やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダークウガ EPISODE7,8「傷心/射手」 感想

キャラクター

 五代雄介
クウガの刺繍とサボり癖
刺繍を見せて「クウガのマークだよ」って、いやいや、言っても分からないでしょ……(苦笑) というか笑い事ではなくて、一条さんと違って彼には正体を隠す気がほとほとないらしい。戦士クウガの文字は明らかに顔をかたどった象形文字(絵文字?)なので、勘のいい人ならこれが4号を指していることに気付いてもおかしくない。親しい間柄のおやっさんだけならともかく、ジャケットのうなじに付けたまま外出までしてるし。誰もそんなところよく見やしないだろうが、トライチェイサーを見て「……4号?」と思った後に注視されたら、その疑念はまず間違いなく確信に変わることだろう。
リアリティラインが低く設定されてる作品にありがちだけど、ギャグなら何やってもいいって風潮あるよな。僕はこれまでも何度か言ったとおり、ある2人のキャラクターが互いを認め合うエピソードの最後でやっぱり喧嘩してオチ、みたいなのはかなりダメだと思うのよ。ギャグはシリアスを邪魔しない程度にしとかないと、それはただの本末転倒。その視点から、果たしてこのシーンはクウガにとって必要なのかと考えると、ギャグとしては正直なくていいと思うので、実はギャグに見せかけて真面目なシーンであるという仮定のもとに話を進める。

五代が何故クウガのマークをわざわざ目につくところに付けるのか。今ならバンダイアパレルからの販促要請なのかなとか思うところだけど、当時にもそういうものってあったのだろうか。それはさておき、普通に考えるなら「自分がクウガだと気付いて欲しい」からやってるとしか思えない。じゃあ何故気付かれたいのか。
まず思い付くのは、4号は敵じゃなくて人間だから、銃で撃ったりは勘弁して欲しいみたいなこと。ただこの場合、現在は3話のときと違ってグロンギにも人間体があると確認されていることから必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。彼らと違って日本語を流暢に話せるとか戸籍があるとか、きちんと確認しようとすればできなくはないと思うけど、それでも"変身"してもなお心が失われていないかどうかは、長い間 関わってみないと判断できないし、リスクを考えたら射殺する方が得策と判断される可能性もなくはない。
次に浮かぶのは、みのりや沢渡さんのように身近な人には、自分が苦しみながらも戦っていると知っておいて欲しいということ。この場合おやっさんや、服の刺繍に気付くくらいよく話す人に対して。一条さんだけじゃなくて、色んな人に自分の"変身"を監視しててもらいたいと。でもそれならそれでもっと直接的に腹割って話すことはしないのかとも思うので、微妙なところか。
最後は若干メタ的に、ヒーロー(戦士クウガ)のマークを普段から背負うことで、素行に気を付けようという自分に対する戒め。変身後の姿じゃなくても、クウガとして見られて恥ずかしくない言動を心がけるために。……だとするとバイトすっぽかすのはNGだと思うので、これも苦しい。うーむ。

クウガとして戦うためのサボりは仕方ない面もあるけど、だからってサボっていいことにはならない、雇用契約ってものがあるんだから。でも「例え仕方ない理由でも欠勤するかもしれないなら雇わないよ」って話にすると、マタハラみたいな問題とも繋がってややこしくなる。そりゃあ女性にも男性と平等な雇用機会が与えられるべきだとは思うけど、産休育休を取られたら困るのも事実だよね。「3ヶ月、或いは1年だけ雇ってください」なんて人が都合よくいる訳でもなし、新しい人での体制に慣れてきたところへ久しぶりの人が帰ってきても、現実問題として居場所を確保するのは難しい。企業には「あなたのような人材は要らないから雇いません」と言う自由があるのと同じで、(その会社にとって)都合の悪い人材を排除することは、ハラスメントでも何でもないと思うのよね。就職倍率が日本トップらしい明治に入ろうとして、入れなかったからって「不当だ! 嫌がらせだ!」とはならないでしょ。単純に考えたら使えない人間を雇うメリットなんかないんだから、人手が足りてるのに久しぶりの人を復帰させてあげる理由なんてある訳ないのよ。もちろん、産休育休とることを差し引いてもぜひ雇いたいような有能な人材だったら話は別だし、いち企業としてではなく社会全体として出生率を上げるためにみんなで我慢しましょうというのは分かるけどね。僕個人としては、男女や出産に関係なく、もっと休むことに対するハードルが下がればいいと思う。
話を戻すと、呑気な五代とおやっさんのことなので、雇用契約なんてかたいものはない個人的な付き合いの範疇なのかもしれない。でも沢渡さんにもそうだけど、ハナから「話せば分かってくれるはず」と思ってるとこは少し傲慢よね。今はグロンギがいるから対比で余計に、人間相手なら説得できる(自分と同じ思想にできる)って思っちゃうのかな。
今回なんて刺繍を桜子さんに見せるだけと大した用事じゃない上に、勢いで出ちゃった訳でもなく、お客さんと鉢合わせて一回我に返った上で、それでも尚飛び出してるので、相当タチが悪い。絶対にサボってやるという強い意志を感じる。普段からこうなのだろう。

