やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

「感想を書く」とは

久しぶりのエッセイ記事。

伊達に1年間作品の感想を書いてる訳じゃないので、ここらでひとつ感想を書くことに対するメタ感想というものを書いてみようかなと。と言ってもTwitterではぽつぽつ言ってることだけどね。
人生で個人的に表彰されたことといえば読書感想文の県コンクールくらいなので、それなりに誇ってる。
「読書感想文の書き方をレクチャーする」なんて大層なことは言わないし"読書感想文"にこだわって話を展開するつもりもないけれど、一応全く参考にならないことはないと思われる。

さて、まずここで言う"感想"とは何かをざっと洗い直してみると、「あるものを対象として、心に抱いたこと。またそれが何らかのかたちで発信されたもの」ということとし、かなり広義に、いわゆる批評やレビュー,考察などと呼ばれているものまで包括した概念として扱う。


さっき自分の読書感想文が"個人的に表彰された"と書いたけれど、ここからも分かるように、感想というものは歴としたひとつの文学作品(形態は文章に限らないが)だと言って良い。言葉としては、対象作品を1次としたときの"2次創作"にあたるものだ。
あくまで感想というこの2次的なステージにおける主役は、対象作品ではない。

こう書くと語弊があるかもしれないけれど、例えば今や国民的漫画作品と言っていい『ONE PIECE』だって、ウソップの元ネタになっているイソップ物語のいわゆるオオカミ少年(嘘をつく子供)の寓話にとっては2次創作と言える。
しかし『ONE PIECE』の語り手としての主役は他ならぬ尾田栄一郎氏だし、とするならば感想の主役は当然、我々だ。むしろ自分が主役でないのならば、自分で言う意味がない。 
媒体こそTwitterやブログ,口頭と様々だろうが、我々は日々無数の生産活動を行っている。
人気や影響力に差はあれど、構造としてはこれらに大した違いはない。何気ない一言でも"バズ"によってそれらを獲得できるようになった現代において、発信者の心持ちというのはそう大きな問題ではないことはより分かりやすいだろう。
世に出て有名になる作品も、感想も、大きな目で見ればそうした営み(コミュニケーション)のなかのひとつである。

 

その前提の元で、自分のコンテンツを"価値あるもの"にしようと思うなら、また色んな試行錯誤が必要になってくる。
多くの場合、盗作,剽窃,パクリなどの言葉で表される行為は負の価値として認識されることが多い。
逆にほぼ同じ行為でも、本人が主体として複製すること(CDなどとして売り出す)は正の価値となりやすい。

僕がよく見る、動画による玩具レビューを例に出して考えてみよう。
まず元となる玩具……仮面ライダーのDX玩具ならば、その玩具自体の価値はバンダイが生み出したものだ。それを利用して如何に新たなを価値を生み出すかで"玩具レビュー動画の価値"が決まる。
例えばk2eizoというチャンネルは、僕の知る中では最も"個性"が薄い。玩具の仕様を知るのに不必要な情報がかなり削ぎ落とされ、玩具の音声がないシーンではBGMをバックに、画面上には黒い背景と玩具と手だけが映る。僕の中で彼を表す記号として機能するのは、せいぜい"彼がよく使うBGM"とアイコン画像くらいだろうか。
僕個人としてはそんなに好きじゃないタイプなんだけれど、UUUMの解説文によると、言葉を発しないことが価値となっているのか海外人気が高いらしい。なるほど。

