やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

魔進戦隊キラメイジャー エピソード9「わが青春のかるた道」 感想

キャラクター

 熱田充瑠
・「本当にそうなのかなぁ?」
彼っていつもこう言ってるイメージ。本質を見抜く力がある、と捉えることもできるけど、"作者"だからこそ全部分かった上で「分かったような」口を聞けるんだろうとも思う。
ジオウもそうだったけど、長く制作に携わってると普通気にしないようなご都合主義にまで理由を求めたくなるのかね? 今回も、ドラマとしては流されて当然な真木埜との再会とヒャクニンイッシュ邪面師の出没が重なる偶然に対して瀬奈がツッコミ入れてたし。これも、充瑠という"作者"の存在を立てれば解決する問題なのよね。充瑠の発案だったはずのキラメイジンやキングエクスプレスがクリスタリアに言い伝えられてたことからも分かるように、思ったより前面に出してきてて、もはや特に気付いたからと言って偉くもなんともないけれど。
しかし、その可能性を思い付けてない人にとってはそれこそ「設定ガバガバ」に映りかねない描き方で、挑戦的だなぁ。一応作中でツッコむ(魔進って充瑠のオリジナルコンテンツじゃないの?)というよくある技法で「ちゃんと考えてますよ」アピールはしてるものの、こうも立て続けだと見放されちゃうんじゃないかと、見てるこっちがヒヤヒヤしてる。ライダーと違って戦隊は、大人的にそこまで注目も期待もされてない印象なので(視聴率も低いしブログ記事のアクセスも伸びが悪い)、その辺は見る側が緩いのかな。

(参考:魔進戦隊キラメイジャー エピソード1「魔進誕生!」 感想)


 速見瀬奈
・それはアリなのか?
確かにフェイントかける真木埜もセコいけど、ろくに句を覚えず他人の知識を当てにして札取る瀬奈も割とセコくないか? 小学生時代に教養の一環として半年ほどやってたことがあるが、その程度の初心者にとっても決まり字くらいは常識。普通のかるたは大体五十音が一対一対応してるけど、百人一首はそうじゃないので、必然的に、最初の数文字は様子を見ないといけない。とか偉そうなこと言いつつ、僕がやってたのは朝の会の余興程度でかなり低レベルだったけどね。クラスメイトのほとんどは嫌々やってたし勝てなくても大して気にしてない様子で、当然句なんか暗記せず、普通に下の句を聞いてから取る人がほとんど。記憶力のいい人だけが自然と(或いは努力して)覚えるくらいで、実質的には"裏技"のような扱いだったと言ってもいい。
僕はそうやって記憶力で勝負してたので瀬奈に対して「セコい」という感情を覚えたが、これって向こうからしても同じことなのよね。まぁ、普通のかるたに慣れてたら「"取り札の字"が読まれる前に取る」ことの方がよっぽどズルく見えても仕方ない。実際僕も、始めたばかりで経験者とやったときはそう感じたし。
そもそもこのルールに"意味"を見出そうと考えるなら、本来問われるべきは上の句から下の句を想像し、意味の繋がりを考える力ではないのかと、当時から思ってはいた。そこに"たったひとつの正解"というものはなく、むしろ大喜利のような形で新たな組み合わせの歌が生まれたりもする、そんな知的な遊びこそがあるべき姿で、暗記ゲーム……況してや札の位置によって左右される"運ゲ"であってはならないのではと。
でも、ゲームって究極的にはそういうものだよね、どっちが勝ちかはルールの定め方次第。本質的なところでは意味なんてなくて、突き詰めればただ片方に勝ち、もう片方に負けの名を与えるだけの行為だ。そういう意味で、エグゼイドのガシャットが最も単純化された"ゲーム"のかたちとして、ランダムで「ゲームクリア/オーバー」の音声が鳴るだけというのを提示したのは、非常に的確だ。
瀬奈の態度も、百人一首のルールを破らない中で生き残るための"攻略法"のひとつだ。
また、あのフェイント事件は2人の信頼関係を表してもいる。真木埜は瀬奈の速さを、そして瀬奈は真木埜の知識を尊敬している(と共に恐れている)からこそ、あのような結果になったのだと捉えられる。そう見ると瀬奈に対する"セコい"感情も多少はやわらぐ。
瀬奈は単純に、記憶力が悪いんだろう。普通、フェイントにしたって何度もやられたら悔しさも手伝って学習するだろうに。あんな子供の頃からやってるなら尚更。もう彼女はただ百人一首には向いてないだけなのではとも思うが、実際速さだけでそこそこなんとかなってたんだろうから、それを言うのは無意味というものだろう。
逆に僕は数学の公式などを暗記で済ませる人を嫌ってもいた。自然に覚えるのはいいとして、まずは意味から、できるなら生成から攻めるべきだと。もし実際に困っていないのであれば、それはもうどっちが正しいとかそういう次元の話ではない。
もう少し別の話として、本来「相手の動きから札を読む」というのは、瀬奈自身も2枚3枚のところまで絞り込みができた上で「こっち側に手を伸ばしたということは」というアバウトな情報が加わることで初めて分かるのであって、そもそも上下句ともに全く分からない状態で、あの50枚近くある札から邪面師が狙った1枚を判断するのは、相当手が近くにいかないと難しいと思われる。すなわち、スピードだけに特化した彼女は、それだけ相手の動きをじっくり見てから動いても先に取れてしまうほど速い、ということになる。そらすご過ぎるわ。
……というのはいいとして彼女、元気なのは結構だけれど、若干音割れし気味なのはなんとかならないものか。今回で言うと「嫌なものは嫌なんだってば」のとこね。


