やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

JIN-仁- 完結編 第五話 感想

キャラクター

 南方仁
・「お初ちゃんが成長すると、俺じゃない俺が生まれる?」「DIC!? なんで……なんで! なんで! 戻ってこい……お初ちゃん、お初ちゃん! 戻ってこい!」
お初が救かると仁自身が生まれなくなるという可能性を目の当たりにしつつも、お初を救おうとする。未来の時は野風を見殺しにしようとしたことと矛盾する気がしたが、"他人を助ける"という点で一貫している。未来の件はどちらも謂わば他人であり、あちらが立てばこちらが立たずという状況に置いて、歴史に逆らわぬ方を選んだだけであり、仮に自分が死ねばどちらも助かるとなれば、仁は自分の命を諦めていただろう。
・「私は何かを変えることなんかできないし、そんなことを望んでもいない。神はそれを改めて知らしめたんじゃないでしょうか」
今回は納得のいく描き方だった。仁の体が消えたのだから仁にはどうすることもできないし、普通ならば有り得ないDICが起こったことも合わせると、偶然と考えるよりは神か何かの思惑だと考えてしまうことの方が自然だと思える。
・「鉛中毒の治療には、通常キレート剤が使用される。だが、この時代にキレート剤を作り出すのは不可能だ。となれば、生薬を調べてみるしかない」
やっとと言うべきか、漢方との協力らしきことを見られた。これまでも一応内科医として働いてはいたようだが。
・「束の間の延命、もしかしたら、延命にすらなっていないのかもしれない。こうしたことで、命を縮めた可能性すらある。だけど、この瞬間には、長さでは語れない命の意味がある。残された時間を輝かせるという、医療の意味がある。世代を超え、受け継がれていく芸のように、世の営みを超えていくもの、歴史の修正力に抗えるものを、俺も残したい」
医療の目指すところは何かを再確認するシーン。エグゼイドにはなかったもの。

 

 橘咲
・「延命だけではいけないのですか? 全ての医術は所詮、延命にしか過ぎぬのでございませぬか? 未来が如何に進んだ世かは存じませぬが、人はやはり……死ぬのでございましょう?」
咲さんまだ若いのに、いつも肯綮に中る発言をするよね。

 

 

 

母に「いくら病院へ通っても、本人に治す気がなければ意味がない」と言われたことがある。
うろ覚えだが、先日カウンセラーさんも「医療の根本は自己実現の手助けだと思う」と言うようなことを言っていた気がする。
"インフォームドコンセントは重要"だとかそういう次元の話ではなく、そもそも医療と言うもの自体が患者のために存在しているのであって、医者の「治したい」「助けたい」という気持ちは然程重要ではないのかもしれない。
学問としての医はまた違うかもしれないが、少なくとも臨床的な場面では、医は手段のひとつであり、目的ではない。
患者がどうなりたいか、それに当たって何が障害となるのか、それを取り除く方法として医術があるだけのことであって、「命が大切だから助ける」というのは目的と手段の逆転に思えた。
自殺の否定というのは"自殺に追い込まれるほどの嫌なこと"の改善を目的としているのであって、仮に全てに満足して自ら死を選ぶ人がいたとすれば、それを助けようとするのはエゴ以外の何物でもない。とはいえ死にあたって苦しまないということもないだろうし、苦しければそこから逃れたいと思うのが人であろうが。
そんなことを考えさせられた。

 

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