やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第7話「ワタシは熱血ヒューマギア先生!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・「熱血教師なの!?」
1話でも「人工知能に人間のお笑いは理解できないでしょ」とか言ってたけど、彼はヒューマギアに肯定的な立場を取っているはずなのに、たまに視聴者の目線に立った言動をするよね。僕は別に矛盾しているとまでは思わないけど。彼はふんわりと「ヒューマギアは夢のマシン」と思ってるだけで、具体的に「(現時点で)笑いを理解できる」「熱血漢になれる」という信念を抱いてた訳ではないので、一旦驚いて、その後に事実として受け入れるというのはそれほど変な話ではない。単に「そこまでだとは思ってなかった」で済む。
ただ、別にわざわざ或人に言わせなくてもいくらでも描きようはあるのにどうしてかなぁとは思う。まぁ多分視聴者が或人に感情移入しやすくするためなんだろうけど、そのせいで余計なノイズを感じてる人がそこそこいるのも事実だから、難しいとこだよな。そんな危ない橋を渡らないと感情移入してもらえないのかよってのもあるし。
・前回と違って、代わりの練習場所を手配するという、しっかり問題を取り除くかたちでヒューマギアのサポートをしているのは印象良かった。或人が問題視してない問題(受験をどうするのか)が棚上げなのは変わってないけど、少しでも建設的なことしてる様子があるだけで見え方が違う。
・ヒューマギアの自我についての回想にトリロバイトマギアにしかなっていないニギローやアンナが映っていたことには2パターンの説明がある。まずひとつはトリロバイトマギアになっていたモブヒューマギア達も実は画面外で自我に目覚めていた可能性。もうひとつは、前後の描写からあくまで"或人にとって自我がある気がする"というだけで、事実とは関係ない(また、この或人の視点は劇中でピックアップされているという点で視聴者のそれとも近い)。
・「大丈夫! 分かってる」
自我に目覚めたことで人権を得るかもしれないヒューマギアを壊すことに罪悪感は? という問いの答えは、結局「その自我を消して壊すしかない状態にした滅亡迅雷許せねぇ」に落ち着くらしい。それできっとまた「その滅亡迅雷を操っていた悪い人間(チェス男?)許せねぇ」にスライドするんだろうな。
今回はその人間が何故そういったことをするのか、更に何故……というところにまで踏み込んでくれるんだろうか。

 

 不破諫
・ヒューマギアが自我を持つことにも反対らしい。彼は多分、よく分からないものが嫌いで(怖くて)、その上でよく分かろうとしない奴なんだろうな。
以前のエッセイで書いたところの、"怠慢"な人間だ。僕は嫌いだね。

(参考:「男性VS女性」の構図が表すもの/平山亮さんのインタビューを読んだ感想)

 

 滅亡迅雷.net
・暗殺ちゃんのあのふざけた態度はなんなんだ? 子供っぽさとして捉えるならば、迅と同じく滅がつくったヒューマギアだから……なのかもしれないけど、シュールギャグを通り越してちょっと苛ついたぞ。まぁ当の滅さんも「お前は俺の息子だ」とか言い出したのが正直ギャグにしか見えなかった(だって後の説明なしじゃ回答になってないもん)ので僕の中ではもう滅亡迅雷.netはそういう集団として定着しつつあるんだが、果たしてそれでいいのか?
強いてプラスに見るなら、僕は過去に「或人に正体なんてもんがあるとしたらきっと"AIがつくったAI"だろう」という話をしたが、それを前提として迅が或人と同じ立場であり、即ち滅もヒューマギアなのだということにするなら、ズレた言動によるおかしみというのはゼロワンを通して一貫していることになる。迅と或人が同じってのは、なんとなーく永夢とパラドに似たものを感じるからってくらいしか根拠がないんだけどもね。ちゃん付けとか。
・自由がゼロワンのテーマだとするなら、僕が当初予想していたベルト替えじゃなくて、ベルトじゃない変身アイテムに鞍替えするパターンも有り得るのかな。
そもそもベルトを替えるんじゃないかって思った根拠としては、まずゼロワンドライバーの拡張性が低いこと。ビルドドライバーで言うところのハザードトリガーを挿す部分はかろうじてあるものの、それで変わるのは一度だけ。ゲーマドライバー以降、外付けアイテムとの連動で待機音の変化やベルト自体のパッと見の印象が大きく変わることが2,3度あるが、ゼロワンドライバーはキー装填部分の位置からして、正面からの見栄えを変えることが難しく見える。
オープン価格ではないというのも重要な要素で、これは"売れ残り"を気にしていないということの傍証になる。序盤からベルトを3つ(4つ)も出していることからも、更なるベルトの登場を予想することは自然だろう。
でもベルトを変身アイテムではなく本来の"帯"として見るなら、迅の変身シーンから受ける印象の通り、仮面ライダーの不自由さ(ショッカーに由来する部分)を象徴しているものと言える。
自由をテーマと標榜するなら、それも自然なことに思える。
…………というよりも、僕は前からそうして欲しかったんだよね。だからそうなって欲しい、という側面の方が強い。
だってさ、変身ベルトってやたら高いじゃん。戦隊の玩具はVSチェンジャーもリュウソウケンもあれだけ個別認識して5000円超えないのに、ゼロワンドライバーは個別認識しないのに7000円もする。対象年齢が変わってしまうが、コスパだけで言うならヘボットなんかもう別次元よ。
この間プレバンで予約開始したゼツメライザーも、「ゼツメライズ」「ノヴァ」の2音しか鳴らないのに、キー2本3000円としても5000円近くする。
サウンドプログライズキーが500円で8音も鳴ることからしても、音声収録数と値段はさほど関連がないことが伺える。
じゃあ何故こんなにも高いかと考えたら、きっとあのベルトが原因だよね。要するに材料費。
僕は変身ベルトが"ベルトであること"に価値を感じたことはほとんどないので、変えていいものならさっさと変えて、もっと安価にして欲しい。

