やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ヘボット! 47話「すべてがNになる」 感想

現代からおよそ10万年前というと、ちょうど現生人類の祖となるネジマニヨン……もといクロマニョン人が現れ始めた頃。謎のネジ(黒いヘボヘボネジ型の宇宙船?)が地球に落下した時期はそこと見事に合致するらしい。
タイトルの元ネタ『すべてがFになる』は(ネタバレ注意)、天才と名高い四季を巡る物語である。僕も昔に一度読んだきりなのでアレだが、このタイトルの本当の意味には、さっと調べた範囲では誰も言及していないことが惜しい。みんな「Fってそういう意味だったのか!」ってところで思考をやめてしまっていて、じゃあすべてがFになったらどうなのかというところまで辿り着いていない。かく言う僕も中学生当時にはそんなこと考えもしなかったし、記憶が曖昧な今読み返しもせずに当てることはできないのだが、熱心なファンが解き明かしてくれていても良いのではないか。僕はその人の肩の上に乗せてもらいたかったのに。
おそらくヒントとなるのは、数字の孤独性についての話。16進法ならば、14という倍数が現れるので7は孤独を回避できる。その代わりにBとDという2つの孤独を生み出してね。孤独な者が2人いるのなら、それはもう孤独ではないかもしれないけれど。ここへ更にもうひとつ、副題の『The perfect insider』というキーワード(意訳するなら……自己完結とか自立完全性とかだろうか)を加えると、多分何か新たな知見が開けるのだと思う。僕にはまだよく分かんないけどね「無責任か! 引っ込め!」。
てな訳で、ヘボット最終章始まるよ! 毎日よる9時、みんなでへボーン!


ジローが踊っている(つもり)のジグだけど、見たところマンデイにそっくりだよね。あれも実は踊りだったとヘボヘボ先生から明言されているので、何か関係あるのかも。
探検隊のメンバーは10人とのことだが、この時点で普通に11人いるのよね。逆にどうして11人だと思ったのか。スチャットとユートは同じバッティの干渉キャラだから同一視されている……とするにはムラキとヘイミもそうなので、すると9人になる。ただしファンブックではトゥル子とヘイミは直接は繋がってないので違うかもだけど。養子……ではなさそうなので、キラキ・ラ・ムーがムラキの子を"装って"いるだけという可能性くらいか。
ヘボットとネジルが一心同体なので一人カウントとするのが自分的には一番しっくりくる。チギルとペケットはコンビ組んでるけど、運命の相棒という訳ではないらしいし。ペケットのネジ魂はチギルと無関係に存在しているもの(fromエース・オカ?)だし、そもそも監督曰くチギルは主人公じゃないのでネジ魂を貰っていないらしい。ポケモンの世界では10才になったら博士からポケモンを貰う設定だけど、その博士がいる始まりの町にはライバルを除くと民家がほぼなくて、他のとこの子たちは草むらもロクに通れないのにわざわざここまで来てるのかどうか、何より園児のトレーナーなんてのもいるし……みたいなのと同じで、主役だけ特別な設定なんだろう。ネジ魂が年に一度生まれるってのもそういう設定なだけかもしれないけど、1年で全ステージを一周するんだとしたら毎周回ヘボットがいることと繋がるかもしれない。

意味深にピントが移ったモツ鍋、あれは一体……ジローが生き延びるための食料だったというだけ? そもそも誰が……と思ってモツ鍋の初登場回(6話)のメモを見たら、料理漫画をパロったあの馬の名前もまた"ジロー"だった。今回のジローはポリドロケンだったので、エトのよしみで馬のチャラブレッド……それとも料理人のゲキドラが? それともバッティと同じく声の繋がりでネジ王? ヴィーテ(フィーネ)は彼の望みを叶えるために動いてるはずなので、黒ネジルみたいに負の感情だけを持った黒いゼロが、それこそラスボス化する予定でボツになった存在としてはっぴーカラフル村辺りにいたりして。オールディス「くぅん……」。ねじんじんぷー!

 

陰謀論的な都市伝説を大真面目に……というか常識として披露するスチャットくん。知り合いにもそんなような人がいるんだけど、正直に言ってしまえばマジで面倒くさい。陰謀の真偽よりも、聞いてもないのに「あれは実はこういうことで……」みたいな講釈を垂れることの方が無理。そういう病気なんだろうから仕方ないけど、それを嫌だなぁと思うのも仕方ない。僕を見なさい、自分の意志でブログを開いた人だけを相手にベラベラ喋って、そうでもなければ基本静かで無害な人間なのだぞ。……と思っていたんだけど、無口過ぎたのか最近は周りの人から「もっと何考えてるか発信して欲しい」と言われて困ってるなう。黙ってれば無害というほど世の中簡単にはできてないのね。
妄想と言えばやっぱり僕的には『ビューティフル・マインド』の話をしたくなってしまう。ゲーム理論で有名なジョン・ナッシュの半生を描いた半ノンフィクション映画なんだけど、これが面白いんだ。詳しくは感想を。
(参考:現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想)

ネジに意志を持たせる実験というのはこれだけ尺取ってる訳だし実際にあったのかな。ただまさか10万年前のことではなかろう。ネジドリッジことエルドリッジのフィラデルフィア計画があった第二次世界大戦からはまだ100年も経ってないはず。……ってそうだった、ネジが島の時間は周りとはズレているんだっけ。参考にスゴ様が漂流した島を例に取って計算すると、42年÷3日なのでネジが島での1日はあそこでの14年に相当し、もし彼の言う大戦がネジが島の暦で言う1939年頃に起こったものだとすれば、14×365×80で40万年ほど経っていることになる。これだけネジれる余地があるなら、10万年くらい前のことでもおかしくはないかもしれない。

 

10人のはずなのに、点呼してみると何故か11人いる……。
僕は最近『数のはなし』という本を読んだ影響もあって、数を数えるという行為についてぼんやりと考えているのだけど、現状の結論ではどうやら僕は本当に2や3をかぞえているのではなく、意識の上では2という名前の1、3という名前の1といった風に1つずつ名前を紐付けているだけに過ぎないらしい。1,2,3…と連なって数えているように思えて、実は「今どこにいるか」しか意識していない。だからすぐ「いくつまで数えたか」が分からなくなる。だってそんな処理、本当は脳では行っていないんだもの。
まず先に知識としての"自然数列"があるんだけど、実際にものをかぞえる時に意識しているのはあくまで「1の次は2」「2の次は3」ということだけ。そうやって進んでいって例えば54に達したとして、その時になって初めて記憶の中から数列全体をイメージして照合し、いくつあるのかを認識する。数えている最中は積み重ねや意味をあまり意識しないままに、ただ機械的に数列を暗唱しながら一対一対応させているに過ぎない。多分、そういう意味で本当に"数えている"のはせいぜいみっつかいつつあたりまでだろう。
対応の他にもうひとつ数字の認識の仕方として、"視覚パターン"がある。「・」「・」と見れば「1が2つ」だが、「・・」と見れば「2が1つ」。サイコロの目をいちいち数えないように、"ひとつ"のパターンとしてぱっと見た全体の形と数を紐付けて判断している。
ややこしい解釈を挟まずとも、それら全部を引っくるめて"かぞえる"と呼ぶのかもしれないが。でも改めて考えてみると簡単なはずなのになかなか不思議な操作で、面白いよね。

 

……書きかけ? うん、いいと思う! 

 

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次話
ヘボット! 48話「ネジが島さいごの日」 感想

ヘボット! 45話「ギザギザ・ザ・ネジ山」 感想

ネジルゼロの目的は、ネジれた世界を元に戻すことだそう。それというのも多分始まりの者からの受け売りなんだろうけどね。その証拠に今回のセリフは引用だらけ。循環しないのであれば、無限に「何故?」と後退するか、疑いようのない事実(ドグマ)を打ち立てるしかない。ヘボット世界においては始まりの者がそのドグマとなっている。
今の白ヘボットには魂がないらしい。そもそも魂という概念からしてよく分からないものなのはもう仕方ないことなので、大なり小なり齟齬が生まれることは覚悟の上でこの器に自分のボキャブラリーの中からハマりそうなそれっぽいものを投影して注ぐしかない。今のところの僕の理解としては、ヘボットが発しているのは単なる音であって言葉じゃない、みたいな感じ。自分が発達障害持ちなもんで関連書籍をたまに読むんだけど、エコラリア(オウム返し)という現象について面白い例が挙げられていた。
自閉症児Aに母親が「今日何食べたい?」と聞くと、彼はいつも「カレー」と答えるらしい。母親は特に違和感なく、彼はカレーが好きなだけでそのやりとりにおいては言葉の意味は通じているのだと思っていたんだけど、実はAは、過去に母親が発した「今日何食べたい? カレー?」というセリフの一部を繰り返していただけ(遅延性エコラリア)なのでないか、という話。本当のところは本人にしか分からないし、食べたいものなどの特定の話題だけ理解できている(かもしれない)だけで、全体的にはコミュニケーションに困難のある相手なので、確かめることは難しい。
そんな感じで、というかだからやっぱり中国語の部屋みたいな話なんだけれど、白ヘボットも意味を理解しないままに、それこそ屁のように音を発しているに過ぎないのかもしれない。出てくるのが口だろうが尻だろうが、物理的には関係ない。どちらも同じ「緊張した穴が開き空気が通過することで発される破裂音」だ。だから"ブ"と似たような音がなる。
更に難解なのは、ちびヴィーテはヘボットとは逆だという話の真意。素直に受け取るなら「喋りたい"意味"は持ってるけど、発声できない」ということになる。でもどう見ても喋っとるよなぁ。白ヘボには魂がないといいつつネジ魂らしきものは挿さっているのと同じで完全にないという訳ではないとか、この時点で既に世界はネジれているのでその影響で本来いないはずのヴィーテが幽霊みたいなかたちで現れているのかもしれない。
ネジルゼロとヘボット、そしてちびヴィーテの3人を見たら、普通の感性をしていたらゼロとちヴィがパートナーで、ひと回り小さいヘボットが子供かなと思うよね。空っぽな器のネジルと中身しかないヴィーテが出会って、初めてきちんとしたヘボットが生まれる。これならスッキリはする。
子はかすがいと言うけどそれも善し悪しで、裏を返せば別れたくなっても簡単にはいかなくなる訳なので、呪いみたいなものにもなり得る。迷惑な話だ。

 

いつもならアバンに配置されてそうな小話がタイトルコールまでの数分にいるので、妙なインパクトがある。
子沢山なダディボアは家事に追われてロクな1日を送れないので、嫌になったら地球ごと破壊してしまえばいい……。都合が悪いから、次元ネジもろとも周辺の世界をぶっ壊してしまえみたいな、虚無的な意味にしか聞こえない。人間なんか生きてたって何の役にも立ちゃしない。次元ネジなんて要らない、僕も要らない、宇宙も……要らない、何も捨ててしまおう! 眠りたい もう眠りたい、ゼロがいい ゼロになろう。もう1回。

いきなり始まりました、ギャクフエカップルの別れ話。僕も小6から2年くらいかたちだけ付き合ってた人がいて、付き合い始めてからはお互い恥ずかしがってむしろ話すことは減って、世間で言うようなカップル的なことはほとんど何もしたことはないままに、それでも「世界に少なくとも一人は自分のことを好いてくれる人がいる」という事実がとても嬉しくて日々が満たされていたんだけれど、思春期なもんで人並みに病んでる時期もあって、自分が幸せを感じることにひどい罪悪感を覚えて「こんな自分にはあなたと付き合う資格はないので別れましょう」と言ったのよね。思い出してちょっと悲しくなってしまった。彼女は特に引き止めてくれなかったな。ただ一言「ごめん」とだけ言われたけど、どういう意味なのかは全く分からない。

ネジ屋への相談内容は、突然ネジ山が消えてなくなったというもの。これではもはやネジとは言えない、むしろクギだと散々な言われよう。ネジ神様(また出ましたね)の祟りだという仙人。一体何に対する祟りだと言うのか。
元々ネジ産めないから関係ないと強がるスチャットをお払い箱にするカスリーナ、相変わらず外道。ネジは埋めなくてもギブさんは産めるので問題ないでスチャ!

