やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第22話「ソレでもカレはやってない」 感想

キャラクター

 飛電或人
・「人の人生ががかかった裁判を勝負に利用するなんて」と難色を示していたが、実際は別に五番勝負であるか否かってそんなに大した差ではないんだよな。元々検察は有罪だと信じてそう判決が下るよう努力するし、弁護士は無罪だと信じて努力する。「飛電/ZAIAの名がかかってる」からと言って、やること自体は何も変わらない。事実究明につとめ、それに見合った判決を下すこと。裁判官がどちらかの肩を持ってるとかならともかくね。
そして五番勝負の本質は「いかに(ヒューマギアが/ザイアスペックが)"勝てそう"な勝負を選ぶのか」であって、裁判に付随する「正しい意見が"勝つべき"」とか「事実を正確に紐解けば正しい方が"勝つはず"」とか、そういった観念はあまり重要ではない。裁判が必ず真実を突き止めるのだとしたら、この勝負は最初から飛電が勝つと決まっていたことになる。「被告人がやってないという事実」は、立証されていないだけで既に"ある"のだから。つまり、最も重要なのは「より立証しやすい主張をしている側を見極めベットすること」でしかない。
その点で言えば今回の或人は「冤罪をかけられそうになっている人を助けたい」という気持ちで動いているので、飛電の社長としてはあまり良い判断をしたとは言えない。飛電を守るためには「理想として勝って欲しい方」ではなく「現実的に勝てる方」にかける方が合理的だ。ただまぁ、元々は「ヒューマギアとザイアスペックのどちらが優れているのか」という話であって、飛電もZAIAもそれぞれ「自社製品に勝って欲しい(きっと勝てるはずだ)」という気持ちから動いているので、あまり変わらないんだけどね。
天津が現実を見て「今回はヒューマギアが勝ちそうだからヒューマギアにベットします」とか言い出したら、成立しない。もし「どちらかがスペック的に優れている」のだとしたら、ハナから勝負なんてする必要がない。
原因と結果の間に必然的な繋がりがあるなら、原因から推測できるので結果は見るまでもない。
「ヒューマギアはザイアスペックよりも法律関係のデータを多く持っている」のだとしたら、勝敗なんて関係なくヒューマギアの方が優れているという結論を出すことができる。
でも試合なんて形式にするから、審査員の好みとか、不動産会社の知名度とか、どちらに真実があるかとか、そういうあまり本質的な意味のない個別具体的なことに話がズレてしまう。故に「優れてはいないけど運良く勝てた」ということが有り得る。
僕は「できる」という概念は幻想だという話をたまにする。事実として存在するのは「以前できていた」か「いままさにできている」かのどちらかしかない。
逆上がりを例に考えてみよう。
「自分は逆上がりができる」という人は、過去のできていた経験からきっとこれからもできるだろうと自信を持つ。だができていたというのが昔の話である限り、感覚を忘れるということは十分に考え得る。例え昨日の今日でも「必ずできる」という保証はどこにもない。
100m走に自信がある人でも、コースにでこぼこがあれば話は変わってくるかもしれないし「前に追いかける人がいた方が早く走れる」みたいな人もいるかもしれない。"実際にやってみる"と、この世は不確定要素が多いので結果が安定しない。
それこそスペックを比べるように、100mを走ってみたタイムで比べるのではなく、いまある筋力を比べるとかそういう方法の方が、不確定要素の入る余地は少ないように思う。
元々言いたかったのは「勝負に採用するかどうかは判決に影響を与えないのだから何も問題はないだろう」ということだったんだけど、思わぬところに話が転んだな。
一言にまとめると「比較するなら結果ではなく原因を」ということになるのかな。結果はあくまで参考のひとつであるべきだ。

