やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

仮面ライダークウガ EPISODE3「東京」 感想

 キャラクター

 五代雄介
・ちゃんと関わる
言うは易しだけれど、実際のところこれってなかなか難しいものがある。「こんなの聞いてない」と泣き言を漏らさずにやりきるなんて、それこそ半端な覚悟じゃできない。
夫婦関係に例えると分かりやすいと思うんだけど、中途半端にせず相手のすべてを受け入れて付き合っていくことが、どれだけ大変か。多くの人はそこに子供という鎹(かすがい)を生み出すことで、"責任感"の鎖でもってなんとか繋ぎ留めてるんだろうけど、それでもなお離婚する人というのはいる。
うちの父親は聞く限りにおいては、母が精神病にかかったのが理由のひとつで離婚したらしい。実際どんな感じだったか知らないことや、僕自身も精神科に通っているからというのがあるかもしれないが、なんで病気になった人を切り捨てるなんてことができるのか、不思議で仕方ない。そういう時こそ支え合うべきなんじゃないのか? しかし調べてみたところ、重度の精神疾患は法的に離婚事由として認められているらしい。
もう少し踏み込むと、僕は不倫も少し認めている。特に『キバ』のゆりについては声を大にして言いたい。彼女は「フラれた」んじゃなくて「フった」んじゃん。音也は「2人まとめて愛してやる」だけの度量があって、真夜に惚れた後でもゆりへの愛がなくなった訳ではなかった。それを踏まえた上で、ゆりはその関係に耐えられず、或いは音也の幸せを願って、自ら身を引いたのだ。それを「フラれた」なんて言葉で表していいものか。
話が逸れているように見えて、軸はブレていない。ゆりは音也の恋愛観(二股の肯定)を受け入れられず拒絶した。それを即ち狭量だとかと言って責めることはできないしするつもりもないが、少なくとも比較して相対的に見る分には、この文脈で言うところの"中途半端"に該当させることができることはひとつの事実ではある。

・お願い
精神的にも身体的にも相当疲れてるであろう沢渡さんに古代文字の解読を依頼する様は、見ていてあまり気持ちのいいものじゃなかった。グロンギという化物に襲われて、その上ある意味では五代のせいで一晩眠れないほどの心配(変身したまま戻れないんじゃないか)をかけたにも関わらず、だ。
自分が大丈夫だからって他人も大丈夫だと思い込むというのは、1話でした「同じ目線に立つ」ことの負の側面にも見える。今回はきちんと沢渡さんが断ったからいいものの。

・長野↔東京
サブタイトルが"東京"だし、何故か会話の中で強調されてるし、何か意味があると思うんだけど……分かんない。重要なのは長野という"舞台"であると五代も一条も思ってるみたいだけど、東京で人の悲鳴を聞いた五代は助けに行った。その結果として、クウガは警察に攻撃されそうになった。
重要なのは心持ちであって、それ次第で東京でも"色々"は起こり得るよってことなんだろか。もちろんグロンギ側のそれも含めて。
電車って不思議な乗り物で、乗ったところと降りたところが頭の中で地続きになりにくいのよね。単純に距離が長いことや、運転するのが自分でないこともあるし、携帯見るなど自由に別のことができることで"道のり"を意識することがほとんどないというのも、ある。すると自然、「あっちとこっち」みたいなアバウトな認識になる。海老沢さんがグロンギのことを「この世のものとは思えない」と表現していたのも彷彿とさせる。


 一条薫
・秘匿
五代の正体を隠す理由、明言して欲しかったな。隠したことによってクウガが警察に狙われるっていう結構まずい事態になってる訳だから、そこの一条の正当性はきっちりしといてもらえると見やすい。まだこの時点ではグロンギにもB何号と呼ばれる人間態があることは正式には確認されてないはずだし、クウガが人間なんだと示すことにはある程度の意味があるよう思う。

・再び
その後のことだけれど、ゴオマに襲われかけたところをバルバに「助けられた」と取ると、この出来事によって、五代だけを「未確認っぽいけど助けてくれた」という理由で特別扱いすることができなくなってしまったと捉えることができる。


