やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第3話「ソノ男、寿司職人」 感想

キャラクター

 飛電或人
・前回「腹筋崩壊太郎は気にしないのか」という話をしたが、それ以前に更にモブの名前もないヒューマギアがたくさんいるのを忘れていた。僕自身がその存在と死(?)を忘れておきながら或人を責めるのは変な話だよな。
・唯阿「例え壊しても作り直せば済む話」
或人「そう簡単に割り切れるかよ……」
今回のスレスレポイント。前回はマモル2号を受け入れてたじゃないか! というツッコミが予想される、というか僕は一瞬思った。前回と今回の明確な違いは、壊す前か後か。葛藤しつつも壊してしまった後に同型のヒューマギアをその代わりとして受け入れるのと、「代わりがあるから」という打算的な思考の下で壊していいと思うのとは意味が結構違う。飼っていたペットが死んでしまった(より本編に近付けるなら殺してしまった)悲しみを新しいペットで埋めるのと、新しいペットを買えばいいからと見殺しにする(同じく殺す)、の差と言い換えれば分かりやすいだろうか。
この説明で僕は納得できたが、できない人もいるはいるだろうな。

 

 不破諫
・この間ちょっとだけ見たネクサスでは、凪さんがいちいちネクサスを攻撃することにすごくストレスが溜まったんだけれど、今回のバルカンの描写は普通に見られた。不自然にゼロワンばかり狙わず、たまたまネオヒマギアの近くにいるからどっちに当たってもいいやくらいの気持ちで撃ってる感じというか。

 

 刃唯阿
・「ヒューマギアとどう付き合うかは、要は人間次第」「道具だ」
彼女の立場には共感できるな。倫理的な(感情的な)問題はさておき、ヒューマギアの特徴がバックアップ可能なことはひとつの事実なんだろうし(何故か最初からだったが)、プログラムをいじっただけで暴走してしまうのも特徴としてある。その事実を一旦受け入れることとどう利用するかはまた別問題だけれど、受け入れないのはただの現実逃避でしかない。
これは根本的な話だけど、わざわざAI技術を発展させて感情を芽生えさせるよりも、感情が備わってる人間を一人雇うほうが圧倒的に安上がりなんだよ。そうまでして感情を持たせる理由がない。少子化対策でもした方が遥かに歩留まりがいい。
実際に、スパムによるアカウントの自動登録を防ぐために使われているシステムとして有名なCAPTCHA(歪んだ文字を読み解かせるというヒューリスティックな処理を求めるもの)などを乗り越えるためにスパム業者が発案したもので、俗にエログリッドコンピューティングと呼ばれているらしいアイディアがある。これは(同スパム業者が関係している)ポルノサイトの閲覧者にCAPTCHAの入力部分のみを肩代わりさせるというもので、要は機械に出来ないなら人間にやらせてしまえという発想である。
だからまぁ、あくまでAIにとって感情の芽生えというのは副次的なものであって目的ではない。むしろ消すべきバグですらあるかもしれない。今回のエピソードはまさにそれで、感情がないからこそのメリットというのがピックアップされていた。
人間の利点と機械の利点でそれぞれ住み分ければいいものを、その境界を脅かす"怪人"としての発達したAIがある。
…………なんか似たような話を最近聞いたな。
あぁあれだ、ピアサポーター。病気や障害に対してあくまで"知識"としての理解に留まる医療従事者とは別に、患者としての"経験"を活かして活動するピアという存在がいる。僕はそれを聞いて「経験のある人が知識も備えたらもっといいんじゃないですか?」と言ったんだけれど、「それは違う」と言われてしまった。
まぁ、確かにpeerという姿勢からは離れるものの、支援者の1つの形としてそういうジャンルもあっていいと思うんだが、あれはそこまで含めて否定されたのかな。
・ところで彼女、仮面ライダーバルキリーは「史上初の最初からレギュラーで登場する女性の仮面ライダー」として話題になっているんだけれど、僕はこれに対して微妙な気持ちを抱いている。
"女性仮面ライダー"を特別視することが既におかしいと思うんだよな。確かに珍しいことは事実だけれど、だからなんだって言うんだろう。
男の子がプリキュアを見てもいいし女の子が仮面ライダーを見てもいいならば、女の子は女性にしか感情移入できないという前提もなくなるので、"女性仮面ライダー"という存在の必要性は軽くなる。
例えば胸が重くて……みたいな悩みはすらっとした男性じゃなかなか描けなかろうけども。実際邪魔じゃないのかな。見てる側からするとすげぇ邪魔そう。
性別によって全く何も違わないと言ったら嘘になるけど、性別による差別化をしようとすると大抵生々しくなって気持ち悪いと思う。
あー、ONE PIECEのたしぎとか、メジャーの涼子とか、意外と例はあるな。あれらは気持ち悪くない代わりに、幼い僕には理解ができなかったけど。 

 

 滅亡迅雷.net
・後述する聖書の話を踏まえると、迅の明らかに初対面なヒューマギアへの「君は僕の友達だ」も、隣人愛的なそれに聞こえないこともない? 彼らがヒューマギアならよりしっくりくるけど。

 

 一貫ニギロー
・「私の心は折れません」「一万回でよろしいんですね」
空気読めてないというか、ちょっとズレたやりとりが好き。これからもこういうのが見られるなら、それを楽しみに見続けるだけの価値を感じる。言葉の捉え方って本当に人それぞれで面白いよなぁ。
何か頼まれごとをしたとき、僕はよく反射的に「なんで?」って返すんだけど、それを「やりたくない」という意味に捉える人が多くて困ることが多い。僕の心持ちとしては理由に納得できれば承諾するしできなければ断る、というつもりなので、否定ではなく保留のニュアンスなんだけど、その交渉の余地を飛ばして受け取られてしまう。確かに開口一番「いいよ」の快諾よりは比較的否定的だけど、逆にこれを否定と捉えてしまったら、もはや快諾以外は許されなくなってしまう。別に僕も不用意に人を傷付けたいと思ってる訳じゃないからさ。
まぁ、この例で言えば「いいけど、なんで?」という表現に変えればいいんじゃないかという解決策が既にSSTで得られたんだけどね。

