やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 9話「へボットは赤ちゃんバブ」 感想

お茶が熱くてキレたところ、ライラック。スケルトンが透けるとんしてたけど、中身がわかめじゃない(!)。
ギャグを説明してしまうけど、怒ることを「カミナリが落ちる」と表現することにちなんだシーンなんだろうね。
蝸牛ではないけど、小さい頃に七色のナメクジを見た記憶がある。夢だったのかなぁ? 咼という字は形が今回のエピソードにぴったん。らんらもじぴったん。カクカクなのに、渦とかのイメージはむしろまるいぐるぐる。


夢の工具箱ネジ田さんが付けてるのはにわかせんべいだっけ。ハリケンジャーのサタラクラに似てる気がするっちゃ。
ヘボット、赤ちゃん返りの巻。電話番みたいに家事も当番制なのかと思ってたけど、聞いてる感じはヘボットが主だってやってるのね。11歳なら仕方ないけど逆になんでヘボットはこなせるんだろ。改めて考えてみると不思議の国のキリギリス。ディズニー製作の『ファイアボール』ってギャグアニメはめちゃくちゃ面白いのでおすすめ。笑いの合間にシリアスな世界観が垣間見える感じは通ずるものがあると思う。1話1話が短くて見やすいし。

 

物好き呼ばわりされてたけど、ヘボットなら全然お世話したいかもしれん。自分のためにわざわざ何かするのはなんかどうしてもバカらしく思えてしまったりするので、「自分が生きてるのはこの人のためだ」って言えるような存在が欲しゲッチュ。
うちの祖母がまだいた頃、彼女はよく僕の洗濯を"やってあげ"たがったんだけど、ボケもあってか任せると結構な頻度で靴下がどっか行っちゃったりするので、正直自分でやった方がはやい。でも誰かに必要とされたい気持ちは分かるので、時々"やらせてあげ"てた。福祉の仕事はやり甲斐あるって言うけど、裏を返せば要介護者はいるだけで人にやり甲斐を提供できるということ。今回で言えば、イノシローの夜泣きがあったからネジルはイノイノネジで遊ぶことができた。助ける/助けられるってアクセラレータじゃなくて、実は意外と支援する側が助けられてることも多かったりする。
(参考:侍戦隊シンケンジャー 第三,四幕「腕退治腕比/夜話情涙川」 感想)

 

コダックさんのダディボア参上。正直僕は自分の遺伝子を継いだ子供が欲しいって感覚はまるで分からないし、つらいことが多いの分かっていながら生む気持ちも理解できない。ダディボアもみんなを幸せにはできてない訳で、そんな分不相応な量の子を設けるのは倫理的にいかがなものなのか。
玩具的には、イノイチロー以外は目に色がなくてちょっと寂しいので、黒いペンで塗ってあげるといい感じになります。そんな難しくないし(ノシ)。

彼の鼻息の能力はどういう繫がりなんだろう。かたいところで行けばやはり一直線ってこと? 丸いものが嫌いと言いつつ本人は割と丸いことに気付いてないのだろうか。まぁ見えんしな。シナンジュ! それが大人の特権だ。
角が立つのは人を傷付けてしまうということでもあるので、そことも関係あるような。十二支の"最後"が亥なのは流石に偶然だろうけど。丸は安全、宿題大好き。ネジルにも鼻息当たってるけど変化しないのはテツトモ ネコトモ。
ニチアサカクカク繫がりと言えばやはりジュウオウジャー。マイクラにも通ずる話かもしれないけど、僕はあのキューブにしないといけないからこその制約があるアニマルモードのデザインがすごくかわいくて、苦労も垣間見えるから好きなのよね。正直触ったことある戦隊ロボの中では一番。四角には安定のイメージがあるけど、よく考えたらそれで安定するためには周りのやつも四角くある必要があって、丸や三角の上には置けない。それに比べると球は外的要因に関係なく、中心から等間隔っていう内的な安定を持っていると言えるのか。綺麗に片方だけ削って行け!


ゼロワンの感想でもした話だけど、赤ちゃんは親のことを「自分の一部」だと錯覚する。僕ら大人は通常、何かしたいことがあれば自分の体でもってなす。しかしヘボットが「いもチン持ってきて」と言っていたように、赤ちゃんは自分じゃ何もできないので、泣くことで親にやってもらう。
すると赤ちゃんは、自分の思い通りに動く親を、僕らで言うところの手や足と同じようなものだと"錯覚"する。自分の意志で動かせる自分の一部なのだと。
でもそうじゃない。親は自分とは違う一個の人間であって、実際は思い通りにはならない。大きくなると「抱っこして」と言っても自分で歩くよう諭されるようになり、子供は不満を抱きながらもその事実を少しずつ受け入れて成長していく。
人と関わるということは大なり小なりそういうことであって、自分の欲求だけを押し付けるのではなく、相互に歩み寄らなきゃいけない。ネジルはイノイノネジを使うためにやりたくないのであろうお世話を手伝うし、そのついでとはいえヘボットの溜まっていた鬱憤を晴らす手伝いもしている。なんとも勉強になるアニメヘボなぁ。アニメじゃないよ、ほんとのことさ!

