やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第30話「やっぱりオレが社長で仮面ライダー」 感想

キャラクター

 飛電或人
・ゴミ拾い
普段はこういうことあんまり大っぴらに言う方じゃないけど、僕「ゴミみたいに捨てられてる人間」っていうシチュエーションがすごく好みなのよね、ゾクゾクする。今回のはヒューマギアだけどさ。いわゆる性癖、みたいなやつ?
でも実際あんな風に人が倒れてたら、どうするだろうね。
僕だったら……自分の意思で座ってたり寝てたりしてるなら放っとく気がするけど、のっぴきならない某かによって不本意にって感じなら声かけるかなぁ。
むしろ僕は倒れてる側の方が多いかな。ちょうどエグゼイドの映画を見に行った時だったと思うんだけど、映画館に着いてから財布を忘れたことに気付いて、ガッカリしてか帰る途中ふらっときて、自転車ごと草むらに転げ落ちた。なんかすごく疲れてたのでそのまま寝てたんだけど、その時は心配してくれた通りすがりの人が救急車を呼んでくれて連れてかれた。特になんともなかったのでちょっと点滴うって貰って帰ったけど、なんであのまま寝ようと思ったのかは覚えてない。とにかくすごく疲れててぼんやりしてた。
後はあれか、これも精神的にすごく疲れてた時で、公園で遊んでる子供が放ったシャボン玉をふらふらと追いかけていったんだけど、なんと道路に落ちても割れなかったのよね。割れないシャボン玉ってやつ。気になったのでそのまま歩道に座り込んで、小一時間ほどずっと観察してた。この時も心配した人が何人か声かけてくれたかな。「帰りの電車賃がないのか、ないんだな」と一人合点して400円ほど問答無用にくれていったオジさんとか、「悩みとかあるなら話聞くよ」と言ってLINEを交換して駅まで送ってくれた女の人とか。結果的には大して話さなかったけど。世の中にはいい人っていっぱいいるもんだ。
と思う反面、都会では道を訊ねようとしても無視されたとか、それこそ疲れ果てて草の上で寝てても誰からも声かけられなかったとか、そっち方面の経験もあるのでなんとも。おまわりさんは縁石に座ってただけで声かけてきたけど。
最近行くようになった地域にはいわゆる"こども食堂"みたいな「お腹を空かせた子供に無料でご飯をあげる」施設があるんだけど、その旨の張り紙を見る度になんとなく嫌な気分になる。
言ったところで仕方のない話だけど、自分が子供の頃、自分の行動範囲内に何故これがなかったのかと。
盗み食いをした罰として割と頻繁に食事を抜かれていて、まぁ盗み食いしなきゃいいじゃんってのはごもっともなんだけれど、何故だかやめられなかった。冤罪の時も結構あったけど。
学校のある日は給食があるから朝夜食べれない分おかわりして食い溜めできて、今でもなんとなく「食べれるときに食べておけ」みたいな感覚がある。だからというか、長期休みは嫌いだったな。最悪何も食えないし、家にいる他ないし。友達はいたから学校生活は楽しかったけど、「遊びに行ってはならない」という無言の圧力を感じていたのよね。子供って目を離すとろくなことをしないから、しっかり見張っておきたいじゃない。そんな感覚。
家にいるのはとにかく苦痛だったなぁ。母さんいない時は家に入れてもらえず(中にいると盗み食いするので)家の外で帰りを待つしかないし、いたらいたで気まずいし。
「自分は助けてもらえなかったから、誰かが助かるのを見るのが腹立たしい」なんて気持ち、醜い。頭では、全ては無理でもなるべく多く助かればいいと思うけど。
「誰かを助けるということは、誰かを助けないということ」なんて有名なセリフがあるけれど、誰かを助けようとする人が何故そんな風に苦しまなくちゃいけないんだ? その人の手が届く、できる範囲のことをして、それで何が悪い。ないものねだりはキリがない。
マスク配布、いいじゃないか。みんな欲しがって品薄になってるんだから。感染者の個人情報も、欲しがってる人がいるから出るんだろ。頭のいい対応をしたとして、その意図をきちんと汲み取り理解できると普段から示しておかない方が悪い。
ゼロワンがつまんないのは、楽しむ努力をしないからだ。僕はAIについて勉強したり思索をブログに書き起こしたりして、十分楽しめている。アンチでさえウィットな皮肉を言ったり腹立つ気持ちを共有するなどして楽しんでる。「楽しむ努力をしようと思わせてくれないゼロワンが悪い」とほざくのも勝手だけど、自分の好みのところで口を開けて待ってるだけで他の人が持ってきてくれるのを期待するなんて、馬鹿馬鹿しいと僕は思うね。
望む通りになるのは当たり前じゃない。助けてもらえるのは当たり前じゃない。
その人にどうしても助けて欲しいなら、媚を売るべきだ。少なくとも、嫌われるようなことはしないように振る舞うべきだ。
支援してもらう為には、同情してもらう必要がある。そのひとつとして「頑張ってる」というアピールがあって、感動ポルノはそういう意味では確認行為として役に立つ。
頑張ったと思わずに人を助けられるほど余裕のある人はともかく、頑張って助けようとする人の労力が頑張って助かろうとする人に向けられるのは、正しいかはさておき自然なことだろう。
ギブアンドテイクは世の条理。素直に助かってくれる人の方が、助ける側としてもやり甲斐や達成感は得られやすいはず。
頑張ってる人に文句言うならお前も相応の努力をしろ。軽い気持ちで人の足を引っ張るな。
久々にめちゃくちゃ感情込めて書いた。疲れた。
・矛盾/葛藤
具体的な話をすると、初期からあった「ヒューマギアは夢のマシンだと言いながら壊す矛盾」については、僕は割と肯定的な立場をとっている。
「もし暴走したら仮面ライダーが助けてくれる」という安心がなければ、ヒューマギアはもっと早くに見捨てられていたことだろう。暴走して壊すしかないなら壊す。レイダーはわざわざ殺さなくても止められるので殺さない。マギアも戻せるようになったなら壊さない。この基準は納得できる。
相模原の障害者殺傷事件で一番問題なのは、加害者もまた"障害者"と呼ばれ得る存在だったことだ。
僕はそもそも"犯罪者"という概念自体を「現代社会の法に適合できなかったという意味での障害者」だと思ってるけれど、実際障害者は人に迷惑をかけてしまうことがある。
前にも言ったように、僕は先日消し忘れが酷くて危ないからとストーブを没収された。迷惑をかけるかもしれない人を受け入れるためには、責任を持って対処する人が必要だ。ストーブなら忘れず消してくれる人が、暴力なら抑え込める人が。
或いは、受け入れず隔離するしかない。「社会的入院」というやつもそう。
少なくとも僕は、自分がそういった不安から自由を奪われるのだとしたら、それは仕方のないことだと思う。代案もない癖に文句だけ言うことはできない。
(参考:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)