 

 

設定

・滅「我らがアークの完全復元は近い」
アーク……最後の方でも出てきた方舟を指す言葉として有名だね。わざわざ説明する必要があるか分からないけど一応しておくと、旧約聖書(ざっくり言うとキリスト以前のことを書いたもの)に書かれているエピソードの1つで、楽園から地上へ追放されたアダムとイブから繁栄した人類達を、神が気に食わないからと滅ぼそうとしたが、信心深いノアの一家だけは助けるためにまぁお告げみたいな感じで「家族と地上の動物の番いを全て乗せられる船を造れ」と指示したら、周りの人間に馬鹿にされながらもやり遂げて無事生還した、みたいな話。確かその後に前回触れた"見るなのタブー"に該当するちょっとした話もある。
聖書は解説本を読もうとしたことが何度かあるけど、「どうして神様ってあんなに偉そうで我儘なんだ」と腹が立って何度も挫折してるんだよなぁ。知り合いに言ったら「そりゃ神様だからだよ」と言われたけども。彼女が言うには新約聖書の方が面白いらしい。
OPテーマ『REAL×EYEZ』の歌詞にもあるアーカイブ(Archive)と音が似てるのは綴りが違うので偶然かもしれないけど、役割としてはまさにそれで、生物たちの"保存"(と管理)を象徴するものがこの"アーク"。今いる動物だけでなく絶滅した動物のデータも今作には登場してるのが更に興味深い。
例えばキバが前作電王を越えようという意気込みの表れとして1話の怪人であるスパイダーファンガイアの裏モチーフをソードフォームにしたという話があるけれどそれと似たような感じで、宇野常寛さんが「Wのダミードーパントはディケイドだ」みたいなことを仰っていたんだけれど、それを言うなら本編の敵たる"ミュージアム"もまさにディケイド的だよね。そういう流れを踏まえた上で、20作記念かつ平成ライダーを総まとめしたジオウの次の作品でこのキーワードが出てきたというのはもうそれだけで「面白い」と言ってもいいくらいの価値がある。いや、まぁ、ただの二番煎じになったらつまらないんだけど、だからこそどう扱うのかが非常に楽しみ。……現状は、まだこの分析を踏まえた上でWを見返せていないので、二番煎じでも分からないんだけど。
・イズ「心はデータ化できません」或人「ヒューマギアにも心があるように見えるのは、俺だけ?」
前回触れたキャラクターのリアリティという概念は、"心の理論"とも通ずるものがあるかもしれない。サリーとアンとわたし(視聴者)。
僕はASDとはいえそれほど重度ではないしIQも平均なのでこのテスト(サリーがボールをカゴの中にしまって部屋を出た後に、アンがボールを別の箱の中に隠した。帰ってきたサリーは、ボールを取り出すためにまずカゴと箱のどちらを探すか)くらいはパスできるし、"そのテストを受けて間違えてしまう人"という存在を想定することも一応できる。
物語のキャラクターとAIはレイヤー的に似ているんだよね。どちらも"人がつくった人のような動きをするもの"。僕がエグゼイドやビルドのキャラクター達に、「(誤)信念がない」と感じるのは、AIに心がないと感じるのと似ている。(参考:現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想)
そもそも、人間が相手でも心があるかどうかというのは確信が持てない。チューリング・テストとかで検索すれば色々出てくるだろうけど、例えば"中国語の部屋"という有名な思考実験がある。サリーとアンの問題は、あくまで「他者に実際に心があるかどうかはさておき、自分が他者の心を想定できるか」という話である。
心の理論がある人は、そうして自分の心を他者に投影して"分かり合った"ということにする。その立場からは、人間とAIに実質的な違いはない。(参考:A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想)
・今回滅亡迅雷.netに続いてA.I.M.S. にまでプログラムをいじくられてたけど、飛電のセキュリティがガバガバととるか他2者の技術力が(飛電もすごいが更に)すごいと取るかは、まぁこちら次第だよね。
エグゼイドでは感染症だったけど、じゃああなたたちは少しも「自分だけは大丈夫」と思わずに最悪の事態を想定して対策するんですか、という話。ヒューマギアに限って「リスクがあるなら使わない」と簡単に言えるのは今この時代にヒューマギアがないからという要素を多分に含んでいる。最近電車の事故起こったけど乗るでしょ?
例えばスマホの爆発とかなら点検くらいはしてもらうだろうけど、ヒューマギアの場合それで解決することではない、というか、変なベルトさえ巻いてなければ大丈夫なので一目瞭然。
まぁだから要するに不安になって飛電社に問い合わせても「(今のところ)大丈夫ですよ」以外の返事は返ってこない。それで大丈夫なんだと思う人は思うだろうし、思わない人もいるにはいるんだろう。それで今のところの話が成立しなくなることはない。

 

 

ニギローの項でも書いたけど、あぁいう描写はすごく好みなので今回でゼロワンにグッと心を掴まれてしまった。
相変わらず映像の盛り上がりも保たれてるし、期待できそう。

 

前話

仮面ライダーゼロワン 第2話「AIなアイツは敵?味方?」 感想

次話

仮面ライダーゼロワン 第4話「バスガイドは見た! アンナ真実」 感想