 グロンギ
・環境の変化
タイムレンジャーの圧縮冷凍について似たようなことを言ったけれど、彼らにとっては目が覚めたら世界が一変していて、それこそ浦島太郎のような気分だろうな。
人間の文化を学ぼうとしてるのは"溶け込む"ためだろうか? なんだか不気味。ガルメとバヅーは割と迎合的なのに対して、ザインは喧騒に苦しむ様子が描かれた。自閉傾向のある人間としては、あの感覚にはどちらかといえばむしろ共感を覚える。都会はとにかく目や耳に飛び込んでくる情報量が多過ぎて、くらくらするのよね。調子のいい時は平気なんだけど。
(参考:未来戦隊タイムレンジャー Case File1「時の逃亡者」 感想)

 

設定

・類似
グロンギは人間に極めて近い種であるみたいな話、エヴァでもほぼ同じようなシーンがあったと思うんだけど、別に何か元ネタがあったりするんだろうか。
それはそれとして、「しかしまだ決まった訳じゃないだろ(06:42)」と言い出したのを聞いたときは、思わず笑ってしまった。
もしかすると読んでる人からしたら最早懐かしい話かもしれないけど、これを書いている現在コロナウイルスってやつが絶賛流行中で、そこかしこで体温をはかるように言われてるんだけれど、基準とされている37.5℃の表記が出た時に限って、人はそわそわとして「何かの間違いかもしれない」ともう一度はかりなおすのよね。酷いと、2度目は少し下回ったからと見なかったことにされることも。本当はない熱があると表示されるミスより、本当はある熱がないと表示されるミスの方が絶対にまずいのに、セーフだったときはやり直そうとしない。そもそもあの非接触ではかるやつ、どこまで正しいんだか眉唾ものというか、うちの近くのなんかは恒常的に35℃台を出し続けていて、その体温計で36.8℃なんて出た日には「本当は37.5℃あるんじゃないの?」と思うけど、多分みんな思ってても口に出さないんだろうね。「大丈夫」ってことにしといた方が、近視眼的には波風立たないし。結局のところあの検温に期待されてるのは「正確な熱の有無」ではなくて、「熱がないという安心」なんだろうね。それ以外の答えは求められてないし、想定していないことも多い。確かにわざわざ来た人に対して「帰ってください」とは言いづらいけど、その"もしも"から目を逸らしてたら意味ないのにね。「検温はしてたのに何故か感染した。人事は尽くしてたので仕方ない」という言い訳にはなるけど。
クウガ作中においては、どう見てもそっくりなグローイングフォームとマイティフォームを峻別していて、ここだけ見れば「希望的観測をせず、最悪を想定している」ようにも見える(2号と4号を同一視して計6体だと思ってたのに実は別個体で7体だった……よりはマシ)が、第一声があれなので、そういう考えがあってのことというよりは単に「彼らには別物に見えた」というだけの可能性も感じる。どっちにしても、だからといってリアルじゃないということにはならないとは思うけど……クウガ見てると果たしてリアルとは何なのか分からなくなってくるな。

