やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダージオウ EP26「ゲイツリバイブ!2019」 感想

キャラクター

 常磐ソウゴ
・「人を襲うのは違うだろ!」
"襲う"という表現がなかなかふわふわしてるというか、アナザーライダーの力を吸われることで今の彼らにどんな影響があるんだろう。僕の認識では、ライダーの力というのは物語であるので、その記憶を吸い取っていると捉えることができる。しかし記憶がなくなるのはジオウがアーマーを継承した時も同様。この辺のギミック面で、改めてソウゴが自省をすることになるのかな。
或いは、物語を吸うというのはその人の人間(またはキャラクター)としての世界(または作品)における存在意義を減らすことであって、仮にすべて吸われたら実際に消えてしまうんだろうか?

 

 明光院ゲイツ
・「違うな。ジオウを倒すのはお前じゃない、俺の使命だ」
公式サイトを見る限りは、ここでのゲイツは飛流と同じような認識をして、決意を固めたってことになる。問題はこれが勘違いだったと分かる(であろう)次回以降。一応ツクヨミも、ゲイツの思った通りの意思は持っている(後述)んだけれど、わざわざ口に出すとも思えないので、「今回は違ったけどいずれそうなるかもしれない」で変わらないのが妥当なところかな。
選択というのはひとつのキーワードで、これは『龍騎』の感想(終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』)で詳しく書いたんだけれども、何かを選ぶというのは別の可能性を切り捨てることなんだよね。このゲイツの行動は、真司が優衣を助けるために考えるのをやめた展開とほぼ同じ。
表と裏を両方受け入れるジオウⅡと、どちらか片方だけを選択するゲイツリバイブという構図が素直に面白い。でもここで『ジオウ』が終わる訳ではないので、ここからどう展開されていくのか楽しみ。
・ところで、ビルドのエボルトリガー登場回で「強化アイテムを使おうとしたけど使えない」展開が2年連続でつまらないみたいな話をしたので、ジオウ内でも2回目なのに指摘しないのは一貫性がない……と言われるかと思ってたんだけど、特に誰も言ってこなかった。ということで、将来言ってくるかもしれない人のためにここで自問自答しておく。
一貫性という概念が適応されるためには、状況が一致しなければならない。そして今回の件で決定的に違うのは、「その時点で僕がその作品を楽しめているかどうか」だ。エグゼイドとビルドはその終盤(ムテキとレガシー、エボルトリガー登場)時点で既にかなり呆れていて、その上で見たから間抜けに見えたのだ。そもそも僕は一貫している必要はないと思っているが、ことこれに関しては大した矛盾はしていない。

 

 ツクヨミ
・「…………そう、そうなんだ。使えなかったんだ」
前回僕は「刺せよ」って言ったけど、ここできちんと自分の手でソウゴを殺す意思を固めているみたいでよかった。
まぁこの後も色々あって、実際に彼女がどういう意図でどういう行動を取ったのかはまた少し別の話だけど。

 

 タイムジャッカー
・ウール「あの飛流ってやつがオーマジオウになったら意味ないじゃないか!」
オーマジオウというのは、その存在というか概念自体がタイムジャッカー……少なくともウールとオーラにとっては不都合なものなのかね。今のところの情報ではオーマジオウがいなければまた数々のライダーが生まれていくらしいんだけれど、彼らの狙いのひとつは「自分の思い通りの王様をつくること」であるはずで、余計な仮面ライダーは必要ないようにも思える。第一、王様を傀儡にして達成したい世界というのは3人で一致している訳でもなさそうなので、スウォルツが個人的な目的の元でアナザージオウという新たな王をつくることは、他の2人には口出しできるようなことじゃないんじゃないのか?
或いは、「名前を言ってはいけないあの人」的なノリで、単に"ジオウ"という名前に拒否反応を示しているだけ(未来人的にはそれが共通認識?)とも取れる。アナザージオウというのは、理屈じゃなくタブーなのかも。だとするならば、それを破るスウォルツに底知れなさを改めて感じるのも分からなくはない。

 


設定

・ウォズ「『ライダーの力にはライダーの力』……しかし、それは裏を返せば敵にも言える」
例えば結騎さんはアーマータイム→アナザーライダーというように、一方向に有利な相性があるじゃんけんのようなものだという解釈をしてたけど、僕はずっと違うと思ってて、アナザーライダー誕生による歴史改変はまた別として、単に同じ力でバトルに勝った奴が本物に成り代われるんだと予想してたんだけど、ジオウ達だけが不自然に毎度勝つ理由がよく分からなくて言ってなかった(ディケイド登場のとこでちょろっと書いてたかもしらん)けど、少し前の公式サイトを見ると「ジオウ+ビルド、2人ぶんのライダーの力」だから勝てていたのだと書かれていた。これはとても納得性のある分かりやすい理屈だ。
そしてそれで行くと、ウォズの言う通りジオウvsアナザージオウはほぼ同格の対決と言うことになる。同じライダーの力を使うというのは、相性がどうこうと言うよりもむしろ、「本物の(例えば)ビルド決定戦」に参加する資格を得ているとという側面の方が強い……そんな気がしてる。王様決定戦に出られる"ビルド"を決める予選みたいな。
ちなみに2人ぶんのライダーの力というと佐久間(アナザーフォーゼ/ファイズ)が思い浮かぶけど、彼のファイズの力は消えかけなので、"2人ぶん"にはきっと満たない。
・飛流「やはりアナザーウィザードの力が全て消えた訳じゃないようだな」
ここからは、ジオウの"歴史"というのはあくまで一本筋じゃないことが伺える。以前似たような話をしたけど、歴史というのは視点の数だけある。中でもソウゴの「早瀬さんは元アナザーウィザード」という認識は、少なくともジオウの作品内では非常に大きな意味を持つ。
ジオウに出てきたオリジナルキャストが"本編"のそれとは別人だと捉えるのも自由だし、そう捉えないのも自由。それは自分で決めていいことだ。今回の"バス事件"が色んなキャラクターに色んな解釈をされているのはそれをよく表している。
そしてだからこそ、自分の認識を押し付けて(実現して)しまうらしいジオウ(作者)の存在が問題になってくる。
・特に深い意味はないんだけど、小ネタを。ソウゴの両親の年齢から誕生年を計算すると、誕生日にもよるがたぶん父親が1973年、母親は1976年となる。仮面ライダーの歴史に当てはめると、前者が『仮面ライダー』の終了年、後者が『ストロンガー』(と同時にいわゆる昭和1期)の終了年であるらしい。
ちなみに飛流の父親は1971年、母親は1975年で、それぞれの開始年と一致しなくもない。

 


リバイブかっこよかったなぁ。Twitterではもう言ったけど、あの白い指の装甲がとても好き。高速移動からのフォームチェンジで剛烈パンチとかは若干ズルい気がするけど。
さて、次回はディケイド(というか士)の再登場に、まさに夢の男と同じ格好をしたスウォルツの登場。「すべてのはじまり」というだけあって、何が起こるのか楽しみ。

 

ジオウ感想一覧

前話

仮面ライダージオウ EP25「アナザージオウ2019」 感想

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