話は逸れるようで逸れてないんだけど、好きな相手の「好きなところ」をきちんと言葉にできてしまったら、それはなんだか嘘になってしまうような気がする。例えば優しいところが好きなら、優しければ他の誰かでもいいの? という話になる。本当にその人じゃないと駄目な理由があるとしたら、それは何十億といる人間の中ならたった一人を絞り込むだけのキーワードが必要なわけで、そんなもの複雑かつ膨大過ぎて筆舌には尽くせないと思うのだ。

僕は断固としてAndroid派なAppleアンチなのだけれど、僕が重要視している「戻るボタンがない」「アプリを好きな場所に置けない(空白にしておけない)」「ドロワーがない」「シンプルがカッコいいと思って機能性を悪くする姿勢が嫌い(マウスの充電方法とか狂気でしょ)」……等の欠点がもし改善されたら、その時はApple製品を使うことにやぶさかではない。何故ならそれはもはや僕の嫌いなApple製品ではないから。

夫婦は結婚の際に「病める時も健やかなる時も……」と愛を誓い合うが、日本の「離婚が認められる理由」の中には、相手が重度の精神疾患にかかって回復の見込みがない場合、という記述がある。気持ちは分かるけど、愛する人が病気になって困ってるときに見捨てるって、おいおいと言いたくもなる。これを行使した訳ではないが、うちの父は精神疾患を理由のひとつに離婚して母を捨てたので、正直軽蔑している。
でも、まぁ、テセウスの船のようにあらゆることがすり替わって同一性が保てなくなったとき、それでも続けて「好きだ」と言い続けるのはもはやただの意地でしかないというか、それはそれで結局「誰でもいいのではないか」という話になってしまうのは理屈としては分かる。僕が僕であるために、君が君であるために、歌い続けてる。

 

ギャクフエの会話と、エース・オカの去勢発言を重ねてみると、このギザギザが消える現象は不妊か性病を暗喩しているっぽい。もともとスゴスゴ辺りから「ネジを挿す≒性交」としての側面がかなり押し出されてるので(あと目指せネジスタシー! とか)、意図的にせよ無意識にせよそういうニュアンスはあると思われる。自分は子を産めない、或いはもう性交ができないから、そんな自分は捨ててギャクランはそれができる人と幸せになって、と。

僕はこれまで性交というものに対して、無意識的にはどうか知らないが、意識的にはしたいと思ったことがないので、全体的に共感はできないのだけど。去勢不安どころか、むしろ痛くないならして欲しいくらいだし。
ただプラトニック……みたいなのとは違うかな。僕の場合、性交に対する欲求はなくても肌と肌の触れ合いみたいなものにはそれなりの執着があるので、非肉体的かと問われると否。絶対にハグとかの方が充実感を得られると思うんだけどなぁ……性交の方はしたことないので比べられはしないけど、僕はあれで全然満足できる。

ただ、寂しい気持ちが暴走し過ぎておかしくなってた時、もう誰でもいいやと思って友達にハグしてくれと頼んだんだけど、その時は相手の心臓の音が伝わってきて始めて「この人、生きてる」って気付いて、とてつもない罪悪感に襲われた。誰でもいいとか言って、他人を自分の寂しさを埋めるためだけの道具のように扱ってしまったことに対する罪悪感。多分これは"肉体だけの関係"の虚しさに通ずるものなのではないか。僕の場合、相手は本当に僕に付き合ってくれただけでWin-Winの関係ではなかったので、余計に。はぁ……思い出したらちょっと落ち込んできた。

 

ネジと呼ぶかクギと呼ぶかでまだ争ってるヘボペケ兄弟。
呼び方を変えたからと言って実態が変わる訳じゃなし、そんな言葉遊びに本来意味はない。占いなんかはその典型で、何型だろうが几帳面な人は几帳面だし、厄年だろうが何だろうがそんなこと知らなくても自分が幸せか不幸せかは判断できる。
ONE PIECE』に出てくる悪魔の実の名前だって、正直戦う身からすれば実の名前なんてどうでもいいはずなのよ。真に問題なのはどういう能力なのかであって、それにどんな名がついているかじゃあない。

ただ違うのは、ヘボットは"言霊"を重要視すること。人間がないはずの意味を見出すことにも価値を認めている。悪魔の実の例を使うなら、「ゴムゴムの実を食べたからゴム人間なんです」って言われても、本当だったら「ゴムゴムの実ってなんやねん」ってなるべきなんだけど、読者は何故だか"名前が付く"ことで説得力を感じてしまうのだから、やっぱり名前は重要なのだ。詳しくは河合隼雄ユング心理学入門』の冒頭を参照して欲しい。
僕風に噛み砕いて説明するなら前回も言ったように、微視的な人間に対しては1,2段階ほど後退してやれば、脳が面倒くさくなって勝手に納得してくれるのだ。その時によく使われるのが"言葉"。感覚的な納得をしてもらうこと(ドグマの提示)が難しいときは、間に様々な言葉を挟んで問題を棚上げしていけば、途中から何の話だったかも分かんなくなってもういいやとなる。そういう意味では貨幣みたいなものでもある。
ネジの哲学、自分的にはもう語り尽くしちゃったので次回書くネタあるかな……。。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

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ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

ヘボット! 44話「劇場版ヘボット!って、ナニそれ?」 感想

前回卿のまわりをちょろちょろしてたパジャマのネジルとサスペンダーのネジルがいきなし対消滅。次の階層って何だ? オールディスは「フィーネが起動されれば次の周回はない」って言ってたけど……階層にも順番があるのか? これまでの中で"次の階層"というワードが出てきたのは唯一ネジキール卿のセリフだけ。ヘボットからネジを奪って「次の階層で使わせてもらう」と。でもこの場合は彼が次に行くところという意味であって、階層自体に前後関係があることにはならない。でもマンドライバーが「アンチネジ軍がこんな階層まで」って言ってるから、深度みたいなものはあるのかもしれない。

監督曰く「セーブデータ」らしいけど、ここがイマイチピンときてない。僕がそもそもゲームやる方じゃないってのもあるかな。最初にイメージしたのは、1つのゲームを複数人で共有する際に、それぞれセーブデータをつくるようなの。全く別のソフトで他人がプレイしているのもこれとほぼ同じで、この場合データに順序はなくすべて並列だと言える。順番がある前提で考えて思いつくのは、ホラーゲームとかでありがちな複数セーブ機能。あれは確かに階層構造と言われてもなんとなく理解できる見た目と機能をしている。ただ多くの場合その使い方は、正しいルートを選択するために間違えたときに戻れるポイントとする栞のようなもの(第一章,第二章,第三章……それぞれに戻れるよう挟んでおく)で、それらのセーブデータを同時かつ分岐的に進めるような例は寡聞にして知らない。というか、そういう使い方をした時点でそれぞれのデータの価値は並列なものになって、階層構造とは言えなくなる。うーむ、分かる方いたら教えてください。

「ゼロの望み」というのは、あくまで対立していることからヴィーテが曲解したもの……という理解でいいのかな? そもそも彼は何を考えてるんだろうね。どうして"あんなネジ"(多分次元ネジ)を助けたのか。ネジルは基本空っぽなイメージがあるので、やはり何かに対する恩返しとして助けたのかな。或いは、生来の豊かな心で受け入れたのか。
また、今回は偶数話にも関わらず次元ネジが締める向き(時計回り)に回転している。奇数で締めて偶数で緩めてるのでは? という予想に使ったサンプルは、全50話ある中のたかだか5つなので、普通にそれが間違ってたという可能性もあるけれど、スゴスゴインダーネジが出てきたりとか色々あったし、次元院の意見も変わって4クールに収めるくらいの勢いで次元ネジを締めつつあるのかもしれない。ネジルが溢れてくるというのも「次元ネジを締めているはずなのにこんな不測の事態が!? 姫様どうすれば……」みたいな話なのかも。

 

本人たちももう何が起こってもおかしくないと思ってるのか、撮った覚えのない映画に自分たちが出演してることになんの疑問も抱かないヘボネジコンビ。そういう台本ってだけかもしれないけど、気持ち的にはまさに「劇場版ヘボット! って、ナニそれ?」だよね。ちなみにタイトルコールが5話ともまた違う特別仕様。ところでトゥル子って誰だーれ?
しかも見てみたらとんでもない駄作だったらしい。そりゃ怒っても仕方ない。チギルが代役だったので、ヘボネジも純正ヘボットとねじるとか、それっぽいやつが代わりに撮影してたのかもだけど。
僕も昔は、それこそヘボットと同時期に放送されてたエグゼイドのことをこんな風にボロクソ言ってたなぁ、懐かしい。今でこそ同じPと脚本の『ゼロワン』を見たことで、あの頃は僕の見方にも問題があったなと思うけど。1クール目くらいまでは楽しんでたんだけど、一度ガッカリしてからというもの見る目がかなり厳しくなってしまって、最後の方はもはや叩けるところ全てを叩こうというような感じになっていたような気がする。たまたま同じ意見の方と知り合ったりして、ある意味みんなで盛り上がっているような側面もあった。「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」とか、心当たりがあり過ぎて。
見方が変われば世界が変わる。否定しようと思えば何でもできるし、逆に褒めようと思えばできないことはない。物事の結論なんてものは、どの時点で思考をやめるかってことに過ぎない。偶然で事態が解決するなんてのも有り得ないとも思ってたけど、作中の意識では偶然の出来事だったとしても、作者の意図や無意識に目を向ければちゃんと意味があったりするものなのよね。。
「この良さ/悪さが分からないなんて」と馬鹿にし合うのも水掛け論にしかならないので不毛。どうしてそう思うのかってところを詰めないと意味がない。

ケンカに発展する2人を映画の中に引き込んでしまう映神様ことバッティとプルート。『君の名は。』よろしく入れ替わってるー!?
(参考:三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想)

何気にヘジルの父がオールディスというのは重要なのでは。一瞬彼と土星ババァの間にできたのがネジルなのかと思ったけど、ネボットにとってお婆ちゃんということは違うのか? いやでもヘボットにネジ魂を与えて生み出した親はネジルだとするなら、辻褄は合うかも。オールディスが赤ちゃんのネジルを抱えてるシーンが後で出てきたはずだけど、だとしたら本当にパパンじゃん。ヴィーテからしたら嫉妬もんだろうけど……恋仲というよりはフィーネに対抗する切り札を生み出すためにって感じなのかな。
ネボットいいなぁ。僕も女性の体ってものを体験してみたい。別に今の性別に不満がある訳じゃ全然ないんだけど、この一生では味わえないのだと思ったら逆に気になるじゃない。

