やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

侍戦隊シンケンジャー 第三,四幕「腕退治腕比/夜話情涙川」 感想

キャラクター

 志葉丈瑠
・過去を捨てる
正直普通に見ている分には、今回の彼の物言い(3話 10:05)にはあまり説得力を感じなかった。
本編内での描写が全てと捉えるならば、千明の友人が怪我をした最大の要因は「シンケンジャーとして戦う千明を心配して駆け寄ったから」だ。あそこに外道衆が出てきたのはたまたまだし。で、じゃあ千明が彼らと会ってさえいなければ防げたかというと、そうは思わない。だって「過去を捨てる」とか言いつつ、いつも白昼堂々 高々と本名を名乗っている訳で、偶然近くにいてそれを聞く可能性は十分にあるし、そしたら心配して寄ってくることもあるかもしれない。
そもそも果たしてあの名乗りは必要なのかってところから疑問ではあるしな。この前は言わなかったけど、1話で人が襲われている(おそらく"真剣"なので死んでいる)のを横目にあの大仰な見栄切りをやったもんだから、あまり印象良くないのよね。「そんなに大勢の黒子を従えておきながら、なんで襲われてる人を前にして呑気に着替えてんだよ」と。一応これに関しては、戦隊の影に隠れて画面に映らないだけで、人を守ったり逃してる黒子達もいるのかも……ということにして納得したが、今回のは「実は名乗ってない」ということにでもしないと成り立たない。ガオレンジャーなんかは名前も捨てて色で呼び合ってたからシンケンジャーも……と言うには、"名前"は彼らにとって重要なファクター(正当な世襲の強調)なので確かに無理があるけれど、それならそれで普段の生活の方で偽名を使うなりなんなりということも不可能ではない。
僕がなんとか納得できる落としどころとしては「偽名を使っていたがドラマとして分かりにくくなるので"千明"呼びになっただけで、実際は名乗りでは身バレしない」だろうか。
「どっちにしても守れる力があればいいんじゃ」とも思うけれど、こっちはあまり強く言えない。どれだけの力があればすべての人を守れるか……なんて考え出すとキリがないので、少しでもリスクを減らそうというのは分かる話ではある。
最終的にも論点は「アヤカシに勝てるかどうか」「数段落ちてる腕をどうするか」にスライドしたし、そこは可能な限り努力する前提なんだろうね。
・引け目
それとは別に、建前上とは言え偉そうな態度を取っていることに対して多少なりとも引け目のようなものを感じていると思われるけれど、そういう時ってそれをきちんと責めてくれる人がいるととても安心するものなのよね。
小学生の頃に万引きをしたことがある。父と謝りに行ったんだけれど、「誰もが一度は通る道」みたいな感じであっさり許されてしまったのよね。きちんと"怒って"貰えた方がよっぽど気持ち的には楽だったろうなと今でも思う。いや楽に感じちゃ駄目なんだけど、怒られるというプロセスは自分に対する免罪符になるフシがあって、それがない状態で自分を許すことの難しさを思い知らされた。
そういう意味で、丈瑠にとって素直に自分の気持ちをぶつけてくれる千明の存在は結構ありがたいものなんだろうな。蓮にとっての真司にも近いものを感じる。


 谷千明
・繋がり
アヤカシ ロクロネリの能力は、今見るととても印象深い。まさに「どこまでも届く腕」って感じ。今回のテーマはそれに合わせて「"一人で十分"か否か」だったね。
ソロの変身シーンも仮面ライダーよろしくバンクを使わない1カットで表現されていて、かっこよかった。
サブライダーのいないクウガでさえ警察関係の人たちと協力していて、僕が「息苦しい」と評したあの縛り付け合いもまた、是非はさておき人間関係の賜物であって、グロンギとなんとか戦っていけたのもそのスパイラルのおかげと言っても過言ではない。
千明の荒削りな作戦は丈瑠のおかげで(自動車を巻き込みつつも)成功し、丈瑠もまた「あれだけでかい口叩いておいて自分ができないなんてことは許されない」という謂わば背水の陣を以てして成功させる。
自分以外の誰かの存在はもちろん障害になることもあるけれど、それなしで僕らは生きていけない。この話は後述する4話とも通じてくる。


 白石茉子
・やらない善より
予想はしてたけど僕はこの4話、キモくない話をする自信がない。性行為に対する欲求がない代わりと言うべきか、ハグを始めとしたスキンシップに対して憧れがあって、友達としたことがあるけど、とっても気持ちよかった。
最近は「してもらう」んじゃなくて、自分が「してあげる」側になれたらという気持ちがある。
そういった自分の経験を元に情緒不安定ぎみな彼女の心情を考えてみると、「お互い様」の一言で表せるように思う。
まず"弱ってる人"を見ることによって、流ノ介同様に自分も感情移入してしまい落ち込む。次に「自分がヘコむと逆の行動に出る」の心理で(本人は無意識だろうが)、その相手を慰める……という名目で、自分自身も安心を得るためになりふり構わずスキンシップを取り始める。手を繋ぐのもハグもそうだが、"してあげる方"もまた触れ合いによって癒やされるものなのだ。
弱ってる人は茉子の優しさに癒やされ、茉子も自分を投影した人(インナーチャイルド的な)を助けることで間接的に自分の心を癒やす。
そんな訳で間違っても"慈愛の心"なんて表現はできない彼女の身勝手な言動だが、それで実際人を立ち直らせることができているのだから割と無害、むしろ有益であるとも言えるかもしれない。これこそ"人間関係"の素晴らしさ。

 

 

 

世の中には色んな人がいるよなぁ……最近特に思う。
最近と言えば、感想でキモい話ばっかしてる気がする。自重しないとな、引かれてしまう。でもみんな割と下ネタとか言ってるし、多少ならいいよね。

 

前話

侍戦隊シンケンジャー 第一,二幕「伊達姿五侍/極付粋合体」 感想

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