こういうシーンから始まったからか、榎田さんが持ってる針に興味本位で手を出して払われてたこととか、不用意に貝殻の話題を出したり、後述の例と違ってマジで何も知らないしできない癖に"無責任"に「そうだね(役に立つよ)」と言ったりと、今回の前編は悪い面が目立って見えた。

・vsバヂス
青のクウガになってもロッドを使う素振りがなかったのはなんでだろうね。手すりはそこら中にあるので調達できない訳でもあるまい。勝てるシーンじゃないなら使わないことで商品にマイナスイメージを付けない……という意味にも思えるが、それでナメプしてるように見えるんじゃ世話ない。
もうひとつ気になったのは「逃がすか!」ってセリフ。クウガが言うとなんだか重い。最近の仮面ライダー、特にウィザードなんかは敵を取り逃がすことに対して驚くほどサバサバしてるんだけど、これって(白倉さんが言うところの)"怪獣"の文脈で見ると、それほどおかしいことではないのよね。彼らは我々の生活領域を侵犯するから悪なのであって、住処に帰って大人しくしてくれるならば、深追いする必要がない。
しかしクウガは、それを"許さない"。勿論また襲ってくると分かってるからということもあろうが、今回は実加がピックアップされていることも踏まえると、やはり仇討ち的な側面も多くあるように思う。一度こちらに攻撃してきて被害を出したからにはもはや赦免の余地はなく、徹底的に追い詰めて滅ぼさなければならない。という含みを感じる。

・大丈夫!の真意
「絶対見つかりますから」。最初に聞いたときは「何を無根拠に無責任なことを」と思ったけど、これは違うな。"絶対見つかる"って言ってるけど、"絶対見つける"なんだ。"みんなに笑顔でいて欲しい"から、無根拠でも笑顔で「大丈夫」って言ってまわって少しでも安心させ、責任持ってそれを本当にするために頑張ると。ヒロアカのオールマイトが笑うのと同じか。
桜子さんの「嘘つかない」って言うのとも繋がるしね。このシーン面白くて、わざと彼女がどういう表情で言ってるのかを隠してるのよね。安心してるのか、笑ってるのか、真剣な顔なのかは、想像するしかない。その代わり、直前に五代に頼まれた解読に集中するところはじっくり映される。これこそ信頼の証。最近 岡田斗司夫さんのYouTubeチャンネルを見るようになったんだけど、こういうちょっとした演出に対するアンテナが鍛えられてるかもしれない、いい傾向だ。
約束についてはこないだセイバーの感想でも同じことを言ったのでそちらも。
(参考:仮面ライダーセイバー 第4章「本を開いた、それゆえに。」 感想)

・貝殻が覆うもの
一度会っただけで貝殻が実加にとって大切なものであること、そしてその種類や採れる場所まで把握するというホームズばりのコールドリーディングを見せる。分かり過ぎて若干怖いぐらいなのは、後述する緑の力を意識しての演出だろうか。
最近キリスト教についてはそこそこ積極的に調べてる僕も全くの初耳だった程度にはマイナーな話なので意図的なものなのかは定かではないが、"暴れ馬"が聖ヤコブによって鎮まった際、体中(馬の体とする説と馬に乗っていた人の体とする説が見られた)が貝殻で覆われていたというエピソードがあるらしい。キリスト教で馬って言うと馬小屋に目が行きがちだけど、こういうのもあるのね。実加をきっかけに暴走していたペガサスフォームを制御できたのは、ひょっとするとこれに着想を得ているのかもしれない。

