やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

未来戦隊タイムレンジャー Case File2「見えない未来」 感想

キャラクター

 浅見竜也
・未来の解釈
竜也が言ってるのって、基本的にただ"決まってる何か"に反発したいってだけのことなのよね。そこが薄っぺらい。何か明確に、渡とは違う自分の望む未来があるとか、そういうことでは今のところない。アンドロイドがとにかく目先の「人間からの解放」ばかりを唱えて、その先で何がしたいのかを考えてないのと似ている。なんでも屋家業だって別にどうしてもそれがやりたかった訳じゃないだろうし、彼の"目標"……ゼロワン風に言えば"夢" というものが見えてこない。
最近僕は就労支援施設に通っているのだが、仕事の内容そのものというよりは、ただ「自分の意志を挟む余地がない」ということにストレスを感じているフシがある。そもそも選択肢が与えられず、とにかく「この仕事をやれ」と言われるととても苦痛なのだが、いくつかある中から自分で選んでいいと言われると、例えその仕事内容がどれもつまらないものであっても、マシなものを"選んだ"という事実があるだけで幾分か気持ちは落ち着く。やりたくもないことをやらされているというのは変わらないはずなのに、不思議なことだ。
もう少し通じやすいところで言うと、ネタバレ。僕は割と好きな方なので自分から積極的に探しに行くんだけれど、Twitterとかで"不意に"目に入るのはとても腹立つんだよね。これも意志の有無で感じ方が変わる良い例だ。
「歴史じゃないし、未来じゃない」というのも、謎の説得力こそあるけれど、これって結局はただの言葉遊びに過ぎない。確かにあの石ころにはそんな大仰な表現は似つかわしくないが、実際のところ、そういった小さなことの積み重ねが歴史や未来な訳で、パラフレーズしたからと言って実質的に何かが変わったという訳では、実はない。
「我思う故に我あり」に似てるって言ったら、それはそれで面白いだろうか。デカルトの著書を読んだ訳じゃないのでアレだが、まぁほとんどの人は読まないままで単体でのこの言葉にある程度の説得力を感じてるんだろうから、そのまま話すけれど、ここでの"我"という言葉が指しているものってそれぞれ微妙に違って、「自分(我0)は果たして実在するのだろうか」と思案している我1と、そこから導かれる仮定的存在としての我2がいるのね。この3つを"我"というひとつの表現でまとめることによって同一視し、循環論法的に、これは疑いようのない"原理"なのだという錯覚を引き起こす。"思う"とは何か、"ある"とは何かという命題に対する答え(思っているならばあることになるのか)は、少なくともこのアフォリズムには入っていないので、従って我々がこれに感じる正しさというものは、端的に言えば「言葉の綾」による空想の産物に過ぎない。
ここでシンケンの感想にて詳しめに話した「世界は言語によって創り出される」という観念を適用すると、幻想でしかなかった希望にリアリティが付加される。ロンダーズ逮捕や30世紀に帰るための何か具体的な解決策が見えた訳ではないが、竜也の演説によって4人は勇気付けられてやる気を出し、実際に囚人を一人圧縮冷凍することができた。
何の意味もなかったはずの言葉遊びに、確かな意味が生まれた瞬間だ。これは自由意志という幻想についても同じことが言える。
(参考:侍戦隊シンケンジャー 第五,六幕「兜折神/悪口王」 感想)

・うっかり
タイムレンジャーのスーツがゼロワンのように機械と接続し、脳に直接情報をインプットすることができるのは描写の通りだが、その上で竜也はリバウンドを抑制するシールの存在を知らずに攻撃して、ジェッカーを巨大化させてしまう。正直被害の規模を考えればあるまじきミスだが、果たして無知は罪なのか。
少なくとも竜也が自らの意志の元に、即ち意図的にやったことでないのは明白だが、それが必ずしも免罪理由となる訳ではない。
情報が目の前にあったとて、それが目に入り意識されなければ意味はない。脱出ゲームとかで、謎は解けるのに必要なアイテムが見付からなくて進めない……なんてことがあるように、僕らの意識は気付かない内に膨大な情報をスルーしてしまう。装着者とは別にシステムが気付いて警告するなりなんなりしてくれればいいんだけど、どうやらそんなものはない様子。
これもまた仕事の話だけど、作業中に痒かったもんだから何気なく手の虫刺されを掻いたところ、血が出てきてしまったのよね。製品に血がついちゃったらまずいというのは分かるし、虫刺されを掻くと血が出ることがあるというのも知ってるが、その2つが脳内でうまく繋がらず、まずいことになるという発想には至れなかった。そんな風に自分が思いも寄らないかたちで迷惑をかけるのではないか、或いは既にかけているのではないかと思うと、怖くてたまらない。自分の存在を消してしまいでもしない限り、自分による迷惑の発生を完璧に防ぐことはできない。難し過ぎる。


