キャラクター
紅渡
・彼にとって嶋さんってそんなに大事な存在だっけ? それとも今回のやりとりで、人間とファンガイア両方の視点を持つという点でシンパシーを抱いていたんだろうか。
登太牙
・「気付いていますか。昔からあなたは僕を……黴菌でも見るような目で見ていることに」
嶋「今でも痛むよ、お前に襲われた背中の傷が」
話が全然噛み合ってない。互いに自分を被害者、相手を加害者だと思ってるから、ずっと平行線なんだな。嶋は太牙がファンガイアであるというだけで多少の恐怖を感じ、自分なりに歩み寄っているつもり(食事を振る舞う)でも、太牙(食事をしない)にとっては愛情を感じるようなものではなかった。むしろ嫌がらせや当てつけに見えてしまった可能性すらある。そういうすれ違いが続いた結果としての、多分、あの背中の傷なんだろう。そして今度は嶋が当てつけとして太牙の振る舞う料理を食べないという悪循環。前にも言ったけど、一度互いにごめんなさいと言えれば全然違うんだろうけど、こうすれ違っていると先に謝ったほうが負けみたいな感じにもなってくる(謝れば仲直りできるという信頼がない)ので、まさに囚人のジレンマって感じ。
互いの選択肢はまぁざっくりと協力と非協力として、利得行列は……って、数値が違うだけで上下関係はそのままだな。
・「深央は何もしていない。何もしていないんだ!」
嶋に対しては自分の利益を優先させる"裏切り"をしつつも、同じ口で深央に対しては自分の損害を受け入れてもその利益を優先する利他行動をする。そういうものだよね。
鈴木深央
・死亡。意外と呆気なかった。僕は最近、キャラクターは死なない方がいい気がしているので、死んだということはその程度だったんだなって感じる。描写はほぼなかったけど、多分クイーンとして多くのファンガイアを殺したんだろうし、太牙にまで手を出した。その罪は確かに重いし、それを洗い流すために必要な儀式としての死というのは、まぁ順当ではある。井上作品の"最後"では妥当とか順当とかいった言葉ばかりが出てくるんだけど、それ止まりなのは死んでしまうからなのかもしれない。物語の終わらせ方、畳み方って難しいなぁ……。
嶋護
・「名護くん、君のすべきことは分かってるな?」
ついこの間知ったってこともあるけど、アイヒマンの話を思い出した。
処刑前に「最後に何か望みがないか」と言われ、「ユダヤ教徒になる」と答えた。なぜかと尋ねると「これでまた一人ユダヤ人を殺せる」と返答をした問答の逸話もあるとされている。
さてこんな常軌を逸して見える彼だけれど、かの有名なミルグラムの実験によって、誰しも環境次第でアイヒマンになり得るということが示されている。ファンガイアに差別感情を抱く嶋を断罪すべきだろうか。人間に差別感情を抱く太牙を断罪すべきだろうか。
設定
・嶋さんに至っても暴走していたので、力の扱いになれていない場合はそうなるのだろうか。それとも、器の問題か? ファンガイアの器にファンガイアの力はちょうどよいが、ハーフや人間の器にはなかなか耐えられない、みたいな話だろうか。
キャラクターの死というのは、もちろん"罰"……もっと踏み込んで言うと、「あんなことしたやつがのうのうと生きてるなんて許せない」という視聴者に納得してもらうためのパフォーマンスみたいな側面もあるけど、単なる事故のような「因果とは関係なくたまたまこのキャラクターの最後は死だった」と捉えることもできる。悪いことをしたから死ぬと言うのなら、それこそ誰も残らない可能性がある。その不一致を納得するための僕の理屈がそれ。深央が死ぬのなら太牙が死なないのは因果応報的に考えると明らかにおかしいんだけれど、生憎死なないと知っている。
次話