やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダー響鬼 二十五,二十六,二十七,二十八,二十九之巻「走る紺碧/刻まれる日々/伝える絆/絶えぬ悪意/輝く少年」 感想

キャラクター

 安達明日夢
・ろくに食べもせず「ごちそうさま」だぁ??? 傷心してるだかなんだか知らないが、人に用意させてんなら出されたもんは残さず食えよ。マナーについてネットで検索したところ「"お腹いっぱいで満足させてもらいました"の意として少し残すのがマナー」の国もあるそう。なるほどそういう発想もあるのかと勉強になったけれど、明日夢のそれは全くそういう種類のものではないので許さん。例え母親が許しても僕は許さん。明日夢の周りは不自然なほどに彼の弱さを許してくれる人ばかりなので、僕は許さないことでバランスを取りたい。

 

 ヒビキ
・「晴れの日もありゃさ、雨の日だってあるよ。少年はさ、携帯失くしたよな。俺は帽子を失くした。でもさ、生きてくってことはさ、失くすことばっかりじゃないぜ」
いいセリフだと思う。でも、多分僕の捉え方は作者の意図するところとは少しズレてると思う。たしか西尾維新の何かで読んで共感したことだった気がするんたけどさ、「良い人/悪い人」なんていなくて、「良いときと悪いとき」があるだけなんだよね。
明日夢は、約束を反故にしたり食事を残したりするときもあるけれど、お師匠さんの看病を立派にするときもある。ヒビキさんだって、鬼として人助けをしてるときもあれば、他人のバイクをぶつけるときもある。洋館の男女だって、もしかしたら気分のいいときは道端のゴミを拾うこともあるかもしれない。
でもきっと、そういう意味ではないんだろうね。序盤で勢地郎さんが言った「誰の心にも悪はある」みたいなのも、僕が思ったような意味ではないんだろうね。
・「正しく生きてても傷付けられたり踏みにじられたりする」
ほらね。直前に約束を放ったらかしにして持田を悲しませたのは、完全にノーカンだもんね。だからズルいんだよ、明日夢ばっかり優しい大人が周りにいてさ。
・「心だけは強く鍛えておかないと、自分に負けちゃうじゃないか」
これも、僕の捉え方だとすごくいい台詞。一般的に言われる"悪い人"っていうのは、だから弱い人なんだよね。仮に明日夢の周りにこうしてケアしてくれる大人がいなくて、自分の中に溜め込んで溜め込んで、いつか自分に負けてしまったとき、今度は明日夢が(積極的に)人を傷付ける側になる。鬱屈を晴らすために、他人を犠牲にするようになる。万引き犯のようにね。

悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想

 

 ザンキ
・生身で童子・姫と戦う。引退したら変身できないっていう決まりでもあるんだろうか?


設定

・「傀儡でもなかったです」
黒白のあいつらを"傀儡"と呼んでる以上は、更に高次の存在がいると知ってて当然だと思うんだけど、見当はついてないようだった。「クグツです」って名乗りでもしたんだろうか。

 

 

いわゆる"前半"はこれでおしまい。ここまで見てきた印象としては、クウガよりも劣化してる……というか、この様子じゃクウガに対する僕の評価は好意的解釈をし過ぎてたんじゃないかなって思わされた程度には、ストーリーの"独りよがり度"が半端じゃない。次回からどうなることやら。

 

次話

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