やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダーゼロワン 第2話「AIなアイツは敵?味方?」 感想

キャラクター

 飛電或人
・イズ「ただし、A.I.M.S. に正体がバレないようお願いします」
仮面ライダーがやたらと正体隠したがるのはなんでなんだろうな。怪人みたいに何やってもパッと見で怖いような見た目なら分からんでもないが、基本カッコいいじゃん。一応デザイナーの意図には不気味さも入ってることが多いんだろうけど、ゼロワンについては1話で既に園長の根津さんが抵抗なく受け入れてたし……。一応ここではA.I.M.S. に限ってるので、文脈を踏まえると、暴走したAIを木っ端微塵に(?)爆殺することが"隠蔽"にあたり得るからややこしくなる、みたいな話なんだろうか。
僕は昔から、ツルが恩返しよりも正体バレの方を気にしてどっか行ったのが不思議だったんだよな。約束破られたことで恩はチャラになったと思ったんだろか。ツルだとバレちゃいけない理由をというのが分からない。
極端な話、「のび太さんの〜」みたいなのも見られることによる不都合ってあんまり思い付かないな。なんで恥ずかしいんだろう。(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)
なぜかは分からないが、こういう話の類型は"見るなのタブー"と言って、世界中に散見するらしい。
クウガでも隠す理由が判然としないなどと文句を言ったが、そういう原型的な何かが作用していると思えば納得できない話でもない。
・それはいいとして、前回の変身は別に全く隠れてなかったので、防犯カメラか何かに映ってても全くおかしくはないと思うんだけど、どうなんだろ。あー、まぁマギアが暴れて壊れてたってことで通るは通るか。
あと或人が「一度暴走したヒューマギアは壊すしかない」ことを、前回のラーニングで知った訳じゃなかったという点。そういうことにしても繋げようは割とあると思うんだけど、敢えてせずに視聴者と同じタイミングで知ったことにするのが、エグゼイドで見たなぁって感じ。まとめ感想にて「登場人物たちが視聴者目線で視聴者のために動いている」と書いたことに対してそれの何が悪いんだと訊かれたことがあるが、簡単に言うならリアリティが薄れるということ。「そのキャラにはそのキャラの人生や思想、価値観がある」という前提がなく、あくまで作者や視聴者の存在ありきであると意識させられるのは、"メタネタ"に対して幾らかの人が感じる不快感と似たようなものだと思われる。即ち何でもアリ感。
ただし今の僕にはこれらを許容する心の準備がある。偉大なる我が魔王『ジオウ』のおかげでね。
つまりどういうことかと言うと、Over Quartzerにおける「脚色された歴史」の文脈。実際に起こったこととしてはきちんと整合性が取れていて、例えば或人は今回初めて知って葛藤した訳じゃないかもしれないし、前回の変身も実はイズに言われて隠れて変身したかもしれない。でも"それ"を参考に、尺だったり見せ場の配置だったりの都合で編集を加えた結果出来上がった、多少歪だがエンタメ性に溢れたものこそが我々の見ているドラマである、という解釈。これはもうそれこそ何でもアリでしかなくなるんだけど、クウガにおいて僕は「リアルさのつまらなさ」をしっかり学んだので、ゼロワンについてリアリティの視点から文句を言うことは少なそう。設定云々よりもまずは"面白さ"が大事。
必殺技の文字演出なんかもそういう意味では明らかに"視聴者"にしか見えないものだしね。
面白いなって感じればこのロジックを利用して脳内補完することにやぶさかではないし、逆につまらないなって思ったらその手間をかけず見たままを言うかもしれない。今のところはジオウの直後であることも手伝って寛容ムード。
・「ヒューマギアのおかげで今の俺がある……」
自分のことをヒューマギアだと思ってる様子はないし、父親を"ヒューマギア"と呼ぶのは違和感があるので、"お父さん"というのはひょっとすると言葉の綾かもしれないな。少なくとも或人の認識では、其雄は"育てのお父さん"なのかもしれない。実際にどうかはともかく。
・これは初代ライダーにも言えることなんだけれど、脚力がウリの仮面ライダーがバイクに乗ってしまうのはなんだか変な感じがするよね。「必要があるから乗るんじゃなくて乗りたいから乗るんだ」っていう白倉さんの話の応用で僕は納得できるけど、他の人はどうだろう。
逆に、「ライダーなのにバイクに乗らない」って文句を言ってる人の中に、本当にバイクが大好きで見たいと思ってる人ってどれくらいいるんだろうね。僕には「馬鹿でも見ただけで分かる簡単な仮面ライダーの評価基準のひとつ」くらいにしか思えない。
僕は何度も言ってるようにバイクのかっこよさは普通にブゥンって走り抜けること以上でも以下でもないと思うので、下手にアクションとかするくらいなら乗らなくていいと思ってる。龍騎の玩具になってない方のバイク描写が好き。
ビルドとかもさ、バイクに乗るからライダーなんじゃなくて、ライダーだからバイク乗ってるじゃん絶対。それよりは「ドライバーじゃんw」とか言われようと車に乗ったドライブの方がよっぽど好きだね。
・「お前を止められるのはただ一人……俺だ!」
ここ、良かったと同時に悪かったところ。思い入れのあるヒューマギアだからこそ破壊するしかないならその荷は自分が負う、というのはかっこいいんだけど、前述の通り前回の腹筋崩壊太郎や今回のオクレルは思い入れがないからいいんだ? という気持ちになってしまう。いや、それが悪いかって言われるとそうは言えないんだけどさ。どこの誰とも知らない人より、そりゃあ知り合いが死ぬ方が大きなイベントですよ。祖父の死だってそんなに気にしない人だし。でも、でも、やっぱり第三者の視点から見ると、愛着を持ってもらえなかった方が可哀想に見えてしまう。
あとマモル2号ね。あれもこっちからするとどうなんだって気持ちもあるが、「或人はそういうヤツ」なのだと言われたら返す言葉がない。
この話はあれだな、さっきした"登場人物にとってのリアル"の話と噛み合わないな。この現象はちょっと面白いかも。

