やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

ポケットモンスター(2019) 第2話「サトシとゴウ、ルギアでゴー!」 感想

朝起きるのって難しいですよね。
サトシは前回に続いて3回目の寝坊をした訳だけれど、僕も朝にはかなり弱い。
そもそもの話、入眠も覚醒も意識的なものじゃなくて、無意識の領分じゃない。朝の起床に限らず、僕の無意識は非常に頼りない。
ぼんやりした頭で「起きようかな、もう少し寝ようかな」なんて風に思考できればまだマシな方だけれど、そんなことを考える余地なく「起きてみたら時間を過ぎていた」というケースについては、もはや自分の力でどうこうできる問題ではないと思うんだよな。
忘れ物なんかも同じで、別に僕だって忘れたくて忘れてる訳じゃないし、できることなら覚えていたいけれど、気が付くと忘れている。自分の「覚えていよう」という意思と結果が連動しない。
間抜けすぎてもはや笑い話にもならないんだけど、中学時代、絶対に忘れ物をしないようにと前日から何度も何度もチェックをして、当日の朝にも最終チェックとしてカバンの中のものを一度全部出して確認した後、全部出しっぱなしにして登校したことがあるくらい、忘れ物が多い人間だった。

 

例えば最近だと毎日薬を飲んでいるんだけれど、飲む時間にアラームをかけておいても、何かに夢中になっているとアラームに気付かないか、無意識にアラームを止めてしまう。アラームを時間差でいくつもかけることで、そのうちのどれかが意識にあがってきたとしても、まず薬を出して、水を用意し、飲むまでの間に、他の何かに気を取られてしまってそのまま……ということもままある。僕の持ってる発達障害というのは、主たる診断的には一応ASD(自閉スペクトラム/アスペルガー症候群)というコミュニケーションに関するものなんだけれど、いわゆるADHD(注意欠陥・多動性障害)的な症状も併せてあるのよね。
僕の記憶の中で一番古いそういう感覚は、おねしょについてのことかなぁ。あれも夜中に都合よく目が覚めてくれればいいけど、それって自分の意識で選択できることじゃない。体が勝手に学習してくれるまでの間、親から恥ずかしいだの洗濯が大変だのと文句を言われ続けることに耐えなければいけない。
無意識も確かに僕を構成する要素のひとつではあるんだけれど、意識としての"僕"には当然含まれていないので、「しっかり起きなさい」「忘れ物をするな」などと叱責されても、自分の落ち度というものが見当たらないし具体的に何か策を講じることもできない(できることはすべてやってても忘れるときは忘れる)ので、自分事として捉えられないんだよな。
吃音症と言って言葉を発せなくなる障害も持ってたので、小さい頃からそういう「自分が自分の思い通りにならない感覚」がずっと積み重なっている。

 

ゼロワンの感想でした話とも少し繋がる。
赤ちゃんは、泣けばご飯を持ってきたりオムツを変えたりしてくれる親を自分の一部,手足だと思い込む(錯覚)。でも成長していくと思い通りにならないこと……例えば抱っこを求めても「自分の足で歩きなさい」と言われるなどの体験が増えていき、親と自分は違う人間なのだと気付き始める(脱錯覚)。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第9話「ソノ生命、預かります」 感想)
この話になぞらえるなら、僕は自分のことも他人であるかのように捉えてきたことになる。
まぁこれに近い感覚というのは、誰の中にも少しはあるのではなかろうか。同時に両立しない願望を抱いて葛藤したことや、過去の自分の言動に対して「どうしてあんなことをしてしまったのか分からない」と後悔したことくらいあるだろう。

 

Individual(個人)とはin-dividual、"これ以上分けられない"という意味を持つ。inは単語の頭に付いて否定の意味を持たせる接頭辞と呼ばれるもので、分かりやすい例だと他にin-finity(終わらない→無限)などが挙げられる。
これに対して、"一貫していてそれ以上分けられない個人"など幻想であるとする立場、分人主義(Dividualism)というものがある。
ふつう個人主義といえば全体主義と対置されるものだが、この分人主義から見れば個人主義も一種の全体主義だと解釈されることとなる。
個人の損得を犠牲にして集団の利益を追求するのが全体主義であるのと同じように、我々はおおむね"全体としての自分"の利益のために一部の自分の意見を犠牲にしている。

