やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

差別問題のズレと核心

withnews.jp

yuhka-uno.hatenablog.com

最近、この2つの記事を読んだ。どちらも面白いので一読をおすすめする。
ただ、自分的には下の記事からもなお多少のズレを感じたので、書きたいことをばばばーっと書き連ねてみる。

 

 

 

差別問題のズレ


「"差別"という言葉が分かりにくい」……ズレの原因はひとえにこいつだと思う。

差別……価値判断や先入主・偏見による扱いの違い。また、そのように扱うこと。(新明解国語辞典 第二版より)

 

"人によって扱いが変わる"ことなら溢れるほどある。年齢で分けられることもあれば性別で分けられることもあるし、学歴で分けられることもあるだろう。それらは事実だろって言われそうだけど、その事実を元に例えば「この年の子にはまだ早い」とか「男性は力があるから」とか「中卒は駄目」みたいな価値判断とか先入主とか偏見とかが出てくる。
老人だから席を譲ってあげよう、なんてのも上の定義には当てはまる。
じゃあそれらが全て差別として糾弾されるべきかといえば、そうでもないよね。

 

では"何かに嫌悪感を抱く気持ち"が糾弾するべきものなのだろうか?
僕はこれも違うと思う。まず言っておきたいのは、人種とかLGBTとか障がいとか、そういったある種分かり易い特徴を持っていない人に対してだって普通に嫌悪感は抱くということ。「自分に嫌がらせするから嫌い」のような共感の得られやすいものから「挙動が気に食わない。見ているだけで腹立たしい」みたいな、それこそ差別だと非難されそうなものまで、僕の頭の中には色んな感情がある。
"自分と違う"ことじゃなく、自分と同じだからこそ抱く同族嫌悪なんてものもある。

 

そろそろズレてるのはお前の方だ、なんて思われてそうだから本題に入ろうかな。

 

 

 

差別問題の本質


じゃあ糾弾されるべき本質は何かと言えば、「人を傷つけること」だよね。
別にそんな有り難い話とかないすよ。当たり前のことを言うだけ。LGBTの人が気持ち悪いみたいな気持ちと、クラスのあいつが気に食わないって気持ちと、誰々が好きみたいな気持ちの間に優劣や良し悪しなんてないでしょ。思っちゃうもんは仕方ない。人間プラスの感情だけ持って生きれはしない。
ただ感情のままに誰かを傷つけるようなことをするのは、駄目だよね。

 

なんていうか、みんな難しく考え過ぎだと思うんだよね。"差別"なんて冠をつけてるからかな?
「嫌がらせ」とか「押し付け」とか、そういうのでいいと思うんだよなぁ。 
もちろんこれは上の記事で言われてるポリコレ棒ってやつも含んでる。

「ポリコレ棒で殴られる」というが、差別されている人は、頻繁に「差別棒」や「偏見棒」で殴られている。「社会的に葬られる」と言うが、LGBTの人たちは、それこそ、周囲にゲイだということが知られると、仕事を失い、家族にも理解されず、実際に社会的に葬られてきた。LGBTの自殺・自殺未遂率は、そうでない人に比べて高いことを示すデータは沢山ある。それに比べれば、この人の言っていることの、なんと甘ったるいことか。

だから、2つ目の記事はここの論理展開がとても気に食わないんだよね。差別だろうがポリコレだろうが棒で殴ったら駄目でしょ。そこを正当化したらおかしなことになる。将来的に起こるかもしれない逆差別を防ぐことができない。「LGBT差別」が「LGBTを生理的に受け入れられない人差別」になるだけ。

 

 

 

散らかっちゃったのでまとめると、あんまり難しく考えなくていいんじゃないってこと。
仮に頭の中で大量虐殺してるような人でも、行動に移さなきゃ一応無害な人。LGBTの人とかを気持ち悪いって思うならそれはそれでいいと思う。ただ実際に人を傷つけるのは駄目(故意の有無は関係ない)。相手が何をされると嫌なのかを知って予防するために"理解"が必要なのであって、理解しないことが罪な訳ではないと思う。