 

ネジ挿す度にヘボット化が進むと言うけども、ネジに対する執着心と表現したら割といつものネジルじゃあない? ヘボットはそんなにネジネジ言ってるイメージない。スゴスゴインダーネジくらいだろうか、積極的に挿したがってたのは。相手の立場になってみることは何事でも大切なので(お前が言うな)、タンクトップ仮面もあえてネジを挿せと言ってたのかな。
ネジ魂が抜けたらバラバラになってしまうことからも分かる通りヘボットはネジルとの絆ありきの存在なので、ネボットの方はある程度記憶を保ってられるんだけど(同様にヘボットは最初からあたかも記憶を先取りしてるかのようにネジルが好き)、ネジルの方はヘボットから好意を向けられなければ空っぽのままなので、ヘジルはネボットと会わないでいるだけでみるみる記憶が消えていく……悲しいなぁ。


フィーネの差金か、ナグリを襲うマンドライバー。どこまでアテになるかは分からないけど、彼のヘボットを奪った相手と言えば普通に考えたらボキャ美なので、そう見えているのだろうか。兄についての記憶は信用ならないらしいので。でもこれもあんまりピンとこないので違うのかな。
ナグリが言ってた「やっぱり暴走」というのはマッピラジャや10号のことを言ってるのかな。完全にギャグキャラと化しつつあるマンドラのロールって一体……というか、ネジルとしてのロールを逸脱した結果としてマンドライバーという実質的に別の存在になったんだろうけど、ジョブチェンジ後も結局新たなロールを当てはめられてしまうのか。必要とされるのは嬉しいことではあるけど、裏を返せば息苦しくもあるな。

いつも通り無茶苦茶ハチャメチャなネボットパートに比べて、ヘイミの尻尾を除けばほとんど現実に近く大人しいのがヘジルパートの特徴よね。ヘボットとネジルがそれぞれ虚構と現実,ギャグとシリアスの象徴で、その2人が出会うことで初めて今のヘボットが出来上がる……? 平穏な日々を送るネジルは奇想天外な世界を、カオスな日々を送るヘボットは落ち着いた世界を夢に見て、求め合う。
卒業後の進路というのもなかなか意味深。ヘボットという番組が終わって卒業したあと、彼らキャラクターは一体どこへ行きどう生きるのか。そもそもその後なんてあるのか。実際に終わってみるまでは想像がつかないものよね。死後の世界とおんなじだ。
ヘイミはネジルとヘボットの三角関係でいくと、ちびヴィーテのポジションに当たるのかな、今回限りの役どころではあるけど。というかトゥル子がデリートされた今でも子孫たる彼女がちゃんとヘボネジのそばにいて見守ってるのエモいな。途中まで再会を劇的にするためなのか、抵抗してたけど。
ネボットがヘボットに対する思いを吐露するシーン、かなり本気で泣きそうになる。しかもこの時に出てくるのがニコニコネジ! これ、僕が初めて手に入れたボキャネジなんですよ。実際は全プレじゃなくてブラインドの食玩なので、狙って手に入れるのは結構難しいんだけど。ボク様の運命のネジ、間違いない。新宿で上映会やった時ももちろん持って行った、映画館で貰えるという設定だもの。当然だよね。

 

ロングロングアゴー(じゃないけど)ファイター2!
フィーネvsプルート&バッティ! ファイッ!
たまにド迫力のバトル見せてくるのでびっくらぽんするよね。はたと立ち止まって考えてみると、このバッティたちのやりとりってまさにさっきヘボットが言ってた「誰だか知らんキャラがいきなりつらい過去話語ってお涙頂戴」に当てはまると思うんだけど(だってバッティなんて本人として出てきたのほんの3,4シーンよ)、何故かこれまたぐっと来ちゃうのよね……。いつものギャグとのギャップのなせるわざ? それとも「実はこれまでもずっと介入してました」という設定の妙?
「次元ネジなんて助けず壊しちゃえばいい(意訳)」って言ってたし、元はFate/staynightのアーチャーみたいなことをしてたのかな。どっちかといえばバッティよりはデッカードだけど。生命反応がないはずなのにいる(?)ネジルゼロ一行に出会い、救われたらしい。一人ぼっちの虚しさに襲われてるときに殺す対象として検知されない人が現れたら、確かに嬉しいかもしれない。

ネボットの思いを受け取り、全てを思い出したヘボット。
ネジルとヘボットは、ネジルがヘボットでヘボットがネジル。互いに同じ存在だと認識すると対消滅してしまうので、形は変わっているけれど、実質的にはダブり王子。
どっちが先でも、どっちが後でもない。ヘボットのネジルを思う気持ちがネジルがヘボットを思う気持ちを生み出して、その気持ちがネジ魂となってヘボットを生み出し、ネジルへの好意をインプットする。
この循環、或いは共依存関係によって、2人の存在は絶対的なものとなる。
ヘボット世界におけるマカロニは基本意味のない存在なんだけど(少なくとも今はそういうことにする)、それが"天王星の椅子"と組み合わさることであたかも「意味があった」かのように錯覚するのよね。実際はあれもこれまで通り何かの代わりに置いてあるだけなんだけど、これまで出てきたマカロニにすべて目的があったかのような感覚に襲われる。トゥル子だって、基本は出てきて自己紹介して「あなたは?」と問いかけるだけで、見返してみても何か大義に繋がっていそうなことって最終回を回避したことくらいなんだけれど、なんでか「これまで出てきてたのはそういう……」と納得してしまう。
人は、何かと何かが頭の中で繋がった時に、その間に意味を見出すのだ。
ネジと、ネジ穴。単体ではつまらないものかもしれないけど、この2つが出会うことで「ネジはネジ穴に入るために、ネジ穴はネジを入れるためにあったのか!」というアハ体験が生まれる。じゃあその出会いに意味はあったのかと考えると、次はネジによってつくられる商品という概念とくっつく。「これをつくるためにネジをしめたのか!」。言語というシステムは、根本的にそのような循環を孕んでいる。言葉の意味を説明するために言葉が使われている以上、どこかで必ずぐるぐる回る。そのループが巨大過ぎて、人間には違和感を感じることがほとんどできないけれど。
ムラキの発狂の原因は巨視的視点に立ったことだという話は前にした(ヘボット! 18話「ネジル、学校に行く」 感想)。裏を返せば近視眼的に、そういう小さな繋がりに感動する心を失わなければ、本当は無意味なことも色彩豊かに輝いて見える。

あれー? なんでおいどん生きてるの? そんなこと気にしなくたってイインダヨ〜。

 

 

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ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想

ヘボット! 43話「ネジ拳ボキャフェスinネジが島」 感想

モエカストリオが誰なのか、一瞬判別できなかったネジル。デジャヴの反対で、既に経験したことあるはずなのに初めてだと錯覚することにはジャメヴという名前が付いてるのだけど(僕は多分経験したことないです)、これはそれにしても症状がひどい。今回の後の展開も踏まえると、おそらくこれは記憶を改竄されかけたか、今までのネジルとはもう全く別の、モエカストリオと関わったことのない別個体のネジルと入れ替わってて、記憶だけあの一瞬でインプットされて後はまるで何事もなかったかのように「いつものネジル」として振る舞っている……というのの2択だと思われる。
チギルの「お前を守る」発言は、前者の場合だと記憶へのアクセスを彼が阻止したようにも思えるし、後者なら後者でチギルすら全く気づかない内にすり替わってるという強烈なホラーとして見える。
向こうは本当に、おそらく人生をかけた契りのつもりで言ってるんだろうに、それを受けたネジルは、本当になんとなく空気に流されたように「じゃ兄上はボク様が守るのだ」と軽〜く言ってのける。ネジキール卿に"空っぽ王子"と言われてたけど、まさにそんな感じ。こんなの見せられちゃうとヘボットとの絆にも若干の疑問符が生まれてしまうな……ただ来たボールを適当に投げ返してるだけで、本当は彼に感情なんてないんじゃないかとゾッとする。要するに思考実験の中国語の部屋とか哲学的ゾンビみたいな話で、突き詰めると、そもそも人の感情とはなんぞやって壮大な話になってしまうけども。
前々回は静かだったヘボちゃん、今回はまた嫉妬気味。ただネジルの好意がどこに向いてるかとは関係なく、あくまでチギル(或いは自分)に対して「ネジルを守るのは自分だ」と言っているのは特筆すべき点だろう。ネジルどうであれ"自分がどうあるか"についてを語る様は、他人本位なネジルとは対照的だと言える。

 

誰か(サートゥルヌスかネジ王辺りだろうか?)と話していたナグリ監修の元、修行を積む次世代のボキャネジカルテット候補たち。使ってるネジは全部39話冒頭で実際に旧カルテットが使っていたもので、オラオラとフニャフニャですね。話聞いてなさげなネジルだけはイケイケと関係ないやつだけど。あと、モエルの言ってるボキャワード「しっぺ でこぴん ヒザカックン!」は実はちょっと間違ってて、オラオラ単体(3本目に挿したときの音声)では「チョップ デコピン ヒザカックン!」なのよね。チョップがシッペになるのはハイパーコンボ「一撃必殺ヘボチョップ」で、その時はヒザカックンのところがヘボチョップに変わるので、この2つが混じってる。
それを見て分析し、フォーメーションを考える頭脳派のチギル。旧カルテットはただの人間であるジルとノリオが後方支援で、そうでないオールディスとナグリが戦闘要員てな感じでうまく分けてたけど、それで考えると普通の人間枠はモエルと、ボキャ美かチギルのどっちかかな。ボキャ美はサートゥルヌスの分身でチギルはナグリの血が入ってるので、どっちも純粋な人間ではないんだけど、フニャフニャの練習してたとこだけ見るならボキャ美は支援担当なのかな。対してチギルは"アレ"があるしな。ただ、必ずしも先代の後を追うだけが後継者じゃないので、今の4人だからこそのフォーメーションがあるのだろうけどね。

 

お城はしばらく便器から戻ってる様子。粉々にされたのも直ってるし。新カルテット実戦の場として、ネジ拳ボキャフェスが開催でフェス。ところでフェフ姉さんって名前めっちゃヘボットのキャラ名っぽいよな。というか本当にチョリー・ムカムカってあの姉さんでふか?

