあ「あるはずのものがない」というコンプレックスも生まれようというもの。ゼロの発見が遅れたように「ないけどある」という概念は子供が感覚的に理解するにはいささか難解かもしれないが、それでも今よりはいくらかマシになるのではないかと予想している。逆になんで女性器だけやけに「口に出すのが憚られる度」が高いんだろね。昔から不思議。

でもこう書くと、なんだか神秘的な話にも聞こえるな。モーセ十戒に「神の名をみだりに唱えてはならない」という項があるのは有名な話だろう。「Oh my god」がしばしばgoshやgoodnessなどに換言されるというあれ。こういう話も敏感な方からすると不愉快なものかもしれない。「母親もただの人間なのだから神話的で非現実的な"無償の愛"をはじめとする幻想を吹聴するのはやめろ」というような話。言いたいことは分かるけど、個人的にはあまり賛成はできない。
そういう幻想が多くの人間の中で共有できる程度には、ただの人間も神性を帯びたものになれる(そういう心象を抱かせるに至る)ということであって、それってすごい人間讃歌じゃない? 文意がきちんと伝わってれば分かるだろうけど、人に対して「神になれ」と言うのを肯定する意図はもちろんありません。ただ「結果的に神と同一視されるくらい人間って素晴らしい存在になり得る(得た)」というのは、明るい話題なのではないか。

 

話をスゴスゴに戻すと、かぐや姫よろしく「月の石を」と無理難題を突きつけるも、あっさりスカラビに持ってこられちゃう。エトボキャのことは知らない?
一説によると、かぐや姫は極楽浄土たる月から贖罪、それも姦淫の罪を償うために島流しにあったのだそう。めっちゃ失楽園やん。姉さんの節操のなさはひょっとするとここに由来しているのかも。「おしりを叩く」という行為は寛容とは対極な、有名な折檻,体罰のひとつ。それをされ続けるというのが、何でもホイホイ受け入れてしまう上に見境なく挿す、業深き彼/彼女に与えられた十字架なのだろうか。ボキャバトル時に出てきた"神の手"は……?

そんなスゴスゴに何故か飛ばされ、認めてもらえないペケット。この「イインダヨ〜」の時のチギルの指が、1回目は4から(3を飛ばして)2に変わり、2回目は3本、3回目はまた4本立てている。僕には全然意味分かんない(ムキー!)んだけど誰か分かります?
理由としてありそうなのは、思い付く限りだと……ダメ出しキャラで天敵だから(チギルは?)、ひとつ前の使者(玩具)だから対抗心を燃やしている、前回3回挿したヘボットと比べて1回しか挿れてくれなかったことを根に持っている(でもそれならバトルの際ペケよりゴロの方が良かったのでは)……くらい。うーむ謎だ。

所有権をかけてボキャバトル。なんだけど、スゴスゴインダーネジのネジボイスは意味深だよね。これまでも大概(既存の)ギャグの体をなしていなかったけど、これに至ってはもはや自分が笑ってるだけだからね。もらい笑いって確かにあるけど、それを果たしてギャグと認めて良いのかどうか。
またモチーフの話をすると、スゴスゴの見た目はよくテンガっていうものに似てると言われてるよね。セルフプレジャーなんて表現があるけど、「自分が笑う」というのは通ずる部分があるような。語源を調べてみると"典雅"だそうで、イメージに沿わずなんとかぐわしい響き。
「気持ち良かった、それでイインダヨ」とか言ってもう色々アウトなんだけど、でも真面目に考えるとなかなか深い言葉でもある。
僕らが感じる快/不快ってなかなか不合理なことも多くて、例えば「ある人の顔が生理的に無理」とか、清く正しくはない人間だから思っちゃうこともある訳よ、口や態度に出すかはまた別として。栄養豊富な野菜を「おいしくない」と嫌ったりとか、逆に痩せたほうが健康にいいと分かってても不摂生な食事を好んでしまったりということもある。ゼロワンの最終回にて、滅が感情のことを「俺(の理性)を邪魔する訳の分からないもの」と言っていたけど、とても肯綮にあたる表現だと思う。
ムラキの精神崩壊の時に言ったように、何事も「それに何の意味があるの?」と問い続けていくと、最後に辿り着くのは虚無しかない。そうやって懐疑的にならずただ目の前にある感覚に正直に生きていれば、きっと幸せなことだろう。何故かは分からんがお前は嫌い、野菜も食べない、マヨネーズはかける……。
理性的に考えていくと結局虚無に辿り着くのなら、何もないより色彩豊かな生を選ぶ方がいい。どうせ阿呆なら踊らにゃ損ってなもんだ。


ゲキドラはリーマンズの声がした気がしてやって来たが、なんでか見えない。腹立つタツノリ助かるラスカル、よろりんこ菊地凛子
アバンの正解は43回。って、1回足りないやんけ。スゴがペケットを無視したり、ゲキドラがリーマンズを見落としたりしたことと繋がってるっぽいけど、イマイチ分からん。
"デリート"されるとそうなるのかな。元々は前回でユーコさんが消されてネジルが「思い出せないけどなんか悲しい気がする」ってなる予定だったらしいので、その名残だろうか。公式の正解発表を疑う心を養うっペケ。
無秩序をもたらすスゴスゴにご立腹なのか、次元ネジ(フィーネ?)が起動。オールディスは一人で抑え込むつもりなのかな、どうやって?
謎は残るけど今日も時間ギリギリなのでもう投稿するぜよ。無理やり終わってもイインダヨ〜。

 

 

ヘボット!感想一覧

前話

ヘボット! 29話「イインダヨ〜、スゴスゴイインダヨ〜」 感想

次話

ヘボット! 31話「インネジクタス」 感想