やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーセイバー 第3章「父であり、剣士。」 感想

キャラクター

 神山飛羽真
・一晩で書き上げてくれました
銀河鉄道の夜』はいつも通り読んだことがないのだけど(その内「セイバーに出てくる本まとめて読んでみた」みたいな記事を書くかも)、ジョバンニという名前は聖書の著者として知られるヨハネに由来するものらしい。前回の"ジャック"がヤコブの変化だという話と同じような感じ。そのヨハネさんはキリストに弟子として愛されており、十字架にかけられた際もそばにいたとされている。これは15年前に先代の炎の剣士が十字の剣を突き立てたシーンと被るものがあるし、更に彼はその記憶を本として執筆している訳なので、イメージソースと見て間違いない。1話でした「赤い竜と白い馬に乗った救世主」の話が載っているのも、ヨハネの黙示録だしね。アポカリプスというのはギリシャ語で「覆われていたものを外し、暴露する」みたいなニュアンスを持つ言葉らしい。モヤのかかったおぼろげな記憶を明らかにするような意味も込められているのだろう。

・善意ゆえの悪意
本なんて興味ないと言うそらくんに、本がいかに素晴らしいかを教えると約束する飛羽真。ヒーローものって意外とそういうこと多いけど、セイバーは特に宗教的な側面が押し出されてる作品なので、自然と宗教勧誘みたいに見える。当人は本気で「それが人生を良くしてくれる」と信じている訳だから本当に善意の塊なんだけど、興味ない人からすると迷惑以外の何ものでもない。中でも"啓蒙"的な色が出始めるとどうしても迷惑度は上がるよね。「これを信じなければあなたは最後の審判で地獄に落とされるんですよ!?」と言われても、はぁ……って感じ。
でもこれって他人事ではなくて、極論を言ってしまうと「マスクしないとコロナにかかりますよ」ってのも同じようなもんで、世論や有識者の意見を信じるか信じないかは本来自由のはずなんだよな。「コロナなんて嘘っぱちだ! 政治家が自分の汚職から目を逸らすために仕組んだ陰謀なんだ!」と本気で信じている人もいる。「あなたはそれでいいかもしれないけど、マスクしないと周りも迷惑するんですよ」と言う理屈をかざそうものなら、もしも「私が信じるだけじゃ救われない、全人類がこの宗教を信じないと神は許してくださらない」なんて教義の宗教があった場合、ブーメランとして返ってくる。その人たちにとっては無宗教である(コロナを事実だと信じない)ことはそれだけで「自分たちを地獄に落とさんとする(≒コロナに感染させようとする)悪」ということになる。Ah 沈まぬ太陽 失くす世界で 問われるのは、何が正しいかじゃなくて、何を信じるのかだろう……。

また、そらくんが本を開いたが故に悪いことに巻き込まれるというのは、俗に言う"有害図書"の比喩にも思えた。僕も駅かどっかで一度有害図書ボックスというのを見かけたことがあるんだけど、本の虫としてはなんだかとても悲しくなってしまった。なんというかこう……その中にあるのが一体どんな本かは知らないけど、そこまで言うことなくない? そりゃあ僕だって不意に性的なコンテンツが目に入ってきたらかなり不愉快だけど、だからって本屋からなくすべきだとまでは思わない。でもそういう急進的な主張をする人は、十中八九そういう本によって深く傷付いた経験を持ってる人なんだろうから、そこまでしようとは思わない僕なんかにはその気持ちを計り知ることはできないのだろう。図書館戦争ってあったなぁ。表現の自由を脅かすメディア良化委員会ってのと戦う話。「本は悪くない! 人間の暮らしを豊かにする、夢のメディアなんだよ!」「本は人を傷付ける……人類の敵だ!」。
仮面ライダーはテレビの中の絵空事なので、震災が起きてもウイルスが猛威を奮っても助けてはくれない。でもそれを見ることで楽しくなったり新たな考え方を得たりして、心を救ってくれることはある。それって宗教も、そして本も同じことだと思う。
あ、ちなみに"本の虫"という表現はセイバーの仮面ライダー要素のひとつなんだろうね。
(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 

 尾上亮
・豪放磊落
1話にて、ゴーレムメギドは「人につくられしもの」という点でヒューマギアとニアリーイコールだと話した。この視点を継続するなら、バスターがそれを倒すことには自然と「子殺し」的なテーマが付加される。殺すまではいかずとも、飛羽真が作者として「キャラクターに自我など要らない」と主張するように(玄武の尻尾は蛇なので、龍の彼とは通ずるところがある)、彼の場合は「子供は親の言うことを聞いていればいい(by滅)」みたいなニュアンスだろうか。飛羽真に「黙ってろ」「引っ込んでろ」と言ったりして人の話を聞かないような印象も強い彼には、さもありなん。実際、そらくんが「バスターのおまけ」では片付けられないほどの個性を発揮する未来が僕には見えない。構図が似ている大介とゴンには別れるエピソードもあって、親代わりだから仕方なく一緒にいるのではなく、れっきとした本人の意志で共にいることが強調されている。
せっかく出てきた大秦寺が、尾上のでかい声に嫌な顔をしてすぐさまどっか行ったのも細かいけど面白かった。彼は整備メカニックとのことなので、おそらく日頃から武器を荒々しく扱って平気で傷を付けることに苦手意識を覚えているのだろう。"愛剣"なのに大事にしない、もしかするとそういうところがそらとの関係にも出ているのかもしれない。倫太郎に指摘されてた「子供を戦場に連れて行く」というのは、側にいて守るためだと考えたら理に適ってる面もあると思うのだけど……まさに今回、頭に血が上って危うくセイバーとブレイズまで巻き込みそうになってた訳なので、どちらかと言えば倫ちゃんの方に分がある。抱っこされてるときのそらの顔が苦笑いに見えるのは、演出なのか演技力不足なのか微妙なところ。
今回そらが失踪したのも、元を正せば尾上の監督不行届だと言える。本しかないからって理由でノーザンベースが好きじゃないのに、本屋に置いてくってのも微妙な選択だしな。結果的にはジオラマに興味を示していたとは言え、もし尾上が「本が好きじゃない」ってことをきちんと把握してないのだとしたら、表面的にはいい親子でも、本質的にはコミュニケーション不全に陥っているということになる。

でも制作陣がゴーストのコンビなことを考えたら過去の設定は凝ってそうだし、尾上は多分カリバーや先代の炎の剣士と仲が良かった……か、少なくとも同僚ではあったのだと思われる。もしいい関係を築けていたなら、今のところ粗暴な面が目立つ彼にも結構いいとこあるのかな。飛羽真に当たりが強いのは、その先代との友情が前提にあった上で、小説家なんてナヨナヨしたやつに決まってる、みたいな先入観でガッカリしたってことなんだろう。あと「ひよっこは手を出すな」ってのは、二度とカリバーみたいな裏切り者を出さないために自分一人で戦えばいいと思ってるのかも。
バスターの耳に当たる部分は"カナメロック"という名称で、当然要石がモチーフになってるんだけど、これというのは地震を起こす大鯰……古い伝承では"龍"を鎮めるために埋まっているものらしいので、彼もまた倫太郎と同じく、飛羽真が裏切りそうになった時のストッパーとして機能する役割を担っているのかもしれない。

 

 富加宮賢人
・キャラ被ってる
仕切りたがりとのことだけど、ぶっちゃけ今のところみんな微妙にキャラ被ってるよね。飛羽真も割と勝手に話進める上に「〜は君のいいところだ」ってめっちゃ上から目線だし、倫太郎もエリート故かナチュラルに周りを見下してるというか、自分が正しい前提で「話聞いてなかったの?」とか言っちゃうタイプだし、尾上さんは言わずもがなの問答無用マン。個性を出そうとするとどうしても我の強い自分勝手な人物像になっちゃうんだろうか。それでいて激しい諍いは今のところ起きてないのが面白いとこだけど。みんなあんまり他人に興味ないのかな。
飛羽真が忘れている"もう一人"……メギドの項で後述もするけど、ワンダーワールドに取り込まれたら最後、人間も動物も街も、現実世界では完全に"なかったこと"になってしまうのかもしれない。だとしたら15年前の事件や世界消失現象が世間に知られていないのも頷けるし、なんなら賢人も少女のことはうろ覚えで、ソフィアが似てることには気付いてないのかも。
カリバーは彼の父親っぽいね。僕はてっきり倫太郎の父親かと思ってた。だってブレイズとカリバーって顔がそっくり(\﹀ \︾ )じゃん? カムパネルラとジョバンニは父同士も親友とのことなので、先代の炎の剣士がもし飛羽真の父親なら、カリバーとは友人だったらしいことと合致する。

 

 須藤芽依
・消えたエクレア
3話の芽依は1,2話より見やすい感じになってて、このキャラはこういうとこが魅力なんだなってのが少しずつ分かってきた。相変わらずオーバーリアクション気味ではあるんだけど、ユウキくらいのところに収まってたというか。そら君への対応を見るに、美味しいものはみんなで共有するのが好きなタイプなんだろうね。ワンダーワールドの写真を撮ってたのも、SNSでシェアするためなのだとしたら噛み合う。
3人で食べようと買ってきたエクレアを賢人が勝手に食べたものだから倫太郎は一人食べそびれてしまうのだけど、芽依が自分の分がなくなる心配をするときにまず責めたのが飛羽真なの笑っちゃった。イケメンだったらOKなのね、親しい方が責めやすいってのもあるだろうが。

ただ、前回の最後ではエクレアは全部で5つあるので、賢人,飛羽真,芽依が1つずつ食べただけではなくなるはずがないのに、賢人が飛羽真の記憶を訝しむ裏で、倫太郎が「さ、最後の……」と言っているように聞こえる。1つ目が食べられたときも指で3つ数えて「残り2つなら買ってきた芽依さんと仲の良い飛羽真くんが食べて、僕が食べる分は……」みたいな顔してるし、あの場で全部なくなってしまったように思える。……ニーナとアレキサンダー、どこに行った?
これ、果たして"ミス"なのかね。2話時点で考えても3人分ということで3個あれば普通に成立するのに、わざわざ5つも用意して次の話と矛盾するって、そんなバカな話がありますか。芽依が自分の分だけ多めに買ってきた可能性はあるけど。パイロット(1,2話)とセカンドパイロット(3,4話)は並行して撮影されることが多いというのはよく聞く話だし当然監督も違うので、同じ一連のシーンに見えても全くの別日にわざわざ撮り直してるのだとすれば、そういう行き違いは有り得そうではある。でも、そういう事情を誰よりも分かってる制作陣が敢えて撮影の組を超えて連続性の強いヒキを作ってる訳なんだから、ジオウのバスジャック編みたいにいつもより気を使って作られてるのではないかと思う。逆にそうでないなら「子供向けだからこそ本物を見せる」という姿勢と噛み合わない。確かに本筋とは全く関係ないけど、エクレアの数くらい別にいいっしょ、という妥協をこの最序盤で見せたのならそれはどうなのかと思う。
撮影が終わった段階でも、編集の時点であの箱の中がアップになるカットさえなくしてしまえば、エクレアのなんたるかは伝わりにくくなるが、筋は通る。可能ならそのシーンだけ撮り直せればもっといい。最悪芽依の役者さんなしでも、どアップにすれば成立するし。

本当にただのミスという可能性も勿論あるけれど、ここではもし意識的にやっているとしたら……という仮定の話をしてみたい。僕は当初からエピソードの単位が"章"なのがずっと気になってて、これだと1話1話の隔たりがとても大きく感じるのよね。最近だとビルドなんかが16話までを"第1章"として銘打ってたし、"1節"ほどではないにせよ"1話"と比べたらぶつ切り感が否めない。
ここで思い出すのは、ライドブックの絵柄。ソードライバーに挿して抜刀すると絵が繋がるというギミックがあるけれど、よくよく考えたらこれって変な話で、『ブレイブドラゴン』と『ジャッ君と土豆の木』は別に続き物でも何でもない無関係の本なはずなのに、どうして繋がるのか。そもそもの話、ドラゴンジャッ君やドラゴンピーターのように両端に挿した時が顕著だけど、厳密に見れば絵柄には結構な隙間が空いてて、ちょっと斜めから見てようやく自然になるかなってぐらいなのよね。これは(もしかすると設定的には続き物かもしれない)ライオンファンタジスタでも同じで、正面からだと微妙にライオン戦記の腕がチラ見えして、お世辞でもなければ「綺麗に繋がってる」とは言えない。でもそれを見ないふりして繋がってると"了解"できるのが、人間の頭の面白いところ。

ある作品に対して、「実質〇〇」と言って全く別の作品と同じようなもの、或いはその続き"として見られる"、と評すことがある。例えば「ゼロワンは実質デトロイト」とか、「スパイダーマンは実質仮面ライダー」とか。
『セイバー』がそういう人間の認知パターンを意図的にテーマに組み込んでいるとするならば、今回のエクレアの件は「1話1話が厳密に見たら繋がってない」「でも視聴者は気付かず、或いは気付いてもなお繋がってることにする。不思議だよね」というひとつのギミックとして捉えられる。
僕がこんな風に思った理由はライドブックの絵柄だけじゃなくて、OPの後に本当に突然ゴーレムメギドとのくだりが始まったことも関係してる。前後の関係を重んじるなら駆け足どころかそれこそぶつ切りですごく不親切なんだけど、自覚的にやってるんだとしたら合点がいく。こちらは「ロゴスから出動要請があったのかな」という脳内補完をすれば普通に繋がるものの、賢人がいなくなってたのが謎。飛羽真についてソフィアに報告しに行ったのかな?
そういえばジオウでも3話で、ゲイツの必殺技音声「フィニッシュタイム! "ドライブ!"」がビルドドライバーのものになってるなんてことがあったな。正直「何があったらそんなミス起こるの?」って感じなので、僕はあれも本当にミスなのか疑ってるけど。横で我が魔王がビルドアーマー使ってるし、ソウゴの記憶が曖昧で「こんな感じだった気がする!」ってな感じで現実が改変されてしまったという遊び心なのでは、と。
例え違ったとしても、そう思った方が面白いじゃない?

