小説、面白かった。
本編の疑問点をいくつか解消してくれた上にメインキャラクター達のその後も見られたし、満足した。
沢渡さんが教授になってたり、おやっさんが流行りのアイドルのファンになってたり、みのりがお母さんになってたり、桜井と笹山が結婚したり、冴くんが"鉄ちゃんでミリオタでアニオタ"になってるらしかったり、みんなそれぞれ変わりながらも変わってなくて笑えた。
その中でも見どころは、何と言ってもよく喋る一条さんだろう。"よく喋る"というか、語り部に近い存在となっているために心の声が結構聴ける。普段あまり突っ込んだことは口に出さない彼が「普段は頼れる先輩だけど、飲みに誘うときの杉田さんは苦手」とかぼやいてるだけでも笑える。
あと、『100万回生きたねこ』を読む一条・椿両少年が見たすぎる。
誕生日プレゼントを受け取らない理由について掘り下げられたり、本編エピソードの「傷心」「現実」に対するフォローがあったのも個人的には気に入ってるポイントかな。
さて、本題の内容についてだけど、これも良くできてたと思う。
本編では語られなかった警察側の事情がいくつか明かされる(もしかすると後付けかもしれない)んだけど、この情報は必須。本編終了後13年も経って発売されたということが信じられない。
特に未確認生命体だと判断された場合には人間態でも銃撃を許可する旨の『未確認対策特別措置法』というのがあったらしく、それを知っていれば警察側への見方も結構変わったろうに、と。
『警察にとっては未確認生命体は害獣と同じだ。個々の警察官にとってはもちろんさまざまな感情もあるだろう。だが臨時の措置として上から射殺の許可が下り、警察官という職務上の義務としてそれを実行するにあたっては、人間と同じ容貌の存在を殺戮することの罪の呵責もある程度軽減される、しかし雄介は……』
『たとえ人間と同種の存在と解釈しても、日本国籍を有しない集団のテロ行為と捉えれば重火器等の仕様も含めてもっとフレキシブルな対応が可能になる』(一条個人の考え)
『クウガが未確認生命体第二号あるいは第四号と認識されていたため、解釈上は未確認生命体同士で争った上での殺戮とされ、警察はその恩恵に与るばかりだった』
この辺りのことも劇中では明言されなかったために考えたことがなかったけど、確かにそう言われてしまうと逆に何故これまで気付かなかったのか不思議になるくらい当たり前のことだ。フィクションの世界では争いなんて見慣れてしまっているからだろうか。
しかしこういった自明だと思っているところに深く切り込むのは、難しくもあるけど驚きがあっていいよね。
五代がどういう気持ちで戦っていたのかなども、改めて13年間考え抜いた一条の目線から語られることでかなりくるものがあったし、ラストの解釈はまだ自信を持てるものがないので他人の意見を聞いてみたいという段階だけれど、それでもシーンとしてはかなり綺麗なものだった。
以上が本編の補完要素でここからはこの本独自の部分について。僕が本編において足りないと思っていた人間のどうしようもない"弱さ"について描かれていて非常に面白かったんだけど、着地の仕方がどうにもスッキリしない。
凛の母親やリオネルに頼る人々、クウガとして戦うことに迷い一条に甘えようとする実加、そして何よりも、自分たちの至らなさを"ヒーロー"に押し付けてしまってきた警察……。
最終的にはまた五代をクウガとして戦わせてしまうことになり、結局ゴ・ライオ・ダも一条が"殺して"終わり。
「本当は綺麗事がいいと言いつつ結局はそうなってしまうのか」という気持ちが、正直に言うとあった。でも、実現してしまったらそれは"絵空事"として終わってしまうのかもしれないと思うと、いい塩梅なのかなとも思う。
五代一人ではグロンギを殺す方法しか見つからなかったが、皆で力を合わせて支え合うことで五代の負担を減らせるようになり、いずれグロンギへの負担(殺害)も無くすだけの余裕を持ち、きちんと"みんな"を笑顔にすることを目指せるようになるかもしれないと。
そんな希望を感じさせるような物語にしたかったのかもしれない。
うん、満足できた! 小説も含めたクウガ全体の総評は8で。
本編
仮面ライダークウガ EPISODE1「復活」 感想 - やんまの目安箱
まとめ