(参考:仮面ライダーゼロワン 第9話「ソノ生命、預かります」 感想)

 

イノシローの髪型は氣志團かな? 「喧嘩上等」は知り合いの女の子がハマってて聞かされた記憶がある。うちの親は新興宗教に入ってて中学くらいまでは付き合ってたんだけど、イベントとかに行くと親たちはそっちにかかり切るので、宗教には興味ない余った子供たちは、独自のコミュニティをつくるのね。その女の子の姉妹や、男の子もいたし、低学年の子が多かったのでよく面倒を見ていた。と大人は言うんだけど、僕はただ一緒に遊んでただけなのだ。精神年齢へ未だに5歳といわれるくらいなので、小さい子は波長が合う。僕も小さい頃は同じく年が上の子供世代に遊んで貰ってたなぁ。懐かしい。
高校あがってからはほとんど顔出してないので、微妙に会いたい気持ちがある。年数的にはもう中学か高校言ってるくらいだろうか? 子供の成長ははやいなぁ……見てないケド。海が死んだって山が死んだって、夜は短し歩けよ乙女

 

MAL360はHAL9000Xbox360のダブルモチーフだろうね。ゲーム機の方は名前しか知らないけど。基本買って貰えなかったから、ゲームはそんなにやる方じゃないし。DSとかプレステみたいな超有名どころしか分かんないな。PSVRに対してのオキュラスクエストみたいな、知る人ぞ知るマイナーハードってイメージしかない。できるソフトもまるで知らん姉ちゃん。
代わりに『2001年宇宙の旅』はこの間教養の為に見たので話せるよ。アプモンの主人公のハルってのも、この作中に出てくるAI、"HAL"が元ネタと思われる。そう、全体通してAIの話なので、ゼロワンを見る上でもかなり参考になる名作。
人間とAIはつくる/つくられるという意味で"親子関係"の比喩として使われることも多いので、そういう意味でも今回のエピソード(ダディボアと赤ちゃん)を象徴している。
ミスをしないと言われていたHALが一度だけミスをして、そこから人間が不信感を抱いて……みたいな話なんだけど、HALのミスは同時につくった"人間"のミスでもあるはず。今回のイノシローの反乱も、彼自身の意志でもあり、ダディボアの監督不行届でもある。
どっちが悪いとかどっちが先に手を出したかとか、そう簡単に割り切ることができないのが親子丼というやつなのだ。天丼じゃないヘボ?


正直ダディボアは(生んどいて)無責任過ぎるし、イノシローの寂しさを無視して丸いか四角いかの話しかしやがらないのであんまし好きじゃない。結果的にはイノシロー本人の気は済んだみたいなのでいいけど。
モチーフから分かる通り、MALが反乱を起こした。だから言ったじゃないですかぁ……ドンデンドンデン。更には宇宙文具まで。
天津「道具に意志など必要ない!」
或人「あいつらは道具なんかじゃない!」
AIものが根本的なところで描いてるのは、概ね「用済みだからって簡単に捨てないで」みたいな話であって、これって日本で言うところの"付喪神"の系譜にあると思うのよね。
大事にされたものには心が宿るし、粗末にされたものは恨みを宿す。AIである意味というのは、そういう根っこではスピリチュアルな話を現代の世に説得力を持って描くための舞台装置という側面が強い気がする。シ マ ウ マ し ま し まー! 桜舞う空を飛ぶ、トンボのパイロットがツバメに食われてサンスター。バイクだけに、ブンブン! 絡みづらいテンションなり……。


丸は循環、カクカクは一方通行を表してる?
何度も繰り返す覚えゲーを否定して突っ走る様を思うと、ダディボアが言ってるのは「何度も繰り返すのではなく一度きりゴリ押しの方がいい」ってこと……とも取れる? でも、それなら彼がヴィーテ側についててしかも周回組なことと矛盾するから、飛躍してるかな。
どうして若干無理のあることを分かっていながら考察モドキをするのかって? それは僕なりの愛ですよ。
「そんな汚いものはいらん!」
(流れ出すグーチョキパンツの正義さん)

 

 

ヘボット!感想一覧

前話

ヘボット! 8話「決戦! ノリノリヶ島」 感想

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