 

 不破諫
・「A.I.M.S. の隊長は俺だ」
刃「そのA.I.M.S.武装指揮権は私にある」
このやり取りを見る感じ、どちらかが上司とかそういうことじゃなく、権力の分散的な意味合いがあるっぽい。シンゴジの前半について「会議ばかりで何も決められず後手後手に回る政府の無能さがリアルで面白かった」などと言う人が僕は嫌いなんだ。対処スピードだけを重視するなら例えば独裁政権とかがいいんだけれど、じゃあそうなって欲しいのか? 僕は別に独裁制に絶対反対ということはないんだけれど、それと同じくこの分権主義にも理を感じる。
……とはいえ、いきなりそういった理屈をすっ飛ばして変身しちゃったんだけどね。だからこの話はどちらかというと僕がしたかったからしただけです。一応彼がバルカンになることは想定の範囲内っぽい描写もあったし、保留。
・「ひとつ残らずぶっ潰す!」
ヒューマギアは暴走の危険があるのにどうしてまだ流通しているのか……その答えは僕としては簡単で、犯罪者がいるからと言って人間を滅ぼそうという話にならないことと同じ。実際にこの理屈が社会に受け入れられるかはまた別問題としてあるけど、僕個人としてはだから現状の"なぁなぁ"に違和感がない。プログラムと自由意志の差なんて、僕には分からない。生物用語としてエグゼイドにも出てきた"リプログラミング"なんてものがあるように、ヒューマギアが滅亡迅雷.netから破壊プログラムをインストール(?)することと、例えば人間が幼少期から暴力に晒されることで自分も暴力を奮うことに抵抗がなくなることに、一体どれだけの違いがあると言うのか。僕には"同じ"に見える。
・あれは怒りに震えてたんじゃなくて笑いを堪えてたのね。なんか違和感あるとは思ったけども。ちなみに今回のギャグは僕も割と好きです。でも対立構造を壊すほどに強いものではないように思えるので、ちょっとしたアクセント程度に収まるのだろうか? 対象的な2人ではあるが、だからこそ根本的なところは似てるのかね。