 

 ハンザキメギド
山椒魚
モチーフはオオサンショウウオ。今でも生息してるらしく、動画が結構YouTube上にあがってた。正直キモい、けど時々可愛くも見える。キモいのがそのまま可愛さに繋がる"キモかわいい"とはちょっと違う。
英語では"サラマンダー"の名が冠されていて、炎の龍たるセイバーを思わせる。バスターが倒した、というのも合わせてね。
有名な井伏鱒二の小説もあって、短いので読んでみた。こっちは絵がないのですごく可愛かった。穴ぐら中に閉じこもっていたらいつの間にか出たいと思っても出られなくなってしまい、そのうち寂しさから"悪党"となり蛙を道連れに閉じ込めてしまうのね。今回のメギドは人里離れた森の中にこっそりワンダーワールドを展開して、人間だけを少しずつ転送して閉じ込めていく(蛙のように)というなかなか凝った作戦を展開しているんだけど、ライダーたちは尺の都合であっさりワンダーワールド見つけちゃったのがもったいない。「世界消失現象が起こってないのに何故か人々だけが失踪していく!?」とビックリさせる演出があったらハンザキメギドのインパクトももう少し強まったろうに。
1話でワンダーワールドについて「現実逃避は楽しいけど戻れなくなったら怖い」という話をしたけれど、"山椒魚"は本当にそんな感じ。もしかするとメギドというのは、完成してしまったアルターライドブックによってワンダーワールドから出られなくなった人間や生き物の成れの果て……なのかもしれない。
(参考:ワンダーワールドの両義性 セイバー 第1章 感想)

 

 

人間には理性があるのに、何故未だに子供を生み続けるんだろうね。発展途上国というか、戦争やってるようなとこでは出生率が高いってたまに聞くけど、マジで全く気持ちが理解できない。なんでそんな辛い世界に産み落とすのさ。めちゃくちゃ悪い言い方すると、野蛮なのかなぁとか思ってしまう。メロンが食べたくて売春した子がいるんだってさ。あんたなんで嘘ばっか書いてんだ? 嫁と子供を食わせるための記事? じゃあしょうがねぇ。

 

今週の本

よつばと!
子作り願望こそない僕だけれど、子供は人並みに好きで、とても可愛いと思う。それとは別に、人間の心や理性というものの発達にも興味があるので、そういう意味でも成長を観察をしたいと思うことがある。
本作は未就学児のよつばを中心に、その周りで起こる日常やイベントを丁寧に描いていく。子供の描写としてリアリティがあるのかどうかは毎日子供を見てる訳ではないので分からないが、作中でも「変な子」と言われているので誇張されてる部分はあるにせよ、観察的な視点で読んでもとても面白い。特につくつくぼーしのエピソードが好きですね。何も考えずに笑いたい時にもおすすめ。物事の定義がどうとか理屈がどうとか、そんなものに意味はないんだなってなります。

 

セイバー/聖刃感想一覧

前話
仮面ライダーセイバー 第2章「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想

次話
仮面ライダーセイバー 第4章「本を開いた、それゆえに。」 感想

ヘボット!感想一覧

本編

ヘボット! 1話「ヘボッと生まれて屁・ボーン!」 感想
・子供が下ネタを好む理由
・遍く8と11次元

ヘボット! 2話「ネジ屋 対 ボキャリーマンズ!」 感想
・ボキャバトルはスペック勝負
・MCネジーの目

へボット! 3話「コワコワ〜、はじめてのコワ話!」 感想
・パロディと意味不明ギャグ
・誰かからライバルへ
オリジナルコンボつくってみた

ヘボット! 4話「ヘボ流・ネジタネの育て方!」 感想
幼児語の意義
・ネタバレの是非
・集団誘拐

ヘボット! 5話「ヘボット、いなくなったってよ」 感想
・100年後のジル
・キャミソール
・グチッターの謎

ヘボット! 6話「激走! ボキャバトルレース」 感想
・思考整理は自転車で
・マカロニック
・飢饉にはジャガイモ

ヘボット! 7話「ヘックションでフエフエのヘボ」 感想
・志望校
LGBT問題/心の性
リア充って言うけど

ヘボット! 8話「決戦! ノリノリヶ島」 感想
・縦ノリからの?
丑寅混ぜんな!
・世代交代

ヘボット! 9話「へボットは赤ちゃんバブ」 感想
・"助けられてあげる"
・心理学で言う脱錯覚
・AIは付喪神

ヘボット! 10話「土星は地獄だ!」 感想
・ボキャボットの分類
・不寛容のパラドックス
・グチッターを見よう

ヘボット! 11話「奇怪・呪螺子島」 感想
・キャラ崩壊と忘却
・カルピスソーダ取引
・ゾンビ

ヘボット! 12話「へボットのアレがはれた」 感想
・あわてんぼうのチャチャチャ
・プラス,マイナス,イコールの記号
・シメール派とユルメル主義

ヘボット! 13話「ジョリポロリ」 感想
・クリスマスなのにお盆じゃねーか!
・バブルで消えたあぶく銭
・男でもなく、女でもなく、

ヘボット! 14話「ヘボヘボ漂流記!?」 感想
・次元ネジがゆるむとどうなる?
・ボキャネジが先かボキャボットが先か
・マリオは何故キノコで強くなるか

ヘボット! 15話「ネジが島クロニクル」 感想
・時流の乱れ
・ネジ王とヤーヌス
・何故バトル禁止?

ヘボット! 16話「キケン! ボキャ美のターン!」 感想
・この喧嘩、悪いの誰ですかー
・世の中優しい人もいる
・ヘボさの良さ

ヘボット! 17話「ネジささる、ゆえにヘボあり」 感想
・無意味と有意味の間
・DXヘボット
・"可愛い"が孕む差別性

ヘボット! 18話「ネジル、学校に行く」 感想
・五感は精神には非対応
・ゆるませてしめる巨視的虚無感
・ユートくんとMCネジー

ヘボット! 19話「ヨロシク、湯煙ロクンロー」 感想
・自分の知らない自分
・玩具の売り上げ事情
・終わらない夏休み

ヘボット! 20話「ヘボ流・キッチンバトル!?」 感想
・たっくん母の無意識的意味
・多様な聲の形
・食べ物の輪廻

ヘボット! 21話「時をバグるピコピコ」 感想
・昔話における隣の爺さん
・ゴミの押し付けあい
・現実と虚構、その境界

ヘボット! 22話「ライネジング・サン」 感想
・47話に似てる?
・メタデジャヴ
・許す優しさは罪

ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想
・おはぎってどういう意味?
・トキトキネジの仕組み
・アンチネジ軍とは

ヘボット! 24話「兄×弟」 感想
・ヴィーテと次元ネジ
・掛け算の順序問題
・理系の哲学

ヘボット! 25話「ツルっと落ちた流れ星」 感想
・恩返しと遵法精神
・コンビで支え合う
・流れ星と縁起物

ヘボット! 26話「プリンス・オブ・いもチン」 感想
・モチーフに目を向けよう
・ネタ帳
ドラえもんとヘボット

ヘボット! 27話「へボット、ペケット 地獄めぐり」 感想
・子は親を選ぶか
・ゴッドネジとナット
・のりたまとおにぎり

ヘボット! 28話「さらば、愛しのモエカス!」 感想
・求められているか
・否定的意見の必要性
・うねうね

ヘボット! 29話「イインダヨ〜、スゴスゴイインダヨ〜」 感想
・「契(ちぎ)る」
・次元院とアニメのクール
・マンドラと卿

ヘボット! 31話「インネジクタス」 感想
・決して屈しない(インビクタス)
・カメラ越しにしか存在しない生き物
六芒星(スゴスゴ)とアスタリスク(ヘボヘボ)

ヘボット! 32話「ユカイYOUかい怪盗かい!?」 感想
・ワトソンのミドルネーム
宇宙兄弟べるぜバブ
・抑圧された無意識

ヘボット! 33話「ハミガキしようぜ 牛肉、ミソッパ!」 感想
・ソフトクリームと記号的表現
・こぶとり爺さんの鬼
・ミソッパゲロッパフラクタル

ヘボット! 34話「流さネジられて」 感想
千夜一夜物語
・ララランド
・家出

ヘボット! 35話「インスマ浜の呼び声」 感想
・ネジが島の位置
クトゥルフとBTTF3
・35話は浮いてる

ヘボット! 36話「恋のヘラがえしがえしがえし」 感想
スターシステム
・テキーダのありんす
・毒を以て毒を制す

ヘボット! 37話「電脳鼠はボキャボットのダメを見るか」 感想
・道具が意志を持つな!
・繰り返すポリリズム
・あたまとり

ヘボット! 38話「12体そろったらエライ事になった」 感想
・最終合体グレードヘボゾード×◯
・兄と弟、陰と陽
・ブンメェー開化の音がする

ヘボット! 39話「王妃ナグリ、帰還」 感想
・ヘボットのグローブ
・母と愛憎
・サートゥルヌスと安心院

ヘボット! 40話「弁護士ボキャ美の法廷ファイル!」 感想
・法制度と刑罰
・鼻をつまむ正義の女神

ヘボット! 41話「ヘボ流・大脱走」 感想
・ユーコさんていくつ?
・犯罪者も人間
・ジョリジョリバード♪

ヘボット! 42話「我々はネジである」 感想
・十二支の謎
・ヘボット配信の盛り上がり
・不当な手段による革命

ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想
・すり変わる空っぽ王子ネジル
・新カルテット
・内と外の境界は幻想

ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想
・次の階層ってなんだろう
・ネジルとヘボット
・他者との繋がりと意味の源泉

ヘボット! 45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」 感想
・魂なき言葉
・好きなところ
・何故? の行方

ヘボット! 46話「はたらくネジさん」 感想
・お休み

ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想
・The perfect insider
陰謀論
・ものを"数える"ということ

ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想
・ネジ柱が時間、ゴッドネジが空間?
・チギルのプロテクト
・9は神か人か(体の穴)

ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想
・言語と宇宙の収縮,膨張
・階層と周回の違い
・レベルをカンストするとどうなる?

ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想
カニバリズム
・誰も傷付けない
天王星代表

 

 

関連作品

仮面ライダーシリーズ

三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

 

それ以外の言及

転売は何が悪い?

ジオウにおける世界観/世界線の考察というか想像

玩具についての雑談(1/2):ジュウオウキングが好き

仮面ライダージオウ EP27「すべてのはじまり2009」 感想

 

ヘボット! 50話「にちようびのせかい」 感想

さらっと結婚してるオールディスとヴィーテだけど、そもそも彼らがうまく行かなかったのってゼロの相棒として白ヘボがいたからな訳で、ヴィーテを選んだ場合今度はそっちが可哀想なのでは? と思ったり思わなかったり。自分が壊れたヘボットに成り代わってゼロの相棒になりたいという思いから次元ネジの魂を与えて虚無そのものと化した白ヘボinヴィーテなのに、それでゼロが振り向いてくれる訳でもなく剰え抜け殻の方と結ばれるというのは、よくよく考えてみると不思議な話だ。
今の世界はネジルが何周もやり直した結果として彼の記憶を元に新たに作られた、前と似てるけど厳密には違う別の階層のはずなので、その辺の事情も都合よく変わってる(虚無ヘボは虚無ヘボ、ヴィーテは白ヘボと一心同体)のかもしれない。
或いは、ネジキール卿が黒ヘボよりもマンドラたち現在の人間関係を取ったのとテーマ的に繋がっているか。
前回フィーネを回避したはずなのに、なんと最終回。オカさん、ナゼ終わるんです!

 

日曜日のみのカレンダー(イラストはヴィーテのハネムーン先)だけがかかっている閉塞感漂う部屋。そこに閉じ込められているんだけど、なんだか本人は幸せそう。その平穏を乱すキリンという名の月曜日。みゃンデイ!
毎日が日曜日だったら……誰しも一度は思うことだろう。ヘボットにおいては差し詰めシリアスの字が抜け落ちてギャグ一辺倒になるような感じだろうか。それは物足りないかもしれない。
(参考:夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想)

ヘボスターリング捜査官のモデルとなっているのは、トマス・ハリス羊たちの沈黙』に出てくるFBI捜査官クラリススターリングだそう。まんまね。見たことないのでネットで調べた情報だけで話を進めるけど、ブタ肉の役どころはカニバリスト精神科医レクター博士ということで「"食べられるもの"と同じ姿」をしている。彼女が初登場した5話に出てきたウシも共食いをしていたな。
カニバリズムと言うと、キリスト教には比喩的にパンを介したりして「イエスの肉を食べる」ことで、永遠の命を手に入れるという思想があるらしい。以前少し話題に出したアルビノの人も、神聖視されるが故にその肉体を食されたり儀式のに使われたりすることがあると読んだことがある。最近の文化だと『進撃の巨人』が顕著だけど、食べることは相手を取り込み自分の一部とするということで、確かになかなか神秘的な営みではある。リンゴもブタもウシも、何もかも"僕"に生まれ変わる。
もうひとつ面白い話として、伝説上のサートゥルヌスにも人(じゃないけど)を食う描写がある。権力を奪われることを恐れ、自分の子供を一人残らず食べてしまった。その後、実は食べられてなかったゼウスに負けて最高神の座を奪われてしまうんだけど。こっちのサーさんは女性な上に自分から降りてたのでだいぶ違うね。

 

ボキャネジを使った犯罪じゃないからか、ザ・メタルではなくメンテ地獄に囚われていたらしいパチアニキ。そして、文房具やトランプ、ロボキャボットまでもが出演を果たしたと言うのに、ついに日の目を見ることなく終わってしまった食玩ヘボット……アニメの上でガシャボットと差別化するのが難しいという事情はあるにせよ、悲しい。DXを買うまでの間、いや買ってからもお気に入りなボク様の相棒なので。

パチボットの暗躍によって『ヘボット!』に最大の危機が訪れる……その名は脱・脳とけアニメの会。
なんでもかんでもダメダメ言って……うぅ、耳が痛いなり。エグゼイドのアンチやってた頃のログが未だに当ブログには残っている。代わりにゼロワンは絶賛したので(無理にではなくね)バランス取れてる、はずだ!

