やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 22話「ライネジング・サン」 感想

七歩袖が喜ぶ料理とは。僕は手首に巻かれたワンポイントが好きなのよね、ミサンガとか腕時計とか。男女関係なく素敵だと思う。だから七歩袖って単語は初めて知ったけど、多分僕は好きだと思う。好き好き大好き?
でも僕は"なな"が嫌いなのよね。計算してる時に出てくると無性に腹が立つ。その見た目も、的確に僕の癇に障る。先っちょに鍵が付いてるやつも大概嫌いだけど、直線的なフとでも言うべきかたちしてるやつが一番気に食わない。どのくらい嫌いかといえば、テストの点数にその数字が出てくると、わざわざ点を下げてもらう為に揚げ足とって無理に間違いを捻出するほど。十の位だと厄介なものの、うちは親がテスト結果に興味を示さない人だったので最悪その場で捨ててしまえばいいんだけどね。ンーヤイ「てぃーせっと」

 

復活のムラキ。そして本格登場ポペップ。初めてその名が出たのは17話、ユーコさんの口からだったが、彼(?)の声を当てているのも同じ藤井ゆきよさん。実はアドリブから生まれたキャラだったり? インタビューの感じだとそうでもなさそうだけど。
野生化したボキャリーマンズ。アーマーゾーン! ムラキの語りに始まり、包帯ぐるぐる巻き、残された日記、犬ぞりと、やたら47話に似ている箇所が多い。
……ななが嫌いって言ったばっかでしょーが! なんで早速2回も使わせるのよ! 響鬼じゃあるまいし、話数は漢字表記にする訳にもいかないからいつも我慢して使ってるのに、なんて日だ。

迷い込んだ先はぱんだい山。字幕ではカタカナ表記なんだけど、こっちの方がファンブックとかで馴染みがあるので。エース・オカのことを考えると、もしかすると2つあるのかもしれないけどね。
誰がどう見てもバンダイだろってのはいいとして、もうひとつ福島にある磐梯山ばんだいさんって山もモチーフになっていると思われる。山自体のことは僕もほぼ知らないんだけど、昔文化祭かなんかで合唱部が『会津磐梯山』という楽曲を披露していて、その美しさにいたく感動のをよく覚えている。
僕は歌を聞く際、歌詞の意味よりは曲のノリの方を重視する方で、出来損ないの耳コピで適当に真似るものだから、後になって「そんな歌詞だったの!?」と驚くことも少なくない。英語やドイツ語でも同様。単純に、口は誰でも簡単に使える楽器のひとつみたいな認識で、その音の持つ意味は二の次なのよね。
会津磐梯山』のイントロはまさに楽器としての声を突き詰めていて、言語に還元できる意味は持ってない。にも関わらず心を揺さぶるっていうのは、純粋な"音楽"の力だよね。

 

「迷える子羊を救うマダム天王星」を名乗るヘボガールズ5の一員。どう見てもプリティ・ドセ子だがあくまでデジャヴだと言い張る。
僕は多分、人よりも強く酷いデジャヴをよく感じる。「夢で見た」なんて方便では納得できないほどに強固な確信を伴い、多くは一瞬では終わらず長く続く。更には、メタデジャヴ(前にもこんなデジャヴを感じた気がする、というデジャヴ)などという珍妙なことまで起こる。メタレベルが高ければ高いほど「本当にあったのでは」という確信は強くなる。だって、その確信がマトリョーシカのように幾重にも連なっているんだから。通常のデジャヴを「初めてなのに2回目だと錯覚すること」とするなら、メタデジャヴは3回目、メタメタデジャヴは4回目な気がしているのだと理解してもらえばいいと思う。流石に4回目ではないにせよ、それだけ思い当たる記憶があるのなら1回くらいは本当にあったと思うのはそう不自然なことではないだろう。
前回したのは主に「自分に思い当たるフシがない」時の話だが、デジャヴはその対極で「自分の中にある心当たり」が信用できない好例だ。こうした2つの極論に挟まれることで、僕は自分の記憶に自信が持てない。「あった」ことも「なかった」ことも揺らいでしまうのなら、一体何が正しいと言えよう。