18話で手に入れたメロメロネジを使って出場しようとするユートくん。を、ハッキングしているバッティ。「直接顕現しちゃったり、子孫やアバターを使ったりはちょっとネ」と難色を示していたが、現実になぞらえると顔出しNGみたいな感覚に近いのかな? スチャットにとっての"ネットの顔"の方が現実で、本当はスチャットの方がネット状のゲームキャラだった……なんだっけそれ、胡蝶の夢だっけ。
プルートの言う"あいつ"ってのは誰なんだろうね。ヴィーテのことだとするとこないだご立腹だったのと微妙に噛み合わないし、バッティに対して「オレだって」と言ってることから"ゼロ"のことではなさそう。でも彼らの言動だって次元ネジの影響受けてる可能性あるし、話半分くらいに思っとかないとだけど。するとヘボットかネジルのどっちかだろうか? サートゥルヌスは"彼ら"って言ってたのに、プルートは片方だけというのが気になるな。ユーコさんはネジル(ネ人造人間10号)を助けようとしてたので、やはりネジルの方だろうか? ナグリもヘボットに対してだけは「ネジルを堕落させる」とか言って否定的だったし、有り得るかも。

天王星代表の座にはいつの間にかマカロニが座っており、それを訝るバッティとプルート。このことから本来マカロニが代表だったのではなく、いつも通り別の誰かの代わりとして置かれているに過ぎないものと思われる。こういう書き換えってフィーネがやってるんだとしたら余計に無秩序を生んでることになるのではと思うけど、彼女的には有害な存在がいるよりは、意味が分からなくても無害な存在の方がいいのかね。或いは完全に無秩序化することこそがヘボット世界における"終末"なのか。
干渉は一方通行かと思いきや、階層の"外側"にいたはずの自分たちにも影響が出ているというのは、実はもう少し低い次元ではよくあることで、例えばネット上で女性だと勘違いされて、そこから所謂ネカマとして振る舞う内にリアルの方でも女性になりたいと思うようになった……なんて話を知っている。そうでなくても僕らはゲームをしたりアニメを見たりすることで泣いたり笑ったり、現実であった嫌なことを"忘れ"たりということはよくある。そもそも地球と太陽系って別に何かしらの隔たりがある訳じゃないし、地球で時間を巻き戻せばその影響は当然宇宙にも現れる。だって時間って概念自体がそもそも往々にして、太陽や月,木星など天体の動きから算出されるものだし。

ただヘボットの場合は前にも言ったけど、あくまで「へボーンの応用」で擬似的に時間を戻してるに過ぎないので、1話で姫がトキトキネジを使った時に起こった爆発、あれが及ぶ範囲までしか効果はないのだと思われる。だからこそ太陽系会議の面々は、影響がないっぽい自分達のことを"外側"だと認識していたんだろうけど、放射状に広がったエネジー(?)は距離が離れれば離れるほど薄まりはしても、おそらく全くのゼロにはなかなかならない。つまり、実はこれまでもずっと影響は出てたんだけど、ほんの僅かなものだったから違和感を抱くには至らなかっただけ、ということになる。どうして最近になってそれが変わってきたかと言えば、おそらく度重なる周回で次元ネジにエネジーが蓄積し(放射能が)強化されていくことで、その被曝範囲(屁で言えば臭う範囲)を広げていったと。

 

……書きかけ? うん、いいと思う!

 

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仮面ライダーセイバー 第2章「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想

書きかけなので順次追記していきます

キャラクター

 神山飛羽真
・覚悟

・ジャッ君と土豆の木


 新堂倫太郎
・優先順位
のっけから飛羽真に火炎剣烈火とライドブックを渡すよう交渉しに来た……訳なんだけれど、それは果たしてあの「アリかキリギリスアルターライドブック」による世界消失現象よりも優先すべきことなのか? 本人のセリフや公式サイトでの記述を参考にすると、今回の事件は前回のゴーレムメギドの騒ぎに乗じてほほ同時に始まったことであり、セイバーがメギドを倒してから飛羽真が原稿を書き上げるまでの時間、お前(或いはソードオブロゴス)は一体何をしていたんだという話に当然なる。だって、そのせいであそこまで侵食が進んでしまったんだからね。

組織には沢山の剣士が所属しているっぽいので、単に分担していて倫太郎が飛羽真の監視、他の誰かがメギドの殲滅を任されていた可能性もあるけど、だとしたら倫太郎じゃない方の戦士が役立たず過ぎるんだよな。実際にどうかはともかく、ドラマ的にはやられてばかりいる印象が強くなってしまってる裁鬼さんじゃあるまいし。もし同じ現象がこれまでも世界各地で起こってて、意外とみんなあくせく出動してるんだとしたら分からんでもないけどね。2体1対という変わり種のメギドだった訳だし、もしロゴスの想定通り一対一だったら勝ててた、のかもしれない。その場合なんで飛羽真たちは全く初めてのリアクションだったのかとか、レジエルが「最初のページは俺が開く」とこれまた初めてっぽいことを話してたことはどうなるのかという新たな疑問が生まれるけど。というか前回ラストの時点で「もう一冊は間もなくできあがります」と言及されているので、基地にある執筆マシンがあれで全部なら、同時に展開されていたワンダーワールドも2つきりで、他の戦士が出払っているということにはならなそう。またカリバーの言葉を信じるなら、セイバーが出てくるまでは他の剣士は何らかの事情(多分メタフィクション的な都合)で出てこられないっぽいので、やはり倫太郎が飛羽真にかかずらってる間は放置されてたということになるのかな。

そうなるとやはり、話は飛羽真から力を取り上げることの重要性にスライドするけれど、ここにはカリバーの存在が大きく関わってくる。かつて力を持ったまま裏切った彼の存在が前提にあり、更には現在 世界消失現象を引き起こしている元凶たるメギドの中心人物として暗躍していることを思えば、組織の一員として訓練を積んできた訳でもないどこの馬の骨とも知れぬホモサピエンスに聖剣を持たせておく訳にはいかないという気持ちは、なるほど理解できる。
てっきり今回語られるものと思ってたらスルーされてたけど、元々倫太郎は小説『ロストメモリー』がソードオブロゴスや15年前の事件にそっくりで、何か知っているのではと睨んでしばらく飛羽真の様子を見ていたとのことなので、正確には全く未知の人物ではないんだけど。

で、じゃあ倫太郎は何故飛羽真を認めたのか。尺の都合かさらさらと流されてるので、改めて紐解いてみる。
まずもって、彼の決め台詞(?)は「水勢剣流水に誓う。僕が必ず世界を守る」だ。今回だけで2,3回は言ってた。そう、この時点で約束を重んじる飛羽真とは結構気が合ってるのよね。ゴーストもよく決め台詞botとか言われてるけど、彼の場合"剣に誓う"というのは、実質的には自分との約束みたいなものだと思われるので、自らを鼓舞する意味で毎度言うことにはきちんとした理由があると言える。それとこっちが聞き飽きるかどうかは全くの別問題だけどな。
前回の飛羽真は自分と芽依、そして知り合いの亮太が巻き込まれている状態だったので、火事場の馬鹿力的な勢いで変身してしまったと言えるかもしれない。だが今回は実際に敗れていった剣士の話と、それを踏まえた自分の覚悟を知った上で、全く無関係だったにも関わらず首を突っ込んでまで人を助けに行った。「奇跡は一度、だったよな。じゃあ二度目は何だ?」ってな訳だ。
「大丈夫、安心して。何故なら僕が付いていますから」の意味はかなり迷ったけど、多分ゲイツ的な意思表明なのかな。もしお前が裏切りそうになったら自分が止めてみせると。普通に考えて水は炎に強いので、抑えられるだろうしね。
思い返すと、1話で芽依を救った手段もまた水で、何なのかはよく分からん吸い込むマシンに水を飲ませて詰まらせた(って表現でいいのか?)。裏を返せば、15年前の少女は「水がなかったから助からなかった」と言うこともできるかもしれない。あれらのシーンが比喩や象徴としての意味を持っているなら、この「僕が付いている」もなかなか深みのあるものに聞こえる。

仮面ライダーブレイズ


 ソフィア
・北極と白鳥と下火
ロゴスの基地は北極にあるとのことだけど、大陸があるのは南極の方で、基本的に陸地はないと教わったはず。つまりそんなものは存在し得ないのでは? 海底の下にもずっと続く安定した土地がないというだけで、海の上に浮いてる氷の膜というかたちでは存在して、その上にあるということなのかな? どちらにせよ儚い印象を受けはする。それでいてカチッと凍っているので永遠とも通ずる。フィクションにおいて現実世界の事象に全く新たな説明を加えることがよくあるが、セイバーもご多分にもれずそういうギミックがあるのかもしれない。要するに「北極に大陸がないのは実はメギドによって消失し、ワンダーワールドに書き換わってしまったから」みたいな話。普通のホモサピエンス(正確には現生人類はホモ・サピエンス・サピエンスらしいけど)じゃないっぽい倫太郎やソフィアがいる時点で純粋な現実世界ではあるまいし、おそらくそんなような背景があるのだと思われる。1話時点でアルターブックがいくつもあったのも過去にそういうことがあったからだろうけど、飛羽真たちがそれを知らなかったのは……記憶が書き換えられている?(ヘボット脳)

話は逸れるけど、ノーザンと聞いて僕が連想するのは2つ。イナズマイレブンの必殺技「ノーザンインパクト」と、マクロスFの曲『ノーザンクロス』。好きだったよ〜♪ クロスといえばセイバーの顔は十字模様。意味的には"北方の十字"で、はくちょう座のことを表す言葉である。ギリシャ神話の主神ゼウスが変身したとも言われていて、ここでは剣と同様、男根のメタファーとして描かれているように見受けられる。ギリシャ神話はアーサー王伝説と同じヨーロッパ方面の伝聞だし、加えてエクスカリバーと並ぶ聖剣伝説のひとつとしてセイバーの紹介で挙げられていた天叢雲剣の持ち主ヤマトタケルもまた、白鳥になったと言われているらしい。
また、通常炎は上に向かって燃え上がるにも関わらず、火炎剣烈火の柄は、刃のある方を上にすると明らかに下火になっているのが気になっていたのよね。上向きにするとバックルに挿したとき干渉してしまうとか、スロットのブレイブドラゴンの変身ページと繋げて見れば、肩のドラゴンが火を吹いている方向と合致するとか、いくつか説明のしようはあるのだけど、このはくちょう座の形もイメージソースのひとつだと考えれば、僕はかなり合点がいった。
これだけ繋がる要素があれば、まさか無関係ではあるまい。

・ソフィアの正体と危機感
しかしどっからどう見ても、飛羽真の夢に出てくる女の子ですよね。ゴーストのタッグということでミスリードなんてややこしくなることはそうそうしないような気がする! ので、本人という体で話を進めます。調べてみたらソフィアって名前の王妃がいて、旦那さんはコンスタンティノス1世と書いてあって「この人たしか初めてキリスト教を認めたローマ皇帝じゃね?」と思ったけど、ギリシャの王様で全くの別人でした。ちゃんちゃん。多分本当に関係あるのは三位一体のひとつロゴス(キリスト)に捧げて作られたアヤソフィアという博物館の方で、こちらはローマ皇帝の方のコンスタンティヌスにも縁があるらしい。意味的には哲学(Philo-sophy)の語源としても有名な"叡智"。
もし倫太郎の項で話したように第2のカリバーが生まれることを危惧するなら、"聖剣が選んだ"というだけの理由で飛羽真を信用するのは危険極まりない。その上でソフィアに理があるとすれば、飛羽真がどんな人物なのかを知っていなければ話が噛み合わない。とは言っても、今のところ描かれてる白い少女は「飛羽真が(約束を守れなかった故に)救えなかった」存在なので、それでもなお信頼が続いているのかは微妙だけど。あと幼馴染みらしいエスパーダこと賢人や飛羽真本人と比べて、どう見てもひと回りくらい年が違うのはどういうことだろう。彼女だけ吸い込まれた先で時空の狭間を何年も彷徨った……とか? あそこが現実の書き換わったワンダーワールドだと仮定するなら、メギド達が何故か嫌う"人間"を生かしておくとは思えない。多分彼らが排除したがっているのは「自由意志を持っていて、物語の通りに動かないやつ」だと思うので、今のソフィアたちは書き換えられた結果「意志なく筋書きに従って動くだけのキャラクター」になっている可能性がある。たまたま彼女に与えられた役割が年上の設定だったから、それに合わせた外見になったのかもしれない。
後述するセリフを踏まえると、ソフィア個人としてはカリバーのような者が生まれることにはそこまで抵抗がないというか、むしろそれが本人(聖剣)の意志ならば尊重するべきとすら思っているようにも見える。