もう少し単純に考えると、貝殻は"閉じこもる/開く"イメージがあるので実加の心情を象徴する役割も担っている。キリスト教でシンボルとして使われてるのは厳密にはホタテ貝なんだけど、それでいくと有名な絵画『ヴィーナスの誕生』も連想する。彼女は貝殻の上に乗って局部を隠してるのが印象的だけど、人魚姫なんかはよく貝殻そのもので胸を隠したかたちで描かれる。これらはおそらく、かたく閉じた貝がその中に真珠という美しいものを隠し持っていることに起因する描写だろう。実加にも眠る何かがあり、それを活かしていつか「なんかやる」のだろう。
水切りできちんと有言実行して見せてから言う辺り、説得力が違う。直後にもクウガとして決めるし。……ただ何回も見てたら、7連チャンというのはあくまで絶望気味な実加が「無理だよ」と言っただけであって、実は五代としては「経験則から自分が超えられそうなハードル」を設定したのでは? なんて邪推もしてしまった。まぁこんな無粋なこと言う人も他にいないだろうから、そういう見方もあるってことでいいでしょう。テーマ的には、ななはキリスト教において重要な数字だってことも関係してそうだけど。

・ペガサスフォーム
クウガは根本的にモーフィングパワーと言って物質を分解・再構成させる能力を持っているのだから、別に対象が銃じゃなくてもその気になればペガサスボウガンにできるのではないかと思うのだが、どうだろう。ただ日本には銃刀法があるので、又貸しではあるが"許可を得ている人間からの許可"があることは無意味ではない。また不可能ではないにせよ、多少は構造が似てた方が消耗が少なくて済むのかもしれない。まさか無制限にできる訳ではなかろう。だがそれを考慮してもなお、アマダムは棒切れをドラゴンロッドに、銃をボウガンに、そして五代をクウガに変えてしまう、凄まじい変換装置だ。

"人間のパソコン化"という観念がある。『lain』に顕著な、体と心をそれぞれハードウェア/ソフトウェアと見做し、比喩でなく人間もパソコンと同じようなものだと捉える感覚のことだ。そんなゲーム脳みたいな思想はそうそう実在しないと思われるかもしれないが、体を機械化することで永遠の命が得られるのでは……と考えたことはないだろうか。機械化(電脳化)された人間とされていない人間に同一性を認めるのは、まさにこの立場に該当する。
Wのドーパントなんかはものすごく分かりやすくて、なんてったって人体に直接USBメモリを指すのだ、パソコン扱いここに極まれりと言って良いだろう。クウガも似たようなところがあって、1話で五代の頭に遠隔で映像(古代クウガのイメージ)を送信したところなど、ファンタジーの一言で片付けないのであれば、Wi-Fiのような電波でやりとりしていると考えるのが一番想像が付きやすいだろう。仮面ライダーの最初の怪人であるクモは、ネットワーク(Web)の化身だ。緑のクウガはザインと同様、極度に情報過多となった社会に苦しむ現代人を表していると言える。「この眼が二つだけでよかったなぁ 世界の悲しみがすべて見えてしまったら 僕は到底生きていけはしないから」狭心症/RADWIMPS
素朴な感覚として視覚や聴覚,そして狙撃能力を強化することは、単に身体能力を強化するのとは訳が違い、椿が懸念していた"頭"にも大きく改造の手を伸ばさないと難しいように感じる。筋肉だって制御しているのは脳だから、マイティフォームでも多少は脳に侵食している可能性はあるが、このペガサスフォームはおそらくそれが著しいのではないか。
ペガサスという言葉は古代ギリシア語で泉を意味するペーゲーに由来するらしい。クウガにおいて"泉"と言えば、もちろん心のことを表すので、ペガサスフォームは脳を蝕むという仮説が真実味を帯びてくる。他のどの形態とも違って唯一 時間制限があるのは、変身者の心を(パソコン化から)守るために働く一種の安全装置としての意味もあるのかもしれない。