 


設定

・マモルは既に或人を社長だと認識してるのに、指紋認証がパスできなかったのはなんなんだ? ヒューマギアと違って"機械的"で問題ない仕事についてはゼアを使っていないんだろうか。それにしたって情報の共有くらいはしそうなもんだけど……。
・前回は書きそびれたんだけど、人工衛星ゼアというのは、日高さんのザットと組み合わせて考えると、there(そこ/あそこ)とthat(それ)なんだろうね。で、コレ之助とソレ雄。落ちてた衛生はヒアかウェア? これらの言葉はまぁざっくり言うと話し手との"距離"を表現する言葉で、おそらく人間とAIの立ち位置などを暗に示唆してるんだろう。
・技術的シンギュラリティというのはあくまでAIが人間の知能を超える点なので、感情に目覚めるかどうかはそんなに関係ない、或いは前段階(人間と並ぶ)に過ぎない気がするんだけど、そこのところどういう認識なのか気になる。
単なる事実処理においては既に人間を超えてるから、そこに感情が加われば……ということなんだろうか。でも感情を生み出す意識や自我というのは、その事実処理とも密接に関わってる気がするんだよな。劇中で出てきた物体認識という言葉について検索してみると、ディープラーニングというキーワードが出てくる。こう、僕のイメージなんだけど、"今ここには必要のない連想"を多分に含んだ対象の認識というのが我々の言う意識や自我であるような気がする。
狂人と言われてしまうような状態にある人は、"今ここ"についての認識には問題ないことが多いという話を聞いたことがある。人が現在を重視し、過去や未来の価値を割り引く傾向があるという話(「例えば、ですね、今一万クレジットもらうのと、一年後二万クレジットくれると約束されるのでは、人はどちらを選ぶでしょう」ハーモニー)も有名だけれど、感情のある常人であるために必要な要素としてやはり過去の経験や将来への期待や不安、またここではないどこかについての思案というのも必須なのかもしれない。それらが自我を形づくり、意識は今ここを処理する?
・また"同じ"というのも人間の認識を語る上で非常に興味深いテーマである。
この物質世界において完全に同質というのはほぼ有り得ない。我々は近所の山などを見て「変わらないなぁ」と思うことがあるが、昨日の山と今日の山は違う。こうして言葉の上で区別することができるという点でもそうだし、実際に植物は絶えず代謝をして自らをアップデートしている。生き物も同様で、昨日の或人と今日の或人では微妙に髪が伸びていたり寝不足だったらクマができていたり服装が違ったりと、全く同じということは有り得ない。いくつかの間違いを見過ごすことで、微妙に違うが同一性を持った"或人"である、と認識することができるのだ。マモルがやっていた、にらめっこのつもりなのか顔を歪める或人を「そっくりさんではなく、或人その人だと認識する」ことというのは、機械にとっては本来難しいことのはずなのだ。もちろん実際に我々は"人違い"を起こすことがある。
こういった、ある程度の"間違い"を許容するシステムのことをヒューリスティクスという。
僕のような自閉傾向のある人間(厳密には違うがそれこそヒューリスティックに表現するならば"アスペ"と呼ばれる人たち)にとっては決して他人事ではない身につまされる話なんだよね。定型発達の方も今一度、自分の思考を分析してみると面白いだろう。

 


んー、まぁまぁ面白かった。
中途半端に段取りくさかったのが嫌だった。世界観説明という理由はあるんだろうけど、エンタメに振るなら振るでもっとグングン進めてもいいんだけどなって気持ちになった。或人が社長室を見て回るくだりとかさ、あった方が自然だけど見てて面白い訳では別にないから。

 

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仮面ライダーゼロワン 第1話「オレが社長で仮面ライダー」 感想

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