やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第16話「コレがZAIAの夜明け」 感想

キャラクター

 飛電或人
・シャイニングアサルトホッパーというのは、1つ目(≒ショッカー首領)のゼアとアークの力を合わせることで2つ目(普通)にする……すなわち"別の視点"を受け入れるフォームだと思うんだけど、或人の人格や言動とこれがフィットするかと言うと、直感的にはあまりしっくりこない。
ただ、彼はマンモスといいシャイニングといいアサルトといい、他人からもらった力で戦うことが多い。これは僕風に言い方を変えれば「他人を信頼している」と言うことでもある。例えば老人が医者を好かんと言って自分の体をいじらせたがらないように、自分の理解が及ばない電子機器を避けるように、信頼がなければ"頼る"ということはできない。
"社長"というのは、長(おさ)というくらいだから人間の集団をまとめる役割のはず。他人を信じず受け入れず、なんでも自分の手でやろうとするのなら、社員など邪魔なだけ。そう考えると、或人は意外と他者を受け入れていると言えるのかもしれない。
・最初に見たときは或人のセリフから、シャインシステムというのはエヴァっぽいイメージで本当に社員がリアルタイムでオペレートして或人を支えてるのかと思ったけど、普通に考えたら計算してんのはゼアだよな。
まぁそのゼアをつくったのは社員な訳だし、整備してるのも社員だろうし、システムの起動を提案したイズも社員(多分)だし、直接的じゃないだけで別に何も間違ったことは言ってないんだけど。
ウルトラマンは必殺技がビームなとこが好きじゃなくて、それは戦隊ロボにも同様に言えることなんだけど、シャイニングアサルトもファンネルに頼ってるとこは、あまりカッコよくは見えなかったな。CGCGしてるってのもあるかもしれないけど。やっぱりバトルするなら自分の手足と、延長するにしても手持ち武器程度であって欲しいかなぁ。銃ライダーは魅せにくくて不遇になりがちみたいな話もあるよね。令ジェネでも思ったけど、基本的に遠距離攻撃って時点でコスいものなので、その印象を拭うのは大変だなと。
・悪意をラーニングしただけ(同情の余地がある)とは言ってるけど、ドライブのときと違って毎回暴走した奴はちゃんとぶっ壊してるんだから何も問題ない気がするんだけど、どうなんだろうか。
僕は個人的には、罰を与えればいいってもんじゃないと思うけどね。
脅しとして犯罪の抑制に繋がるという効果はあるものの、既に起こってしまった犯罪については、筋を通すため以外に罰を与える理由があまりない。迅を壊したからって被害が元に戻るわけじゃないし、一番いいのは迅が改心してこれからより良い社会のために貢献してくれることだと思うのよな。まぁ、基本はそれが望めない場合に死刑という判断が下る訳なんだけれど。
・或人が新しく作ることもできそうなファルコンキーに固執してたのは、ヒューマギアのときと同じ理屈だと思えばなんとなく理解できる気がした。
3話の感想にて既に詳しく話した「既に壊れてしまったから仕方なく代わりを受け入れるのと、まだ壊れてないのに代わりがあるからいいやと思うのは違う」という心理。
自転車を盗まれたとして、新しいのを買ってもらえるならば前のものに対する執着(愛着)が消えるのかと考えると、必ずしもそうじゃない。壊れたりしていないのなら、そのまま返ってくるのが一番嬉しいだろう。
・解任動議の件、心なしかジオウっぽいなと。
ソウゴは、ゲイツたちの判断なら信じられるから、自分がオーマジオウになると確信したらいつでも倒してくれと言った。株主総会や取締役会というのも構造的には同じで、或人が会社(自分たち)にとって悪い者だと思ったら、いつでも解任することができる。そして或人はその判断を信頼して身を委ねる。「まだ解任されてないってことは、みんな的には俺の行動はオッケーなんだな」と。
僕らは飛電の株主ではないので、飛電社の取る舵にとやかく言う権利はない。彼らは彼らの意思に従い、我々からすると馬鹿なことでも、或人を社長として認め続ける自由がある。もちろん一般人にも、ヒューマギアを使い続ける自由がある。
僕らにできるのは『仮面ライダーゼロワン』のいち視聴者として"世間の評判"の一部となり、製作者越しに間接的な影響を与えることだけ。