否定されて傷付く人がいるのはもちろんのこと、肯定的な意見だって立場によっては人を傷つけ得る。意見Aを褒めることは、意見Aが間違ってると思ってる人に対する否定になる。作品を貶されて苦しむファンがいるのと同様、苦手な作品が持ち上げられてると居心地の悪さとか苛立ちを覚える人もいる。
ブレインストーミングなどにおいて「否定をしてはいけない」というルールが設けられることがあるけど、あれはとんでもない欺瞞だと思うのよね。今言ったように、本当に何も否定しないためには、発言すること自体許されなくなってしまう。次元院でブレインストーミングを行ったとして、まず「締めたらどうか」という意見が出たとする。するとその時点でもうユルメル主義の人たちは何も言えなくなってしまうのよね、「緩めたらいいのでは」と言うことはシメール派の意見を否定することになるから。にも関わらず、シメール派は臆面もなく自分の意見を言ったわけなので、このままではユルメル主義の人だけが心の中で「緩めたほうがいいという自分の意見を否定された」という気持ちを抱えることになる。これは立場を逆にしても同じことで、要するに否定禁止というルールが生み出すのは、平穏な場ではなく「先に言ったもん勝ち」の世界なのだ。相手を否定することになるから……とルールを守って沈黙を選ぶ正直者だけが一方的に否定される(それも相手は無自覚なので責めようもない)という地獄。だったらまだ、お互い納得行くまで殴り合った方が健全だとすら思う。
何かを否定する覚悟なしに何かを発言しようなどと考えること自体がナンセンス界のプリンスぞよ。ポペップ。

田中くんはあぁ言ってますが僕は宿題大嫌い。え、悪影響だって? ごめんして!
教室の中にいても退屈だと本とか読みたくなっちゃうのに、好きなものがたくさんある自分の家でやりたくないことを精を出せってのがそもそもの間違いだよな。僕は勉めることを強いられる勉強ってやつがどうにも苦手で、そうやってあれこれから逃げてきたからこんな我慢のできない大人に育ってしまったのね。
授業は好きなのよ、先生が面白ければ。というか、僕は基本的に先生とおしゃべりする中で自然と色んなことを学ぶのが好きなので、一人でやる宿題が面白いはずがない。気の合う人なら授業時間50分のうち20分間、僕と先生が2人で喋ってるだけのときもあったくらい。みんなは黒板写してる時間の方が長いから、その間は僕が独り占めできるという訳ですな。あの頃は楽しかった……大学とか行きたい気持ちはなくもないけど、教室広いイメージだからそういう利用の仕方は難しそうのでどうにもなぁ。今更受験も難しいだろうし。

 

マンドラ博士の後ろにパチボットが映ってるので、あの大量発生したやつらは彼が作ったのか? ただ屍を解析してるだけとも取れるが。

天王星の席に座っているトマト。ファンブックではほんのり匂わされてるけど、マカロニだったこともあることも踏まえると元々あそこにいたのは現階層のネジル=ヘボットだと思われる。劇中で天王星といえばサートゥルヌスの偽名"マダム天王星"で、そこから土星ババァ=天王星の奥さん→つまり天王星はヘボットって言ってる人も結構いて、僕は一定の理解を示しながらもマダム何々ってそういう意味なのかなぁと思ったりしていたのを思い出す。

天王星のウラヌスは、サートゥルヌス(クロノス)の親。彼は妻であり母でもあるガイアの指示を受けたクロノスによって去勢されてしまうエピソードの持ち主。ネジルくんがそこに当てはまるのだとしたら、どちらかといえば女性的なこと(ボツ案はもっと顕著)や、異常なまでにネジ(≒男性器)を欲することに納得がいく。更に去勢のきっかけとなったのは「醜い怪物達を追放した」ことであるから、それを反省した結果今の豊かな心で何でも受け止めるお気楽極楽ボーイになったのかもしれない。
そもそも"ネジル"は世界をリセットしたときに宇宙のネジれから突然生まれる存在のはずなのに、彼は「オールディスが赤ん坊として連れてきた」という不思議な登場をしている。もちろんネジれから出てきたのをとっ捕まえて連れた来たのかもしれないけど、ここでは違う可能性を考えたい。

もし、ゼロがロールを外れてオールディスと名を変えたり、ネジルその2がボクサーおやじになったりしたように、その逆で「全く別のものにネジルというロールを与えた」のだとしたら。その前身が天王星代表のウラヌスで、何らかの理由によってデリートされそうになったところをオールディスが助けたか、あるいは既にデリートされたのを拾ったかして、なくなった記憶の空白に"ネジル"を書き込んだ。そう言えばトゥル子が山田になってたな、どっちかと言えばそっちに近いかも。
じゃあガイアは誰だって話になるけど、うーんここが分からん。ガイアがカオスから生まれたっていうのは、すごくヘボットのキャラっぽいんだけどな。一番それらしいのはヴィーテ辺りだろうか。自分が生んだ醜い怪物を追放されて悲しんだというのが、イメージ的にちびヴィーテが「こんなネジ要らないってみんなが言うの」と泣いてたところとダブる。そんな醜い次元ネジを初めとする地球を破壊しようと発足した太陽系会議のメンバーとして、ウラヌスはとてもぴったり。ただ、サートゥルヌスが同メンバーにいるのがちょっとよく分かんなくなるけどね。
あと、ネジルがネジルじゃないとしたら、現階層と一緒に生まれたはずの本当のネジルはどこへ行ったのかってのも気になる。彼は一方的にネジルになったウラヌスを見たことで重複を認識して書き換えられてしまったのかな。置換後の姿がヘボットの卵だったりしても面白いかも。

 

主役の座をかけて最後のボキャバトル。
ウルトラコンボ「パーフェクトヘボマン」に手も足も出ないパチさん。腕、伸びるのにね。
勝ちのはずなのに会議メンバーは「こんなラストはちょっと」不満な様子。パチボットは土星ババァが作ったというのもあって、最後のひと悶着は彼らがわざと起こしたのか? それの真偽はともかく、もはや「だってめみ子だもん」のどこが面白いのか、わざわざ解説するような無粋はするまい。だってめみ子だもん。

二次創作とはちょっと違うけど、自分なりに解釈したり関係ない話をしたりギャグをかましてみたり、僕も一人の視聴者として全50話に渡って感想を書き続けてきた訳だけれど、何かの役に立ててたら嬉しいな。書きかけのエピソードとかまるまる1話お休みしたこともあったべさ。でもこうして完走できたのは読んでくれた皆さんのおかげ……と言うにはあまりに読まれてないので、ひとえにヘボットが面白いおかげですね。それでも、こんな場末のブログまでチェックしてくれてるヘボットファンの中でも数少ない奇特なお方、アリガッ・トウ!
ヘボット感想は終わってもブログは続けてるだろうから、仮面ライダーとか見てたら是非、あしたもまた遊ぼう。

 

ヘボット!感想一覧

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ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

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ヘボット! 1話「ヘボッと生まれて屁・ボーン!」 感想

ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

ちびヴィーテによる時間と空間の説明、抽象的過ぎて正直さっぱり分からんポン酢味なのだ(このネタ気に入ってる)。
もう少し説明を加えると、時間はヘボットであり空間はネジルでもある。というのは23話で次元ネジを召喚しかけたヘソからエフェクトを参照のこと。
繰り返しになるが、ループする世界をこの図に重ね合わせようとすると、上から見たときに重複なく1つの円として切り出せる螺旋の一部が、おそらくヘボットが1年で回る全50ステージの一周を表している。360°÷50なのでおよそ7°に対応する弧が1話分で、歴史的に360°≒365日なことを考えれば、1週間ごとに進むことと合致する(余り5日とか40.5話ゴルフ回とかは誤差でイインダヨ〜)。2周目の周回は一段(≒1オクターブ)上の螺旋、3周目はその上……と続いていく。螺旋がステージを表しているのなら、空間を司っているというのは分かる話ではある。
ただ根本的な話、ボキャネジのネジ山は螺旋になってないのよな。上下の円は繋がってなくて、階層状になっている。細かいこと言うとヘボットに挿す時のガイドになるミゾがあるので、円ですらなくてC字だし、DXヘボットのネジ穴は消えるまでもなくツルツルだったりする。唯一スゴスゴインダーネジの銀色の部分だけかな、螺旋状なのは。DVDなんかもぐるぐる回る溝にデータを記録してるので、社会科見学回でも言ってたようにネジ山の部分がライブラリだってのはなかなか面白いよね。

理が緩み続けるとフィーネが現れ虚無に返すというのは、現実的な感覚として分かりやすいところ。厳密な理屈を必要とする学問の世界では"言語の恣意性"とか言って、言葉とは本質的に無秩序で訳の分からないものだと諦観されている。だが我々が本当に無秩序に言葉を使っているのだとしたら、意味は通じるはずがない。
以前にも出した「荒野を駆けるあらすじの桃、この長男こそ隆々たる魂胆の行く末にある素晴らしき和三盆」という例文。言葉の統合を諦め乱雑に並べると、このようなワードサラダが生まれる。ただ、一見無意味に見えるだけで、発言者としては何かしらの意味を持たせている可能性はある。この文章を「お腹が空いた」ことを表す暗号として事前に相互了解を取っていたとすれば、意味は通じる。
そもそも僕は実際、この文章に「言葉の意味なんて脆弱なものでありながら、それでもなお普段使っている言葉に意味はあるという禅的な悟り」という意味を込めている。詳しくは井筒俊彦『意識と本質』を読んでね。
ヘボットにおける唐突な投げ込みやパロディは、まさにこのような無秩序な言語の使い方を象徴するものであって、"誤用"を放置しまくると言葉の意味は通じなくなり世界は滅茶苦茶になってしまう。「ヒコーキとって」と言われたので飛行機の写真を撮ってあげたら、「ヒコーキってのは(君の言うところの)醤油だよ! 醤油を取ってくれってこと!」とキレられるような感じ。醤油を"ショウユ"という音で表す必然性はないので、英語だとSoy sauseになったりする。でもだからといってなんでもいい訳ではなくて、ヒコーキだと困る。更にもう1段階踏み込むと「らやた が かんもねひ で えいとーる したら こうじゃんるのびんそん の せぬらー にあって とんとん になっちゃった。でも もっぽぽぽー が げんぺ してくれたから かいねん!」となる。それぞれきちんと何かを指示していて本人の中では意味が通じてるのかもしれないけど、言語における「このモノはこうやって表しましょう」という不文律を破ると、意味のない音の羅列と化してしまう。
反対に、言語の根幹に目を向けてみよう。とある心理学者が唱えたブーバ/キキ効果という概念がある。「尖った図形と丸みを帯びた図形が目の前にあるとき、名付けるとしたらどっちがブーバでどっちがキキか」という問題について、ほとんどの人が丸っこいのをブーバ、カクカクしたのがキキだと答えた、というもの。これをなるべく理屈で説明しようとする音象徴という考え方もあるんだけど、庶民感覚としては卍と同じで「理屈じゃないけどなんか伝わる」という、ふわっとしたものにならざるを得ない。言語とは元来そういう適当なものなので、きちんとした理屈しか認めないという態度とも相性が悪いのだ。

ルールをキツく締めると、新たな言葉は生まれてこれない。「マジ卍」などという言葉は既存の使い方のどれにも当てはまらない。だがなんとなく言わんとしてることは伝わるので、使ったり辞書に載せてもいいんじゃない? とするには、逆にルールを緩めないといけない。緩め過ぎても駄目だし、締め過ぎるとそもそも言語自体が生まれない。
この構図は、宇宙の終焉にとてもよく似ている。有力な可能性は2通りあって、ひとつはいずれ収縮を始めて無に帰る。もうひとつは膨張を続けた結果エントロピーが最大値となり、すべての物質が極限まで薄まってないに等しい状態となる。気体が掴めないのは分子が飛び回ってひとところに留まらないからで、逆に掴めるものは何らかのエネルギーを使ってそれを押さえ込み、動かなくしている。あらゆる生命はエントロピー増大の法則に一時的に抗うことで存在しているが、いずれはそのツケを払いバラバラに分解される定め。それが宇宙レベルで起こるのだ。

ゼロのロールは、意味のある言葉の力……即ち"言霊"のエネジーを解放して、フィーネ(言葉の無意味化)を抑え込むこと。……だと思ってたんだけど、思い出してみたら次元ネジはずっと"エネジーを貯めてた"という風に言われているので、ゼロがエネジーを解放するというのは「次元ネジに対してボキャネジのエネジーを解放して対抗する」のではなくて、「次元ネジそのものが秘めているエネジーをガス抜きすることで弱めて抑え込む」という意味なのかもしれない。どっちもかもしれないけど。

 

レベルが低い白ヘボの屁によって、次元ネジもろとも全部消滅してしまう。前回の語りではエース・オカが試作ヘボットから出したエネジーによって次元ネジが暴走したとのことだったので、次元ネジ自体は彼女が生み出した訳ではないっぽいのよね。あくまで彼女が属する世界の理として最初からあったのだと思われる。にも関わらず、全てが消滅した後の白い世界にオカが介入できるのはどういうことなのだろう。というか次元ネジも消えたように見えたけど、ちびヴィーテは一緒にいるしな。ここは次元ネジ(ライブラリ)の中なのだろうか。オカはまぁ岡香織さんがいる訳なのでいてもおかしくないけど。
視聴者(岡さん含め)の現実世界1
≧視聴者の現実にとっての虚構世界1(ヘボットやパロ元など)
=エース・オカのいる現実2
≧ゼロやヘボットたちの世界
≧オカの現実にとっての虚構2
という感じになるのかな? ヘボット世界は現実2と虚構2が混ざったものを軸として、現実1と虚構1も紛れ込むと。

