やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第34話「コレが滅の生きる道」 感想

キャラクター

 飛電或人
・ナメプ
久々にシャイニングホッパーが見られて嬉しいとの声が多いけれども、やはりそこで終わってしまってはつまらないので、ここに何らかの意味を見出す努力をしてみようと思う。
まずひとつは、今回父である其雄の影を見ていたこと、もうひとつは迅とささやかながら分かり合えたという経験が挙げられるだろうか。これらの影響で、少なくとも一度目の戦闘における或人は、本気(メタルクラスタ)を出すつもりがそもそもなかったとも捉えられる。
また以上の可能性を一旦白紙にして考えたとき、単純に「或人が久々に使いたかったから」という可能性も考えられる。シャイニングホッパーは或人自身の成長に合わせて強くなるフォームなので、スペック的には型落ちである滅を相手に、自分の腕を試した……或いは縛りプレイというか、"鍛錬"のつもりかもしれない。時々墓参りをするような感覚で、ワズに思いを馳せたかったということも有り得る。


 滅
・食に見る人の意志
彼の言うことには、人間視点でも一理ある。「もうすぐ桜の季節だね」「スイカを食べると夏って感じがする」「そろそろ秋だし、さんまでも食べようか」など、これらの"文化"が技術によって一元化されてしまうことは、ひとつ大きな損失であると言えるだろう。
旬ものと言われるものを本当に年がら年中食べたいと思うほど好きな人からしたら確かに嬉しいことかもしれないけれど、そうではなく、正直あんまりこだわりがない多くの人にとっては、こういったある種の不自由さは、むしろきっかけとしてとても心地よいものだと思うのだ。「何食べたい?」に対するアンサーとして「なんでもいいよ」と答えるような人がまさにそれ。そもそもこの会話、つくる側にしたって何でもいいから一緒に食べる人に意見を求めてる訳で。
安売りされてる食材を使うだとか、冷蔵庫にあるものからメニューを考えるだとか、毎日毎日繰り返す食という行為は、我々の流されやすさを浮き彫りにする。
僕はここ1年ほど地活という場所で、3〜10人程度の人が200円ずつお金を出し合い、一緒に買い物や料理をしながら昼食を楽しむ場に参加しているのだが、本当にそれを実感する。
前々からゼロワンの感想で話したかったんだけど、料理を人に教えるのってなかなか難しいのよね。
「どんな風に切ればいい?」「何分茹でればいい?」「塩はどれくらい入れればいい?」……全部、究極的には「お好きにどうぞ」の一言で済んでしまう。
もちろん、加熱しなければ当たるだとか、そのままでは硬すぎてとても噛めないだとか、多くの人に共通して言える基本知識みたいなものもあるけれど、基本的には料理という行為は「食べたいもの」という願望ありきのものなので、ざっくり「料理がしたい」くらいの気持ちでいる人には、なかなか難しい。
僕なんかは自分で言うのも変だがかなり自由な人間なので、自分のためにつくるならかなりアバウトにやる。
スーパーの鮮魚コーナーでバイトしていたとき、本来捨てるものであるマグロの頭とカマを貰ったことがある。その頃は魚のさばき方なんて全く知らなかったけれど、とにかく「食べられそうな赤い身」を求めて、適当に包丁で切ったりスプーンでこそいだりした。結果的には、おいしそうだと思った部分はだいたい食えたし、なかなか楽しめた。
また僕はよくカレーをつくるのだが、それというのは実際のところ、具は一切無しで、沸かしたお湯にルーを溶かしただけのものを指している。ニンジン玉ネギじゃがいも豚肉を、剥いて切って炒めて煮込んで……なんていう"料理っぽいこと"は、(できるが)一切しない。僕の食事は「いかにして米に味を付けて腹を膨らませるか」というコンセプトのもとにあるので、とにかくルーさえあればカレーを食べた気になれるし、それでいいのだ。
でもおそらくそのことがピンときていない料理について無知な人は、何か「従うべきルール」があるかのように思っており、それを探して右往左往してしまう。
食感を楽しみたいなら大きめに、嫌いなものを誤魔化したいなら小さめに切り、かたさの好みに合わせて煮込む時間も調節し、調味料も味見をしながら整えれば良い。「料理ができる」とは、自分の望みを実現させる"手段"を知ることであるので、まずはとにかく"目的"が必要。
鼻唄気分で歌を口遊むとき、サビばかりループしてしまったり1番しか分からなかったり、歌詞が分からなくてフンフンランランで誤魔化したりすることがあるが、それに対して「正しい曲のかたち」を指摘することのナンセンスさと言ったらない。例え音が外れていようとも、その人が歌っていて気持ち良いのならそれで良い、むしろ正しいのだ。
意志という概念の本質は、矢印(ベクトル)を以てほとんど表せていると思う。つまり、何かがどこかへ向かって"動く"とき、それを観察する者が見出すのがそれだ。
人が水筒に手を伸ばしたら「喉が渇いてるのかな」と思うし、猫がご飯のお皿に近付いたなら「お腹が空いたのかな」と思う。更に拡張すれば、水が低いところに流れることに対して「楽をしたい」、山が噴火することに「怒っている」という印象を受けることもまた同じこと。
人は基本的に、何事にも心を見出すようにできていて、"神様"という概念はその最たるもの。
例えば盗んできたパンをドブ落としてしまい、食べられなかったとする。この偶然の出来事に対して、人は「天からの罰」を感じる。
また、自然界というのは"よくできて"いて、植物の形態はフィボナッチ数列という法則に従っているだとか、生命が生まれただけでなく人間という高度な知性を持ったものまで出てきたことだとか。これらについて、人は「とても偶然とは思えない」と感じる。その感覚の行きつく先が「神様の意志によってつくられた」という宗教、或いは科学の世界ではインテリジェント・デザインなどと呼ばれている発想だ。
「本当は偶然かもしれないことに、こじつけてでも何か意味や法則性を見出そうとする」この機能こそ、人の意識や心というものの源泉なのだ。

