やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

被害者の論理(1/3):トーンポリシングについて

最初に言っておく、僕は被害者ヅラする奴が嫌いだ。ただ自分もよく使う手法だったりするので、基本は同族嫌悪のようなものだと思ってもらえばいい。

 

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トーンポリシング」……僕も用語自体は少し前にTwitterで流れてきたのをちらっと見たぐらいものなのだが、概念自体は言語化されないままで頭の中にあった。
簡単に言えば、そのまま"語調の取締り"となるのかな。主張の内容ではなく、その表現方法、主に感情のままに出る汚い罵りを批判すること(を主に否定する文脈で使う言葉)だと僕は認識している。ここではそのような意味でこの用語を使う。

 

はっきり言えば、トーンポリシングは至極真っ当なことだと思う。
理由は3つ。
1つは「汚い言葉を使われると気分が悪くなる」という聞き手の感情を抑圧することになりかねないという点で、自己矛盾しているから。
簡単な話だ。感情のままに「バカ」だの「アホ」だの「殺す」だの言うことが認められるのに「言葉を慎め」と言うことが認められないというのは理屈として成り立たないだろう。「死ね」って言われても相手が死なないように、嫌なら言うこと聞かなきゃいい。

 

もう1つは、例え何か別件においての被害者でも、悪いことをすることは悪いことだから。誹謗中傷や"大げさ"と捉えられるような発言は侮辱罪だか名誉毀損罪だか知らないが、とにかく悪いことであることに変わりはない。その内容が事実だろうと、だ。特に自分の被害者性を主張するのに司法や道徳を根拠にしたいのなら尚更。

 

最後は、実際に取り合ってもらいにくくなるから。
トーンポリシングの是非は一旦置いておくとしても、そういう用語が生まれ批判の対象になっている以上、感情のままに発言をすると内容から話が逸れやすくなるのは事実であろう。もし"聞いてもらいたい"、"解決したい"なら、当然言葉は選ぶに越したことはない。

ただ自分が言いたいだけとか、理性的な議論をそもそもする気がないのならば、トーンポリシングはほとんど意味をなさない。聞き流せばいい。

 

「なくなるべきであるトーンポリシングをなくせば気を使う必要はないのだから、先にトーンポリシングを批判してなくす」というのも分からんでもないが、はっきり言って無理だと思う。
そもそも、トーンポリシングされる側というのは前提として自分を弱者だと言っている場合が多く、その前提に則れば、弱者が強者を無理矢理変えるのはまず不可能なことくらい想像に難くない。
弱者が強者を変えたいのなら、強者を納得させ強者が自ら変わるように仕向ける必要があると思う。
力ずくで変えられるならとっくにやっているだろうし、例え変えられたとしてもそれは立場が逆転しただけで「強者が弱者を虐げる」という構造自体は何も変わらない。
だから結局、このトーンポリシング批判というのはどこまでいっても矛盾を孕むことになると思う。

 

そう、トーンポリシング批判は理屈じゃないのだ。「感情と理性が共存できないなんてことはない、我々は怒っていても理性的だ」みたいなことを言っている人もいるが、パラドックスを容認する姿勢が理性的だとは、少なくとも僕は思わない。理性的でないことが必ずしも悪いことだとも言わないけど、場に適してるかどうかくらいは考えた方が自分のためになるんじゃない。

 

 

 

翻って、トーンポリシングされるような行為やトーンポリシング批判をやめるべきかと問われたら、僕はそれも違うと思う。
感情は人として欠かせない構成要素だろうし、多くの場合は感情的な問題を解決するために理性が必要なのであって(所感)、そういう意味では感情の方が理性よりも優先されるべきものだとも言えるかもしれない。

 

これは僕の根本的な考え方なのだけれど、好きにすればいいと思う。
感情のままに悪口雑言を言うのは勝手にすればいいが、その結果訴えられたり、刑罰を受けたり、トーンポリシングの対象になったり、主張を取り合ってもらえなかったりするかもしれない。そこをきちんと理解した上で、自分がどうするか決めればいい。
「他に言い方あるんじゃない?」「そんなんじゃまともに聞いてもらえないよ」なんて言葉に物理的拘束力がある訳じゃなし、結局は自分の意思通りに行動することができる。それを分かった上でトーンポリシングに文句言いたいならそれも好きにすればいい。僕はきっとそれを批判するだろうけど、構うことない。

 

ご存知かもしれないが、仮面ライダーエグゼイドの感想記事にて、僕はいつも「アホ」だの「クズ」だの言いまくっている。そんな僕がトーンポリシングを肯定するのは矛盾していると思われそうだが、つまりはこういうことなのである。
まぁ、永夢や飛彩やポッピーは実在の人間ではないので人権もないし、そもそも罪悪感のようなものがほぼないってのもあるんだけど、それを抜きにすると、確かに汚い言葉を使うことは良いことではないとは思う。が、このブログの目的は"読んでもらうこと"や"共感してもらうこと"ではなく、"僕が気持ちよく書いて発信すること"にあるので、それでいいのだ。

 

いい機会なので"男女"についても語ろうかと思ったが、趣旨がズレてくるので別の記事にする。

被害者の論理(2/3):性犯罪等について - やんまの目安箱