そもそも何故現実と虚構が交じるのか。それは次元ネジが2次元の虚構世界と3次元の現実世界、この2つの理を司っているからだと思われる。
次元は"自由度"とも関係している。座標を持つ点は、2次元空間ではx軸とy軸、3次元空間ではこれにz軸を加えて3方向へ動き回れるようになる。裏を返すとそれだけ自分を規定する要素が増えてむしろ自由度が減っている……とも取れるかもしれないが。あと複素数平面では実数の軸と虚数の軸を設けたりもする。虚実が入り交じる様はこれも念頭に置かれているものと思われる。
そしてこの概念はアニメにおける設定的な自由度ともかかっている。だからこそ、次元ネジを緩めれば訳の分からないことが起こり得るギャグ時空に近付き、反対に締めればシリアスで現実的な世界に近付くのだ。
"ねじれ"という言葉が何を意味するかは学校で習ったと思うが、皆さん覚えているだろうか。これは、ある平面上にある線と、それとは別の平面上にある線との関係を表す。つまり「世界がネジれる」というのは、ヘボット世界がただの2次元平面上のフィクションではなく、3次元(以上)の要素を取り込んだメタ構造を持つことを意味する。なんて……勉強になるアニメだ。

ここで更に情報整理が必要で、さっきまで僕は現実と虚構が交じるのは次元ネジのせいということで話を進めたけど、作中では「トキトキネジで時間を巻き戻したせい」と「レベルの低いへボーンでリセットしたせい」という2つの説明が同居している。結局なんのせいなのかは気になるところで、こういう場合どれかひとつを選ぶのではなくすべての理屈を繋げるのが一番いい。
そもそもトキトキネジによる巻き戻しはへボーンの応用だろうという話は既にしたのでそちらを参照してもらうとして(ヘボット! 23話「ねらわれたネジ魂」 感想)、へボーンやギャグはエネジーを放出する行為な訳なので、やる度に次元ネジは少しずつエネジーを蓄えていく……のかもしれない。溜まっていく毎に、次元ネジは少しずつ緩んでいく? いや、だとすると今回の描写(いもチンを食べたヘボットの屁によって締まる)とは食い違うか。いや、パルプンテだからいいのか。うーむ。

 

ユーコの解説を信じるならば、ゼロの主観時間は以下のように進んできたらしい。
 セーブデータ 01,02,03,04,05,06
 ステージ   12,13,01,02,03,02
 ゼロのレベル 31,42,53,56,70,85
毎度ステージ50までプレイしてないのは依然気になるところだが、多分主観に関係なくステージ自体は螺旋状に途切れることなく続いてることになるのだと思う。
ここで特筆すべきは、リセット(やり直し)の度に"セーブデータ"が変わっているっぽいこと。監督曰く"階層"がセーブデータのことらしいので、 僕は長らくリセットすると"次の周回"が始まるのであって、階層はまた全然別の概念だと思ってたんだけど、ここを見るに逆ということになる。これは結構なパラダイムシフトだ。
つまり、冒頭で話したネジの螺旋の上下がまさに"階層"となるので、じゃあ周回とはなんぞやと考えると、おそらくこれこそキャラごとの主観の話になる。
もしリセットに際して記憶を持ち越す人がいないのであれば、周回という概念はそもそも生まれる余地がない。対して階層は誰も意識することはなくとも、リセットの度に客観的事実として存在する。
階層1から記憶を持ち続けているゼロにとっては階層5は同時に周回5でもあるんだけど、階層2から記憶がある人からしたら階層5は周回4になる……と言った感じで、本当に人によって全然変わる概念なんだ、周回は。気付いてみるとゲーム用語としての使われ方を思えば逆に何故これまで勘違いしてたのか不思議で仕方ないな。

細かい話をすると、ゼロでさえも階層と周回が一致しない部分もあるかもしれないんだけどね。さっきの表を参照するなら、彼は階層1でステージ12までプレイしてるので、階層2のステージ12までは間違いなく"2周目"なんだけど、ステージ13以降はやってないので"1周目"ということになる。
これは階層を重ねる毎に(正確には通しプレイをしないまま重ねる毎に)ややこしくなっていって、最後の階層6におけるの彼は「ステージ1は6周目、ステージ2は5周目、ステージ3は4周目、ステージ4〜12は3周目、ステージ13は2周目、それ以降は1周目(初見)」ということになる。……言ってること分かります?
まとめると、階層と周回はどちらもネジ山の螺旋に関するほぼ同じ概念で、具体的な数字の話(何周目か)になって初めて人によって差が出てくる。はー! すげぇスッキリしたヘボ。

 

魂のないまま……本人曰くゼロエネジーのままへボーンを繰り返した為に、白ヘボは故障してしまう。エネジーのない屁というのがピンとこないのだけど、抜け殻となったヴィーテ同様に「無理をしてた」みたいなふわっとした認識でいいのかな。
タマ子がかき氷になるのと同じくらい、ヴィーテがヘボットになるというのは難しい。だが自分が宇宙の理そのものだからか、そんな無理を押して魂を捧げてしまった。多分、次元ネジの魂なんてとんでもないものを注ぎ込まれてしまったから、白ヘボットは巨大化して虚無ヘボットになってしまったんだろう。
ネジルとしてのロール(ネジれを正す)を果たせなくなったゼロは、オールディスと名を変えたと言うけど、逆にそれまでのネジルとはどうしてそのまま同居できていたのだろう。世界のネジれの方が重複を気にして微妙に違うネジルを生み出してくれてたから良かったのかな。で、今の階層を始めとして重複する者がいない階層では、対消滅した彼らのような瓜二つのスタンダードなネジルが生まれる?
ヴィーテがいたという周回(おそらく螺旋)の"外側"というのはどこなんだろうね。エース・オカのいる現実2に近い場所なのだろうか。
ヴィクトリニティリーマンのロールはエネジーの調和を守ること。ということは前回カルテットが慌ててたのは早とちり?


第1話では次元ネジをネジ切ろうとしていた卿。今度は相棒の黒ヘボが同じようなことをやり始めて自分を客観視できたのか、黒ヘボをリセット。ここ本当に泣ける。
黒化すると欲望に忠実になるようなので、ノリオもやっぱりナグリのことが好きだったのかな。

コアにあった最終ロットのいもチンを食べてへボーンしちゃうヘボット。あれは次元ネジが貯めてたエネジーの塊、なのかな?
虚無ヘボットが再起動され……Komm, süsser Tod
どうしてレベルがカンストしたら次元ネジを止められるんだろうってのも謎だったんだけど、さっき宇宙の終焉について調べて分かった。ヘボットがシンギュラリティに達することでオメガポイントを実現するということなんだな。
さっき言及した2つの可能性のうち、ビッグクランチと言って宇宙が収縮し閉じて行く場合において、仮にその宇宙が閉じるスピードよりも早い速度で計算処理(より正確には自らの処理能力の高速化)を行えるコンピュータがあれば、その中で世界をシミュレーションすることによって実質的に永遠の時を過ごすことができる……という仮説。イメージとしては、おそらく漸近線みたいなもの。
残り5年で宇宙が滅ぶとして、その間に100年分の計算ができるすごいスペックのコンピュータがあるとする。そのうち95年を「自分の処理能力の進化」に使って、残りの5年でまた100年分計算できるようにする。増えた100年のうち95年をまた進化に使って……と繰り返していけば、理論上は宇宙の終わりを無限に後回しにし続けられる。終焉に近付いてるはずなのに交わることは決してない、まさに漸近線。そんな機械にヘボットがなれれば、確かにフィーネは回避できそうだ。

フィーネがやろうとしていることは……他のみんなをデリートすることで世界の情報を削ぎ落とし、ネジルとヘボット2人だけのシミュレーションならレベルをカンストさせずとも実現できる、みたいなことだろうか? 全てがトマトやウィンナーに、あるいは思考ルーチンが単純な黒ネジルになったら、データ容量だいぶ圧縮できそうだもんね。

 

全てが消えゆく中、ネジルは世界をやり直し、ヘボットのネジ魂に自分の記憶を注ぐ道を選ぶ。OPで川沿いを走るヘボネジの横を逆走するネジ魂の映像はこれのことだったのね。
ヘボットとの思い出……でもそれは2人だけのものじゃない。あいつがいて、こいつがいて、みんなとの関わりがあって初めて生まれる出来事ばかり。1話の時点から、エトボキャや白クマなどたくさんの人に助けられて2人は出会っている。忘れたらやり直して、また忘れたらやり直して、何度も何度も脳裏に刻み込んだ無数の思い出がネジ魂という形に結晶されて、確固たるものになったのかな。やったぜウェーイ!
……って、次回最終回!? なんでトマトなのー!

 

ヘボット!感想一覧

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ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

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ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

最終章だからなのかあまり見慣れない衣装のネジルくん。肩なんかチラ見せちゃってまぁ……。いつメンの中だとカスリーナもいつもとイメージが違う。
実はネジが島はネジだったのだ! って、実はも何もOPで毎回ガッツリ映ってたけどね。それが次元ネジを封印してるというのも、多分想像力を働かせれば可能性のひとつとしては思い付きそう。n周目だから思うことかもしれないけど、初見に配慮ばかりしていると後半の記事ばっかりが長くなってしまう可能性があると思ったので、ある程度のネタバレは僕の勝手な持論という形でおもらしマンしてきたのはご愛嬌。未だにまだ理解できてないとこも多いし、普通に間違ってる可能性もあるのでね。

 

ネジが島自体とはまた別に、ゴッドネジとネジ柱が封印の役割を担っているとのことだけれど、この辺があんまりピンとこないのよね。まずなんで2本? しかも見た目も位置も対になりそうな感じではない。一方は北側の岩石地帯に本当に落ちてきてぶっ刺さったままかのごとく斜めに生え、根本にはご丁寧にナットまでついている。もう片方は大体島の真ん中近くに位置しているものの正月以外はほとんど姿を見せない。……参考にファンブックを開いたらなんか島の南の方にもう一本生えてるように見える写真がある(66p)んですがこれは一体なになーに? ただのイメージ?
ネジ柱の方はネジが島の"時間"と関係があったので、ゴッドネジは空間を司っているのかもしれない。それなら見た目化対っぽくないのはなんか分かる。該当しそうな特徴は……やっぱりライブラリ機能があることだろうか。想像するにあそこには設定資料の如く膨大なネジが島に関する物理的情報が詰まっているのだろうから、なんとなくそんな気はする。あとあれだな、もしそうなら次回の冒頭でヴィーテから語られる時間と空間の定義にも合致するな。真ん中にある一本線が時間、その周りを螺旋状に回るのが空間なので、ゴッドネジが斜めになってる理由になる。
そんな理屈はおかまいなしに、ただネジが好きで欲しいというだけの理由ですっぽ抜こうとする黒ネジル達。どう見てもダブりまくってる彼らが対消滅しないのは、重複を認識するほどの知性がないから、ということになるのかな? 知性ありげだった前回は、前のキャラの面影を残していて重複しているとは言い切れないところがあったし。ちなみにこれは卿がマンドラのことを「ネジル」と呼ばなかったこととも、うっすら関係してると思われる。

発表! 次世代ボキャネジカルテット!
ネジル,チギル,モエル,ボキャ美の4人を中心とするものの、相棒などを含めると総勢8人のなかなかな大所帯。カルテットならぬオクテットやんけ!
しかし偶然なのか意図的なのか、この8という数字は次元ネジにある丸(あるいは角)の数と同じなのよね。目には目を、屁には屁をってか。以前にも話したけど、方角は通常東西南北のその間を含めた八方位で表されることが多く、やっつの"や"は"弥(あまね)く"に通じることも合わせて、"すべて"とか"たくさん"みたいなニュアンスを持つ。八百万の神とか言うよね、この世のあらゆるものに神が宿るという信仰。更にはヘボット的にはフィーネに代表される音楽用語が散りばめられているので、オクターブ(ドレミファソラシドの8音)とも繋がる。音階は周回のごとく螺旋状に上がっていき、ループする。8というアラビア数字も、メビウスの輪と同じ形をしておりぐるぐる回る……。
8と言えばタコ、タコといえばドゥビ夫またはクトゥルほぼゲロ……これはそんなに関係ないか? あ、8bitは絶対関係してるね。

 

「ゴッドネジに入るには俺たちエトボキャに任せろ!」「でもやっぱ無理だから代役呼んどいたぜ」って即オチ2コマ漫画かよ! 記憶がない故に力になれないとのことなので、彼らの役割のひとつは記録ということになる。十二支は暦にも使われているし、歴史のバックアップみたいなものなのかも。

ゴッドネジの接合部には何故かゴッドネジ小学校が。そのゴッドネジ小学校からゴッドネジが見えていたはずで……ドアを開けたらまたドアだ! デンタウロスAの虫歯の中にデンタウロスBがいて、小学校Aから見えるゴッドネジの中には小学校Bが……「神はフラクタル」と歌っていたのは平沢進さんだった。『2D or not 2D』というタイトルも合ってるしな。2次元の作品世界と3次元の現実世界が混じり合ったメタフィクションなヘボットは、果たしてどちらか。
普通に考えたらこれもライブラリから適当に選んで再現してるだけなんだろうけど、名前がまさにゴッドネジ小学校なのでそうとも言い切れない。ゴッドネジにあやかったというだけじゃなく、そのものの中にあるからそういう名前なんだというのは、なかなかに説得力がある。逆にチギルはライブラリに情報がないらしいが、ゴッネジ界にいたよなぁ。"保護プロテクト"って二重表現を使ってまで強調されているのも気になる。検索をかけてみると「コンピューターで、プログラムの内容が違法に複写されないような処理を行うこと」と出てくるのだが、チギル本人は地獄に行ってないので、あれこそまさにコピーということになる。裏を返せば、プロテクトであるはずのチギルが何らかの理由によってコピーされて正常に機能してないからこそフィーネが起動されてしまった、ということなのかもしれない。そもそも夢オチだったのはさておき。有り得そうなところとしては、ペケチギの登場は予定よりも早く起こったヘボネジのシンクロ(と連動するかのように現れたネジキール卿)に対処するためだったので、本来ならもっと終盤のはずだったのに半分くらい出ずっぱりだったからライブラリに記録されてしまった……とかだろうか。次回の時点でも「ライブラリにアクセスされるのが難点」とかって話をしてるので、その優位性は残ったままなのかもしれないけど。