(参考:フィボナッチ数列

www.youtube.com)


 刃唯阿
・らしさ
元々彼女って不満を抱えつつもかなり長い間ZAIAにいるほど我慢強い(逆に言えば我が強くない)人なので、必要としてもらえたからとなんとなく滅亡迅雷へなびく姿は、不破のあれこれを差し引いてもめちゃくちゃ"彼女らし"くて、前回のラストから笑いっぱなしなのよね。
この世の真理として、存在しておきながら全く情報を持たないということは不可能。半年に渡って一応ちょこちょこ出てきてる彼女には、必ずそれ相応の"個性"が生まれている。それを受け手側が読み取れるか、また言語化できるかは別として。
それを最も象徴するのは、やはり今回で言えば"私服"だろう。
何も着ない訳にはいかないので、必ず何かを選ばなければいけない。するとやはりどうしても、好きな色の傾向だとか、実用性とファッション性のどちらを優先するタイプなのかとか、誰かを意識して真似ているならそれが"なりたい自分像"なんだろうとか、自ずとその人となりが透けてくる。制服にしたって着崩す人がいることを念頭に置けば、きちんと着ているのは比較的"真面目"な印象を受けたりする。
もちろんこれらというのは、あくまで見る側の心や知識が投影されたものに過ぎなくて、必ずしも正しいとは限らない。
話は変わるようで変わらないのだが、物語の作者が持つ意図について、僕はいつも感想と称して"解説"じみたことをしているけれど、それというのはとんでもなく無粋な行為なのではないかという疑念が、最近ある。
それを踏まえた上で見ると、何を思っているのかがハッキリと分かり、解釈の余地がないわざとらしい心理描写というのは、あまり粋なことではないと言える。あくまでその人 個人の立場として様々な解釈が生まれる状態というのは、少なくとも感想を書く身としては、楽なものがある。
作品を見てみんながみんな同じように感じるんだったら、口を開いて共有する意味なんてないもの。
という訳で考えてみると、肌の露出(自分を出すこと)に対する願望はあるものの、普段は上着で隠している……みたいな心理が見える。我ながら見方が浅いが、僕は普段服装なんか気にしない種類の人間なので、頑張ってもこの程度が限界だろうか。名前すらも分かんないもん。コートって言っていいのだろうか、あれは。下に着てるのはセーター? ニット? ファッションはマジで分からん。
・反発
また、滅亡迅雷に協力しているのは、彼女のZAIAに対する反抗のかたちとも取れる。婚活回の女性(海老井千春)のように人間そのものに対して絶望感を抱いており、その逃避先をヒューマギアに求めたのかもしれない。天津を始めとして他のレイダー怪人も含め、"人間の悪意"として描かれてきたものをかなり近くで見続けてきた訳だし、考えられる話ではある。
またもう少し飛躍させると、亡による(公式サイトより)ザイアスペックへのハッキングについても、彼女が手引きしていた可能性がある。もちろん、ZAIAに対する意趣返しとして。
と言っても唯阿が直接ハッキングに協力したんだとするとかなり悪く見えるので、あくまで現在のZAIAに関する情報(セキュリティの形態や情報管理体制など)を与えただけで、ハッキングしたのはあくまで亡の(アークの?)意志……という塩梅に留まっており、その情報提供すらもあったのかなかったのかぼやかすことで、なんとか正義の仮面ライダーとしての社会的体裁を保っている感じだが。
正直僕は彼女が正義だろうがなんだろうがどっちでもいいので、思い付いたことは言ってみる。
「何かへの反抗」をもって自己を記述するのは、まさに人類への反逆を掲げる滅亡迅雷と通じるところがあるしね。
キラメイジャーの感想で詳しく話をしたのでぜひ。
(参考:魔進戦隊キラメイジャー エピソード7,8「トレーニングを君に/エクスプレス電光石火」 感想)