で、その反動による変身不能時間だけれども、本編での椿のセリフを鵜呑みにして「2時間」としている文献の多いこと多いこと。そもそも椿の予想が合ってるかというところには触れないとしても、02:07の時点で「あと2時間くらい」なんだから、変身解除した時から数えたら絶対にもっと長い。沢渡さんに電話してるシーンが30分前の01:39なので、この段階で確実に2時間半。更にバヂスの針が遅くとも15分で回復することは自明なので、クウガとバヂスの交戦時間はおよそその程度だと目算できる。戦闘開始が00:37過ぎなので、そこから15分後だと変身解除したのは00:52頃となり、+45分。トータルするとおよそ3時間ということになる。
それはそれとして、どう見ても満身創痍なクウガを放置して逃げるバヂスは何考えてんだろうね。「ギボヂヂソギギダバいのちびろいしたな」と言っているので、「ゲームを盛り上げるいいエクストラプレイヤーだから生かしといたほうが楽しい」って訳でもないし。
直前に針を見たことが逃げた理由と関係していると見て、再生しきっていたパターンと再生していなかったパターンの2つを考慮していく。
もし再生できていたのなら、ゲゲルを再開して人数を稼ぎに行ったと見るのが自然だろうか。サルや他の動物を殺しの相手として設定するようなことはなかったし、人間よりグロンギに近いクウガは本来ならばカウント外なのかもしれない。体内のアマダムを感知しているらしく、バヂスの視界からは五代は普通の人間とは全く違う(水色でなくオレンジ)風に見えているようだしね。
再生していなかったのなら、うーん。やっぱり待てば普通にトドメさせてたと思うんだけどな。こちらもカウント外なのだとしたら、殺す意味は特にない。もしも針を見たのが「いつもより回復が遅いな……クウガとの戦闘で消耗したせいか」という意味なのだとしたら、戦線離脱することは頷ける。……というか、ゲゲルと関係なく殺しを行うことはタブーのはずなので、もしクウガがカウントされないなら、そもそも殺しちゃ駄目なんじゃないか? セリフとは食い違うが……グゼパの紛失をゴオマのせいにした狡猾なバヂスのことなので、殺してないと白を切るつもりだった可能性もなくはない。
結局その後一人も殺さずにアジトへ戻ってるので、消耗していた説が有力かも。もし回復が遅れていたなら、ペガサスの反動時間はその分だけ短くなります。

 

 一条薫
・覚悟
人の姿をした未確認生命体を自分たちは撃てるのかと迷う杉田。そもそも猟銃みたいに長くない拳銃って、人に対して撃つもんじゃないの? 357の6インチとかF15とか、意味が伝わってこない無機質な呪文を唱えて喜ぶミリオタの気持ちがさっぱりワカラン民なので、武器については全く知識がない状態で喋ってます、悪しからず。
所属は違えど、広く警察を志した時点でそういう覚悟は決まってるものだと思っていた。もちろん実際に目の当たりにして改めて、ってのは気持ちとして分かるけども、全く考えもしていなかったみたいに聞こえたので。

・優先順位
「ちょっとだけ待っててくれ」って……実加の言うように警察が亡くなった人や遺族を軽視してる訳じゃないと描写したいってのはすごくよく分かるんだけど、現在進行形の脅威より優先すべきことかって考えるとそれは少しやりすぎな気もする。それは冒頭の0号について調べているってシーンだけで十分伝わる。たまたま今回見てただけだと都合がいいなぁって話になるんだけど、そうじゃなくて普段から見てるのを今回ピックアップしただけってなってるのは、フォローが行き届いてて良かった。
この状況で先に予約したからと早いもん勝ち理論適用するのも違うし、用件を確認して城南大学を紹介するだけなら他の人でもできるので、正直捜査本部の中核を担う一条がやるべきことではない。むしろ気もそぞろなまま"中途半端"に話を聞いて実加に悪印象を与えたんだから、結果的にも逆効果だったと言える。

・シャレにならない
ゴオマの人間体を撃ったとき、もしかして帽子を狙ったの!? すごいと褒めるべきなのか危ないと注意するべきなのか……いや危ないだろ、一歩間違えたら頭だぞ。この時点では怪しくはあるけど人間かもしれない訳で、変なタトゥを入れて変な言語を話すからというだけでバルバを不審者として扱った時と同じ悪い癖が出ている。
普通の感覚なら足元か、同じく実加がメインの「現実」みたいに手元を狙うでしょ。いや、今回の場合はまだグゼパに近づいただけで犯罪者かどうかすら確定してないんだから、ゴオマを狙って発砲すること自体どう考えてもご法度。一応彼が逃げてるのは銃創ではなく帽子が脱げたことで日の光に晒されたことが理由だと思われるので結果的には怪我はしてないのかもしれないが、それにしたってだよ。脚本家は「狙った獲物は外さない」と言葉遊びすればいいだけなので気楽かもしれないが、本当に銃を人に向けてるキャラクターの心情を考えたら、あれほど安易に撃つようなやつでは困る。