仮面ライダーとは
聖剣に選ばれた戦士のことを、この世界ではそう言うらしい。これを"定義"と呼ぶのは、俗な表現をするなら流石に「ガバガバ」過ぎる。何故かって、だって"聖剣"が何なのか全く定義されてないもん。聖剣ソードライバーとは似ても似つかない激土や、二刀一対の翠風(はやて)までもが含まれるにも関わらず、例えば次回出てくる紫のメギドが使っている剣はどうして違うのか、一体誰がその線引きをしているのかについては一切触れられていない。そんなことでいいならゼロワンだって、ゼツメライザーとレイドライザー以外のベルトを指す総称としてライダーベルトとかそういう用語を作れば(用語を作らずとも同じ種類のものだと認識さえすれば)、すぐさま解決してしまう。多くの人が言っている「仮面ライダーの定義」などというものは、その程度の非常に薄っぺらい話なのよね。ただ「一歩後退」するかしないかというだけのことに、果たしてどれほどの意味があるのか。ここで言う後退とは、当ブログでは何度も名前を出しているミュンヒハウゼンのトリレンマにおける"無限後退"のそれを意味します。

本編内ではその後、"仮面ライダー"の称号を授かった自分はどう振る舞えばいいのかとの問いに対して、ソフィアは「この戦いは、いにしえより始まり未来永劫続く終わりなき戦い……どうするかは、あなたの心に委ねます」と答えている。前半はぶっちゃけそれっぽいだけでほぼ関係ない話なので(ゴーストでも多かったな、微妙に噛み合ってないセリフ回し)、要約すると実質「好きにすれば?」である。劇中ではどうなのか現状は明かされていないが、バンダイのキャラクター的にはカリバーも仮面ライダーなので、その力で人間の自由のために戦おうが世界征服のために戦おうが、聖剣に選ばれた後のことは知ったこっちゃなく仮面ライダーだということになる。つまり、仮面ライダーの精神性についても全く未定義のまま(特に規制がないことが定義とも言える)。
定義という言葉の意味が僕の思っている通りなら、何かを定義する際には必ずしも抽象的で小難しい話(自然数におけるペアノの公理みたいな)をする必要はなくて、該当する要素を全て羅列することでも本旨は果たせる。自然数の場合は無限個あってそれが不可能だから代替案としてそういう抽象的な操作が必要だけれど、ゼロワン世界の仮面ライダーくらいなら簡単に定義できる。「ゼロワン(,ゼロツー,001),バルカン(ランペイジバルカン,オルトロスバルカン),バルキリー,滅,亡,迅,雷,サウザー,アークゼロ,アークワン,1型,エデンのことである」と、余裕で140字に収まる。これだってひとつの立派な定義だ。
なんとなくふわふわしたまま使っている人は、いま一度自分の言う"定義"という言葉がどういう意味を持っているのか、きちんと確認してみて欲しい。「言葉の指すものが全て分かること」「指示内容すべてに通じる厳密な抽象的特性」「辞書に乗ってるレベルの一般的な言葉への言い換え」「簡潔でそれっぽい説明」……同じようで全部違う。
(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 

先行レビューでの寂しいイメージから一転、劇中で印象的に使われてて株がうなぎのぼりのページプッシュ必殺技だけど、玩具でやるとライドブックが若干軋む上にバックルと干渉して傷が付いちゃうのはかなり難点よね。僕のブレイブドラゴンは微妙に不良品なのか、これをやればやるほどにネジが緩んでいく。何度締めても緩んできてパーツが浮いてしまうので、あまりやりたくない。
でもこのアクションって、本に対しては割と無意識にやるよね。特に教科書なんかでやりがちだけど、ページが開きにくいときに"のど"をギュッと押して折り目を付ける。本だってモノなので当然その行為によって傷んでいくのだけど、これは野球グローブを柔らかくするようなもので、傷付けるというよりは馴染ませていると言った方がしっくりくる。
バンダイの設計が悪いんじゃないかと言われてるけれど、そう考えるとひょっとしたら"仕様"なのかもね。

 

今週の本

3月のライオン
羽海野チカさんによる漫画。高校生でありながらプロ棋士としての人生を歩む桐山零を主人公に、人との関わりや人生の中で生まれてくる様々な葛藤が、色彩豊かなタッチで描かれていく。第一印象は失礼ながら「片付けとか苦手そう」で、今もそのイメージはそう崩れていない。キャラの心の声とか作者の声とか、とにかく色んなものが詰め込まれててページが騒がしい。視点があっちこっちに飛ぶのも魅力のひとつで、大抵のキャラは主観が描かれるのでどっちが勝っても嬉しいし悲しいみたいな。
まだ連載中で僕も12巻までしか持ってないのだけど、妻子捨て男編だけはちょっと毛色が違って苦手だったりもする。基本的に登場人物は全員頑張り屋さんなので、怠惰な人が読むと元々結構耳が痛いタイプの作品ではあったんだけど、あの辺りの話は(いじめっ子ですら全否定はしなかったのに)ほぼ一人の人間に対する「信じられない」「どうして?」という忌避の感情が描かれるので、心に潜む罪悪感を的確に刺激してくる。全体的にはやっぱり大好きなんですけどね。にゃんこも出てくるので猫好きにも。
9/18までなら、マンガParkとか言うアプリで全話無料公開中だそうです。

 

 

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仮面ライダーセイバー 第1章「はじめに、炎の剣士あり。」 感想

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ヘボット! 42話「我々はネジである」 感想

「どうしてエトにネコがいないの?」という疑問、一体どこから湧いて出てきたのか不思議すぎるんだよな。だってそもそも十二支の選定方法に法則らしきものがまるで見当たらないわけなので、「これも入ってたかもしれない」なんて予想はできるはずがない。例えばゼロワンのマギアだったら絶滅動物の力で変身するという一応の基準があるので、ティラノサウルスマギアとかを妄想することはできる訳。でも十二支の場合そういう参考にできる拠り所がまるでないので、なんで数ある動物の中でわざわざネコをピックアップして疑問視するの? という逆の疑問が生まれる。カエルやイタチという説もあるらしいけどね。全動物の中で競争したから……ということで考えるなら足の速い動物ばかりではないこともひっかかる。それで行くと人を引くとされる馬や犬があんなに下位なのも解せないけどね。
大体のところでは、元々は暦や方位を記述するための抽象概念だったものを、人々に浸透させるために身近な動物と紐付けた……ということになっていて、確かにその説で行けば現代ではかなり馴染み深い猫が入ってないのはどうしてだろうと思うのも分からなくはないのだが、ちょっと待って欲しい。

龍って存在しないだろ

現代人にとってみれば虎なんかはもう半分くらい伝説上の生き物なんじゃないかってくらい馴染みがないけど(龍と並べられるくらいだし)、それにしたって一度も見たことのない龍を日常生活に即していると考えるのはどうにも無理がある。皇帝の象徴として使われてたにしても、だよ。何より蛇と被りすぎ。モチーフみたいなもんなんだから実質同じ1種でしょ。虎と猫も被ってるしな。それがアリならじゃあ十二支に今から朱雀とかミノタウロスケンタウロスが入ってたらどう思うよって話。かなり有名で身近な空想上の動物かつ既存の十二支と似てるメンツだけど、絶対変だって。この辰問題は小さい頃から疑問なのよね。 「ブタも入ってませーん」お前は猪として考えれば実質入ってるだろ! というかヘボット的にはポリドロケンの半分はネコなので(ポリドロヘボの語尾はニャア)入ってるしな。
定説としてはネズミが嘘を教えたって話があるけど、害獣のネズミが悪く描かれがちなのはいいとして、そネコってぐうたらなイメージがあるので、そんな競争があったとしても頑張って一番になろうとするほどのやる気があるようには、僕には思えない。そもそも彼らには体力もないので、参加したとしても上位に入るほどの猛者かと言われると微妙だしな。前に飼ってたにゃんこは元野良で多分たくましい方だったんだけど、僕が散歩しようとしてたらどうしても付いて来ようとしてたので一緒に小1時間くらい歩いたんだけど(リードとかもないので本当にただ付いてくる)、ゆっくり歩いてただけなのに半分くらいでもうへばっちゃって、帰りは抱っこして帰ったもん。僕もそんな向上心ないなぁ……行けたら行く! 現在は日曜朝に起きれない夜型の民にも優しい21時配信だけど、僕はここ数年19時に寝ていたので最近リズムが乱れがち。

 

誰も予想だにしなかったよな……まさか本体が発売されないなんて。この配信でまた盛り上がればワンチャンあるのではと思ってたけど、実際どうなんだろうね。再生数としては僕の見てた限りでは序盤の頃からずっと安定して1.2〜1.5万再生くらいをマークしてるので、素直に受け取るならば途中で視聴を切った人はほぼいないと言っていいのではなかろうか。これが新規勢にも刺さってると取るか、全話見る前提の既存ファンばかりが見ていると取るかは微妙なところ。ちなみにあまり参考にはならないけど、僕のブログはほぼ読まれてませんね。Twitterで毎日宣伝してるけど、ツイートアクティビティによると平均5回くらいしかタップされていない。

マカロニクッションなんてのは発売されてたけど、売れたのかしら。僕は迷ったけど買いました。おかげで今月食費マジやべー。前にも言った通り後半組のエトボキャはギミックがかなり凝ってるので、ファンとしてはかなり欲しいところなのよね。凝ってるということは開発も手間がかかるということだと思われるので、途中でやめたかもしれないものを新たに作るのは難しそう。そもそもDXヘボット自体が販売終了していて正規ルートで手に入れることが難しいことを思えば(中古も新品も安く売ってるけどね)、連動前提のアイテムを出すことは、新規ファンにはあまり関係ないことになるのかな、表向きには。流石にヘボット再販はないだろうしなぁ。
イヌイヌネジが顕著だけど、セットのエトネジは本来の仕様とは変わっている部分があるので「本体だけ発売」ということもできない。すると今度はエトネジがダブっちゃうというそれはそれで変なことにもなってしまう。ネジル的にはいくらあっても嬉しいだろうけどね。

 

付けるまでもなく猫耳付いてるメイドーにょさん、ペロリストとしてお城を占拠。なんでメイドと言えば猫耳なんだろね? 以前の感想でもしたけど「可愛い」という感情は往々にして見下す気持ちとともに生まれるものなので、使用人という概念とは相性がいいのかもしれない。
僕は革命にも一家言あって(自分で言うな)、現行制度を変えたいなら、正規の手続きを踏んでやるべきだと思う。その時の社会で違法とされてる手段でもって世界を変えても、そんなものに価値はない。ただこれは同時に、社会制度をつくる際に、それを変更するための手続きについてもきちんと整えておくべきだというのも含めて言ってるんだけど。
専門用語ではそういうシステムのことをオートポイエティックシステムと言います。自己言及的な性質を備えていて、自分で自分をつくるようなもののことを言って、今の例だと"制度を変えるための制度"という部分が自己言及的になっている。自己完結という表現とも被るところがあるので、そう書くと必ずしも良いこととは限らない気もしてくるけど。全く予想だにしていなかった方向から殴ってくるのがテロリズムを始めとした"革命"なので、他者とのコミュニケーションを重んじるなら、あまり良くない態度とも言える。作品づくりにおいても、やっぱりどうしても多人数で協力してやる以上は認識の齟齬とかが生まれる可能性は多分にある訳で、最初から自分が想定していた結論だけを重んじるのではなく、予想の斜め上から来たネタを面白がって取り入れるくらいの度量がないとやってけないと思われる。ただヘボットや、白倉さんのジオウなんかもそうだけど、これらの作品はそういう予想外のことにも対応できるような設定づくりをしてる訳なので、どちらかと言えばオートポイエーシス寄りの発想かもしれない。

 

ネコ魔女の初出は確か6話のボキャバトルレースだっただろうか。喜ぶと思います。思えばあのレースも十二支の競争をイメージしたものだったのかもしれない。山盛りエトネジコンボ初披露の回ね。
エトネジのドラゴンボール的な性質を明らかにしたのは、誰が呼んだか春風ムラキ。彼は本編内では明かされないけど実はトゥル子の子孫なのよね。この事実を教えたのは彼女の意図も1割くらい噛んでるのかもしれない。
その力をもってしてこの世の全てをネジにしようと企むネジルっち。やっぱりお前ランプの魔神にもそういうお願いしようとしてたんじゃないのか?(笑)
王子は揃ってボキャバトルを挑むも、コテンパンにされる。真面目に考えるならジル国王あたりから奪ったネジでウルトラコンボでも出したのかな?