・ヒューマギアの死
今回、これまでと比べるとかなり分かりやすく或人の考えが述べられていたように思う。
「一番は、バックアップがなくなることが悲しい」だ。これは確かに彼の言う通り、人間の死と同等の意味を持っている。
その上で、死と生の間にはどっち付かずの状態がいくつかある。
直る範囲の機械的な故障、直らない機械的な損壊、直る範囲のデータ的な破損。
これらに対する或人の立場は「全部悲しいしできることなら避けたいが、バックアップがなくなるのと比べたら受け入れられる」となる。
例え身体障害を負っても「命は助かってよかった」と思うのと同じで、本質的には人間と何も変わらない。見え様が少し違うだけ。
データがないが見た目が同じ2号機(マモル,ニギロー,ジーペン…)のようなケースは、人間に例えると植物状態だったり、記憶喪失や酷い精神障害("もはや別人"と感じ得るようなもの)が挙げられるだろうか。
ヒューマギアの同一性はソフトウェアかハードウェアの"どちらか片方"にだけ宿る……という感覚は、僕は支持していない。
水槽の脳という思考実験があるが、実際に意識が脳だけによって生まれているかは諸説あるらしい。「体が覚えている」みたいな表現の通り、意識に必要な要素は全身に散らばっている可能性がある。と言うと五体不満足の人には意識がないのかという話になりそうだが、そういう極端な話ではない。
同じ育てられ方をした双子が似るように、また健全な精神は健全な肉体に宿ると言うように、体が同じならば精神的にも同じ(少なくとも類似)であると見なすことができるのではないか。科学っぽく言うなら、自己の"情報"は遺伝子の組み合わせという肉体的かつ物理的なものに大きく左右されるのだから。
逆にこれを認めないのであれば、「では何故昨日の自分と今日の自分は同じと見なすのか」という話にもなってくる。同じに見えても体は刻一刻と代謝を行っている。ヒューマギア同様、一生の中で交換されないパーツなど数えるほどしかない。それを拠り所にしようとしても、例えばじゃあその"珍しく変わらない部分"を手術などによって代替してしまった人は、以前のその人とは違うと見做されるべきなのか? という問題が残る。腕を失った人が腕の大切さを理解するように、虫歯になった人が歯磨きちゃんとしようと改めるように、体が変われば考えも変わるが、そういった変化は「個人の誤差」として処理される。
万物流転、「変わらないものなんてない」のだ。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