・対応の是非
「無事で良かった」って、実加に対してそれだけ? 確かに「結果は出てないけど頑張ってはいるんだよ」ってのは言い訳くさくて良くないけど、それでも何かしらの対応はするべきでは? 前回は「専門家に行ってください」と、向こうからすると追い返されたような感じになっちゃった訳だし。
警察として、ひとりの大人として、「自殺する危険はもうなさそうだからよし」じゃなくて、きちんとそのきっかけをなんとかしようとしてあげなくちゃ。
……と、昔の僕は書いてるんだけど、完全に大バカですね。偉そうにしてるけど読解力のなさ、というかしっかり見てないのバレバレ。実加が死のうと思ったのは「人(夏目教授)が一人死ぬなんて、どうでもいいことかなぁ(だったら私が死ぬこともどうでもいいのかな)」と感じたことがきっかけなので、「無事でよかった」の一言はきちんと状況に即している。一条が実加たちに時間を割けなかったのも、他の誰かが死ぬのを防ぐためだしね。文句言う暇があったらまずきちんと見返して理解を深めましょうという好例。

 

 夏目実加
・催促する意味
心を閉ざす実加の心情を表すのに箱を閉める動作を見せるのは、ベッタベタだけど、最近じゃそういう演出やらないからなんか逆に新鮮。せっかく映像のあるドラマなのに、もったいないよね。
……って、この文章も前に見たときに書いたものなんだけど、自分で読み返してみても昔の僕が発見したにしては読解力が高過ぎるので、絶対誰かからの受け売りだと思うんだけど、記憶にない。誰か知ってたら教えてプリーズ。あと"そういう演出"は最近やってないんじゃなくてお前が気付いてないだけだから。

というか、僕が父のこと嫌いだから分からないだけかもしれないけど、別に0号のこと調べたからって帰ってくる訳でもなし、わざわざ警察に催促するほどの意味はあるのか? 河合隼雄ユング心理学入門』によると、受け入れがたい出来事に直面したとき、人は「なぜ?」と問う傾向があるらしい。「どうしてあの人は死んでしまったの?」と自分や医者、或いは神に対して問いかけるのだ。だが本にも書かれているように、その問いに対して「未確認生命体第0号の正体はン・ダグバ・ゼバという、魔石ゲブロンによってクワガタの能力を得たグロンギの元締めであって、夏目教授は彼によって頭部及び全身を激しく損傷し云々かんぬん……」と、あたかも怪人図鑑のようなノリで叙事的な(事実に即した)答えを返したところで、彼女らの気が晴れることはないだろう。ただ大切な人の死を前にして突き付けられる圧倒的な無力感を誤魔化して「何かしている」と思い込むためだけの、言ってしまえば虚しい営みだ。本当に必要なのは0号の捜査などではなく、気持ちに折り合いを付けるための適切なカウンセリングだろう。そんなことの為に、多忙な他人を動かすべきではない。

あと、「主人もさぞ悔しかろう」じゃないよ、悔しいのはあんたらであって夏目教授じゃないだろ。「石ノ森先生が〜」とかもそうだけど、みんなが死者に鞭打つようなことはしたくないことを逆手に取って、勝手に名前を使って自分の意見通そうとするなよ。
確かに、教授は研究対象としていた訳だから、彼らの謎が明かされることを望んではいるのかもしれない。でもそれなら最初から考古学研究室に行くべきであって、警察に来てるのは明らかに「法による代理復讐」を望んでるからでしょう? それは教授の研究とは無関係だ。まぁそりゃ、生前彼がそのような思想を持っていて「自分が殺された時も相手を死刑にしてやりたい」と公言していた可能性もあるけども。