 不破諫
・人の心は分からない
この34話において、不破は一度たりとも「過去のことを気にしてる」とは言ってない。あくまで、イズから見て最近集中力に欠けているという事実があるのみだ。これの理由は分からないが、ひょっとするとアサルトほどではないにせよ、ランペイジバルカンへの変身は疲れるのかもしれない。はいそこ、「そんな描写はない」とか言わない。言うのならば、まず"集中できてないこと"が根拠とならない根拠を示しなさい。「だとするなら何故最近になって出始めたのか」というのは分かる話ではあるが、疲れとは溜まっていくものだ。必ずしもすぐ出るとは限らない。
いや、まぁ、本気でそうだと信じているのではなくて、何が言いたいのかといえば、観察から得られる人の内面なんてものは、想像力さえあれば割とどうとでも言えてしまうということだ。
唯阿が彼を無理やり連れて行ったことについても、僕は2通りのそれらしい解釈を持っている。
まずは見たまんま不破の意識を奪って本当に無理やりやったと見るケース。この場合唯阿の心情としては、不破が散々やってきた「お前の本心はZAIAに従うことじゃないはずだ」という押し付けがましい思いやりに対する"お返し"ということになる。「そうは言いつつも本当は気になってるんだろう?」と。
もうひとつは、"首筋を打つ"という行為が内輪ネタである可能性。そもそもリアリティが低い描写だというのが根底にあるのだが、この解釈においては、不破は意識を失った"フリ"をしているに過ぎないと見る。1つ目と比べると、こちらはより2人が「互いを分かり合ってる」ような印象を受ける。
どちらにしても唯阿の「面倒な奴」という言葉は、「素直じゃない」みたいな意味になる。2回目に目覚めたのはもはや不破さんのおふざけですね。「もっかいやって」っていうフリ。こっちの唯阿さんは本当の意味で面倒くさがってるように見える。面白いかは別として、当人たちの認識としては夫婦漫才ってやつだと思われる。
……というのは2割ほど冗談だけれど、亡が彼の"別人格"として描かれていることも踏まえて考えれば、催眠療法みたいなイメージで捉えると分かりやすい。術者との信頼関係がなければ(つまりストレス負荷が高くリラックスできていなければ)、拒否反応が起こり目が覚めてしまう。

 

設定

雷電のデータ
ヒューマギアプログライズキーという概念が提示されたのは雷電が壊れたずっと後なので、彼のデータが保存されているというのにはなんとなく違和感が残る。
さほど重要でない一般のヒューマギアや、逆に重要過ぎるゼロワン計画関係のヒューマギアと違って、適度に重要なポジション(彼の場合ゼアの整備)にある個体のデータは、元々バックアップが用意されていた……とすれば、納得の余地は生まれるだろうか。
或いは、仮面ライダー雷としてゼアにアクセスした際に、何らかの情報交換が行われていたとか。単純なところで行けば、ゼアが侵入者を分析した。かなりひねると、雷電が「死にたくない」という感情から個人的に自分のバックアップを取った。

 

 


パニック パニック パニック みんながあーわーててーるー。
てな訳で、いやぁ、人がわちゃわちゃしてるのって見てて面白いね。
とりあえずずっとしたかった料理の話ができて僕はご満悦です。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第33話「夢がソンナに大事なのか?」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 第35話「ヒューマギアはドンナ夢を見るか?」 感想