やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

リーガル・ハイ 第4話「太陽を返せ! マンション裁判仁義なき戦い」 感想

キャラクター

 古美門研介
・「その評判は間違っています私はすべてに強いのです」
法律家としてジェネラリストというよりは、結局それを扱うのは人間であるということを利用した人間のスペシャリストってイメージだけどね。
・「だが我々の知らないどこかに本物の"寺田工務店"があるのかもしれない。違うか? 君が正義とかぬかしているものは上から目線の同情に過ぎない。その都度 目の前のかわいそうな人間を憐れんでいるだけだ」
僕も最近、大した信念もなく思考ゲームとして男女差別とかLGBTがどうとかって問題を取り扱ってるけど、つくづくそう思う。一人の人間として欲を剥き出しにしてぶつかることこそが、"対等な関係"というものかもなと。
本当に正義を掲げようと思ったら全知であるうえ偏りなく全てを解決する方法を思い付く発想力が必要だ。もしこの世からすべてのトレードオフ関係を無くし、各々が別個に幸福を追求することができる構造にできるとすれば、それは個々人が自分の殻に閉じ籠って他者と関わらずに妄想だけですべて完結し生きること以外に今の僕には思い付かない。もちろんそれを成し遂げるまでに多くの苦労や犠牲が起こることは想像に難くないけど。生命維持等の基本的なことが半永久的に全自動でできる技術があることが前提だしね。まぁ、他者とかかわらないなら子孫も残らないし、今いる代の人間だけをなんとかすることに全力を注げばできないこともないかもね。
・「神でもない我々にそんなこと分かるはずもない。正義は特撮ヒーローものと少年ジャンプの中にしかないものと思え。自らの依頼人の利益のためだけに全力を尽くして戦う。我々弁護士にできることはそれだけであり、それ以上のことをするべきでもない分かったか朝ドラ!」
ジャンプに正義なんてあったっけ。あんまりそんなイメージないけど、これはそもそも僕が漫画を大して読まないから? 特撮もだけど基本は娯楽であって、正義がどうとかなんて取り扱うことのほうが珍しい気がする。だいたい切った張ったか惚れた腫れたのどっちかじゃない? むしろイメージで言うなら、それこそ里見浩太朗さんの水戸黄門こそ"正義"に近い気がする。恩のある人のそっくりさんを悪く言うのは、流石の古美門も抵抗があったのかね(笑)

 

 黛真知子
・「だるまストーブあったかいですよスルメおいしいですよカップ酒最高ですよ!」
これを服部さんのとてもおいしいであろうポトフを食べながら自覚なく言うところが黛って感じ。
・「私は、正義を守るために弁護士になったんです」
"被害者に寄り添う"ことが必ずしも正義ではないという出来事があったってことだろうか。それとも前回の相沢との回想がそれなのか? 被害者が可哀想だという理屈を自分に当てはめたとき、なんとなくそれを欺瞞に感じた?
・「あなたを、倒すためです。いつか必ず、倒します」
いいね。邪道なことを描くためにきちんと最後には王道を勝たせるっていう、DEATH NOTEとかが顕著な手法。もはやこれこそ次代の王道と言ってもいいかもしれない。

 

 大貫善三
・「敵は、5000円などというふざけた額を提示してきた!」
1世帯500万というのがどれくらいなのか僕には想像すらできないのだけれど、これはあれだよね、係留ヒューリスティクスが云々の駆け引きだよね。マクドナルド・コーヒー事件とかが例に出されるけど。最初に大きな金額……例えば3億をふっかければ、"それと比べて"人は判断しやすいので、500万から提示するよりも多く金を取れるという話。平成ライダーファン的には、オーズで鴻上が「70〜」とかやってたのをイメージしてもらうと分かりやすいかな。「はい変わったー」の時のあれね。
古美門は多分それを阻止するためにわざと低い5000円という比較金額を出したと。
・「一人ひとりの力は小さくとも、大勢集まれば、大企業の横暴を打ち砕くこともできるんだ!」
おかしな話だよね。"大企業"だって同じ"人の集まり"であって、本質としてはどちらも何も変わらないのに。どんな理由か知らないけど、敵視し過ぎて彼の中では大企業という名前の独立した生命体か何かってことになってそう。
・大貫「満足か? 金をたくさん手に入れて、それで満足か?」
古美門「……はい」
大貫「……ならいい。頑張りなさい」
彼は自己満足だと言われたことに対して納得をしたのだろうか。あの一言がきっかけで見方が変わったとするならば、ここのやりとりはしっくりくる。結局僕らは自己満足を求めるしかなくて、他人を思いやっても迷惑でしかなかったりするし、逆に自分の利益を考えただけなのに思わぬ形で誰かを助けることになったなんてこともあったりする。そういうもんだよね。

 


構成

・大貫がいちいち古美門を小僧とかガキとか言うのが何なのかと考えてたんだけど、"上から目線"の表現なのかな。
・「他人事VS親身」ってのも少し思うところがある。仮面ライダーの記事では一度書いた気がするけど、"正義"っていうのは基本外部者が名乗るものなんだよね。自分の得になるものは多く"偽善"と呼ばれる。正義と呼ばれ得るのは、自分が損をする自己犠牲か、自分に影響のない無関係な立場においてかのどちらかだろう。
まぁ、正義というのは好かれるから、そういうものを求めた利己行動である(つまり無得/無関係足り得ない)と言うのは容易く、そう簡単にパターン分けできるものでもないんだけれどね。
で、そういう意味において僕はヒーロー像を大雑把にルーラーとプレイヤーの2種に分けた。古美門は生粋のプレイヤーだ。そしてその多くは"ルーラーを諦めた者"だったりする。
今のところリーガル・ハイでの裁判はそういうゲームだ。本来ならば代理人である検事と弁護士(弁護士同士)のプレイを見て、外部者である裁判官がルーラーとして裁く。んだけれど、民事の田中さんは割とプレイヤー的傾向の強い方なのでそうなっている。しかしあの不当とも言える判決は"情がある"故のことであり、黛は古美門を"情がない"と罵ったがそれは彼女の求める"正義"とはまた違うものなんだよね。そこの矛盾をどう扱うかが肝になるのかな。

 


「結構みんな満足してるのよ」
これが今回の中で一番好きなセリフかな。これは"当事者"の感想なので、例えば互いに満足していても「それは不適切だ」と"部外者"が正義を振りかざすことの是非とかも。そもそも、なんのために正義を振りかざすのか。それを考え出すと、どうしてもルーラーはプレイヤーに落ちてしまう。
だから、自分が正義だと信じ切る傲慢さがなければルーラーにはなれない。上から目線でなければ。

さてもうお気付きだろうけど僕はこの作品を平成ライダーとほぼ同じ視点で見ている。平成ライダーファンには本作を、本作のファンには平成ライダーをオススメしたいと常々思っている。古美門と黛の関係なんて響鬼やカブトで描かれたそれに酷似しているし、黛が古美門を倒すために古美門法律事務所にいるというのはもう完全に親殺しだ。
娯楽娯楽していて何も考えずともそこそこ楽しめるという点も共通してるかな。

 

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