・自殺企図
自殺未遂とは少し違って、実行を視野に入れて計画を立てることを自殺企図と言う。僕の感覚では「踏み切りに飛び込んだけど死ねなかった」は"未遂"で、今回の実加のように「実行には踏み出せなかった」ケースが該当する。死を象徴する踏み切りの向こう側に、父との思い出の海岸が見えるのが切ない。
「どうしてそんな、何もなかったみたいな言い方するの?」とは言うけど……正直、気持ちを切り替えて前を向くことを悪だとするのは無理がある。そもそも沢渡さんでさえ顔合わせたばっかりだったんだから、ジャンなんか夏目教授とは面識すらなくてもおかしくない。そんな人の死を悲しめと言われても、ねぇ。
でも、気持ちは分からなくもない。本当に偶然なんだけど、僕の友人も最近自殺を考えているらしくて、悲しんだり何かできることはないかと考えたりしているところなんだけど、一方でこうしてルーチンワークとしてブログを書いている時もある。ふっと悲しくなることはあれど、逆に言えばそれ以外の時間はなんとも思っていない。そのことに罪悪感を覚えるフシもあって、本当はもっと本格的に落ち込んで、何もかも手につかないような状態である"べき"なんじゃないかと思う。本当に悲しいなら、本当にその人の死と真面目に向き合うなら、その証明として自殺するべきなのではないか、なんて馬鹿げた考えが頭をよぎる。そうでないなら、自分の悲しさはその程度なのかと。実加にも少しくらい似たような心情があるのかもしれない。
そうは言っても、僕が何をしたところで現実が変わる訳じゃない。他の人はどうか知らないけど、僕には「悲しいから死なないで」とは言えない。そんなこと言って、死ぬよりつらい人生を続けさせるなんて無責任過ぎる。どんなことがあっても生きてる方が絶対にいいなんて確信は、僕には持てない。死なないで欲しいと言うのであれば、その人がきちんと幸せに生きていけるだけの根拠を示さなければならない。それが寄り添うことなのか、お金なのか、他の何かなのかは分からないけど、ただのニートでしかない僕にできることなんて果たしてあるものか。自分のことだから遠慮なく罵るけど、だいたい不男の親切心なんて気持ち悪いだけ。汚い手なんか差し伸べられても誰が取りたがるよ。お呼びじゃないね、まったくもって。

 

 グロンギ
・ 未放送個体
放送してない間に7体も倒してたらしい。セリフだけでサラッと言われたからびっくりした。前回のバヅーが6号でバヂスが14号なので、確かに計7体(7号ズ・グジル・ギ,8号ズ・ガルガ・ダ,9号ズ・ミウジ・ギ,10号ズ・ガズボ・デ,11号ズ・ダーゴ・ギ,12号Aズ・ネズマ・ダ,12号Bズ・ネズモ・ダ,13号ズ・ジャモル・レ)……なんだけど、合同捜査本部はバヅーがいた時点で組まれてるので、8じゃない? 細かいことを言うと、杉田が持ってきた13号ジャモルの載った新聞の日付は2/25になっているのでこの日は26日以降のはずだが、何故かWikipediaでは本エピソードは2/24ということになっている。なんの根拠もなく書かれたものとは思えないし、何かしら出典があるのだとすれば食い違っていることになる。別に何日でもいいが。 

警察がグロンギを倒すとこなんて、ドラマとしてすごく美味しそうなのに、なんで描かなかったんだろう……あ、そうか、それじゃクウガが活躍できないから駄目なのか。でもそのくらいうまくやればできそうなもんだけどなぁ……。
裏設定によれば、警察が倒したのはネズミ型グロンギのズ・ネズマ・ダと言い、警察が発砲したところ突然爆発したとされている。これはグロンギのルールによるもので、ゲゲル開始時にバルバがあの指輪によってグロンギのベルト(ゲドルード)に封印エネルギーと同等のものを流し込み、制限時間内にゲゲルを成功させられなかった場合に自爆するようになっているらしい。たまたまそのタイミングが警察との交戦と被ったせいで、あたかも警察が倒したかのような扱いになっている様子。確かにそれだと「警察もやっと倒せた!」という話にはならなそうだ。なんかあれだね、シザースは蓮が殺したのかどうかみたいな話と似てるね。

とはいえこれはあくまで裏設定なので、警察は「今の装備で倒せた」と勘違いするんじゃないかと思ったけど、そこもきちんと考慮されてて、12号Aネズマは、倒された後で復活したことになっているのよね。それが12号Bで、こちらはクウガによって倒されている。このことから「完全に撃破するには至らなかった」と認識したのだと思われる。実際のところは12号Bはバヅーとバダーみたいな同種の別怪人 ズ・ネズモ・ダ。