 

 佐藤
・受験に専念させたい親と、部活に打ち込みたい子供。これはかなり典型的な意味での親子対決で、滅のように「子供は親の言うことを聞いていればいい」とまで言い出すとショッカー的になってくる。
仮に親(ショッカー)が自分の果たせなかった夢を擬似的に叶えるため(世界征服をするため)に子供を生んだのだとしたら、その子供(仮面ライダー)は自分の"生まれた目的"に従うべきなのか……という問い。
こうして書いてるとやっぱり思うけど、タイムレンジャーの竜也って心底仮面ライダー気質だよなぁ。あれを見てたんだとしたら小林さんを仮面ライダーに起用したくなるのも頷ける。
ところで、「子供が欲しい」と言う人はいても、その先の「大人が欲しい」と言う人は見たことがないな。一人じゃ何もできないかわいい生き物じゃなく、その先にいる自立した一人の個人を求めて子を生む人。ひょっとすると親というのは、子供(続柄)が子供(年齢)のままでいてくれることを願ってしまうものなのかもしれない。
・僕は教師の働き方改革(?)とやらの影響を感じたことのある世代で、実際に顧問の先生が出られないからと部活の量が減ったのよね。先生自身あんまり納得いってないようなことを言っていた記憶がある。
同じようなことは福祉の場でもある。最近僕は地域活動支援センターという場所に通っていて、まぁざっくりと障害(精神,身体,発達問わず)を持つ人のための施設なんだけれども、そこのスタッフさん達は学校の先生同様、休憩らしい休憩をとってないのよね。一応お昼時が休憩時間ということにはなってるらしいんだけど、とても「労働から開放されている」とは言い難い状況になっている。利用者はそんなこと気にも止めずに相談を持ちかけたりすることも多くて、スタッフさん達もそれに納得してるらしいんだけど、僕はモヤモヤするのでその時間帯は自主的に距離を置くことにしている。我ながら相手の意思を無視した独善的な判断だとは思うけれども、過労で倒れられたりでもしたら嫌な気分になるからさ。僕一人が自重したからってスタッフさんの負担が減る訳ではそんなにないので、自己満足にすら及んでないんだけども、そうしたいんだから仕方ない。
相手の「大丈夫」を信頼するのか、大事をとって無理やり休ませるのか……会社的には倒れられたら監督不行届きってことになりそうだからなるべく休ませたいよね。疲労度や体力などを客観的に数値化できたらまた違うんだろうけど、現状は人の苦しみを感じることはできない。少なくともそういった技術が普及するには至っていない。
信頼と表現すると無条件に美しいだとか素晴らしいだとかそんな気がするけれど、悪く言えば責任の押し付けでしかないんだよな。大丈夫だと言っていたのに過労で倒れた人は、「信頼を裏切った嘘つき」ということになってしまう。
自己犠牲は果たして美徳なのかどうか、そもそもどこからが犠牲なのか、他人の自己犠牲は許せなくても自分の自己犠牲はどうなのか……どこまで周りを頼り甘えても良いのか。
人間関係って難しい。思いを共有する媒介として、言葉は頼りなさ過ぎる。