 

……書きかけ? うん、いいと思う!

 

ヘボット!感想一覧

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ヘボット! 41話「ヘボ流・大脱走」 感想

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ヘボット! 41話「ヘボ流・大脱走」 感想

パシャパシャットと共に前回を振り返るヘボネジコンビ。こういう(アニメの)楽屋ネタみたいなの地味に好き。トイ・ストーリーのエンディングとか。
ナグリの登場、或いは40話台という終盤に突入したことによって次元ネジが締まりつつあるのかなんなのか、普段の何でもありなギャグ時空から一転、比較的きちんとして連続性のある話が展開されてますね。今回は35話と違って、自覚的に「そういうネタ」としてやってるようなイメージ。

 

ザ・メタルは絶海の孤島……と言う割には後ろに陸地が見切れてるのは笑いどころだろうか。次元ネジから距離があるからいつもよりまともって側面もあるのかもしれない。
100年目ってのもあながち冗談とは言い切れないんだよな。スゴスゴインダーネジの家出回では、ネジが島時間ではたった3日で42年経ってた訳なので、次のエピソードまでの1週間いたんだとしたらマジでだいたい100年。正確にはちょうど1週間経過で98年ということになるが、ネジが島からの距離によって時空の歪み方に差が出る可能性も十分にあるので、体感100年目でも何らおかしくない。って、ヘボット見てる人の一体どれくらいに伝わるネタなんだこれ……。
タイトルコール入りました〜。4話「ヘボ流・ネジタネの育て方!」20話「ヘボ流・キッチンバトル!?」そして今回「ヘボ流・大脱走」と、長らく続いてきた"ヘボ流"シリーズもなんと今回で打ち止め。サブタイに法則らしい法則はこれを除けばあんまり見当たらないので、ちょっと寂しくなりますね。第1回から「ネジタネ」と他の作品ではまず出てこないワードが使われていて、ヘボ流以外の流派ないでしょというのはご愛嬌。むしろそこが好き。そういえば5話で使われてたいつもと違うタイトルコールとアイキャッチのBGM、結局あれ以降使われてないのでは? どういう意図のある現象だったんだろう……。

同様に捕まってたペケチギ。脱穀の相談だという言い訳が微妙に無理があるというか、盆踊りは後で拾われたけどもお米の方はどことなく浮いてるような感覚があったんだけど、ひょっとしてこれ前回のモミ村タマ子さんを引きずってるのか? タマ子で卵っぽいのは分かるとして、モミ村が籾殻のモミなんだとしたら、米粒にも見えなくはないぞ!

 

脱獄と聞いて真っ先に思いつくのは、僕的にはやっぱりディースリー・パブリッシャー(言いたいだけ)のDSのソフトSIMPLEシリーズの『密室からの脱出』。いやーあれは本当にハマった。頭使うのってなんだかんだ楽しいですよね。解けないとやっぱり悔しいんだけど、DSにはブラウザ機能もついてるので、本当に行き詰まったら調べられるのが素晴らしい。インターネットに繋がる機器って小学生当時あれくらいだったので、かなり革命的だったなぁ。自分の頭だけでできなかったことが色々できるようになる訳で、実質これはもう脳機能の拡張ですよね。あの頃から僕はサイボーグとして生きてるのだ。メモ(外部記憶装置)としても使えるしね。

チギル氏どうやら友達いない様子。そういえばネジルの友達代表モエルとはほぼ絡んでないし、カスリーナも一方的に「ボキャ美と被ってる」と言うだけなイメージだな。モエカスとは(おそらく)年が違うし、チギルと同い年のキャラは多分いないのでさもありなんか。ボキャ美とユーコさんはネジルより高いだろうけど、チギルと同い年かって考えるともうちょっと上そう。……ユーコさんマジで年齢分からんな。キャラ的には圧倒的にお姉さんポジだけど、等身とか時々見せる幼い言動とはイマイチ噛み合わないのよね。元々僕が人の年齢とか分からない人間ってのも大いに影響してるかも。
僕ちんも最近自分の友達の少なさに気付いてちょっとショックを受けた。学生じゃなくなると一気に同年代との交流が減る上に、付き合いが続いてる人もほぼいない。でも会わないのにどうやって関係続けるんだろうな、やっぱわざわざ会う約束するのが手っ取り早いのかな。でもみんな働いたり大学行ったりで忙しいだろうし、今更僕と付き合うメリットなんもないしな。邪魔でしかない。さみしいなり。

ナグリ登場回でネジルのオーバーボディを持ってきたからか、監獄の中でも調達屋として役割を得ている様子のダガシープ。看守のボキャ美を愛し過ぎた罪とのことで、単純に職権乱用かサートゥルヌスが脱獄の手引きのためのどっちかかな。投獄したのもサー様やろというのは尤もだけど、多分前回も言ったとおり(この記事を執筆している時点では書きかけだからまだ言ってないんだなぁ!)、彼女らは別に本当にネジルを陥れたい訳じゃなくて、ただ「主人公が裁判にかけられる」「脱獄する」というイベントをわざとつくることでフィーネに対する尺稼ぎをしているものと思われる。ので、むしろ贖罪というか責任を取るつもりで脱獄の手伝いをするのは全然有り得る。

 

看守は何かと悪く描かれがちよね。確かそんな心理学の実験があったな、そうそうスタンフォード監獄実験。犯罪者でも法で定めれた罰以外の部分では対等な一人の人間として権利は守られなければならないはずなんだけど、どうしてか看守側は自分が上だと思ってしまう。
看守と教師って似てるよね、少なくともフィクションの上では。実際の先生はまぁいい人も多いけど、別に授業中に何かしてるんでなければわざわざ没収とかする必要ないもんな。服装の指定に関しては僕は全然こだわりなかったので言われた通りにしてて不服なかったけど。

クドカンこと宮藤官九郎氏が脚本を手がけた『監獄のお姫様』というドラマがあって、と言っても僕は彼の作品『舞妓Haaaan!!!』くらいしか知らないんだけど、あれもなかなか面白かったな。僕は基本的に小難しい作品よりもゲラゲラ笑えるコメディが好きなので、結構性に合ってた。あの作品でも、まぁ看守はかなり嫌なやつなんだけど、なんだかんだで仲良くなって囚人のグループと一緒に誘拐を企てるという展開になるのよね。犯罪者が人間として生き生きと描かれて、更に上下関係と思われがちな看守までもが同じ立場に立つというのは、徹底的な勧善懲悪が好みな人はすごく嫌だろうけど、寛容さが好きな人は結構ハマると思う。過失や気の迷いというものがある限り、僕らだって容易に前科者になり得るんだから。酒やタバコがもし違法薬物と同じように規制されるようになったらどうしますかって話ですよ。

 

ヒゲ剃らなすぎてビッグバードみたいになってるイケクイーン。僕も滅多にヒゲ剃らないなぁ……女友達と会ったときは流石に難色示されたけど。でも毛はそこに生えたいって言ってるんだから、僕にはそれを断る理由が特にないしなぁ。別に何も困らんし、何よりめんどくさいし。たまに剃るだけなら百歩譲ってやってもいいけど、剃ったらそこから生えてきたとき、生やしっぱなしよりも更に気持ち悪いことになるじゃん? だからやなのよね。見てる側としても「なんか不快」ってだけで実害ないでしょ。その不快感というのはおそらく、男性の男性らしさ……つまり権威みたいなものを暗に感じるからとか、そういう社会的な理由があるのだろうけど、正直自分からは見えないので1ミリも気にならない。
ところで女の人ってなんであんなににおうんですかね。僕も風呂苦手で調子いい時期じゃないと毎日は入れないから大概くさいと思うけど、女性はあれ自ら好んで付けてるんでしょ? 僕が感覚過敏だからなのか、香水の匂いは結構苦手。僕のはただ放ってたら勝手になってるなので未必の故意くらいだけど、あちらは完全に故意。どっちがより悪いかは明白ですね(超理論)。

もしかするとみんな分かってるかもしれないけど、僕はリアタイ当時理解できてなかったので説明しよう! チギルが言ってた「あと3日でやらないと駄目」というのは、この盆踊りのことだったのだ。サルッキーが噛んでたからてっきり脱獄のためにわざわざやってるものと思ってたけど、他に日付関係することがなさそうなので、シャバで元々やる予定だった盆踊りに合わせて計画を立てていたということなのね。なるほど。

ダガシープの裏切りによってボキャバトル。
流れでペケットと組むネジルだが、珍しくヘボットがヤキモチを焼かない。もはやボキャバトル1回くらいでは揺らがぬ絆が2人の間にはあるということなのか。舞台が地球平面説の蛇,亀,象の上なのにも何か意味があるのかしら。分かんないのほんげー。
オチのサートゥルヌスもなんのネタなのか、ひいてはどんな意味なのかもさっぱり。でもたまにはなんでも解説せず、分かんないままにしとくのもオツでいいよね。

ところで、Blu-ray5枚目のリーマンズだけなんでこんなに画質低い……というか線がゆるい?のが選ばれちゃったんだろね。これはこれで可愛くていいけどさ。

 

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ヘボット! 42話「我々はネジである」 感想

ヘボット! 40話「弁護士ボキャ美の法廷ファイル!」 感想

ネジが島に警察はない。というのは32話から言われてたけど、確かその時に言い忘れたので言っておくと、その存在が示唆されたのは5話だけ。リーマンズがヘボットを誘拐した際、ボキャ美が「警察に……」と言ったとこだけ。ヘボットの世界観はかなり寛容に作られてるので、解釈のしようがいくらでもある。そもそもネジが島王国はただ離島なだけで別に鎖国してる訳ではないので文化の交流はあってもおかしくはないし、仮になくてもボキャ美はサートゥルヌスの分身ってな訳で外の知識がある(または彼女が操作してる)かもしれない。更には究極のセーフティネットとなるのが次元ネジ。あれが緩んでるってことは、ぶっちゃけ何が起こってもおかしくはない。突き詰めればボキャ美が突然知らないはずの"警察"を口走っても、それはもはや逆に筋が通ってるのだ。