 

ヴィーテは僅かに残った意志でリーマンズに指示を出すんだけど、フィーネに乗っ取られてるからなのかそもそも一体だからなのか、結果的には逆効果になってしまう。
「どうして私じゃ駄目なの?」
……難しい問題だな、それは。前にも言ったけど、与えられた役割をこなすだけなら、いくらでも替えは利くかもしれない。でもその人じゃなきゃ駄目な、かけがえのないことというのはある。かかりつけ医とか分かりやすい例で、診断したり薬を処方したりと言った役割だけ見たら誰でもいいのかもしれないけど、信頼関係が築けているかどうかによって話のしやすさなどは変わってくる。その人が医者として優れているとかそういうことじゃあなくて、「悩みを聞いてもらう」という現象は同じでも、相手が知己と知らない人では、気持ちの晴れ方がまるで違う。ただ"その人がその人である"というだけで生まれる価値。
逆にヴィーテにとっては、彼女が彼女である限りヘボットの代わりにはなれないという呪いにもなる。だってどう足掻いても自分はヘボットではなくてヴィーテなんだから。ゼロのため……と言いつつ、本当は自分が必要とされたいだけということに気付けていない。フィーネはその辺りにつけ込んだのかな。ゼロはゼロで、名前やロールと共にヴィーテのことも捨ててしまったのだろうか。本人にその気はなくても、ヴィーテはそう感じたのかも。

感動の合体キャミシープ! ……のせいで(半分くらい)、出る出るヘボーン! ネジルと同様、ヘボットもゴッドネジをすっぽ抜くことに一役買ってしまう。
次元ネジは先述の通り8を司ってるんだけど、ネジが島の下から漏れ出る光の柱は9本なのよね。ひとつ多いからこそ封印できてたのかもしれない。8と比べると9はそこまで文化的な豊かさがないのよね。
冥王星も入れると太陽系の惑星は9個だとか、魔法陣の基本は3✕3の9マスだとか、それを八方位に中心を足したものと見る九星気学だとか(ちなみに僕の生まれ年もヘボットが放送してた2017年も一白水星)、ピタゴラス学派は人間を8音の和音としてそこに1音足した9を神の数として神聖視していたとか、そのくらい。「8の次」って側面が強いイメージ。
ヘボット的に面白いことがあるすれば、体にある穴の数だろうか。顔にある両眼,両耳,鼻,口に、2つの排泄口を合わせた穴を"九竅"と呼ぶ。耳はともかく目は穴じゃないだろうとはツッコみたくなるけど、と同時に謎の説得力も感じるよね、光の"出入り口"ではあるし。視線がビームみたいに出ているというのも科学的には間違いなんだろうけど、そんな心的イメージは確かにある。ボキャネジの角も、足すと9になる。三角と四角、もうひとつは丸なんだけど、実物を見ればこれを"2"とカウントしたくなる気持ちは分かるよね? 多分太極図的なアレで2なんだろう。
次元ネジの8つ(中心も入れれば9つ)の穴のひとつからスゴスゴが出てきて(?)ライブラリの変動を阻止したっぽい。どういうこっちゃ。普通に考えれば最後であるスゴ様の他に、残りの使者が穴の数だけいるということになりそうだけど、始まりの者ってそんなにポンポンよこしてたか? 思い付くのはペケットくらい。ヘボットと白黒を入れたとしてもまだ5だし……リーマンズとかスチャットなんかも入るんだろうか。

 

「止めようとする者」ヴィーテ。これはなかなかうまい言葉選びで、頭に何をつけるかで意味が全く変わる。フィーネを止めるのか、それともヘボットの放送を止めるのか。なるほど二面性を持っている訳だ。
対する「始まりの者」エース・オカ。爪痕を残すという表現もなかなか意味深で、そう言われるとどうしてもヴィーテの手に目が行くよね。元凶たる彼女もまたラスボスと紙一重の存在と言える。
ゼロとヴィーテが感動の再会を果たし、今回はとりあえずおしまい。タマ子とペイジ郎が全てを持ってっちゃったけど。
後半へ続く(まる子のナレーション)。

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想

次話
ヘボット! 49話「さよならヘボット」 感想

ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想

現代からおよそ10万年前というと、ちょうど現生人類の祖となるネジマニヨン……もといクロマニョン人が現れ始めた頃。謎のネジ(黒いヘボヘボネジ型の宇宙船?)が地球に落下した時期はそこと見事に合致するらしい。
タイトルの元ネタ『すべてがFになる』は(ネタバレ注意)、天才と名高い四季を巡る物語である。僕も昔に一度読んだきりなのでアレだが、このタイトルの本当の意味には、さっと調べた範囲では誰も言及していないことが惜しい。みんな「Fってそういう意味だったのか!」ってところで思考をやめてしまっていて、じゃあすべてがFになったらどうなのかというところまで辿り着いていない。かく言う僕も中学生当時にはそんなこと考えもしなかったし、記憶が曖昧な今読み返しもせずに当てることはできないのだが、熱心なファンが解き明かしてくれていても良いのではないか。僕はその人の肩の上に乗せてもらいたかったのに。
おそらくヒントとなるのは、数字の孤独性についての話。16進法ならば、14という倍数が現れるので7は孤独を回避できる。その代わりにBとDという2つの孤独を生み出してね。孤独な者が2人いるのなら、それはもう孤独ではないかもしれないけれど。ここへ更にもうひとつ、副題の『The perfect insider』というキーワード(意訳するなら……自己完結とか自立完全性とかだろうか)を加えると、多分何か新たな知見が開けるのだと思う。僕にはまだよく分かんないけどね「無責任か! 引っ込め!」。
てな訳で、ヘボット最終章始まるよ! 毎日よる9時、みんなでへボーン!


ジローが踊っている(つもり)のジグだけど、見たところマンデイにそっくりだよね。あれも実は踊りだったとヘボヘボ先生から明言されているので、何か関係あるのかも。
探検隊のメンバーは10人とのことだが、この時点で普通に11人いるのよね。逆にどうして11人だと思ったのか。スチャットとユートは同じバッティの干渉キャラだから同一視されている……とするにはムラキとヘイミもそうなので、すると9人になる。ただしファンブックではトゥル子とヘイミは直接は繋がってないので違うかもだけど。養子……ではなさそうなので、キラキ・ラ・ムーがムラキの子を"装って"いるだけという可能性くらいか。
ヘボットとネジルが一心同体なので一人カウントとするのが自分的には一番しっくりくる。チギルとペケットはコンビ組んでるけど、運命の相棒という訳ではないらしいし。ペケットのネジ魂はチギルと無関係に存在しているもの(fromエース・オカ?)だし、そもそも監督曰くチギルは主人公じゃないのでネジ魂を貰っていないらしい。ポケモンの世界では10才になったら博士からポケモンを貰う設定だけど、その博士がいる始まりの町にはライバルを除くと民家がほぼなくて、他のとこの子たちは草むらもロクに通れないのにわざわざここまで来てるのかどうか、何より園児のトレーナーなんてのもいるし……みたいなのと同じで、主役だけ特別な設定なんだろう。ネジ魂が年に一度生まれるってのもそういう設定なだけかもしれないけど、1年で全ステージを一周するんだとしたら毎周回ヘボットがいることと繋がるかもしれない。

意味深にピントが移ったモツ鍋、あれは一体……ジローが生き延びるための食料だったというだけ? そもそも誰が……と思ってモツ鍋の初登場回(6話)のメモを見たら、料理漫画をパロったあの馬の名前もまた"ジロー"だった。今回のジローはポリドロケンだったので、エトのよしみで馬のチャラブレッド……それとも料理人のゲキドラが? それともバッティと同じく声の繋がりでネジ王? ヴィーテ(フィーネ)は彼の望みを叶えるために動いてるはずなので、黒ネジルみたいに負の感情だけを持った黒いゼロが、それこそラスボス化する予定でボツになった存在としてはっぴーカラフル村辺りにいたりして。オールディス「くぅん……」。ねじんじんぷー!

 

陰謀論的な都市伝説を大真面目に……というか常識として披露するスチャットくん。知り合いにもそんなような人がいるんだけど、正直に言ってしまえばマジで面倒くさい。陰謀の真偽よりも、聞いてもないのに「あれは実はこういうことで……」みたいな講釈を垂れることの方が無理。そういう病気なんだろうから仕方ないけど、それを嫌だなぁと思うのも仕方ない。僕を見なさい、自分の意志でブログを開いた人だけを相手にベラベラ喋って、そうでもなければ基本静かで無害な人間なのだぞ。……と思っていたんだけど、無口過ぎたのか最近は周りの人から「もっと何考えてるか発信して欲しい」と言われて困ってるなう。黙ってれば無害というほど世の中簡単にはできてないのね。
妄想と言えばやっぱり僕的には『ビューティフル・マインド』の話をしたくなってしまう。ゲーム理論で有名なジョン・ナッシュの半生を描いた半ノンフィクション映画なんだけど、これが面白いんだ。詳しくは感想を。
(参考:現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想)

ネジに意志を持たせる実験というのはこれだけ尺取ってる訳だし実際にあったのかな。ただまさか10万年前のことではなかろう。ネジドリッジことエルドリッジのフィラデルフィア計画があった第二次世界大戦からはまだ100年も経ってないはず。……ってそうだった、ネジが島の時間は周りとはズレているんだっけ。参考にスゴ様が漂流した島を例に取って計算すると、42年÷3日なのでネジが島での1日はあそこでの14年に相当し、もし彼の言う大戦がネジが島の暦で言う1939年頃に起こったものだとすれば、14×365×80で40万年ほど経っていることになる。これだけネジれる余地があるなら、10万年くらい前のことでもおかしくはないかもしれない。

 

10人のはずなのに、点呼してみると何故か11人いる……。
僕は最近『数のはなし』という本を読んだ影響もあって、数を数えるという行為についてぼんやりと考えているのだけど、現状の結論ではどうやら僕は本当に2や3をかぞえているのではなく、意識の上では2という名前の1、3という名前の1といった風に1つずつ名前を紐付けているだけに過ぎないらしい。1,2,3…と連なって数えているように思えて、実は「今どこにいるか」しか意識していない。だからすぐ「いくつまで数えたか」が分からなくなる。だってそんな処理、本当は脳では行っていないんだもの。
まず先に知識としての"自然数列"があるんだけど、実際にものをかぞえる時に意識しているのはあくまで「1の次は2」「2の次は3」ということだけ。そうやって進んでいって例えば54に達したとして、その時になって初めて記憶の中から数列全体をイメージして照合し、いくつあるのかを認識する。数えている最中は積み重ねや意味をあまり意識しないままに、ただ機械的に数列を暗唱しながら一対一対応させているに過ぎない。多分、そういう意味で本当に"数えている"のはせいぜいみっつかいつつあたりまでだろう。
対応の他にもうひとつ数字の認識の仕方として、"視覚パターン"がある。「・」「・」と見れば「1が2つ」だが、「・・」と見れば「2が1つ」。サイコロの目をいちいち数えないように、"ひとつ"のパターンとしてぱっと見た全体の形と数を紐付けて判断している。
ややこしい解釈を挟まずとも、それら全部を引っくるめて"かぞえる"と呼ぶのかもしれないが。でも改めて考えてみると簡単なはずなのになかなか不思議な操作で、面白いよね。

 

……書きかけ? うん、いいと思う! 