たまたま警察の前でタイムリミットを迎えたグロンギに同種がいたなんて都合が良すぎるけど、確率として有り得ないことはないので矛盾はしてない。……ないものの、これはこれで不可解なのよね。「ボセグゲンジヅレこれがげんじつ(だ)」と言いながらバルバが見せている羊皮紙のようなものには、上にバルバ、左にズ集団(ザインを筆頭に12)、右にメ集団(ガリマを筆頭に12)のタトゥが一覧のように並んでいるのが確認できるが、そこにネズモのタトゥはない。「ゲゲルの掟セット」のタトゥ一覧を見るとズ集団は全部で12人なので数は合っているかのようにも見えるが、この時点ではまだガルメがズにいるので、やはり1人足りないのだ。タトゥをきちんと対応させて見てみると分かる。
実はメ集団も未放送個体のうち9体ほどが書かれていないので単なる漏れという事もありうるが、メは数が多いから次ページにあるのだとしても、ネズモ1人を足すくらいのスペースは十分にある。明らかにズとメで数を揃えて12にしていることを考えると、この時点では各集団ごとに12人ずつの設定だったのかもしれない。9進法でキリがいい訳でもないので、どっちにしろ謎ではあるが。今回のバヂスがきっかり15分おきに殺害したように、どうやらグロンギにも人間のそれと似た時間の概念があるっぽいので、場合によっては12進法(12時間,12ヶ月)も併用していてキリがいいと感じる……のかもしれない。

・博物館とアークルの由来
水族館に続き、今回は博物館。戦闘民族の割にめちゃめちゃ文化的な場所にたむろしてるのが微妙に笑えるんだよな。毎度のことながらどうやって入ったんだか。
"アークル(Arcle)"の語源について言及してるテキストを僕は寡聞にして知らないので、少し考えてみた。すぐ思いつく中で一番それっぽいのは、サークル(Circle)かな。アマダムは丸い霊石だし、玩具的にもタイフーンよろしく前面部分がぐるぐる回るのはイチオシのポイントだろう。タイフーンは完全な円ではなく扇風機のように扇形をしていることを思えば円弧(Arc)ともかかる。多くの人に「わかる!」とはならなそうだが、個人的にはアーキタイプ(Archetype)なんかも似たものを感じる。なんとなく古そうなイメージがあるし、ユングの唱える元型として捉えると集合的無意識と繋がって「意志の統一」のニュアンスが付属する。クウガという作品は五代が周りの人間、果ては視聴者を"説得"していく物語でもあるので、当たらずとも遠からずといったところだろう。語源を遡ると、古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスが"万物の根源"を指して使ったアルケー(Arche)という概念に辿り着く。「時代をゼロから始めよう」なんて標語を掲げて平成ライダーシリーズの嚆矢となった番組としては、無関係だとは思えない。更にはキリスト教においては、このアルケーは「はじめにロゴス(言葉)ありき」という有名な文言で説明されており、グロンギ語を始めとして様々な作中言語を扱い、"文字の解読"を中心に話が進み、クウガの体中にも古代文字がデザインされているのだから、意識しているに違いない。アークエンジェル(Arch-angel)のように、"支配者"的な意味を持つこともある。ちなみに今回この話をしたのは、ペガサスボウガン(Archery)が出てきたことも関係している。
寄り道が長くなったが、本題はノアの方舟(アーク)についてだ。最近ゼロワンがやってたことを差し置いても、クウガ自体にキリスト教的な要素が多分にあることを考えると、これを連想するのは不自然なことではないと思う。先代のクウガは意図してなのか仕方なくなのか、グロンギを滅ぼすことなく封印という形で現世まで"大事に保管"していた訳なので、見ようによっては方舟的だと言える。
水族館も博物館も良し悪しとは関係なく「こういう生き物がいる(いました)」という事実の保存を目的とした施設なので、グロンギも学術的興味対象として存在を許されるのかもしれない。
ギギザソグいいだろう」の直後、明らかに照明さんが動いて骨の影を動かす演出がなされてるので、この辺はリアリティについて真面目に突っ込むようなシーンじゃないんだろうね。

 

設定

タイムパラドックス
「(なんとなく)一緒の方がいい気がした」と言われてわざわざ千葉くんだりまで来て、自己紹介も振るわず好奇心も否定されて散々な五代。唯一まともに手に入ったのは「ハチの怪人かもね」という情報だけ。だがちょうどそこへ未確認事件の連絡が来て、ちょうどよく地図もあって、バヂスの行動パターンを見破れるというシーン。
そもそもなんで15分おきに螺旋状なんだというのは、些末なことだ。劇中では一切説明されないが、調べたところハチはもともと対数螺旋状に飛ぶ習性があるらしいのと、インターバルについては前言撤回になるが、グロンギに正確な時間の概念があると考えるよりも、おそらく針の回復時間がたまたまそうだったのだとするのが一番収まりが良い。有名なサイトは、何故か足並み揃えたようにその可能性に全く触れていないが。