そんなたるんだネジが島を引き締めようとするナグリ。でも警察があることだけが必ずしも秩序のかたちではない。気を引き締めるということは自らの首を絞めることになり得る。そもそも刑罰というもの自体が僕はどうにも好かない。別に僕は積極的なアナーキストという訳ではないのだけど、でも割と無為自然派なところもあったりして、成り行きに任せればいいだろみたいな気持ちになることがある。不幸にならなくていい人をわざわざ不幸にする仕組みがどうして必要なのかと。不幸を生み出す余力があるなら幸せを生み出せばいいのに。
この世の中に本当に悪い人って多分いなくて、誰も好き好んで「人を傷付けたい」なんて思わないんですよ、それほど他人に興味はない。みんな自分が幸せになりたいだけで、他人を害するのはその副産物か過失のどっちかだと思っている。人殺しを殺したって殺された人が生き返る訳じゃないのなら、殺して更にマイナスを増やすんじゃなくてもっと社会にプラスをもたらす方向でものを考えたほうが絶対いい。道徳的にはさておき、極端なことを言えば、ただ殺すくらいなら人体実験のモルモットにするとかの方がまだ理屈として分かる。本当に道徳の話をするならどう考えたってただ殺すのも本人の意思に関わらず自由を奪うのも駄目ですからね。どうせ破るならもっとあるだろって話ね。なんかどんどん話がアレな方向に行ってるのでこの変で自重します(遅い)。。
(参考:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)

 

突如起こった謎の「土星ババァスゴスゴぶっささり事件」。ネジルとヘボットは被告人として連行されてしまう。
本当に一瞬しか映らなかったけど、法廷には正義の女神をイメージした像が立ってて、これがなかなかに含蓄に富んでいる。本来の女神は目隠しをして天秤と剣を持っており、相手が誰であろうと平等に法の裁きを下すことの象徴とされている。一方ヘボットでは天秤にバニラと抹茶のソフトクリームが乗っていて、右手は剣ではなく、鼻をつまんでいる。これめちゃくちゃ面白くない? いや、まぁ真面目に話すなら「比喩だろ、野暮なこと言うなよ」ってなるんだけど、風刺として普通に出来がいい。確かに目をつむるだけじゃ主観を挟まないのことの表明としては弱くて、相手がくさいやつ(≒鼻つまみ者)だったら目隠しだけでは意味をなさない。平成ライダーシリーズをつくってきた白倉プロデューサーの著書『ヒーローと正義』にはこんな風に書かれている。

 彼女は、人を平気で天秤の上に乗せ、平気で剣をふりおろすことができる。彼女は自分の剣が、どんな人の命を奪うことになるのか見ないままでいられる。剣をふりおろす以外の選択肢がないのかどうか、自分が剣をふるう資格を本当に持っているのかどうか、考えないままでいられる。

本当に公正公平を気取るなら、目を閉じ耳を塞ぎ口を噤んだ人間にでもなるしかないのだ。「ダメだダメだ! サリンジャー読んだことないだろ!」はっはっは。……そうでなければ、目隠しを取り、あくまでエゴにまみれた一人の人間として正義の名を借りずに剣をふりおろすしかない。

裁判が舞台ということもあるし、『リーガル・ハイ』という作品もおすすめしておきたい。半沢直樹で有名な堺雅人さん主演の法律コメディドラマで、もうひとりの主役である新垣結衣さんと2人で様々な事件に立ち向かう……というとなんか違うような気もするけどとにかく面白いので見て。3期待ってます。ない。
(参考:LEGAL HIGH カテゴリーの記事一覧)

 

……書きかけ? うん、いいと思う!

 

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ヘボット! 39話「王妃ナグリ、帰還」 感想

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ヘボット! 39話「王妃ナグリ、帰還」 感想

いきなしファイナルラウンド、ということは割と長く続いた戦いらしい。対戦カードは迫り来る隕石vs旧ボキャネジカルテット。イメージ的には彼らの存在が初めて触れられた8話のシーンに似ているので、場所はノリノリヶ島だろうか。この隕石は確かヘボット放送開始前に使われてたPV(まだネジルのデザインも固まらない頃につくられたらしい)でも出てきたやつだと思われる。YouTube上から動画が消えちゃってるので、確認できないけど。彼の正体は地球を破壊しようとするウマ汁……のはずなので、次元ネジを狙ってるのだとしたら座標が若干ズレていることになる。結局地球ごと破滅させるなら大した差じゃない気もするけど。
するとボキャネジカルテットというのは、地球を守るために結成されたことになるのかね。ジルとノリオがあくまでサポートに徹してるのは普通の人間だからにも思える。

この頃からサートゥルヌスはちょっかいを出しているようで、先代のネジ王として活動している。でもウマ汁は確か最後まで抵抗していた方って話だったから、この時点で会議全体の意見はもうまとまってたのかもしれない。引退して趣味に生き始めたのもカルテットの勝利を見届けたからだと考えるのなら、彼ら本当にかなり長いことこのゲームをプレイしてるのね。世界5分前仮説のことも考慮するなら、実際の時間はどうあれ本人達の認識的には、ということだけど。だってナグリとジルはまだ結婚してもいないんだろうから、この戦闘は短くても15年は前のことだし(ナグリに十月十日が適用されるのかは謎だが)、そこから更に会議のメンバーがまとまるまでの時間が加算される訳だから、やりこむなんて言葉じゃ足りないくらいの年月である。話の規模が太陽系なので、人間の基準で語るのはナンセンスかもしれないけど。って、そういや10万年前なんてワードもあったっけな。

 

なにやら焦るチギル。逃げろって言ったり逃げても無駄だって言ったり相当取り乱してる様子。話しの流れを汲むなら彼は本来この日のために何かしらの準備をしていなきゃいけなかったとのことだけど、それらしいことが特に何も思い付かない。チギルのこれまでの行動で特筆すべき点と言えば、黒いトキトキネジや白いスタスタネジ、コロコロネジなんかを集めたっぽいことくらいのもの。曰く「その時が来るまで預かっておくだけ」とのことだが、使う様子もないので今がその時ではなさそう。

つー訳でカルテット最後の一角ナグリ登場。便器から戻ってるお城に「アゲアゲ夜でナイト拳」を叩き込み粉砕。無茶苦茶過ぎる……。なんだよ、ジルのぽよんとしたお腹かわいいだろ! 文句あんのか! つい「寂しかった」と漏らす国王。嫁も息子も武者修行に出て、たった一人残ったネジルまで心を鬼にして(?)追い出した訳だから、キングスボキャとメイドーにょたちがいるとは言え、ねぇ……。
しっかし、ナグリ王妃のことは当時から未だによく分からんでコブシ。そもそもなんで拳(・大・)? 確かにヘボットもペケットもグローブ付けてるし、おもちゃのCMもボクシングだったし、なんならネジルやチギル,モエルなど人間もだいたい手袋はめてるけど。それも合わせてなんで? ボキャじゃなくガチバトルするなら妥当だけども。こないだ多分初めて指なし手袋を付けたんだけど、なんかあれ微妙に恥ずかしいね。指紋認証をするためにわざわざあんなの付けるなんて、とんだ連続動画小説物語ヘボな。温めます!

母と息子、感動の再会……。僕も生みの母とは5歳の頃に別れてるので、高3くらいで会ったときは結構嬉しかったなぁ。
18歳て僕より年下やんけ、おいおい。わざわざ1歳ズラしてるのには意味があるのかな。かかりそうなものが十八番くらいしか思い付かない。
気が合いますね王妃、ボク様もムリして努力するの大嫌いです。よければ一緒に「おとといきやがれ」。やりたいようにやってそれが結果的に傍から努力と言われるのは良いけど、努力しようと思ってするのはホントできないです。
ナグリのことを思い出せないユーコさん。やはりジルは国民の記憶を、あるいはライブラリの方をいじってるらしい。更に周回の外側を知って特異点となっていた(多分そういうことだと思う)自分たちの記憶も怪しいのではと疑い始めるキルマンコンビ。やだ何これ怖い……。


ついに出てきた終盤っぽさ、ボキャネジ格闘技。ここからガチバトルが……始まらないの。だってめみ子だもん。23話の感想で「始点に近いと人間のままでネジを使えるのか?」と予想したけど、格闘技はボキャネジのエネジーを解放するだけじゃなくそれを拳に乗せて放つものなので、またちょっと別なものと思われる。ネジルの場合も現状ヘボットと一緒に発動するのみで、一人でネジを使ってる訳じゃあないし。
さらっと5年とか言っちゃうあたり、やっぱり時間の感覚が違うんだなぁ……ヘボットは普通の4クールアニメヘボよ。でもフィーネを抑えることさえできればサザエさんのような長寿アニメになる可能性もあった、のか? シリアスな作品はメリハリをつけなきゃいけないから必ず終わりがあるのに対して、ギャグや日常系は終わらなくてもいい世界。空気系なんかとも近いけど、ずっと同じテンションを繰り返してていい。僕はここ数年になってようやく「物語の終わり」に納得できるようになってきたのよね。前までは、好きな作品ならとにかく長く続いてずっと見てられたら一番いいはずなのにどうして終わっちゃうんだと思ってた。でもテーマとかを意識するようになってからは"結論"を出すことにも価値を見出すようになって、これまでとはまた違う世界が見えるようになった。依然として続いて欲しい気持ちもあるけどね。

 

親を殴れません、か。僕も継母には蹴られ殴られ叩かれ投げられ散々な扱いを受けて「ダメだな、自分にだけ都合のいい表現だ」「悪いことしたの誰ですかー?」ディスられたって気にしませーん! ……受けてきたので、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い以下省略。昔から背の順に並んだら先頭を任されるミニサイズだったので、女手ひとつでも簡単に投げ飛ばせちゃうのね。階段をガコガコ引きずられて、玄関にバーンと叩きつけられて、外に追い出されて鍵閉められるのがお決まりのパターン。遅いと夜の3時くらいまでは入れてもらえないし入ったら入ったで反省文書かなきゃ眠らせてもらえないし。そういう経験のおかげで、割とどこでも寝られるようになったんですけどね。野宿とか全然平気。夢の島思念公園とか? 将来ホームレスになっても安心だね。
正直こっちの母には再会したら何かしらの仕返しをしたい気持ちがなくはない。そんなことしたって僕の子供時代は帰ってこないんだけど。そんな訳なので僕の中では"お母さん"という単語はすごく多義性に富んでいる。二律背反〜今すぐ〜……痛いよ(ボソッ)。