逆に、例えば動画内で"喋る"人は、それだけでひとつ強力な個性を追加していることになる。その声が好きか嫌いかは意見が分かれるところだろうが。

レオンチャンネルなんかはその好例で、もはや彼が喋っていることそれ自体がひとつの価値となってしまった人だと言える。サムネイルとタイトルに玩具を入れずとも、「骨折した」なんて雑談だけで10万回も再生を稼いでしまう。彼にとって何気ない一挙手一投足がアンチ(本気で嫌いというよりは、主にそれらを共有することで盛り上がる集団)の話のタネになる光景も見慣れたものだ。
その視点でいくと僕はChannel CUBEがお気に入りで、玩具に興味がなくてもついつい彼のトークを目当てに動画を見てしまう。
あとIYCH。彼は確かドリルクラッシャーのレビューで言ってた「これは最高のモルモット……じゃなくてハリネズミだ!」ってのが個人的にすごくツボで、速攻チャンネル登録したのを覚えてる。彼の嵐のような連想ゲームは見てるだけで楽しい。黎斗ネタってそれ単体じゃ僕はなんも面白味を感じないんだけど、予想外のものと組み合わせることもひとつの価値。あともうひとつ彼について特筆すべきはモノマネ。黎斗を始めとして、レオンチャンネルやヲタファさんなど様々な人の真似をしているけど、彼のような"モノマネ芸"が成立するというのは、元である彼らの"個性"が明確であることの傍証である。
声質や言葉回し、間の取り方など、動画というメディアの情報量の多さが彼らのイメージを支えている。
勝亦博物館のようにアイコンにするほど積極的に顔出しをするのも、方法の1つとしてある。
他にもブンカイジャーおとはさんは"分解"、クレーンの丈さんは"個別認識プレート自作"みたいに、特技(?)というかジャンルを絞るのも、特定の層を掴むのに良さそう。これまで挙げた他の人もほとんど"玩具レビュー"という広い(世間一般から見れば狭い)ジャンルに入ってるけど。


具体的な名前を挙げながら色んな価値についてまとめた(ちなみに敬称はチャンネルではなく投稿者自身を指すと思われるものにだけ付けた)が、このような"まとめ"もひとつの価値になり得る。

 

少なくとも僕は、「それを読めば対象作品を見なくてもよくなってしまう」ような性質を持った感想を読むのが嫌いなんだよね。読書感想文でも、あらすじ紹介やストーリーラインを追うことに終始する人がいるじゃない、そういうの。
まぁ、映像作品を文章に起こしたり要約したりというのもひとつの価値ではあろうけども。
僕自身はこの現象を避けるため、たとえ読みにくくなってでも敢えてキャラクター毎に箇条書きにして、少なくとも編纂程度の創作性を嫌でも帯びるようなフォーマットで各話感想を書いている。エグゼイドの頃は一応2文ほどのあらすじは書いてたけど。
それに本音を言えば、こうしてしまえば書くのが楽なのよね。構成とか考えなくていいし、箇条書きなら文脈に馴染まないネタを枯らすこともない。
まぁ、他の記事できちんと構成考えてるかって言うと、どっちにしろ割と行き当たりばったりだけどさ。この記事も普通に上から下に書いてます。考えるとしたら締めを書くときかな。結論に合わせて流れを変えることはたまにある。あ、これもあくまで読書感想文の話ね。ブログ記事程度だったら結論なんてそんな高尚なことは(少なくとも意識的には)考えてない。
だからまぁ、読書感想文ならまずコピペできる媒体で下書きするべきだね。あと書き始めに悩むって声もよく聞くけど、適当でいいんだよ適当で。冒頭数秒しか読まない始め方に悩むくらいだったらさっさと書き始めて"中身"を面白くした方がいい。面白い始め方のアイディアがあるなら、それありきで組み立てるのもアリだけどね。僕が表彰されたやつのひとつはそれ。一文目から「この本、嫌いだ」って書いてやろうと思ってたのをよく覚えてる。


誰でも書けることを書いたってつまらないから、一見関係ないような雑談を差し込むのも最近のお気に入り。ジオウの感想でリラックマについて語ったのは楽しかったなぁ。仮面ライダージオウ EP24「ベスト・フレンド2121」 感想
"自分語り"って言うとネガティブに捉えられがちだけど、僕に言わせれば自分以外に一体何を語るんだよって感じなんだよな。否が応でも"オリジナリティ"が生まれる最高の材料だよ。興味ないことも多いけど、興味深いエピソードも多い。自分の声を使って喋るだけで「私はこんな声ですよ」という意味を持つ。そういう広い意味での自分語り。
だからみんなもっともっと、自分のことを発信すればいい。ブログでもTwitterでもYouTubeでもなんでもいいけど。

 

続き

86ma.hatenablog.com