 

 イズ
・前回あれだけ「雑」だと批難されていたイズのピンチだけど、今回かなりサラッと直ってて(字幕によると或人のセリフは終始"直す"表記)ある意味誠実だなと。「あんなしょーもないことが原因でこんな大惨事になるなんて……」ってなるもんね。裏を返せばイズのピンチ自体は視聴者的にはそこまで緊迫感が必要ないから、あぁもあっさりとさせたのかな。
あのシーンの肝要なとこは、イズじゃなくて「ヒューマギアなのに」という迅の怒りの方だったんだろう。
人間だからとか日本人だからとか、その程度の共通項で「立場に関わらず死を悲しむ」という気持ちは僕にはよく分からないんだけれど、世間的にそういう潮流があることは知ってる。「家族だから」とかね。
そういうぼやっとした括りで分かった気になって、実際にその個人と個人がどういう関係だったのかを無視する傾向というのは、1話で言ってた「検索して分かった気になる」みたいなそれと似ているのかもしれないな。
イズの立場で滅の死を悲しむ理由なんて、まぁ悲しんだら悲しんだで僕は「そういうこともある」と言うだろうけども、ないもの。

 

 不破諫
・人間は人間で肉の塊だよって思ったのは僕だけじゃないはず。人も機械も電気が流れて動いてるだけだからね。
死にかけの魚がたまにビチビチ動くように、人も意識がなくなってなおピクピクと動くことがある。究極的にはそれらに違いってない。無から有を生み出すことは少なくともたかがいち人間にはできないので、僕らが動くときには必ず他からの作用がある。
初めは親から、生まれてからは他の生き物の死体などから生命力を貰って、なんとか凌ぎ繋いでいるだけ。
僕らが本来相手にしているのは、目の前の矮小なヒューマギアでも人間でもなく、それをかたちづくる"大自然"に他ならない。

 

 迅
スコーピオンキーを使うの、いわゆる"エモい"感じで狙い過ぎというか逆に冷めるような印象を視聴者的には受けるんだけれども、迅にはそんなこと関係ないんだよな。形見として使いたいから使う自由がある。メタ的にはともかく、別に彼は僕らを面白がらせる為に生きてる訳ではないんだから。
・配信中のガオレンジャーのツエツエとヤバイバにもたまに言うんだけど、彼らのやってる悪事に同情の余地って本来はそんなにないはずで、それでも彼らが許されてるのはひとえに「挙動がかわいいから」だよな。勧善懲悪を描きたいなら、悪事を働くキャラクターにかわいげなんて持たせる必要は全くなくて、だからガオレンジャーが「王道な作品として人気」というのがイマイチ理解できてないのよね。特撮ヒーローものとしての王道ってのはそれこそ勧善懲悪な話のことじゃあないのか? まだ最後まで見てないから実は2人とも凄惨な死を遂げるのかもしれないけど、結果だけ見るなら555とかも割と悪いことしたやつは死んでるので勧善懲悪的ではあるんだよな。
かわいいからってだけで悪事が許されがちなことについては、まぁ人の感情の話なので仕方ないというか、好きな奴に甘くなっちゃうのはもう自然の摂理よね。
・人間を滅ぼすという信念がアークや滅からの受け売りだとするなら、彼自身から湧き出た"悪意"は、むしろヒューマギアに対するものなのかもな。1話で撃ち殺したり、暗殺ちゃんに嫉妬したり、イズを攻撃したり。或人にも言われてたハッキングもそうだけど。

 