例えば何かを食べたい気持ちと、健康や美容のためにやめておきたい気持ち。
例えば何かが欲しい気持ちと、買ってしまったらお金が足りなくなるからやめておこうという気持ち。盗むのは申し訳ないのでやめておこうという気持ち。
(対価を払わずに)目の前のものを手にしたいという欲求に至っては、ある程度成熟した人であれば超自我によって強く抑圧され、もはや意識されることは滅多にないだろう。
まぁ、いくら意見がたくさんあったところで、体がひとつしかないことは変わらないので、結局は取捨選択と言う名の犠牲をなくすことはなかなかできないんだけどね。
だから分人主義というのは現実的には、主に選挙などの場において、自分の持つ1票を対立する候補者や政策に対し何%かずつに分けて投票することができるようにする、などのかたちになるだろうとは思う。詳しくは鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』を参照。

 

対象を"ひとまとまりの集団"として捉えることにはリスクが伴う。十把一絡げに「男は云々」と言うと、「ノットオールメン」という批判が飛んでくる。
それと同じく、僕もこうして喋っていることが僕の全てではない。
種々ある壁の中で皮膚だけを特別視する理由というのは、実はないのではないだろうか。
"生き物"の中にも様々なものがいるし、"人間"の中にも色々いる。"男"の中にも犯罪に手を染める人と染めない人がいるし、"個人"の中にも犯罪になりうることをしたい気持ちとしたくない気持ちがあり得る。
一見同じに見えても、よくよく見てみるとまるいやつやほそいやつなど違いがあるもの。だとしたら無理に区切る必要は果たしてあるのだろうか。

(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)


たかがサトシが寝坊しただけのシーンについてこんなに長く語ることになるとは思わなんだ。内容自体は、ポケモンについて話すとなればいずれ触れることになるだろうとは思っていたけども。
作品を見て「何も言うことが浮かばない」のって、それだけ自分が空っぽでつまらない人間なんだってことなんだよな。

寝坊するシーン見たくらいで突然こんな長々と自分語り始めるのもそれはそれで変だけれど、少なくとも読書感想文みたいなものが求めてるのはこういう自分語りなので、「こんな個人的なエピソード誰得だよ」とか思わずになんでも書いてみるべし。

(参考:ブログで感想を書きたい方へ)

 


突然現れたルギアに対していきなりバトルを、しかも大人数で仕掛けたことについて、いわゆる「動物虐待」的な色が強く見えて自分の中でモヤっとしたので、少し考えてみた。
前提として、草むらを歩いていると襲われるというのがポケモンの世界の常識だ。どれだったか忘れたが、「最初のポケモンをもらってバトルできるようになるまでは、危険だから草むらに入っちゃいけない」というような描写があったはず。手持ちが全滅した場合はどうするんだという疑問はあるものの、そういうことになっている。
つまり、ポケモン側は昔っから人間に突然襲いかかってきたんだよな。

それだけなら「だから襲いかかっていい」という話にはならないけど、ポケモンは多くの場合において擬人的に表現されていて、人と同じく喜んだり悲しんだり、怒ったり泣いたりするし、それなりに知性も備えているように見える。
ならば、人が草むらを避けて歩くように、ポケモンにも人の生活圏を避けるという選択肢があってもおかしくないのではないか。
特に今回のルギアのような伝説ポケモンに関しては、これまでも顕著に知能の高さが強調されてきた。その後サトシとゴウを乗せて飛び回ったことと合わせて考えると、トレーナー達が変わったポケモンに胸をときめかせているのと同じく、ルギアの方も好奇心から人間とじゃれあいに来ていたように見えた。
そういう地盤の上でなら、納得できるかな。

(参考:「ポケモンは動物虐待では?」という指摘に思うこと - ジゴワットレポート)

 

 

僕のポケット

『コロル』
フラべべ-フラエッテ

コロボックルの語感と、colorの読み替えから。かわいい感じがあるので、フラージェスにしてしまうとちょっとしっくりこないかもしれない。幸いレベル進化ではなく石が必要なので、どうするかはゆっくり考える予定。
コロボックルといえば『ハチミツとクローバー』だなぁ。元々僕は西尾維新が好きで、『本題』での羽海野チカさんとの対談を読んで「この人の作品絶対面白いな」と惚れ込んだのが出会い。『3月のライオン』と一緒にまとめ買いして、思った通り見事にハマった。
割と"空気系"な側面が強くて、キャラクターたちのかけあいをずっと見ていたくなるタイプの作品。
またその後双方ともに作品内で「明らかにあの対談の影響だよなぁ」と感じる展開があるのも密かな面白ポイント。現実世界でいわゆる"伏線"を見つけたような体験ができる。

 

 

第1話「ピカチュウ誕生!」 感想

第2話「サトシとゴウ、ルギアでゴー!」 感想

第3話「フシギソウってフシギだね?」 感想