バヂスは最短でゲゲルを進めるせっかちさんだということで、問題なのはこの一条たちの推理シーン。螺旋状に気付くのはいいとして、現実的に考えたら「きっかり15分おき」なことに気付けるはずがなくない? まずもってバヂスの気分次第で誤差が生まれ得るということを棚上げしても、そんな都合よく目撃者がいて、都合よく分単位まで正確に通報してくれる訳がなかろう。申し訳程度に「"ほぼ"正確」と言われているが、第一描写の上ではグロンギが規則的な動きをすることなんて今回が初めてなのに、不正確な情報「(例) 11:38→00:02→00:09→00:18」からそんなことまで見抜けるのは発想が飛躍しすぎ。2件目は発見が遅れ、4件目は通報者の時計が早くズレていたという仮定。
あくまでも2人は「神の視点からの正確な情報(11:37→11:52→00:07→00:22)」を元に推理してるから、そういう可能性をパスして答えに辿り着けるのよね。「緑は50秒しか保たない」もそう、時間測るどころか苦しんでたのに、そんな正確に分かるはずがない。五代たちは脚本の都合で、分かることを強いられているんだ!(ヘボットネタ)

更に言えば、ここで付けられている印は全部で12個。もし本当にずっと等間隔で殺していたのだとしたら、逆算していくと1件目が起こった時刻は09:37ということになるのだが、一条が事件を聞きつけたのが08:45分過ぎ、現場検証の場に到着したのが09:27なので、事件発生前に呼ばれてることとなり明らかに矛盾する。地図上に書かれた螺旋はロールケーキかってくらいざっくりとしたものなので、渦の中心が潰れて見えなくなっている訳でもない。
あの印は一条が電話口で聞いた喫緊の事件を書いただけであって、事件自体はもっと前にも起こっていた……としようにも、今度はその後に映ったバヂスのグゼパが邪魔になる。9つの玉が4-5に分かれているので、12にひとつ足した13人、つまり9進法の"14"を数えていると見るのが最も自然。推理シーンを根拠に、市民は事件があったらすぐさま気付いて通報する(警察は即座に気付ける)のだと仮定した場合、連絡のあった08:45に最も近い08:37か、その次の08:22あたりが本当の1件目ということになる。過程は省略するが、グゼパの1の位は前者なら8,後者なら0なので、どちらにせよ4-5の形にはなり得ない。ひとり殺したらひとつ動かすというだけの至極単純な作業なので、まさか数え間違いということもなかろう。
ちなみに劇中で動かしたのが2桁目だという可能性はもっとない。算盤を使ったことがある人なら分かると思うが、数を繰り上げるときは同時に前の桁の玉をリセットしなければならないのにその様子がないし、実際「ボンバズパこのかずはクウガ(クウガはリント27人分でどうだ?)」のシーンでは上側が1の位として使われているからね。

しかもドドゾで経過報告をする場面では、「9(記号)1 4」と表記しており、あの記号が✕に相当するものならば、9✕1と4でグゼパとは合致する。もしも「9✕1✕4」だとしたら9進法では40なので1桁目がゼロになる1件目08:22分説に信憑性が出てくるが、わざわざ✕1を挟む意味もないので無理があるだろう。
オッカムの剃刀で言うなら、9進法で使うならグゼパの球は8個あれば十分なんだけどね。繰り上がりをカウントするための2本目3本目を使わないのであれば、別にあれでも問題はないから、兼用してるが故のものかもしれないが。この話は多分後々また詳しくするので、今は何言ってるかよく分からなくても最悪いいです。

 

 
"どうでもいい"けど、8話で一条が母娘を助けた現場の近くにあった菱形という特徴的な形をしたランドマークは、千葉ポートタワーというらしく、そこから実加たちのいた富津岬までは、車で1時間以上かかるほど離れている。一条が時計で15分のインターバルを確認して「来るぞ!」と言っていたのであたかも直後の出来事かのように思わされていたけど、この2つのシーンの間に3発前後……少なくとも1発は確実に撃たれており、グゼパの玉も動いているので明らかに死人が出ている。
あと0号に親を殺された実加の目の前で、世間的には同じ未確認という扱いの4号に変身しちゃっていいの? 感情的にも、情報操作的にも。そりゃ視聴者にとって分かりきってることを説明するのは段取りくさいし話として締まりが悪くなるのは分かるけど、そこを触れずに流しちゃったらよく言われてる"リアリティ"は下がると思う。
本当にリアルかどうかじゃなくて、観客が語り手を信頼して説得力を感じるかどうか、という意味のね。操作状況やグロンギの集会をだらだら流すくらいなら、これらもきちんと映すべきでは。

 

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