 

今回扱われるのは、そんなふわふわした可能性の塊みたいな存在とも言えるかもしれない没デザインの皆様です。
ネジルの没キャラネジ郎は、声も相まってやはりモエルっぽい。と言っても、今回ネタにされてる没キャラは本当の意味での没キャラでなくて、みんなそれっぽく新たにデザインされものかもしれないけど。カスカス魔女なんかどういう経緯を経たらあぁなるのか分かんないし。ボツキャ美も12人て、一発ネタとしてはともかくレギュラーとして真面目に考えられてたと思うとなかなかカオス。おそ松くんでも6人なのに! 実際の没案の特筆すべきところは、ボキャ美がほぼ今のカスリーナなこと。笑っちゃった。
マダム天王星の声はそのボキャ美の新井里美さんなんだけど、また全然雰囲気が違う。僕が放送当時に付けていた視聴メモには、難癖つけて働かせようとする際グチリーマンのことをお尻みたいな顔と罵ったことを根拠に、10話でグチッターに「尻顔ヤベェ」と投稿していたPrincessVというアカウントは土星ババァのなりすましなのではないかと書かれているんだけれど、我ながら流石に飛躍しすぎだと思う。ヴィーテはあんまりそういうこと言わなそうだなってイメージに基づいてるのだろうけど、それにしたってねぇ……。

色を付けるためにハッピーを貯めるというのは、なんだか修験道みたいね。山に籠もって修行するやつ。小さい頃、悪いことするとよく「寺に預けて修行させるぞ」と脅されていたのを思い出す。子供ながら時代錯誤だなぁと思ってたけど、そもそも修行を罰として扱うのってどうなんだろね。別にお坊さんたちは何か悪いことした罰にやってる訳じゃなくて、悟りに至るための能動的な行為なのに。僕は昔から罪悪感に苛まれてるときは最高に思考がノロノロになるので、真面目に自分は寺に行かなきゃいけないんだと思って探し歩いたことがあったな。今となっては笑い話。

 

迷える子羊というのは聖書に由来する表現で、100頭の羊を飼っていたとして、たった1匹でも逃げ出したらきっと心配して必死に探すことだろう、というのを比喩として、自分のもとから逃げた(追放された)罪深き人類にも、まだ戻るチャンスを与える神様ってなんて優しいんでしょうみたいな話。奇しくもこんな喩えをしたばっかりに、神とやらの浅ましい独占欲や所有欲が透けて見えるぞ(CV:速水奨)。
繰り返しになるけど神様って大抵は意地が悪くて、カキカキーン様とやらも別にケチケチせず色付けてあげればいいのに、それをしないでわざわざ試練を与えるのよね。人間が知恵の実を食ったってのもぶっちゃけ手の届くところに置いとく方が悪いし、自分の指示に従わない罪深い生き物をつくったの誰ですかーって話。偉そうな奴はだいたい気に食わないので、僕の方こそ意地の悪い見方をしがち。信心深い方すみませんね、広い心で許してちょ。
というか、罪深い人を許しちゃうなんてそれこそ見方によっては"悪"だしね。きちんと裁くべき。僕は言ってしまえばろくに働きもしないし人様に迷惑かけてばっかなゴミクズなんですけど、うちの親は何故だかこんな人間を生かすために金を使い続けるのよね。だから僕がかける迷惑の半分は彼のせいとも言える。彼が僕を野放しにしておくから色んな人が困る。神様も、病気などを使って僕の生を止めようとしてくる気配はない。でもそれは果たして「優しい」のか? そんな優しさは周りの人からしたら害悪以外の何ものでもないのではと、僕は思うんですけどね。とか言って、自分はそこまで他人のこと思いやれないので、自分で自分を終わらせるようなことは普通に怖いし嫌なんですが。父も単純に、自分の手を汚すのが嫌なだけなんだろうね。