・つまらなくてもいいじゃない
自分の身を守るためにわざわざプログライズキーを仕込んでた……というのはあまりにも突飛な発想に思える。それよりはいつものように、「データが出た!」というギャグを披露したいがためにやったことが、結果的にうまくハマったと考えたほうがしっくりくる。"遊び心"のなせるワザ。
もちろん、イズを守るために咄嗟に飛び込んだ瞬間は、仕込んでたことなど忘れていたのだろう。
オーソライズ
イズを道具として切り捨てようとする天津に対し、それを守ろうとする行為を以て"社長の資格"を示し、ゼロワンに変身する一連の流れ、実は会社じゃなくて個人の所有物だったとか新しい会社を立ち上げたとか言い訳くさい細かい理屈なんかよりもよっぽど"説得力"を感じた。
シンケンジャーの殿様やジオウの王様もそうだけど、社長が社長である為に最も必要なことというのは「他者に社長と認められること」なんだから。少なくともイズの他に僕は、変身することを認証しました。

(参考:侍戦隊シンケンジャー 第一,二幕「伊達姿五侍/極付粋合体」 感想)


 天津垓
・代わりなんてない
いやいやいや……ザイアスペックはザイアスペックで長所があるものだけど、ヒューマギアの代わりにはとてもならないだろ。AIってだけの共通項でくくれるモノじゃない。
ヒューマギアの一番の魅力は「他人任せにできる」ことだろう。例えそう認識していなくとも、それまで自分がやらなくても良かったあれこれを「思考サポートはするから自分でやれ」と言われたら、それはもう面倒くさくて仕方ないと思うよ。
僕は割となんでも他人任せにできないというか自分でやりたがる方なので、ザイアスペック向きの人間。
ご飯の支度とか、親がやると嫌いな盛り付け方(例えばハンバーグとサラダを同じ皿にのせた結果、ハンバーグのソースが意図せずサラダに付いてしまうなど)されたりして、僕も腹立つし親の方もせっかく用意した手間が無駄になるので、お金だけ貰って自分で用意することにしている。
こういう僕みたいな人は、自分でやりやすいようにレシピを考えてくれたり切り方を教えてくれたりするサポートがあると有り難いけれど、お任せすることに満足している人は、例え適切な包丁の使い方や炒め方などを丁寧に教えてもらったところで、「自分でやろう」とは思わないのではないか。尤も、一人暮らしを始めた大学生のように、やるしかなくなったら多少はやり始める人もいるかもしれないけれど。


 不破諫
・独善……じゃない?
迅もそうだけど、「お前の幸せはそれじゃないはずだ」という自分の意見を押し付けようとする姿が印象的だった。「ゴリラネタを拾った」みたいなのもそうだけど、何も反発することだけが自由じゃないのにね。
もちろん或人や他のキャラにもある傾向だが、唯阿は唯阿で「これは自分の意思だ」と反論し戦うことができるように、独善と独善がぶつかるのなら、それはもう"独"ではない。歴とした"コミュニケーション"であり、作品の中で均衡点が生まれている証拠だ。

(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)


 刃唯阿
・道具
僕はいくつかAIものを見て悟りました。心があるかどうかは問題じゃなくて、例えそれが完璧な"モノ"であっても、粗末にはするもんじゃないと。それで全て解決する。
「死にたくない。用済みだからって捨てないで」とみんな言ってる訳ですよ。だったら大切にしてあげればいいじゃない。結局あれらの作品群が描いてるのは付喪神的なアミニズムの話の延長線であって、AIであることはその感覚を今風に違和感なく投影させるための舞台装置でしかない。
唯阿も躊躇っていたように「道具だから"粗末に扱っていい"」という考えこそが、話をもっともややこしくしている。
……などと考えていたせいで、ボロボロに履き古した靴をどうしたらいいのか迷っている。「穴が空いてもまだ捨ててないなんて物持ちがいい」と捉えることもできるけれど、「きちんと手入れしていればもっと保った」と捉えることもできる。僕は靴にどう思われてるんだろう。
「あなたの足をお守りできて嬉しいです」というトイ・ストーリー的な人間に都合のいい妄想をするか、「どうして自分がお前の足なんぞのために踏まれ続けなくてはならないんだ」という妄想をするのか。どちらにせよ、大切にしようという思いを欠かしてはいけない。

 

 

2001年宇宙の旅』でHALの死を見て泣き、『Detroit: Become Human』の実況でカーラとアリスの不幸に泣き、ヒロアカを見てエンデヴァーの頑張る姿に泣き……最近泣いてばっかな気がする。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 29話「オレたちの夢は壊れない」 感想

次話

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