 ユウリ
・優しい
1話から"できる人"って感じで、今回も若干冷たいというか冷静なイメージが持たされてるんだけど、その中で竜也を気遣いドモンを諌める様子(04:20)があって、細かいけどかなり彼女の印象を良くしている。


 ドモン
・未練
タイムレンジャーは一応形式的には2周してるんだけど、仮面ライダーほど真面目に見てた訳じゃないので、あまり覚えてる自信がない(仮面ライダーもすぐ忘れるしな)。そんなうっすらな記憶を踏まえた上で、ドモンが一番30世紀に帰れないことを憂いてることを見るに、他の4人と比べると、彼には帰る場所や待っていてくれる人がいるのかもしれないな。
僕は黄色好きだし前に見たときにドモン自身も好きになってるのでいいけれど、現状だけ見た場合、ともすると「自分のことしか考えてない」なんて風に取られ兼ねない。


 ロンダーズ
・爆弾魔ジェッカー
彼はテントウムシがモチーフらしい。どことなくジャスティライザーのカメのメカみたいだなぁとか思ってたけど、言われてみれば確かにそうだ。頭にも太陽(お天道様)が描かれてるしね。またテントウムシ(Lady-bug)は聖母マリアを意味してもいる。
太陽と言えば時間という概念とは切っても切り離せない。元を正せば1日というのは太陽の動き(地球の自転周期)を元にした数字な訳で、1年という単位もまた季節(太陽の角度,公転)と密接に関係している。謂わば太陽は"時間の母"だ。
だが今では精緻な時計がつくられ、例え太陽が見えなくなっても時間という概念は消えることなく、正確に受け継がれることが可能だ。親を殺してもすぐ子供が死ぬことにはならないように、もはや時間は太陽から"自立"しひとり歩きを始めている。この構造はテーマとなる自由意志とも繋がっている。
・堂々
だいたい脅迫犯って「警察にチクるんじゃねぇぞ」みたいなこと言うじゃん? あれコスいなぁと前から思ってたんだけど、このジェッカーは未来の怪物で、現代の警察なんかじゃ歯が立たない、だからビビる必要もない(むしろ楽しんでる)ってのは、見ていて気持ちが良かった。凶悪さがよく出ている。
金のための爆弾ではなくただ純粋に爆破のための爆弾ってのも、無背景的で面白い。

 


設定

・増援
「現地調達の増員なら問題ないでしょ」とのことだが、そもそも20世紀の人間にクロノチェンジャーを持たせておく訳にはいかないって話じゃなかったっけ。
タックが30世紀と連絡を取って状況が変わり、そんなことは言ってられなくなったってことなのかな? しかし、人間なんかよりよっぽど派手なタイムジェットがOKというのは、なかなか納得しがたいものがある。リュウヤの独断なんだろうか。確かに巨大化した囚人とタイムロボでバランスが取れてると言えば取れてるような気もするけど、じゃあそもそも3人(+ゲスト怪人+ゼニットたち)のファミリーと5人のタイムレンジャー(+タック)は釣り合ってるのかと考えると、微妙な気もする。でも実際30世紀が消滅せずに済んでる以上、わざわざ2人戻すってのも変な話ではあるか。


演出

・バッ
アニメとかでよくあるものだけど、まぁごく普通に考えたら、上着はともかく下のシャツやズボンまで一瞬で脱ぎ捨てるなんてことは不可能よね。これも一種の"変身"と言えるかもしれない。
こんなことわざわざ取り上げて何を話したいかと言えば、普段僕らは自覚している以上に、作品に歩み寄っているということ。横のクウガがやたらめったら"リアリティ"を重んじているけれど、根本的にというか原理的に、やっぱりどこまでいってもドラマはドラマなのよ。現実には現実のリアリティ、ドラマにはドラマのリアリティがそれぞれある。「上着だけ脱ぎ捨てる」という映像を見れば僕らは「あぁ着替えたんだな」と分かるし、敵に吹っ飛ばされたら背景がガラッと変わってるみたいなのも「移動したんだな」と了解できる。必ずしも現実に即した表現をする必要というのはなくて、フィクションなりの描き方をすればいいのだ。このわずか20分とかそこらの時間で、本当に20分間の出来事を描いてる訳でもあるまいし、必ずカットしたりデフォルメしたりする必要は出てくる。"ドラマ"を見ておきながらそういった部分に突っ込むというのは、大人気ないような気がする。

 

 

戦隊はかなり長い間、デジタル撮影にもシンクロにもならないのよね。クウガと同時期の作品とは、映像からはとても思えない。これも僕が戦隊をあまり見ない理由のひとつではある。どっちが良い悪いという話ではなくて、ただそういう"作風"で、それが僕に合わないというだけで。タイムが面白いのは知ってるので普通に楽しいですけどね。テレビにキャストすることでまた見え方も違うし。

 

前話

未来戦隊タイムレンジャー Case File1「時の逃亡者」 感想