 

 坂本コービー
・以前も書いたが、シンギュラリティと自我の有無は直接は関係ない。と思う。そもそも自我とは何かという話になると僕も閉口するしかないのだが。
ここで仮に「自我があるとは、指示と違うことをし得ることである」として、漫画回におけるイズの独断専行を考えてみる。あれは確かに利用規約や福添たちの指示には逆らっているが、先代の理想や或人の判断(出荷の延期)には沿っている。先代社長は確かに「情熱を所有しない者にはヒューマギアを売るな」とまでは言っていないが、同時に「必ずしも自分の指示に従わなくても良い」とも言っているので、かなり絶妙なライン上にあると言える。
また、他のヒューマギアにも同じことを言っていないとも言い切れないということを加味すると、ヒューマギアの自我の有無を「所有者の指示通りの行動をしたかどうか」で判定することはかなり難しそうだ。
実際に考えてみても、指示通りに動くだけならば人工"知能"である必要がない。それは従来の"機械"だ。
ならば、人工知能とは「目的は所有者と共有し、手段において所有者と異なる可能性を持つ者」?
その上で、「所有者と異なる目的を持つ」ことが"自我の目覚め"だろうか?
一応現時点では「滅によればシンギュラリティに達した(迅によれば自我に目覚めた)ヒューマギアがマギアにされている」らしいのだが、僕はエグゼイドで一度痛い目を見ているのでこれを信用しない。あくまで"彼らはそう思ってる"というだけで、(ヒューマギアかもしれない)滅の言うシンギュラリティが僕の思っている技術的特異点とイコールであるとも限らないし、ヒューマギアである迅の言う自我も同様。
どんなに嫌でも作品を通したコミュニケーションは一方的にしかならない。僕はキャラクターとも制作陣とも話す術を持っていない。だったら僕も一方的に、好きなように解釈するよりほかない。

 


設定

・フォースライザー使用時のトリちゃんは一体どこから来てるんだろうね。ゼロワン使用時にゼアから降ってくるのと違うのは、ピンクに光ってないくらいに見えるけども。わざわざ衛星から呼ばなくてもキーそのものから出てこれるんだとしたら、天井や壁を破壊する必要が多少なくなるんだけれども、どういう意図なんだろね。
物理的にじゃなく心象的には、例えば外部にある力を受け入れるゼロワンと違って、ファルコンに対する内的イメージの力を使っている……とか。ライダーファンに分かりやすい例を出すと、「剣はタイタンフォームでだけ使う」のが内的なクウガで、「その他のフォームでも剣を使う(かもしれない)」のが外的なクウガ。小説ディケイドでは、そもそもタイタンソードとは書かれてないし、タイタンソードだとしても、クウガはキバと違って武器とフォームチェンジの間に必然的な繋がりはなくて、武器を用意してるのはあくまでクウガ全般に備わっている物質変化能力によるものなので、マイティフォームのまま棒を剣に変えて使うことはできるはず。バランスの取れたフォームなんだから剣もそれなりに扱えて然るべきだしね。
そんな感じで、未知の可能性を勝手な先入観(内的イメージ)で切り捨てる閉鎖的な現状維持の姿勢は、芽生えた自我をリセットする滅亡迅雷の理念に通ずるものがある。
……対して飛電が開かれているかと言われると微妙なとこだが、情報を公開する姿勢とか、ハッキングに対するガバさとか、そういう部分もあるにはあるんじゃないかな。
ホッキョクグマは確かに寒いところにいるけど別に寒さを操ってる訳では全然なくて、実際に持ってるのはむしろ体を温める能力のはず。それなのに氷を操るフォームに使われるの、面白いよなぁ。
また、速さが売りのチーターと比べて火力が倍なんだから、ホーネットは上位互換というよりは並列使い分けじゃない?
ウルフは特徴ないけどサ。実は狙撃がうまいとかあるのかね。そんなテクニシャンなイメージ、変身者のせいかないけど。

 

 

僕は今のところゼロワンには主にギャグを期待してるんだけど、あんまりそこを押し出してこないので(当たり前か)、常に「まぁまぁ」くらいのところにいるんだよな。つまらないとは思わないけど、もうちょっとなんとかならないものか。来週が楽しみとか思うほどではないんだよな。

 

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