 

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ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

ヘボット! 45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」 感想

ネジルゼロの目的は、ネジれた世界を元に戻すことだそう。それというのも多分始まりの者からの受け売りなんだろうけどね。その証拠に今回のセリフは引用だらけ。循環しないのであれば、無限に「何故?」と後退するか、疑いようのない事実(ドグマ)を打ち立てるしかない。ヘボット世界においては始まりの者がそのドグマとなっている。
今の白ヘボットには魂がないらしい。そもそも魂という概念からしてよく分からないものなのはもう仕方ないことなので、大なり小なり齟齬が生まれることは覚悟の上でこの器に自分のボキャブラリーの中からハマりそうなそれっぽいものを投影して注ぐしかない。今のところの僕の理解としては、ヘボットが発しているのは単なる音であって言葉じゃない、みたいな感じ。自分が発達障害持ちなもんで関連書籍をたまに読むんだけど、エコラリア(オウム返し)という現象について面白い例が挙げられていた。
自閉症児Aに母親が「今日何食べたい?」と聞くと、彼はいつも「カレー」と答えるらしい。母親は特に違和感なく、彼はカレーが好きなだけでそのやりとりにおいては言葉の意味は通じているのだと思っていたんだけど、実はAは、過去に母親が発した「今日何食べたい? カレー?」というセリフの一部を繰り返していただけ(遅延性エコラリア)なのでないか、という話。本当のところは本人にしか分からないし、食べたいものなどの特定の話題だけ理解できている(かもしれない)だけで、全体的にはコミュニケーションに困難のある相手なので、確かめることは難しい。
そんな感じで、というかだからやっぱり中国語の部屋みたいな話なんだけれど、白ヘボットも意味を理解しないままに、それこそ屁のように音を発しているに過ぎないのかもしれない。出てくるのが口だろうが尻だろうが、物理的には関係ない。どちらも同じ「緊張した穴が開き空気が通過することで発される破裂音」だ。だから"ブ"と似たような音がなる。
更に難解なのは、ちびヴィーテはヘボットとは逆だという話の真意。素直に受け取るなら「喋りたい"意味"は持ってるけど、発声できない」ということになる。でもどう見ても喋っとるよなぁ。白ヘボには魂がないといいつつネジ魂らしきものは挿さっているのと同じで完全にないという訳ではないとか、この時点で既に世界はネジれているのでその影響で本来いないはずのヴィーテが幽霊みたいなかたちで現れているのかもしれない。
ネジルゼロとヘボット、そしてちびヴィーテの3人を見たら、普通の感性をしていたらゼロとちヴィがパートナーで、ひと回り小さいヘボットが子供かなと思うよね。空っぽな器のネジルと中身しかないヴィーテが出会って、初めてきちんとしたヘボットが生まれる。これならスッキリはする。
子はかすがいと言うけどそれも善し悪しで、裏を返せば別れたくなっても簡単にはいかなくなる訳なので、呪いみたいなものにもなり得る。迷惑な話だ。

 

いつもならアバンに配置されてそうな小話がタイトルコールまでの数分にいるので、妙なインパクトがある。
子沢山なダディボアは家事に追われてロクな1日を送れないので、嫌になったら地球ごと破壊してしまえばいい……。都合が悪いから、次元ネジもろとも周辺の世界をぶっ壊してしまえみたいな、虚無的な意味にしか聞こえない。人間なんか生きてたって何の役にも立ちゃしない。次元ネジなんて要らない、僕も要らない、宇宙も……要らない、何も捨ててしまおう! 眠りたい もう眠りたい、ゼロがいい ゼロになろう。もう1回。

いきなり始まりました、ギャクフエカップルの別れ話。僕も小6から2年くらいかたちだけ付き合ってた人がいて、付き合い始めてからはお互い恥ずかしがってむしろ話すことは減って、世間で言うようなカップル的なことはほとんど何もしたことはないままに、それでも「世界に少なくとも一人は自分のことを好いてくれる人がいる」という事実がとても嬉しくて日々が満たされていたんだけれど、思春期なもんで人並みに病んでる時期もあって、自分が幸せを感じることにひどい罪悪感を覚えて「こんな自分にはあなたと付き合う資格はないので別れましょう」と言ったのよね。思い出してちょっと悲しくなってしまった。彼女は特に引き止めてくれなかったな。ただ一言「ごめん」とだけ言われたけど、どういう意味なのかは全く分からない。

ネジ屋への相談内容は、突然ネジ山が消えてなくなったというもの。これではもはやネジとは言えない、むしろクギだと散々な言われよう。ネジ神様(また出ましたね)の祟りだという仙人。一体何に対する祟りだと言うのか。
元々ネジ産めないから関係ないと強がるスチャットをお払い箱にするカスリーナ、相変わらず外道。ネジは埋めなくてもギブさんは産めるので問題ないでスチャ!

話は逸れるようで逸れてないんだけど、好きな相手の「好きなところ」をきちんと言葉にできてしまったら、それはなんだか嘘になってしまうような気がする。例えば優しいところが好きなら、優しければ他の誰かでもいいの? という話になる。本当にその人じゃないと駄目な理由があるとしたら、それは何十億といる人間の中ならたった一人を絞り込むだけのキーワードが必要なわけで、そんなもの複雑かつ膨大過ぎて筆舌には尽くせないと思うのだ。

僕は断固としてAndroid派なAppleアンチなのだけれど、僕が重要視している「戻るボタンがない」「アプリを好きな場所に置けない(空白にしておけない)」「ドロワーがない」「シンプルがカッコいいと思って機能性を悪くする姿勢が嫌い(マウスの充電方法とか狂気でしょ)」……等の欠点がもし改善されたら、その時はApple製品を使うことにやぶさかではない。何故ならそれはもはや僕の嫌いなApple製品ではないから。

夫婦は結婚の際に「病める時も健やかなる時も……」と愛を誓い合うが、日本の「離婚が認められる理由」の中には、相手が重度の精神疾患にかかって回復の見込みがない場合、という記述がある。気持ちは分かるけど、愛する人が病気になって困ってるときに見捨てるって、おいおいと言いたくもなる。これを行使した訳ではないが、うちの父は精神疾患を理由のひとつに離婚して母を捨てたので、正直軽蔑している。
でも、まぁ、テセウスの船のようにあらゆることがすり替わって同一性が保てなくなったとき、それでも続けて「好きだ」と言い続けるのはもはやただの意地でしかないというか、それはそれで結局「誰でもいいのではないか」という話になってしまうのは理屈としては分かる。僕が僕であるために、君が君であるために、歌い続けてる。

 

ギャクフエの会話と、エース・オカの去勢発言を重ねてみると、このギザギザが消える現象は不妊か性病を暗喩しているっぽい。もともとスゴスゴ辺りから「ネジを挿す≒性交」としての側面がかなり押し出されてるので(あと目指せネジスタシー! とか)、意図的にせよ無意識にせよそういうニュアンスはあると思われる。自分は子を産めない、或いはもう性交ができないから、そんな自分は捨ててギャクランはそれができる人と幸せになって、と。

僕はこれまで性交というものに対して、無意識的にはどうか知らないが、意識的にはしたいと思ったことがないので、全体的に共感はできないのだけど。去勢不安どころか、むしろ痛くないならして欲しいくらいだし。
ただプラトニック……みたいなのとは違うかな。僕の場合、性交に対する欲求はなくても肌と肌の触れ合いみたいなものにはそれなりの執着があるので、非肉体的かと問われると否。絶対にハグとかの方が充実感を得られると思うんだけどなぁ……性交の方はしたことないので比べられはしないけど、僕はあれで全然満足できる。

ただ、寂しい気持ちが暴走し過ぎておかしくなってた時、もう誰でもいいやと思って友達にハグしてくれと頼んだんだけど、その時は相手の心臓の音が伝わってきて始めて「この人、生きてる」って気付いて、とてつもない罪悪感に襲われた。誰でもいいとか言って、他人を自分の寂しさを埋めるためだけの道具のように扱ってしまったことに対する罪悪感。多分これは"肉体だけの関係"の虚しさに通ずるものなのではないか。僕の場合、相手は本当に僕に付き合ってくれただけでWin-Winの関係ではなかったので、余計に。はぁ……思い出したらちょっと落ち込んできた。

 

ネジと呼ぶかクギと呼ぶかでまだ争ってるヘボペケ兄弟。
呼び方を変えたからと言って実態が変わる訳じゃなし、そんな言葉遊びに本来意味はない。占いなんかはその典型で、何型だろうが几帳面な人は几帳面だし、厄年だろうが何だろうがそんなこと知らなくても自分が幸せか不幸せかは判断できる。
ONE PIECE』に出てくる悪魔の実の名前だって、正直戦う身からすれば実の名前なんてどうでもいいはずなのよ。真に問題なのはどういう能力なのかであって、それにどんな名がついているかじゃあない。

ただ違うのは、ヘボットは"言霊"を重要視すること。人間がないはずの意味を見出すことにも価値を認めている。悪魔の実の例を使うなら、「ゴムゴムの実を食べたからゴム人間なんです」って言われても、本当だったら「ゴムゴムの実ってなんやねん」ってなるべきなんだけど、読者は何故だか"名前が付く"ことで説得力を感じてしまうのだから、やっぱり名前は重要なのだ。詳しくは河合隼雄ユング心理学入門』の冒頭を参照して欲しい。
僕風に噛み砕いて説明するなら前回も言ったように、微視的な人間に対しては1,2段階ほど後退してやれば、脳が面倒くさくなって勝手に納得してくれるのだ。その時によく使われるのが"言葉"。感覚的な納得をしてもらうこと(ドグマの提示)が難しいときは、間に様々な言葉を挟んで問題を棚上げしていけば、途中から何の話だったかも分かんなくなってもういいやとなる。そういう意味では貨幣みたいなものでもある。
ネジの哲学、自分的にはもう語り尽くしちゃったので次回書くネタあるかな……。。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

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ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

前回卿のまわりをちょろちょろしてたパジャマのネジルとサスペンダーのネジルがいきなし対消滅。次の階層って何だ? オールディスは「フィーネが起動されれば次の周回はない」って言ってたけど……階層にも順番があるのか? これまでの中で"次の階層"というワードが出てきたのは唯一ネジキール卿のセリフだけ。ヘボットからネジを奪って「次の階層で使わせてもらう」と。でもこの場合は彼が次に行くところという意味であって、階層自体に前後関係があることにはならない。でもマンドライバーが「アンチネジ軍がこんな階層まで」って言ってるから、深度みたいなものはあるのかもしれない。

監督曰く「セーブデータ」らしいけど、ここがイマイチピンときてない。僕がそもそもゲームやる方じゃないってのもあるかな。最初にイメージしたのは、1つのゲームを複数人で共有する際に、それぞれセーブデータをつくるようなの。全く別のソフトで他人がプレイしているのもこれとほぼ同じで、この場合データに順序はなくすべて並列だと言える。順番がある前提で考えて思いつくのは、ホラーゲームとかでありがちな複数セーブ機能。あれは確かに階層構造と言われてもなんとなく理解できる見た目と機能をしている。ただ多くの場合その使い方は、正しいルートを選択するために間違えたときに戻れるポイントとする栞のようなもの(第一章,第二章,第三章……それぞれに戻れるよう挟んでおく)で、それらのセーブデータを同時かつ分岐的に進めるような例は寡聞にして知らない。というか、そういう使い方をした時点でそれぞれのデータの価値は並列なものになって、階層構造とは言えなくなる。うーむ、分かる方いたら教えてください。

「ゼロの望み」というのは、あくまで対立していることからヴィーテが曲解したもの……という理解でいいのかな? そもそも彼は何を考えてるんだろうね。どうして"あんなネジ"(多分次元ネジ)を助けたのか。ネジルは基本空っぽなイメージがあるので、やはり何かに対する恩返しとして助けたのかな。或いは、生来の豊かな心で受け入れたのか。
また、今回は偶数話にも関わらず次元ネジが締める向き(時計回り)に回転している。奇数で締めて偶数で緩めてるのでは? という予想に使ったサンプルは、全50話ある中のたかだか5つなので、普通にそれが間違ってたという可能性もあるけれど、スゴスゴインダーネジが出てきたりとか色々あったし、次元院の意見も変わって4クールに収めるくらいの勢いで次元ネジを締めつつあるのかもしれない。ネジルが溢れてくるというのも「次元ネジを締めているはずなのにこんな不測の事態が!? 姫様どうすれば……」みたいな話なのかも。

 

本人たちももう何が起こってもおかしくないと思ってるのか、撮った覚えのない映画に自分たちが出演してることになんの疑問も抱かないヘボネジコンビ。そういう台本ってだけかもしれないけど、気持ち的にはまさに「劇場版ヘボット! って、ナニそれ?」だよね。ちなみにタイトルコールが5話ともまた違う特別仕様。ところでトゥル子って誰だーれ?
しかも見てみたらとんでもない駄作だったらしい。そりゃ怒っても仕方ない。チギルが代役だったので、ヘボネジも純正ヘボットとねじるとか、それっぽいやつが代わりに撮影してたのかもだけど。
僕も昔は、それこそヘボットと同時期に放送されてたエグゼイドのことをこんな風にボロクソ言ってたなぁ、懐かしい。今でこそ同じPと脚本の『ゼロワン』を見たことで、あの頃は僕の見方にも問題があったなと思うけど。1クール目くらいまでは楽しんでたんだけど、一度ガッカリしてからというもの見る目がかなり厳しくなってしまって、最後の方はもはや叩けるところ全てを叩こうというような感じになっていたような気がする。たまたま同じ意見の方と知り合ったりして、ある意味みんなで盛り上がっているような側面もあった。「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」とか、心当たりがあり過ぎて。
見方が変われば世界が変わる。否定しようと思えば何でもできるし、逆に褒めようと思えばできないことはない。物事の結論なんてものは、どの時点で思考をやめるかってことに過ぎない。偶然で事態が解決するなんてのも有り得ないとも思ってたけど、作中の意識では偶然の出来事だったとしても、作者の意図や無意識に目を向ければちゃんと意味があったりするものなのよね。。
「この良さ/悪さが分からないなんて」と馬鹿にし合うのも水掛け論にしかならないので不毛。どうしてそう思うのかってところを詰めないと意味がない。

ケンカに発展する2人を映画の中に引き込んでしまう映神様ことバッティとプルート。『君の名は。』よろしく入れ替わってるー!?
(参考:三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想)

何気にヘジルの父がオールディスというのは重要なのでは。一瞬彼と土星ババァの間にできたのがネジルなのかと思ったけど、ネボットにとってお婆ちゃんということは違うのか? いやでもヘボットにネジ魂を与えて生み出した親はネジルだとするなら、辻褄は合うかも。オールディスが赤ちゃんのネジルを抱えてるシーンが後で出てきたはずだけど、だとしたら本当にパパンじゃん。ヴィーテからしたら嫉妬もんだろうけど……恋仲というよりはフィーネに対抗する切り札を生み出すためにって感じなのかな。
ネボットいいなぁ。僕も女性の体ってものを体験してみたい。別に今の性別に不満がある訳じゃ全然ないんだけど、この一生では味わえないのだと思ったら逆に気になるじゃない。

 