キリスト教の話(だったの?)はさておき、うちの親がやってる新興宗教ってのもこれまた怪しいもんで、組織を維持するために必要だからと色んな商売に手を出している。テニスサークルほんわか。
小さい頃からよく付き合わされてたんだけど、一応益になってる面もあるっちゃある。ヘボットの感想でもしたような十干十二支に陰陽五行説、あと九星気学なんかまで、基礎教養として教わってきたので。十二支くらいは一般的だけど、そこまで知ってる人はそんなにいないと思うので、知識の分だけ豊かな心が育ってると思う、多分きっとメイビー。今の時代において実際に世界の仕組みを説明するものとしての機能は薄れているだろうから、科学信仰が強いと全くもって無意味な知識に見えるかもしれないけど、先人たちが積み上げてきた文化には何かしらそれなりの"哲学"が込められているものなのよね。意識的にせよ無意識的にせよ。
宗家と言うと分家に対する本家のことを指すように、宗教という言葉の"宗"とは物事の"本質"を意味する。宗(むね)≒胸で中心のイメージ。科学にしろ哲学にしろ、「世界はこういう風にできている」という本質について説く行為はすべて原義的には宗教であると言える。似た話に方法論的虚無主義という立場があって、高橋昌一郎『知性の限界』によると、万有引力のせいだろうが神様がそうつくったからだろうが、「人の抱く『何故?』という疑問を収める」という目的のもとではどちらも等しくて、結果的に本人が納得できるならその方法は何でも構わない(Anything goes)のだと、西洋の哲学者ポール・ファイヤアーベントは言ったそうだ。僕はこれを支持する。今の世で問われるのは、何が正しいかじゃなくて何を信じるのかだろう♪

 

Time for teletubbies! Time for teletubbies!
笑う赤ちゃん太陽サンサン。大好物はカスタード……じゃなくて、ボキャバトル! です!
マダム天王星土星から発掘されたのと同じネジでハイパーコンボ「漢のエルドラド」……にあたるであろうパチコンボを発動にゃー。
対するヘボネジコンビは、第3弾のネジを使って「快適生活実用24時」で勝利。
8話の感想で、同じハイパーコンボでもレアリティの差でエネジーは変わるという話をした。それでいくと今回のバトルは、SRの含まれる前者の勝ちに思える。実際DXヘボットで確かめてみると、16万と14万でやはりそうなる。
敗因があるとすれば、まずはパチボットのレベル不足。次にそもそもパチモン(ヨンボリ!)なので通常のギャグよりも劣っているかもしれないこと。
更に言えば、「ネジルが勝ったらみんなは下山、マダムが勝ったら没デザインはシュレッダーに」という話だったのに、結果的にはネジルたちはきちんとシュレッダーにかけている。ある意味では引き分けみたいなものだったのかもしれない。


計測不能な不確定要素、強大な特異点。マンドライバーもネジキール卿もネジルだったことが明かされた今、新たに登場するこのアホ毛の兄ちゃんは一体誰だ!
うねりに備える旧ボキャネジカルテット。さらっとネジ王の真の名も明かされるも、知識がないのでだからなんなのかは分からにゃあ。「すべてをディスる」って話は見たことあるけど、確かにタイミング的にもそう見るのは分かるかも。おもらしキャラのペケットは、12話との関連は少しずつ考えていきたい。
そして唐突に現れたお前は誰だマン。デベソがポペップを思わせる。おはぎはここから結構なキーアイテムになります(なんだそれ)。らららコッペパン
てな訳で今日はこの辺でオヤスミー。

 

ヘボット!感想一覧

前話

ヘボット! 21話「時をバグるピコピコ」 感想

次話

ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想