・日数経過
僕としては、細かい時刻なんかよりも日付の方を優先して表示してもらいたいものだと以前に言ったことがある。
冒頭で一条さんが目を覚ました描写が、2話からあんまり時間が経ってない(朝から一眠りして昼)ように見えたんだけれど、ザインとバヅーがそれぞれ岐阜,愛知にいたらしいにも関わらず今回既に東京にいることを踏まえると、もう少し経っていると考えた方が僕の感覚としてはしっくりくるのだけれど、どうだろうか。
長野から岐阜,愛知まで、そこから更に文京区まで、直線距離で考えたとしても300km弱はあるだろうか。常人だと、仮に休まず歩き続けることができたとしても、2日半ほどかかる計算になる。
思考停止して「グロンギなんだからどんなことが起きても不思議はない」とすることは簡単だけれど、それはコンセプトに反するので採用せず、とりあえず疑ってみることにする。グロンギとは言え、無尽蔵に体力があるとは限らない。瞬間的に人間の何倍もの力を発する分、むしろ燃費は悪くたっていいくらいにも思える。事実光に弱いゴオマはともかく、ゲゲル関係なく暴れるほど血の気の多いグムンが、「初めて体力消耗した」と言うほど力に慣れていなかった五代(11時間の睡眠で回復)よりも長く大人しくしていた(撃退から再登場までおよそ36時間)という事実からも、それは察することができる。彼らにも疲労や消耗という概念はあるのだ。
しかも、野生の動物というものをめっきり見かけなくなったこの現代日本において、彼らが騒ぎを起こさずに食糧を入手する手段というのは、こっそりゴミ捨て場を漁るくらいのものではないだろうか。まず狩りという手法がアテにならないことに気付く必要があり、その上でこの社会における食べ物が手に入る場所を発見しなくてはならない。第一ゴミ捨て場の残飯にしたって、野良猫1匹や2匹分くらいは簡単に賄えても、人間大の生き物が生きていくだけの量を集めるには相当大変な労力が要るのではないかと考えると、彼らが元気に移動できる時間というのは限られてくるように思う。
まぁそれでも、本当に無駄なく移動したなら矛盾と言えるほどの大きな瑕疵にはならないかもしれないが、そもそもの話、一番謎なのはバルバの動向なのよね。おそらく足が特別速い訳でもあるまいに、好き勝手に散らばっていた連中にいちいち東京へ向かうよう指示を出していたとするならば、このほんの数日(ダグバによる復活から集結まで2日半)の間に、かなりの距離を探し回っていたことになる。
仮にグロンギ達の居場所はラ集団として何かしらの方法(ってなんだよ)で分かるのだとしても、微妙なところ。というか、長野にいたゴオマが最後になってることから考えて、位置が分かるというのはないかもしれない。「グロンギは価値観が違うので近いところから回らない」と言われたら「あぁそう」としか返せないけども。
薔薇を介して遠隔通信でもできるなら話は別だが(そんなのアリか?)、そうでもないなら彼女の神出鬼没さを納得することはなかなか難しい。

・メビオ
彼女はなんと、最高時速270km/hで走れるらしい。にも関わらず、ただのチンピラがバイクで40分近くも逃げ果せたらしい。ニコニコ大百科には「残った一人は恐怖におののいて、バイクで逃走するもメビオの快足には敵わずあっという間に追い詰められる。」と書かれていて、やっぱり殆どの人は時刻表示なんか真面目に見ちゃいないんだなぁと。そもそも交通量の多い都内で最高速度出して爆走してたら絶対事故る上に、グロンギはそんなことお構いなしで追いかけて来るという状況で40分耐えるって、どんな猛者よ。一応暴走族っぽいので慣れてるのかもしれないけど、それにしたってさ。メビオは細かいカーブが苦手とかそういうことなんだろうか、文京区内から出てないし。トライチェイサーをすごく見せる為の足の速いメビオなのに、果たしてこれはいいのか?

 

 

僕も本気で「時刻の整合性が合ってない」とか言ってる訳じゃないのよ。一番時間を割いて気を使うであろうこの序盤で、そんな簡単にボロが出るとも思えないし。
でも、クウガを真面目に批判してる人って本当に数えるほどしか見たことなくて、「出来がいい」というのが"正しい"見方で、それ以外は目が節穴なんだみたいな空気を、僕は勝手に見出しているので、そこには疑問符を立てたくなる。
こうやって「もしかすると間違ってるかもしれない」という可能性を示すことで、これまで脳死で正しいと信じ込んでた人たちも、きっと僕の意見を否定するために自分の頭で考え出すでしょ。そうなれば本望。

 

クウガ感想一覧

前話
仮面ライダークウガ EPISODE2「変身」 感想

次話
仮面ライダークウガ EPISODE4「疾走」 感想