ネジ挿す度にヘボット化が進むと言うけども、ネジに対する執着心と表現したら割といつものネジルじゃあない? ヘボットはそんなにネジネジ言ってるイメージない。スゴスゴインダーネジくらいだろうか、積極的に挿したがってたのは。相手の立場になってみることは何事でも大切なので(お前が言うな)、タンクトップ仮面もあえてネジを挿せと言ってたのかな。
ネジ魂が抜けたらバラバラになってしまうことからも分かる通りヘボットはネジルとの絆ありきの存在なので、ネボットの方はある程度記憶を保ってられるんだけど(同様にヘボットは最初からあたかも記憶を先取りしてるかのようにネジルが好き)、ネジルの方はヘボットから好意を向けられなければ空っぽのままなので、ヘジルはネボットと会わないでいるだけでみるみる記憶が消えていく……悲しいなぁ。


フィーネの差金か、ナグリを襲うマンドライバー。どこまでアテになるかは分からないけど、彼のヘボットを奪った相手と言えば普通に考えたらボキャ美なので、そう見えているのだろうか。兄についての記憶は信用ならないらしいので。でもこれもあんまりピンとこないので違うのかな。
ナグリが言ってた「やっぱり暴走」というのはマッピラジャや10号のことを言ってるのかな。完全にギャグキャラと化しつつあるマンドラのロールって一体……というか、ネジルとしてのロールを逸脱した結果としてマンドライバーという実質的に別の存在になったんだろうけど、ジョブチェンジ後も結局新たなロールを当てはめられてしまうのか。必要とされるのは嬉しいことではあるけど、裏を返せば息苦しくもあるな。

いつも通り無茶苦茶ハチャメチャなネボットパートに比べて、ヘイミの尻尾を除けばほとんど現実に近く大人しいのがヘジルパートの特徴よね。ヘボットとネジルがそれぞれ虚構と現実,ギャグとシリアスの象徴で、その2人が出会うことで初めて今のヘボットが出来上がる……? 平穏な日々を送るネジルは奇想天外な世界を、カオスな日々を送るヘボットは落ち着いた世界を夢に見て、求め合う。
卒業後の進路というのもなかなか意味深。ヘボットという番組が終わって卒業したあと、彼らキャラクターは一体どこへ行きどう生きるのか。そもそもその後なんてあるのか。実際に終わってみるまでは想像がつかないものよね。死後の世界とおんなじだ。
ヘイミはネジルとヘボットの三角関係でいくと、ちびヴィーテのポジションに当たるのかな、今回限りの役どころではあるけど。というかトゥル子がデリートされた今でも子孫たる彼女がちゃんとヘボネジのそばにいて見守ってるのエモいな。途中まで再会を劇的にするためなのか、抵抗してたけど。
ネボットがヘボットに対する思いを吐露するシーン、かなり本気で泣きそうになる。しかもこの時に出てくるのがニコニコネジ! これ、僕が初めて手に入れたボキャネジなんですよ。実際は全プレじゃなくてブラインドの食玩なので、狙って手に入れるのは結構難しいんだけど。ボク様の運命のネジ、間違いない。新宿で上映会やった時ももちろん持って行った、映画館で貰えるという設定だもの。当然だよね。

 

ロングロングアゴー(じゃないけど)ファイター2!
フィーネvsプルート&バッティ! ファイッ!
たまにド迫力のバトル見せてくるのでびっくらぽんするよね。はたと立ち止まって考えてみると、このバッティたちのやりとりってまさにさっきヘボットが言ってた「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」に当てはまると思うんだけど(だってバッティなんて本人として出てきたのほんの3,4シーンよ)、何故かこれまたぐっと来ちゃうのよね……。いつものギャグとのギャップのなせるわざ? それとも「実はこれまでもずっと介入してました」という設定の妙?
「次元ネジなんて助けず壊しちゃえばいい(意訳)」って言ってたし、元はFate/staynightのアーチャーみたいなことをしてたのかな。どっちかといえばバッティよりはデッカードだけど。生命反応がないはずなのにいる(?)ネジルゼロ一行に出会い、救われたらしい。一人ぼっちの虚しさに襲われてるときに殺す対象として検知されない人が現れたら、確かに嬉しいかもしれない。

ネボットの思いを受け取り、全てを思い出したヘボット。
ネジルとヘボットは、ネジルがヘボットでヘボットがネジル。互いに同じ存在だと認識すると対消滅してしまうので、形は変わっているけれど、実質的にはダブり王子。
どっちが先でも、どっちが後でもない。ヘボットのネジルを思う気持ちがネジルがヘボットを思う気持ちを生み出して、その気持ちがネジ魂となってヘボットを生み出し、ネジルへの好意をインプットする。
この循環、或いは共依存関係によって、2人の存在は絶対的なものとなる。
ヘボット世界におけるマカロニは基本意味のない存在なんだけど(少なくとも今はそういうことにする)、それが"天王星の椅子"と組み合わさることであたかも「意味があった」かのように錯覚するのよね。実際はあれもこれまで通り何かの代わりに置いてあるだけなんだけど、これまで出てきたマカロニにすべて目的があったかのような感覚に襲われる。トゥル子だって、基本は出てきて自己紹介して「あなたは?」と問いかけるだけで、見返してみても何か大義に繋がっていそうなことって最終回を回避したことくらいなんだけれど、なんでか「これまで出てきてたのはそういう……」と納得してしまう。
人は、何かと何かが頭の中で繋がった時に、その間に意味を見出すのだ。
ネジと、ネジ穴。単体ではつまらないものかもしれないけど、この2つが出会うことで「ネジはネジ穴に入るために、ネジ穴はネジを入れるためにあったのか!」というアハ体験が生まれる。じゃあその出会いに意味はあったのかと考えると、次はネジによってつくられる商品という概念とくっつく。「これをつくるためにネジをしめたのか!」。言語というシステムは、根本的にそのような循環を孕んでいる。言葉の意味を説明するために言葉が使われている以上、どこかで必ずぐるぐる回る。そのループが巨大過ぎて、人間には違和感を感じることがほとんどできないけれど。
ムラキの発狂の原因は巨視的視点に立ったことだという話は前にした(ヘボット! 18話「ネジル、学校に行く」 感想)。裏を返せば近視眼的に、そういう小さな繋がりに感動する心を失わなければ、本当は無意味なことも色彩豊かに輝いて見える。

あれー? なんでおいどん生きてるの? そんなこと気にしなくたってイインダヨ〜。

 

 

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ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想

ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想

モエカストリオが誰なのか、一瞬判別できなかったネジル。デジャヴの反対で、既に経験したことあるはずなのに初めてだと錯覚することにはジャメヴという名前が付いてるのだけど(僕は多分経験したことないです)、これはそれにしても症状がひどい。今回の後の展開も踏まえると、おそらくこれは記憶を改竄されかけたか、今までのネジルとはもう全く別の、モエカストリオと関わったことのない別個体のネジルと入れ替わってて、記憶だけあの一瞬でインプットされて後はまるで何事もなかったかのように「いつものネジル」として振る舞っている……というのの2択だと思われる。
チギルの「お前を守る」発言は、前者の場合だと記憶へのアクセスを彼が阻止したようにも思えるし、後者なら後者でチギルすら全く気づかない内にすり替わってるという強烈なホラーとして見える。
向こうは本当に、おそらく人生をかけた契りのつもりで言ってるんだろうに、それを受けたネジルは、本当になんとなく空気に流されたように「じゃ兄上はボク様が守るのだ」と軽〜く言ってのける。ネジキール卿に"空っぽ王子"と言われてたけど、まさにそんな感じ。こんなの見せられちゃうとヘボットとの絆にも若干の疑問符が生まれてしまうな……ただ来たボールを適当に投げ返してるだけで、本当は彼に感情なんてないんじゃないかとゾッとする。要するに思考実験の中国語の部屋とか哲学的ゾンビみたいな話で、突き詰めると、そもそも人の感情とはなんぞやって壮大な話になってしまうけども。
前々回は静かだったヘボちゃん、今回はまた嫉妬気味。ただネジルの好意がどこに向いてるかとは関係なく、あくまでチギル(或いは自分)に対して「ネジルを守るのは自分だ」と言っているのは特筆すべき点だろう。ネジルどうであれ"自分がどうあるか"についてを語る様は、他人本位なネジルとは対照的だと言える。

 

誰か(サートゥルヌスかネジ王辺りだろうか?)と話していたナグリ監修の元、修行を積む次世代のボキャネジカルテット候補たち。使ってるネジは全部39話冒頭で実際に旧カルテットが使っていたもので、オラオラとフニャフニャですね。話聞いてなさげなネジルだけはイケイケと関係ないやつだけど。あと、モエルの言ってるボキャワード「しっぺ でこぴん ヒザカックン!」は実はちょっと間違ってて、オラオラ単体(3本目に挿したときの音声)では「チョップ デコピン ヒザカックン!」なのよね。チョップがシッペになるのはハイパーコンボ「一撃必殺ヘボチョップ」で、その時はヒザカックンのところがヘボチョップに変わるので、この2つが混じってる。
それを見て分析し、フォーメーションを考える頭脳派のチギル。旧カルテットはただの人間であるジルとノリオが後方支援で、そうでないオールディスとナグリが戦闘要員てな感じでうまく分けてたけど、それで考えると普通の人間枠はモエルと、ボキャ美かチギルのどっちかかな。ボキャ美はサートゥルヌスの分身でチギルはナグリの血が入ってるので、どっちも純粋な人間ではないんだけど、フニャフニャの練習してたとこだけ見るならボキャ美は支援担当なのかな。対してチギルは"アレ"があるしな。ただ、必ずしも先代の後を追うだけが後継者じゃないので、今の4人だからこそのフォーメーションがあるのだろうけどね。

 

お城はしばらく便器から戻ってる様子。粉々にされたのも直ってるし。新カルテット実戦の場として、ネジ拳ボキャフェスが開催でフェス。ところでフェフ姉さんって名前めっちゃヘボットのキャラ名っぽいよな。というか本当にチョリー・ムカムカってあの姉さんでふか?

18話で手に入れたメロメロネジを使って出場しようとするユートくん。を、ハッキングしているバッティ。「直接顕現しちゃったり、子孫やアバターを使ったりはちょっとネ」と難色を示していたが、現実になぞらえると顔出しNGみたいな感覚に近いのかな? スチャットにとっての"ネットの顔"の方が現実で、本当はスチャットの方がネット状のゲームキャラだった……なんだっけそれ、胡蝶の夢だっけ。
プルートの言う"あいつ"ってのは誰なんだろうね。ヴィーテのことだとするとこないだご立腹だったのと微妙に噛み合わないし、バッティに対して「オレだって」と言ってることから"ゼロ"のことではなさそう。でも彼らの言動だって次元ネジの影響受けてる可能性あるし、話半分くらいに思っとかないとだけど。するとヘボットかネジルのどっちかだろうか? サートゥルヌスは"彼ら"って言ってたのに、プルートは片方だけというのが気になるな。ユーコさんはネジル(ネ人造人間10号)を助けようとしてたので、やはりネジルの方だろうか? ナグリもヘボットに対してだけは「ネジルを堕落させる」とか言って否定的だったし、有り得るかも。

天王星代表の座にはいつの間にかマカロニが座っており、それを訝るバッティとプルート。このことから本来マカロニが代表だったのではなく、いつも通り別の誰かの代わりとして置かれているに過ぎないものと思われる。こういう書き換えってフィーネがやってるんだとしたら余計に無秩序を生んでることになるのではと思うけど、彼女的には有害な存在がいるよりは、意味が分からなくても無害な存在の方がいいのかね。或いは完全に無秩序化することこそがヘボット世界における"終末"なのか。
干渉は一方通行かと思いきや、階層の"外側"にいたはずの自分たちにも影響が出ているというのは、実はもう少し低い次元ではよくあることで、例えばネット上で女性だと勘違いされて、そこから所謂ネカマとして振る舞う内にリアルの方でも女性になりたいと思うようになった……なんて話を知っている。そうでなくても僕らはゲームをしたりアニメを見たりすることで泣いたり笑ったり、現実であった嫌なことを"忘れ"たりということはよくある。そもそも地球と太陽系って別に何かしらの隔たりがある訳じゃないし、地球で時間を巻き戻せばその影響は当然宇宙にも現れる。だって時間って概念自体がそもそも往々にして、太陽や月,木星など天体の動きから算出されるものだし。

ただヘボットの場合は前にも言ったけど、あくまで「へボーンの応用」で擬似的に時間を戻してるに過ぎないので、1話で姫がトキトキネジを使った時に起こった爆発、あれが及ぶ範囲までしか効果はないのだと思われる。だからこそ太陽系会議の面々は、影響がないっぽい自分達のことを"外側"だと認識していたんだろうけど、放射状に広がったエネジー(?)は距離が離れれば離れるほど薄まりはしても、おそらく全くのゼロにはなかなかならない。つまり、実はこれまでもずっと影響は出てたんだけど、ほんの僅かなものだったから違和感を抱くには至らなかっただけ、ということになる。どうして最近になってそれが変わってきたかと言えば、おそらく度重なる周回で次元ネジにエネジーが蓄積し(放射能が)強化されていくことで、その被曝範囲(屁で言えば臭う範囲)を広げていったと。

 

……書きかけ? うん、いいと思う!