 天津垓
・彼はなんでアークなんてものをつくったんだろうね。
「アークは人間の悪意ばかり偏ってラーニングしてるので、善意もラーニングするべき」だと是之助たちは思ってたけど、単に天津は「悪意こそ本質であり、善意は学ぶ必要がない」と信じているというだけなんだろうか?
TOBという手法は、さっき言った「飛電の意思決定システム」を根本から揺るがす。飛電社を人に例えるなら、洗脳にも近い。
でも、僕は株に詳しくないので違うかもしれないけど、あくまで売買である以上、株主の多くが「ZAIAにこの株を売りたくない」と思えば成立しないはず。つまり、一応は今の株主たちの意思も無力ではない。というかむしろ、その総意こそがTOBを成立させてしまうという点で、ヒトラーの誕生経緯を思い起こす。
民意によって選ばれた一人の人間が独裁的な決定権を得るというあのプロセスは、一考の価値がある。
最近のメタルクラスタホッパーの話にも通じてくるが、「そこまでは望んでなかった」と思うのかどうか。民主主義システムが機能しなくなることを民衆が望むことは、果たしてパラドックス足り得るのか?
ヒトラーがあそこまでやる人だとは分からなかった」で免責されることなのか。
ユダヤ人迫害が何のために起こったのか、僕はよく知らない。ではヒトラー独裁制の迫害は何のために起こるのか。
もし「ユダヤ人さえいなくなれば何かが好転する」みたいな心理が働いていたのだとしたら、それは「ヒトラーさえいなければあんなことにはならなかった」という気持ちと何ら変わらない。
独裁制は必ずしも悪い結果をもたらさないし、ヒトラーの思想にも正しい部分はあり得る。
或人の行動に何か悪いところがあるとすればそれは社員や株主の責任でもあるし、ヒューマギアの暴走も飛電の責任である部分もあれば滅亡迅雷の責任な部分もある。
人がものごとに線を引いて「自分には無関係なこと」だと思うことが減り、より多くの事柄について自分にできることを探すようになれば、うまくいくこともあるかもしれない。
僕は僕にできることの1つとして、こうしてブログで発信をしている。
僕のブログを読んだ誰かが影響されて何かに首を突っ込めば、ことが良くなるにしろ悪くなるにしろ、その責任の一端は僕にある。
だが、僕の行動についてゼロワン制作陣が責任を取らないように、責任がある(関与している)ことと責任を取る(ことの対処に当たる)ことは必ずしも一致しない。
例えば未成年者による行為の責任はその親にいく。
では未成年から成年になる年の誕生日を境に、責任能力に関連する何かしらの劇的な変化があるかと言えば、そんなものはない。そもそも成年の年齢が国や時代によってバラついているという時点で、年齢に関係した本質的な違いがないことは明白。ただ法制度上の都合で責任能力があってもらわないと困るから、あると見なしている、"あるということにしている"に過ぎない。
成年するまでにきちんと自らの成したことに対する責任を取れるよう(責任を取れないことはしないよう)に育てなかったのは依然親の責任かもしれないが、それを考慮することをやめる。
意思や責任という概念は本人ではなく、それを見る他者が勝手に決めることなのだ。

 

 

設定

・唯阿が「こうなることをすべて予測していたとしか思えない」とか言ってたけど、微妙に意味分からんのよね。僕はてっきり或人と不破が協力することを予測していたもんだと思ってたけど、全然そんなことはなくただ拾ったし。
唯阿の言ってることが「ゼアは或人がグリップを拾うと予測していた」なんだとしたら、ちょっと笑えるよな。いやさ、それこそラプラスの悪魔の如く、本当にあの場の状況を細かく精密に予測していたんだとしたらそりゃ確かにすごいけど、そうじゃないならゼアは或人のことを一体どう思ってるんだって話よね。
不破の反応も噛み合ってるようで噛み合ってなく見えるし、4話もそうだったけど彼らのセリフはむつかしい。
「あいつのルール」ってのは、さっきも言った"人任せ"の話としてなんとなく分かるけれど。反動があるはずのグリップを使うという案を鵜呑みにするのは、ゼアの判断を"信頼"していないとできない。

 

 

「脳内補完に頼らずきちんと描写しろ」とか、「このキャラの行動は意味が分からない(ブレている)」とか、そういった声をよく聞く。僕も以前はよく言っていた。
これらは作品の設定やキャラの心情など、そのすべてを作者は意のままに操り、なおかつ自分たち視聴者はその意図を知ることができるべきである……という信念に基いている。
これは物語のレイヤーではあるが、いわゆる幼児的万能感に似ていると感じる。
「現実世界は無理でも、物語ならば自分たちの手の中に収めることができる」という感覚が、間違っているかどうかは僕には分からない。僕も自らの理解の内に収めようと、あれこれ解釈している身だし。

 

前話

仮面ライダーゼロワン 第15話「ソレゾレの終わり」 感想

 

章まとめ

仮面ライダーゼロワン 第1章 VS滅亡迅雷.net編(1話〜16話) 感想

 

映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想