(参考:LEGAL HIGH カテゴリー)
・「道具であるヒューマギアの生殺与奪権は人間にある」と言われてキレた訳だけれど、実際に或人はこれまでそうやって「普通のヒューマギアは生きてていいけど、マギア化したら殺す」という線引きをしてきたのよね。
壊したくないけど壊さざるを得ないという状況で泣く泣く壊してきた或人にとって、わざと暴走させて壊すなんて所業は目に余ったのだろう。意見それ自体は或人と同じですらあるんだけど、葛藤がないとか開き直ってるとか、そういう態度の部分で気に食わないようなイメージ。この辺は割と心情的に分かるかな。「悩んでる描写がない(少ない)」というのも分かるが、このキレた描写がそれと取ることもできる。「悩んでたからキレたんだな」なのか「キレたってことは悩んでたんだな」なのか、この2つの理解に好き嫌いはあっても優劣はないように思われる。
・「全部あんたのせいだ!」
今回を理解する上で外せないキーワード。
このエピソードで殊更に強調されたのは、最近僕が考えているネタである「"個人"とは仮想的な概念である」ということ。例を挙げだすとキリがないので、自分で探してください。
メタルクラスタホッパー(すなわち天津)のせいみたいな認識になりがちだが、殺すまでせずとも或人は既に彼に敵意を剥き出しにしていた。だから僕はあれを「本人の意思と"無関係"に暴走している」と捉えてはいない。でもじゃあ「或人の意思でやっている」と捉えているかと言えば、そういうことでもない。
「誰の責任」などと考えるのはあまり意味のないことだなと言う前提の上で、ただ事実を眺めている。
或人は天津をボコりたい気持ちと殺すまではしたくない気持ちの間で揺れていて、天津は自らの生んだアークの力が証明される(そして計画が進む)嬉しさと自分がやられる悔しさの間で揺れている。そもそもそのアークの復活も、或人のプログライズキーから戦闘データを取って為されたことだった。
「或人が天津を倒す」という簡単に描けるシチュエーションを、こうも複雑にねじれたかたちにして提供することができるということに非常にうなった。
人は人から、或いは自然から影響を受ける。
「アークマギアは自分の意思で暴走している」と言うが、果たして彼らは"人間から悪意を向けられて暴走すること"を望んだのだろうか。そんな経験をせず、暴れたいなどと思うことなく過ごせたらその方が良かったのではないか。
自由な意思というものは仮想的かもしれないが、条件付きの意思というものはまだ「あるかもしれない」という気になる。
We are the world」という言葉がある。僕らは世界という現象であり、全てはビッグバンの余波に過ぎない。
「人に悪意を向けられ暴走した一輪サクヨ」という概念を語る上で、立花蓮太郎を欠かすことはできない。サクヨというパーソナリティは少なからず立花に依存しており、独立したもの(自らに由来する=自由な意思)では有り得ない。
「サクヨの暴走は蓮太郎のせいか、それともサクヨの意思か」という問答をする意味が果たしてあるのかどうか。事実は事実として、ただ「蓮太郎がサクヨを貶め、サクヨはそれに怒りを覚えた」ということだけだ。
僕は働きたくない。やりたくないと思ったことはやりたくない。今はたまたま父が生活費を出してくれているが、それがなくなったらおそらく死ぬと思われる。或いは、働こうという気持ちが湧いてくるかもしれない。
湧いてくる気持ちというのは自分の意識では制御ができない。叶わない恋だからといって諦めることが簡単なら人は悩まない。僕は『時計じかけのオレンジ』に出てくるアレックスのことを「性欲の奴隷」だと表現する。自らの内に湧いて出てくる「性行為がしたい」という感情に従うだけのマシーンとして、強姦の限りを尽くす。例えばする相手がいない人にとっては、そういった性欲の類は湧いてこない方が幸せなのかもしれない。僕は幸い「性行為がしたいけどできない」という悩みは抱いたことがない。
僕に座右の銘があるとすれば「なるようになる」だと思うのだが、そんなイメージと言えば伝わるだろうか。

 

 イズ
・最近の彼女は、その役割が割と明確化されてきている。
一言で言えば「或人のバックアップ」。支援するという意味もあるが、文字通りの意味でもある。
普段空気を読まずに(周囲を元気付けるために?)ギャグを発する或人が、珍しく落ち込み(?)大人しくしていたところに「いつものあなたならギャグのひとつでもかますところでしょう」と進言し、いつものペースを取り戻させる。

 

 不破諫
・或人を助けるシーン、あれも自他の境界線を壊す描写のひとつだ。
彼が或人を助けるのは、或人がこれまで不破と多少なり関係を築いてきたからこそであり、そういう意味では「或人は自らの行為によって暴走を抑えた」とも言える。
イズと同様、今回の彼らは"或人の一部"という側面が強かった。

 

 天津垓
・笑いながらやられるのはとても気持ち悪くて良かった。見た目としては攻撃されているという意味で受動なんだけど、彼は自らの能動性を信じている。
かと思えば、ヒューマギアが悪意をラーニングしたのは「人間の自業自得であり自分の責任ではない」であると言う。この混沌とした感じがたまらない。

 

