やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

玉座を空ける『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』 感想

※ネタバレには配慮しません。

観ました。『平成ジェネレーションズFOREVER』のときと、ほぼほぼ同じ感想を抱いた。「だよね、分かる」と。
抽象的なことは概ね過去記事(大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)に書いてあるので、今回は映画にしては珍しく各話感想のフォーマットで、どちらかというと具体的に書こうと思う。

あ、上の2つのリンクは下にも貼ってあるのでこの記事読んでから飛びたいなって人はご安心を。


キャラクター

 常磐ソウゴ
クウガ〜ビルドの強化フォー厶集合、あれらを"最強フォーム"と呼ぶか呼ばないかで議論が巻き起こっている。自分の中で。
そういう簡単な言葉で括らずただ「あそこにいたライダー達がバールクスを相手に選んだフォーム」とするのが映画全体のテーマにはあってるんだけど、あれを"オーマフォームの能力"と捉えるならば当初のクォーツァーたちの舗装計画をも肯定するフォームなので"最強フォーム"と整理するのが自然なのよね。
"枠に収まらないのが仮面ライダー"だとするならば、ジオウの枠に収まらない者たちの象徴として本編後のVシネマ限定フォームとかを1つくらい出しておくのがいいと思うんだけど、それをしないのはやはり、枠に収まらないはずの仮面ライダーを枠に収めてしまう存在として"ジオウ"があるからなのかな。


 ウォズ
・「私は君と似た者同士らしい」
ゲイツ「だからそう言ったろ」
僕はThe Firstのあのシーンが大好きなんですけど、ゲイツとウォズがそれを再演してて、そこが今回の映画で一番盛り上がったかつ気に入ってるところ。最高。
ホッパーたち本人が出なかったのも、別に悪いことじゃないんだよな。それこそ一見網羅してるように感じられてしまったら、平成ライダーという概念が"テレビ本編群"じゃなくて"OQ出演群"にスライドするだけになってしまう危険性があるので、"OQの画面にも収まらない仮面ライダー"はいる必要がある。

 

 常磐SOUGO/仮面ライダーバールクス
・"常磐SOUGO"が邊土名ISSAと相似形だって言ってる人、今のところ見てないんだけどみんな自明だから言ってないだけ? クォーツァーは平成ライダーを編纂する"作者"ポジなのでペンネームみたいなものだと考えるのが自然な気がするけど、どうだろうな。ソウゴもカタカナで意味が抜けてるからな。
・「俺が舗装してやる」みたいなこと言ってたから明らかに舗装した道を歩く誰か(設定も世界観もバラバラだと文句を言った人)が更に向こうにいるはずなんだけど、劇中では視聴者のことにしか触れられてなかったよね。どちらかと言うと制作者サイドの方が、僕はしっくりくるんだけど。
仮面ライダー見てると"変身"という行為の意味について疑問に思うことがあるんだけど、今のところ「戦うという意思表示」というのが一番しっくりきてて、変身なんかせずにずっと作者ポジに収まってればウールやオーラのように自分が"負ける"こともなかったろうに、わざわざリングに下りてきたんだよな。
それが彼らの"仮面ライダー"たる所以なんだろうけど。

 

 クォーツァー
・結局序盤のザモナスは何が目的だったんだろな。蘭奢待ぶっ刺した十字架を盗んだけど、その手順がドライブの歴史を消すのに必要な気が全くしない。
考えられる可能性としては当たり前の話だけど2つで、「ドライブの歴史を消す以外の目的がある」と「ドライブの歴史を消すのに実は必要」のどちらか。あとは「なんとなく」とか。
……あー、なるほど。今回で言うと長篠合戦図屏風がいい例だけれど、ジオウの時間解釈では、歴史改変が確定するよりも先に改変による影響が現れがち。ブランクウォッチを渡してないのにライドウォッチ持ってたり、まだゲイツリバイブになってジオウ倒してないのに白ウォズやミライダーたちが現れたり。
この性質を逆手に取ると、「2019年に十字架など存在しない」という結果をつくることで「十字架が生まれるのに必要な出来事が起こらない」、すなわちドライブの歴史を消すのが成功する確率が上がるのかも。
誰にも観測されずにジオウ世界外に神隠ししてしまえればよかったんだけど、できなかったから普通に「クォーツァーに盗まれたからなくなった」という辻褄合わせになったのかな。
何故観測されてもなお盗ったのかを考えると、ジョウゲンがそこまで理解してなかったか、駄目元?

 

 詩島剛
・いつものジオウのやり口だけど、今回の映画は"ドライブ編"として見てもきちんと成立するように構成されてるよね、たぶん。
うろ覚えで申し訳ないけど、大まかな構図としては「人間をロイミュードにして"管理"しようする蛮野≒クォーツァー」。
剛自身も元々は「ロイミュードは全部悪だからひとつ残らずぶっ潰す」っていう"括る"側の人間だったけど、過程は覚えてないが結果的にはチェイスと打ち解けて認識を和らげたキャラクター。
・細かいとこだと、先に変身音が鳴って後から「仮面ライダージオウ〜」と一緒に「ライダー、マッハ!」が流れたの印象的だった。以前ディケイドを除くと変身時に名前が鳴った初めてのライダーがドライブだって話をしたけど、この辺も意識して映画で扱うことになったんだろか。
前にどこかで言ったか忘れたけど、デッドヒート(ドライブ+マッハ)とか超デッドヒート(ドライブorマッハ+チェイサー)とかチェイサーマッハとか、"仮面ライダーの力"を自覚的に扱ってるフシがあるんだよね。
例えば鎧武がバナナアームズになることはあったけど、バロンアームズってのはないじゃない。フィフティーン鎧武アームズってのはあったけどクロスオーバー映画でやるのと本編でやるのとじゃ意味が違う。良くも悪くも2次創作っぽいんだよな。
そういう意味でジオウとの親和性が高い。