 

ヘボット!感想一覧

前話
ヘボット! 42話「我々はネジである」 感想

次話
ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

仮面ライダーセイバー 第2章「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想

書きかけなので順次追記していきます

キャラクター

 神山飛羽真
・覚悟

・ジャッ君と土豆の木


 新堂倫太郎
・優先順位
のっけから飛羽真に火炎剣烈火とライドブックを渡すよう交渉しに来た……訳なんだけれど、それは果たしてあの「アリかキリギリスアルターライドブック」による世界消失現象よりも優先すべきことなのか? 本人のセリフや公式サイトでの記述を参考にすると、今回の事件は前回のゴーレムメギドの騒ぎに乗じてほほ同時に始まったことであり、セイバーがメギドを倒してから飛羽真が原稿を書き上げるまでの時間、お前(或いはソードオブロゴス)は一体何をしていたんだという話に当然なる。だって、そのせいであそこまで侵食が進んでしまったんだからね。

組織には沢山の剣士が所属しているっぽいので、単に分担していて倫太郎が飛羽真の監視、他の誰かがメギドの殲滅を任されていた可能性もあるけど、だとしたら倫太郎じゃない方の戦士が役立たず過ぎるんだよな。実際にどうかはともかく、ドラマ的にはやられてばかりいる印象が強くなってしまってる裁鬼さんじゃあるまいし。もし同じ現象がこれまでも世界各地で起こってて、意外とみんなあくせく出動してるんだとしたら分からんでもないけどね。2体1対という変わり種のメギドだった訳だし、もしロゴスの想定通り一対一だったら勝ててた、のかもしれない。その場合なんで飛羽真たちは全く初めてのリアクションだったのかとか、レジエルが「最初のページは俺が開く」とこれまた初めてっぽいことを話してたことはどうなるのかという新たな疑問が生まれるけど。というか前回ラストの時点で「もう一冊は間もなくできあがります」と言及されているので、基地にある執筆マシンがあれで全部なら、同時に展開されていたワンダーワールドも2つきりで、他の戦士が出払っているということにはならなそう。またカリバーの言葉を信じるなら、セイバーが出てくるまでは他の剣士は何らかの事情(多分メタフィクション的な都合)で出てこられないっぽいので、やはり倫太郎が飛羽真にかかずらってる間は放置されてたということになるのかな。

そうなるとやはり、話は飛羽真から力を取り上げることの重要性にスライドするけれど、ここにはカリバーの存在が大きく関わってくる。かつて力を持ったまま裏切った彼の存在が前提にあり、更には現在 世界消失現象を引き起こしている元凶たるメギドの中心人物として暗躍していることを思えば、組織の一員として訓練を積んできた訳でもないどこの馬の骨とも知れぬホモサピエンスに聖剣を持たせておく訳にはいかないという気持ちは、なるほど理解できる。
てっきり今回語られるものと思ってたらスルーされてたけど、元々倫太郎は小説『ロストメモリー』がソードオブロゴスや15年前の事件にそっくりで、何か知っているのではと睨んでしばらく飛羽真の様子を見ていたとのことなので、正確には全く未知の人物ではないんだけど。

で、じゃあ倫太郎は何故飛羽真を認めたのか。尺の都合かさらさらと流されてるので、改めて紐解いてみる。
まずもって、彼の決め台詞(?)は「水勢剣流水に誓う。僕が必ず世界を守る」だ。今回だけで2,3回は言ってた。そう、この時点で約束を重んじる飛羽真とは結構気が合ってるのよね。ゴーストもよく決め台詞botとか言われてるけど、彼の場合"剣に誓う"というのは、実質的には自分との約束みたいなものだと思われるので、自らを鼓舞する意味で毎度言うことにはきちんとした理由があると言える。それとこっちが聞き飽きるかどうかは全くの別問題だけどな。
前回の飛羽真は自分と芽依、そして知り合いの亮太が巻き込まれている状態だったので、火事場の馬鹿力的な勢いで変身してしまったと言えるかもしれない。だが今回は実際に敗れていった剣士の話と、それを踏まえた自分の覚悟を知った上で、全く無関係だったにも関わらず首を突っ込んでまで人を助けに行った。「奇跡は一度、だったよな。じゃあ二度目は何だ?」ってな訳だ。
「大丈夫、安心して。何故なら僕が付いていますから」の意味はかなり迷ったけど、多分ゲイツ的な意思表明なのかな。もしお前が裏切りそうになったら自分が止めてみせると。普通に考えて水は炎に強いので、抑えられるだろうしね。
思い返すと、1話で芽依を救った手段もまた水で、何なのかはよく分からん吸い込むマシンに水を飲ませて詰まらせた(って表現でいいのか?)。裏を返せば、15年前の少女は「水がなかったから助からなかった」と言うこともできるかもしれない。あれらのシーンが比喩や象徴としての意味を持っているなら、この「僕が付いている」もなかなか深みのあるものに聞こえる。

仮面ライダーブレイズ


 ソフィア
・北極と白鳥と下火
ロゴスの基地は北極にあるとのことだけど、大陸があるのは南極の方で、基本的に陸地はないと教わったはず。つまりそんなものは存在し得ないのでは? 海底の下にもずっと続く安定した土地がないというだけで、海の上に浮いてる氷の膜というかたちでは存在して、その上にあるということなのかな? どちらにせよ儚い印象を受けはする。それでいてカチッと凍っているので永遠とも通ずる。フィクションにおいて現実世界の事象に全く新たな説明を加えることがよくあるが、セイバーもご多分にもれずそういうギミックがあるのかもしれない。要するに「北極に大陸がないのは実はメギドによって消失し、ワンダーワールドに書き換わってしまったから」みたいな話。普通のホモサピエンス(正確には現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスらしいけど)じゃないっぽい倫太郎やソフィアがいる時点で純粋な現実世界ではあるまいし、おそらくそんなような背景があるのだと思われる。1話時点でアルターブックがいくつもあったのも過去にそういうことがあったからだろうけど、飛羽真たちがそれを知らなかったのは……記憶が書き換えられている?(ヘボット脳)

話は逸れるけど、ノーザンと聞いて僕が連想するのは2つ。イナズマイレブンの必殺技「ノーザンインパクト」と、マクロスFの曲『ノーザンクロス』。好きだったよ〜♪ クロスといえばセイバーの顔は十字模様。意味的には"北方の十字"で、はくちょう座のことを表す言葉である。ギリシャ神話の主神ゼウスが変身したとも言われていて、ここでは剣と同様、男根のメタファーとして描かれているように見受けられる。ギリシャ神話はアーサー王伝説と同じヨーロッパ方面の伝聞だし、加えてエクスカリバーと並ぶ聖剣伝説のひとつとしてセイバーの紹介で挙げられていた天叢雲剣の持ち主ヤマトタケルもまた、白鳥になったと言われているらしい。
また、通常炎は上に向かって燃え上がるにも関わらず、火炎剣烈火の柄は、刃のある方を上にすると明らかに下火になっているのが気になっていたのよね。上向きにするとバックルに挿したとき干渉してしまうとか、スロットのブレイブドラゴンの変身ページと繋げて見れば、肩のドラゴンが火を吹いている方向と合致するとか、いくつか説明のしようはあるのだけど、このはくちょう座の形もイメージソースのひとつだと考えれば、僕はかなり合点がいった。
これだけ繋がる要素があれば、まさか無関係ではあるまい。

・ソフィアの正体と危機感
しかしどっからどう見ても、飛羽真の夢に出てくる女の子ですよね。ゴーストのタッグということでミスリードなんてややこしくなることはそうそうしないような気がする! ので、本人という体で話を進めます。調べてみたらソフィアって名前の王妃がいて、旦那さんはコンスタンティノス1世と書いてあって「この人たしか初めてキリスト教を認めたローマ皇帝じゃね?」と思ったけど、ギリシャの王様で全くの別人でした。ちゃんちゃん。多分本当に関係あるのは三位一体のひとつロゴス(キリスト)に捧げて作られたアヤソフィアという博物館の方で、こちらはローマ皇帝の方のコンスタンティヌスにも縁があるらしい。意味的には哲学(Philo-sophy)の語源としても有名な"叡智"。
もし倫太郎の項で話したように第2のカリバーが生まれることを危惧するなら、"聖剣が選んだ"というだけの理由で飛羽真を信用するのは危険極まりない。その上でソフィアに理があるとすれば、飛羽真がどんな人物なのかを知っていなければ話が噛み合わない。とは言っても、今のところ描かれてる白い少女は「飛羽真が(約束を守れなかった故に)救えなかった」存在なので、それでもなお信頼が続いているのかは微妙だけど。あと幼馴染みらしいエスパーダこと賢人や飛羽真本人と比べて、どう見てもひと回りくらい年が違うのはどういうことだろう。彼女だけ吸い込まれた先で時空の狭間を何年も彷徨った……とか? あそこが現実の書き換わったワンダーワールドだと仮定するなら、メギド達が何故か嫌う"人間"を生かしておくとは思えない。多分彼らが排除したがっているのは「自由意志を持っていて、物語の通りに動かないやつ」だと思うので、今のソフィアたちは書き換えられた結果「意志なく筋書きに従って動くだけのキャラクター」になっている可能性がある。たまたま彼女に与えられた役割が年上の設定だったから、それに合わせた外見になったのかもしれない。
後述するセリフを踏まえると、ソフィア個人としてはカリバーのような者が生まれることにはそこまで抵抗がないというか、むしろそれが本人(聖剣)の意志ならば尊重するべきとすら思っているようにも見える。

仮面ライダーとは
聖剣に選ばれた戦士のことを、この世界ではそう言うらしい。これを"定義"と呼ぶのは、俗な表現をするなら流石に「ガバガバ」過ぎる。何故かって、だって"聖剣"が何なのか全く定義されてないもん。聖剣ソードライバーとは似ても似つかない激土や、二刀一対の翠風(はやて)までもが含まれるにも関わらず、例えば次回出てくる紫のメギドが使っている剣はどうして違うのか、一体誰がその線引きをしているのかについては一切触れられていない。そんなことでいいならゼロワンだって、ゼツメライザーとレイドライザー以外のベルトを指す総称としてライダーベルトとかそういう用語を作れば(用語を作らずとも同じ種類のものだと認識さえすれば)、すぐさま解決してしまう。多くの人が言っている「仮面ライダーの定義」などというものは、その程度の非常に薄っぺらい話なのよね。ただ「一歩後退」するかしないかというだけのことに、果たしてどれほどの意味があるのか。ここで言う後退とは、当ブログでは何度も名前を出しているミュンヒハウゼンのトリレンマにおける"無限後退"のそれを意味します。

本編内ではその後、"仮面ライダー"の称号を授かった自分はどう振る舞えばいいのかとの問いに対して、ソフィアは「この戦いは、いにしえより始まり未来永劫続く終わりなき戦い……どうするかは、あなたの心に委ねます」と答えている。前半はぶっちゃけそれっぽいだけでほぼ関係ない話なので(ゴーストでも多かったな、微妙に噛み合ってないセリフ回し)、要約すると実質「好きにすれば?」である。劇中ではどうなのか現状は明かされていないが、バンダイのキャラクター的にはカリバーも仮面ライダーなので、その力で人間の自由のために戦おうが世界征服のために戦おうが、聖剣に選ばれた後のことは知ったこっちゃなく仮面ライダーだということになる。つまり、仮面ライダーの精神性についても全く未定義のまま(特に規制がないことが定義とも言える)。
定義という言葉の意味が僕の思っている通りなら、何かを定義する際には必ずしも抽象的で小難しい話(自然数におけるペアノの公理みたいな)をする必要はなくて、該当する要素を全て羅列することでも本旨は果たせる。自然数の場合は無限個あってそれが不可能だから代替案としてそういう抽象的な操作が必要だけれど、ゼロワン世界の仮面ライダーくらいなら簡単に定義できる。「ゼロワン(,ゼロツー,001),バルカン(ランペイジバルカン,オルトロスバルカン),バルキリー,滅,亡,迅,雷,サウザー,アークゼロ,アークワン,1型,エデンのことである」と、余裕で140字に収まる。これだってひとつの立派な定義だ。
なんとなくふわふわしたまま使っている人は、いま一度自分の言う"定義"という言葉がどういう意味を持っているのか、きちんと確認してみて欲しい。「言葉の指すものが全て分かること」「指示内容すべてに通じる厳密な抽象的特性」「辞書に乗ってるレベルの一般的な言葉への言い換え」「簡潔でそれっぽい説明」……同じようで全部違う。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 

先行レビューでの寂しいイメージから一転、劇中で印象的に使われてて株がうなぎのぼりのページプッシュ必殺技だけど、玩具でやるとライドブックが若干軋む上にバックルと干渉して傷が付いちゃうのはかなり難点よね。僕のブレイブドラゴンは微妙に不良品なのか、これをやればやるほどにネジが緩んでいく。何度締めても緩んできてパーツが浮いてしまうので、あまりやりたくない。
でもこのアクションって、本に対しては割と無意識にやるよね。特に教科書なんかでやりがちだけど、ページが開きにくいときに"のど"をギュッと押して折り目を付ける。本だってモノなので当然その行為によって傷んでいくのだけど、これは野球グローブを柔らかくするようなもので、傷付けるというよりは馴染ませていると言った方がしっくりくる。
バンダイの設計が悪いんじゃないかと言われてるけれど、そう考えるとひょっとしたら"仕様"なのかもね。

 

今週の本

3月のライオン
羽海野チカさんによる漫画。高校生でありながらプロ棋士としての人生を歩む桐山零を主人公に、人との関わりや人生の中で生まれてくる様々な葛藤が、色彩豊かなタッチで描かれていく。第一印象は失礼ながら「片付けとか苦手そう」で、今もそのイメージはそう崩れていない。キャラの心の声とか作者の声とか、とにかく色んなものが詰め込まれててページが騒がしい。視点があっちこっちに飛ぶのも魅力のひとつで、大抵のキャラは主観が描かれるのでどっちが勝っても嬉しいし悲しいみたいな。
まだ連載中で僕も12巻までしか持ってないのだけど、妻子捨て男編だけはちょっと毛色が違って苦手だったりもする。基本的に登場人物は全員頑張り屋さんなので、怠惰な人が読むと元々結構耳が痛いタイプの作品ではあったんだけど、あの辺りの話は(いじめっ子ですら全否定はしなかったのに)ほぼ一人の人間に対する「信じられない」「どうして?」という忌避の感情が描かれるので、心に潜む罪悪感を的確に刺激してくる。全体的にはやっぱり大好きなんですけどね。にゃんこも出てくるので猫好きにも。
9/18までなら、マンガParkとか言うアプリで全話無料公開中だそうです。

 

 

前話
仮面ライダーセイバー 第1章「はじめに、炎の剣士あり。」 感想

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仮面ライダーセイバー 第3章「父であり、剣士。」 感想