やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

小説かなんかでタイトルだけ読んだことがあっていずれ見ようと思っていた本作『時計じかけのオレンジ』。
なんと近くの図書館で貸し出していた。これはメディア良化委員会があったら真っ先になくなってしまうタイプの作品だよな……なくてよかった。
という話から分かるように、非常にインモラルな映像が繰り広げられる。僕は事前情報をほとんど入れていなくて(入ってたかもしれないが綺麗さっぱり忘れてた)、SFチックな時間ものを想像していたのもあってちょっと度肝を抜かれた。


まず思ったこととしては、やっぱり僕にとってin-outは謂わばフィクションなんだなということ。あ、便利なので単純に隠語として使わせてもらいます。
これまでにもTwitter等で何度か言っているように、僕はこのin-outを現実味を持って「したい」と思ったことが未だにない。
僕のこの感覚を表すアナロジーとして現状最も適していると感じるのは、常人の"グロさ"との関わりな気がする。
フィクションとして見ることは(幾ばくかの嫌悪感を覚えつつも)できるし何なら好む人もいるかもしれないが、実際に人の四肢や首を飛ばしたり「したい」と思う人はなかなかいないだろう。それに似ている。
この年にもなると、知り合いの割と現実味のあるその手の話題を聞くことがあったりして、みんなおとぎの国の住人になってしまったような感覚に襲われる。同い年の人に伴侶と子供がいるとか未だに信じられん。

中高になるとそういった話を(それこそアレックスのように馬鹿みたいに「In-out! In-out!」と連呼したり)してゲラゲラ笑う下品な輩が現れたものだが、面白さが全然分からなくて付いていけなかった。
彼らを見ていて思うのは、それこそ"時計じかけ"だ。
僕は彼らがどういった感覚であのような行動を取っているのか詳細に聞いたことはないので違うかもしれないが、傍から見ている限りではとても動物的というか、本能とでも言われているものに支配されている感じがある。
このような前提を持つ僕は、英語だとcureとfixで違うのだろうが、日本語訳ならではの受け取り方として、最後のセリフである「"なお"ったね」が非常に皮肉的に感じた。


また作中に地獄型人間動物園というワードが出てきたが、これまた有名なれるりり氏のコンピレーションアルバムの元ネタなんだろうか。
僕は普段音楽を聞く際に歌詞の意味を意識することってあまりなくて、声のことを最も手軽な楽器くらいにしか思っていないのだが、改めて聞いてみて思ったのは確かにどれも余裕のない女の子の話になっていて、余裕がないと人は行動原理が単純化し、それこそ動物っぽく、in-outやultraに積極的になる感じが通じているように思った。
「音楽は意味をバイパスする」とは伊藤計劃虐殺器官』にある一文だが、意味を意識しない曲の聞き方は素読的な効果を感じる。実際に素読の場で音楽に乗せている話も聞いたことがある気がする。平家物語を語った琵琶法師とか、仏教の御経とか、似たような性質を持っているんじゃなかろうか。
"子供向け"作品のあり方は一旦おいとくとして、子供の(言語的)作品への関わり方は、そのようなものでいいように思う。


折角いいタイミングなので『仮面ライダーゼロワン』についても触れると、本作を見た時点での最新話である第3話にて、人間とヒューマギアにそう差がないことを示唆するエピソードが描かれた。(参考:仮面ライダーゼロワン 第3話「ソノ男、寿司職人」 感想)

まごころ寿司を営む魚住はこれまで多くの弟子をとったが、誰一人として彼の握り方に込められた"まごころ"を感じることはできず、「意味分かんない」と一蹴され受け継がれることはなかった。
彼らは人間でありながら他人の心を(部分的に)理解できない者として描かれてるように見えた。陳腐な言い方をするなら、慣習などに共感せず合理性を求める"最近の若者"だ。ヒューマギアに心があるかどうか以前に、人間にだって完全に心があると言い切ることは難しい。

似たような話は前述した『虐殺器官』にも見られる。
僕は勝手に本作の重要なあるファクターのことを"文学"だと思ってるのだが、それに限らず色んなものに影響され、人の性質は容易に変貌する。

ハッキングによる暴走の危険があるのはヒューマギアだけではない。
人間も、立派に"時計じかけ"なのだ。

 

 

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