 ヨドンヘイム
百人一首
これは和歌というか芸術的なもの全般に言えることではあるんだけれど、風景に自分の心情を重ねる行為というのは、僕が先日まで読んでいた井筒俊彦『意識と本質』という本で詳しく論じられていたことでもある。
簡単に言えば、ダブルミーニング
叙事的な側面のみを抽出し「川の流れは石に遮られ分かれても、またひとつに戻るんだなぁ」とだけ言われても、「そうですね。それで?」としかならない。本当に理解するためには、その奥に隠された「その流れのように、私とあなたもきっとまた逢いましょう」という意味を読み取る必要がある。
これは、ゼロワンの感想でした"粋"という概念にも通じてくる。服装と、そこに隠された思い。
小6の時に、好きだった女の子に告白をした。手紙という形式でさえ直接的に表現することをきらった僕は、彼女との間でクイズを出し合うことがブームだったのを利用して、意味のない縦書きの文の一番上を横に読むというだけの簡単な仕掛けに思いを潜ませて渡した。
伝えたいけど、伝わってしまったら恥ずかしい……そんな矛盾に満ちた僕のせめてもの勇気は、結果的に言えば「答えが分からない」とはぐらかされてしまった。
これらの構造は、特撮ヒーローと深い関わりがある。言わずと知れた「変身」だ。
ただ川が流れる様子を書いた文が恋心を表す文にもなるように、ただの人間が超人的な存在へと変化する。
もう少し分かりやすく中間的な例を上げるなら、"変形"もある。川と同じ"モノ"である車が、"ヒト"に変わる。
これらの事象はなべて、物事の本質を"分かりにくく"するベクトルの力だ。ヨドン軍の象徴たる「仮面を被る」という行為も同様。
単純にそれが日本の美的感覚なのだというところで打ち止めても良いが、もう少しだけ話を進めると、これらは「物事を多面的に見る」力を訓練する意味があると捉えることができる。
すなわち、奥ゆかしさを是とする文化の背景には「何事でも簡単に分かった気になってはいけない」という哲学思想が流れている、のかもしれない。
「うかりける……はげしかれとは……」の句は、現代では「うっかりハゲ」などと言うくだらない語呂合わせで知られているが、これもまたその句の持つ"一面"である。
この多面性、或いは解釈可能性を認容する姿勢こそ、和歌に象徴される日本文化の特色だと言える。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 


ヨドンヘイムって名前から考えると、邪面師やクランチュラも、元を辿ればガルザのような外部から入ったメンバーなのかな。キリスト教はなんとなく概要を掴めてきた気がするけど、北欧神話はまだまだ分からないことだらけ。ディケイドを読み解くにあたっても重要なものなので、勉強しなきゃなぁ。

 

前話

魔進戦隊キラメイジャー エピソード7,8「トレーニングを君に/エクスプレス電光石火」 感想