 ゲスト
・前回の時点で鳴沢がビンゴを襲って市森に罪を着せた理由というのはなんなんだろうね。理屈で言えば、市森が証拠の捏造をしていたなどとなれば今回の結婚詐欺事件自体が揺らぐので彼の検挙率とやらにも響くと思うんだけれど。
単純に自分がでっち上げた犯人を擁護するビンゴに対して腹が立ったのか、裁判の雲行きが怪しくなったのでターゲットを市森に変えたのか。
・ビンゴに対して誘導尋問だと責めたけれど、市森も「〜あなたはそう感じている(。違いますか?)」と明らかに誘導している。裁判については詳しくないのだが、誘導尋問というのは相手側からの申し出がなければ認められないものなのか? 「今のは誘導尋問ではないか」という発言だって、裁判官に「確かに誘導尋問だった」と思わせる誘導足り得るという。

 


設定

・滅のいる部屋は完全にネットから遮断されているのね。まぁ当然か。アークマギアもゼツメライザーを使用していない(プログラムを書き換えてない)だけで、アークからの接続を受けてマギア化している訳なので、オフラインである限りはどれだけ悪意を抱こうともマギアにはならない。
・記録と記憶の違いってなんだろうね。最近またlain実況を見直しているんだけれど、まだ序盤なのであんまり突っ込んだ話は出てきてない。
ビンゴの(そして多くのヒューマギアの)長所とされているところの「(ゼアあるいはネット上にある)膨大な関連データを瞬時に参照できる」というのは、人間で言えば"暗記"をする必要がないということになるのだろうが、これは記録か記憶か。
記録媒体としての本(あるいは紙とインク)は、その情報を"使う"ことがない。使われるのみである。
では、人は記録能力と別に使う能力というものを持っているだけで、"記憶"という"記録とは異質なもの"があるという観念は幻想なのだろうか。
二次方程式の解の公式だったりスイヘイリーベのような語呂合わせ的なものと、自身の体験。ビンゴの法知識と、腹筋崩壊太郎の視覚映像。
この2つに差異があるように感じるのは、人間だけが特別優れた種であると言うような傲慢さと同種のものなのだろうか。
デジタルな差ではなく、アナログな差だと考えてみよう。
すなわち、意味との距離。それが大きくなればなるほど記録に近付いてゆくとしてみる。
人の"記憶"と言いきれそうなもの≦人の暗記的な記憶≦ヒューマギアとゼア≒人とザイアスペック<人,ヒューマギアと本
本当に妥当かどうかはさておき、間違っててもいいからとりあえずそれっぽく書いてみるというのは意味のあることだと思うので積極的にやるよ。
僕は以前「アギトとは、よく分からない暗闇(≒謎≒Unknown)を光で照らし、解き"明かす"知の戦士」なのだと気付いた。『語ろう』で言ってたグノーシス主義がどうこうという話とも繋がるので、今でも大発見だと自負している。
前回は理解することを「線を引く」と表現したが、今度は「明かす」とパラフレーズしていることになる。光が当たればよく見える様子を、筋道をきちんと認識できる様と重ねているようなイメージ。似たような用法として、「明らか,明瞭,判明」などがある。
すると、"暗"記という単語から「理解しないままに記録しておく」ようなニュアンスを感じる。
暗記というのは元々は"諳(そら)んじる"の漢字を用いた"諳記"表記であり、暗というのは当て字に過ぎないというのは知っているが、当ててみてしっくりきたというのはこの発見の面白さを削がない程度の説得力を持っているように思う。音象徴と似た程度の話だと思ってもらえばいい。
こちらは似たような用法に「暗躍,暗黙,暗算,暗殺」などがある。
ここでも「"よく分からない"のニュアンスあるか?」と思われるかもしれないので、いくつか補足をしておく。
暗算は本人ではなく他人から見たときに"よく分からない"。学校で、暗算ではなく途中過程を書いて残すようにと口酸っぱく言われたことがあるだろう。
暗殺の本来の意味は謀殺であり、隠れている必要はないとのことだが、そういった注釈が必要になるということは、字面から「誰が殺したのか"よく分からない"」といった意味を我々が強く感じているとうことの傍証となる。そもそも、だったら何故最初から謀殺でなく暗殺という訳語が与えられたのかというところまで踏み込んだ説明はなかなか見つからなかった。ちょっと無理やりかもしれないが、政治的に重要な人物が殺されると社会を始めとしたコミュニティに暗雲が立ち込めるという意味での暗なのかね。
話は逸れるが、不安のアンからも似たものを感じるな。安心とか安穏と言った語の持つふわふわとした毛布にくるまれるような(母親との一体感,自他区別のない)イメージは、今度は線を引かない方の"分からない"と親しいのかもしれない。

 

 

個人単位でものごとを見ようとすると、01に陥りがちになる。
わたしとあなたの間に絶対的な壁というものはなく、連続的でなめらかなものであるという認識を持つと、色々違って見えてくる。

 

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