ヘボットがいるとネジルが堕落していく、らしい。方便かもだけど。
確かにヘボットはヘボいとこもあるけど、ネジルのヘボさとはそんなに関係ない気もするというかむしろヘボちゃんツッコミ役に回ることが多くて意外としっかりものキャラよ。ってあれか、ボキャ美が言ってた正しいが動機が不順なアドバイスの話か。このままじゃ自立できないと。ナグリは実際、ジルともチギルとも違って相棒なしでボキャバトルもこなす人だもんな。BLEACH的に言えば、群れられないほど強くて孤独になっていくタイプ。
でもそんなナグリもパートナーにムキムキじゃなくてジルを選んだあたり、弱さの許容とか支え合うことの意味とか分かってはいるのかな。今回のバトルも意志を持つネジであるスゴスゴが乱入してきたことで、なんだかんだ協力みたいな形になってたし。
どこまで本気だったのか分からないままに、お芝居終了。家族会議だったと言う割には誰にも見られてないとこでジルびっくりしてたけど、あれは本当にただ時期が早くて驚いたってだけなのか。
せっかくの家族写真なのに、カメラマンにまわって自分は映らないキングスボキャ……。この場ではジルの相棒はナグリだから身を引いたの? ロココットといい、お前ら結構いいやつだよな「毛ぇ濃いいやつぅ!?」違います、ノゴローくん。

 

まだ本編で名前が出てないので、通称「上位者」の方で一応話を進めようかな。ゼーレよろしく何やら怪しすぎる会合。親子揃っていくら使ったら気が済むのかね? もしかしたら当番制ってことも有り得るけど、どうやらサートゥルヌスが仕切ってるっぽいのが気になる。メンバーの中で唯一序盤からまともに出てたし、多分重要度で言ったらダントツなんじゃないかな。前にもゴッドネジを地球に放り込んでネジが島を誕生させた張本人なのではって話もしたけど。ざっと5億年は生きてるらしいので、余裕で人類誕生より前まで遡れる。なんか誰かが連想されるんだけど思い出せない。うーん……。
あ、ども、およそ30分後の僕です。言いたかったのは安心院なじみでした。こんだけ考えたのにそんなに似てなかった。彼女に関しては宇宙が始まる前からいるからな。無数の分身「悪平等(ぼく)」がいるってのは、ちょっと輪廻の蛇っぽい(登場人物みんな同じ人)けど。めだかボックスメタフィクションとして真面目に読んだら絶対面白いだろうなと思いつつ未だに手を付けられてないのよね。GReeeeNは小学生時代アホみたいに聞きまくったからなんとなくもう聞きたくない感じがあるんだけど(嫌いとも違う。好きなまま聞きたくない)、それと同じ感覚。
言葉遊びもかなり重要なファクターだし、今読んだら絶対面白いと思うんだけどなぁ。その気になるのを待つしかないか。
今日はこんなところかな。

 

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ヘボット! 38話「12体そろったらエライ事になった」 感想

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ヘボット! 38話「12体そろったらエライ事になった」 感想

たつみーたつみー男鹿辰巳! ヘボットは赤ちゃんバブ、スーパーミルクタイム。天丼に牛乳か…それも悪くないな(タルベルト) 2回繰り返すのはDJのスクラッチをイメージしてるのだろうか。ヴィーテとかフィーネとか音楽用語が重要な位置にある(そういえば次元ネジは八角形、音階もオクターブ=8)し、ありそう。
遂に集結エトボキャボット。番組に(ネジルの近くに)出てきたというだけでこれまでもずっといたはいたので、本人達は特に感慨もない様子。というか、彼らの登場が小出しだったのも全部フィーネを抑えるためなのか。12体揃ってないのに最終回が来たら非難轟々だろう。
確かに12個いっぺんにはささらん……けど一体どこからそんな発想が? エトヘボ合体の話かな。ヘボットの体にはネジ穴,ネジ魂穴,両腕,両足,背中の8ヶ所に合体できるポイントがあって、足と背中は腕と違って左右びっこにしちゃうと全体的に締まらなくなるので、同時に合体できるのは実質6体までかな。そう考えるとヘボペケでちょうどいいのかも。OPでも一例が写ってるけど、カッタイは他のネジ魂に入るパーツと干渉するからか、元々トラトラネジがあった場所にヒツヒツネジをさすことで解決してたね。ポリドロヘボのパーツでも駄目なんだろうか、そうするとダガシープのパーツを付けるとこがなくなっちゃうのかな。
そんな訳でヘボットの願いを叶えるべく、なんとか今あるパーツだけでエトボキャボットの力をひとつにできないか試行錯誤してできた結果がこちらです。名付けて「最終合体グレートヘボゾード✕○ぺけまる」。

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流石にエトが一人だけ余るのは可哀想だったので、いっそペケットとスゴスゴを合わせて、ウシウシとイヌイヌにはジョイントとして使える部分のないネジ同士痛み分けをして貰った。本体があったらなんとか無理やり全部乗せもできただろうか。
オペレーターだけでなくアニメーターまでこなすサメの一言でへボーン、全合体なにしてトーテム「名前じゃねぇ!」。調べれば何事も出てくる時代だけど、トーテムポールの持つ意味は結局よく分かんなかったなぁ。ジュウオウキングは賛否両論あったけど僕は大好きなんですよね。変形合体がかなりお手軽なので、何度でも何度でも疲れずに遊べる。トランスフォーマーとか、一往復さけるだけでどっと疲れることもあるからね。

 

ネジ歴1900年代だと、ヘボクラフトが没後およそ100年って話と噛み合わなくなるのだけど、どういう意味? ネジール王朝○年という表記では2017年だったんだけど、数え方が違うことはよくあるのでいいのだけどさ。これも同じ名前だけど別物案件?
マカロニウエスタンペンネの方が兄貴なのね、何気に知らなかったかもしれん。ヘボネジとペケチギが混ざってるのかな。
しかしなんでまた揃ったらあんなことになってしまうのだろうね。ヴィーテ(フィーネ)からの刺客だから? それともやはりさっき言ったようにイベントが一区切りしてしまうから?

 

へびつかい座のボキャボットを名乗る納豆顔のイケメンもといH・P・ヘボクラフトもといスネーク・オン・ヘアー。何度も出てくる駄キャラは数いれど、こんな分かりやすく一人二役,三役もするやつって実はなかなかレアなのでは。
仮に星座ボキャボットというのがいたとしても、へびつかい座黄道十二星座ではなかったような……と思ったら、なんと「黄道には入ってるのに十二星座には入れてもらえなかった」という特殊な立ち位置らしい。13個目で蛇ってなんかめっちゃキリスト教っぽい〜と思ったけど、最後の晩餐はキリスト含めて13人なだけで使徒は12人でマックスらしいので直接的な関係はなさそう。
さっきヘボゾードと名付けたように、十二星座も十二支英語だと同じzodiacなのよね。似たようなもんやろってことで一緒くたにされたらしい。フォーゼのゾディアーツもここから。Zooなんかも語源は同じらしい。

いつかしようと思ってたけどタイミングを逸してたので今回話すこと少なそうだし、よーし書いちゃうぞ。
十二支を指して"エト"と言うのは誤りで、本来の漢字を当てるなら、なんと"兄弟"。意味的にはそれぞれ陽と陰を表し、これと木火土金水(キヒツカミ)の五属性を組み合わせてできるのが十干。木の兄→甲,木の弟→乙,火の兄→丙,火の弟→丁……といった具合に進み、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10個になる。これが世に言う陰陽五行思想
現代まで残ってる使用法としては、1位2位の意味として「甲乙付けがたい」とか、契約書とかで代名詞として「弊社を甲、貴社を乙とし……」とか、あとは暦くらいのもの。十二支と組み合わせて甲子,乙丑,丙寅,丁卯……と続き、1年にひとつ当てはめていく。60年で一周するのでこれを"還暦"と言う。もうちょっと馴染み深い文化で例えると、六曜みたいなものかな。あれも基本的には先勝,友引,先負,仏滅,大安,赤口を順々に繰り返すよね。甲子園とか戊辰戦争,辛亥革命なんかは、関連する年がその干支だったからそう名付けられてる良い例。60年周期なので、まぁ人の一生と比べたらほとんどダブらないし都合が良かったのかな。

五行は元々太陽系の惑星に由来していて星座とは星繋がりではあるものの、後者はヘボットにおいてかなり重要な兄弟という概念とは、僕の知る限り関係がない。双子座があるくらいだろうか。もし本当に企画段階でのネタのひとつだとするなら、ヘボットとペケットの設定が固まる前ということになるのでだいぶ初期の話と思われる。この話を知らないと、ヘボットだけを見て兄弟の概念に陰と陽……すなわちネジのプラスとマイナスを紐付けることはなかなか難しいと思われるので、何気に必須知識なのよね。親がやってた宗教関係で教わっといてよかった。みなさんも、知っといて損はないことなので後の人生に役立ててください。


色々ありまして、通称ししとうバトル勃発!
今回のエピソードは全話通して何故か一番記憶に残ってないんだけど(おそらく見返し回数が少ない)、今見返してびっくりした。これメインキャラvs駄キャラじゃなくて、それぞれでチーム分けして争ってるのね、全然理解してなかったワ。
パジェロパジェロ! いやぁ世代なんですよね、東京フレンドパーク。壁に張り付くやつとか怪獣が吐く光を止めるやつとか、やってみたかったなぁ。ディズニーランド行ってもどこにも見当たらなくておっかしいなぁと思ってたのが懐かしい。パジェロが車の名前だと知ったのは割と最近。あのゲームの名前とか特有の掛け声とかじゃなかったのね。子供の理解力おそるべし。

ボキャ美はヘボットは演歌が好みってのを知らないのね。『愛・おぼえていますか』っぽい歌を歌うカスリーナ、目元がなんかどことなくらき☆すたのキャラに見えるでコッペパン
携帯音楽プレーヤー、僕はバリバリカセットテープのウォークマンを使ってましたね、たしか勝手にB面再生してくれるやつ。父のお下がりだったけど、石だYO!
今回の山盛りエトコンボは組み合わせが謎だなぁとずっと思ってたけど、語尾が文明になるように選ばれてるのか。そういえばトーテムポールとかクロマニョンとかバビロニアとか鳥獣戯画とか、前フリあったわ。全体としてのテーマにどう関わってくるかはイマイチ分からんけど。例えばクロマニョン人ネアンデルタール人を滅ぼして栄えた訳だから、そういう構図をメインキャラと駄キャラ(踏み台)に重ね合わせてる? ダメだな、中途半端な知識だ。ダメダメだ。

そんな訳で(どんな訳だ)だんご3兄弟オチ。これもまた懐かしいなぁ……CDなんだけど小さいサイズで、なんか縦長のケースに入ってるんですよね。およげたいやきくんとか似たものを感じるけど、なんで食べるものにわざわざ人格を見出してしまうのだろう。本当に命を頂いてるならともかく、だんごもたい焼きも別に罪悪感抱くようなものでは本来ないのに。
どんどん逸れてくけど『イカスミダ・タコスミダ』って知ってます? 意味分かんなすぎてめちゃくちゃ記憶に残ってるのよね。ちなみにイカもタコも食べると吐きそうになる体質なので食えんとです。なんでもQという番組のワンコーナーらしいんだけど、こっちは全く覚えてないなぁ……。
日曜日はまだ始まったばかりの気でいたけど、配信もエトボキャそろっちゃってはやくも佳境なんだな。ここまで毎日ブログ書いてるボキすごい。全然読まれてないのに! これもひとえにヘボットが面白いからですね。最後まで走り切るぞー!

 

 

ヘボット!感想一覧

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ヘボット! 37話「電脳鼠はボキャボットのダメを見るか」 感想

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ヘボット! 39話「王妃ナグリ、帰還」 感想