 

 木梨猛/仮面ノリダー
・G4で本郷猛(?)が出てたの思い出した。僕はあんまり知らないけど、中の人はよく見る顔なので雰囲気あってよかった。

 

 牛三
・こいつなー。キーマンなのは分かるけどそれ以上のことが何も分からない。名前が明らかに丑三つっぽいのは分かるけどだからなんなのかもよく分かんないし。妖怪変化との連想で言うなら牛鬼だろうけどこれもピンとこない。魔除けの赤べことかの方がまだしっくりくる。
・あとさらっと(永禄?)元年生まれって言ってた気がするけど、これにもなんか意味あるんだろか。


設定

・ただ名前の読みが同じというだけでウォッチの所有権移っちゃっていいのかとも思ったけど、ウィザード回があると考えたら分かる理屈。
ドライブウォッチよりもウィザードウォッチの方が分かりにくくて、「まぁよしとしよう」の一言で済まされてるんだよね。あの回はゲイツ自身「導かれたままに動いた」って言ってたから、それでソウゴの手の内にあるって解釈なんだよな、多分。それを応用すればいい。

 

 

今回もFOREVERの時と同じくちょうど対象年齢ストライクゾーンの子供の感想が聞こえてきた。
保護者の方が楽しかったかと訊くと、「あんまり」だそう。リュウソウジャーの方の感想である可能性もあるが僕が同意見なのでジオウだと仮定して使わせてもらう。
正直ね、テーマはすごく押し出されているんだけど、理屈重視な感じというか、言うほど無茶苦茶やってなくね? という印象。テーマとか関係なくただ見てるだけで楽しい部類の映像作品だったかというと、最近牙狼の配信を見てるのもあってか物足りなかった。

大前提として、娯楽作品の目的っていうのは設定を守ることでも破ることでもなくて、客を楽しませる(ことで利益を得る)ことなんだよね。設定を無視されると楽しめない人がいるのも事実だし、逆に設定にとらわれて小さくまとまってもつまらないと思う人がいるのも事実。
そういう意味では"懐の深い設定をつくる"というのがちょうどいいバランスで、本編のジオウなんかはいい感じにそこをうまく付いていて大好きなんだけど、この映画はあんまりそれを活かせてなかったような気がする。
ウォズ死んでゲイツツクヨミ消滅して……みたいなのも雑過ぎて、矛盾とか云々の前につまんねぇなって。むしろ僕は理屈にはあってると思ってるし、テーマとも合致してるからあって不自然とは思わないんだけど、だからやっぱ理屈先行な感じがするんだよな。
ここを「醜くても(理屈に合わなくても)いい」ことの代表として扱ってる人も見かけるんだけど、それもそれで嫌いなんだよな。僕には牛三のエピソードで出た"脚色"の文脈で、実際は瀕死だったとかそもそも死にそうになんてなってなかったとかそういうことだと思ってるよ。ソウゴの夢現実化能力のせいってことにしてもいいし。

今回のこのテーマって可理解性が低くてバカでも簡単に扱えるので、他のややこしい理屈を使えばもう少し解像度高く理解できるものも、全てぼんやりと"均して"しまうんだよね。
少なくとも僕にとって「凸凹でもいい」はあくまでも最終手段……どうしても理屈に合わないはみ出し者をそれでも存在肯定するためのセーフティネットであって、「理屈は気にすんじゃねぇ」という暴力的な圧力では決してない。
セーフティネットというのは理屈に合わないはみ出し者の観測対象にとってもだし、理屈の分からない観測者にとってもであるのは事実なんだけどね。
「ジオウの時間移動はややこしくて分からない……でも違和感があってもいいんだ」と楽しめる余地を生み出すためのもの。
だから、理屈が気になる人はいつも通りその視点から楽しむ努力をすればいい。それを放棄するのはもったいない。だって人生は以下略。

今回ウォズが語り部を降りて、SOUGOも玉座から引きずり降ろされた。ソウゴは"自分のなりたかったもの(≒みんなを幸せにする者)"という意味では確かに"王"になったけれども、彼はあくまでルーラーではなくプレイヤーとして、瞬間瞬間を必死に生きるのみ。
これが何を意味するかというと、玉座に座る者の不在……いや、強いて言うなら映画館の座席で本作を見る我々一人ひとりこそがそれだろう。
解釈・整理し、まとめるもよし。自分の手には負えないと諦めてただ受け入れるもよし。受け入れず否定するもよし。
各々が自分自身の支配者として君臨し、矛盾を孕みながらも自由に生きられる。

それこそがソウゴの望んだ"最高最善"の世界だろう。

Let it be.

 

 

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