やんまの目安箱

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ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

バグスターに命があるという話について(仮面ライダーエグゼイド)

最終話まで見終わって本編に対するまとめを書いていたのだが、そういえば予告したのに書いていない記事があった。

・「良いバグスター」の基準
これについては……"パラドの躾"を確認してから1本記事を書こうと思う。

86ma.hatenablog.com

今回は簡単に済ませる。

 

 

 

「バグスターという存在はデータの体でありながらも人間と変わらない心を……人間と変わらない命を宿す存在でした。ゲーム病で消滅した方々も同じです。彼らのデータは確かにこの中に保存されています。そこには彼らの心があり今もなお命を宿しているんです」

 

本編では、永夢によってこのような結論が出された。この結論自体にとやかく言うつもりは特にない。あの世界の人間がそれで納得するならそれでいい。

さて、バグスターに心があるかを判断する基準は、おおよそ『人間の命を重要視するかどうか』だった。
ポッピーはCRの一員として活動してきたこと、パラドは人間を殺したことに対する心からの謝罪を根拠に、永夢は彼ら2人に「心が、命がある」と認めた。

 

自分はこの基準に懐疑的だ。
「人間」と「バグスター」が対等ではないからである。

 

この2つの種は、バグスターが生まれた時点で、お互いに『殺さないと生きられない』関係であることは自明だろう。
その上でポッピーとパラドは、仮にも人間全体を尊重すべき命だと認めた。よって心、命がある。
では永夢達人類はどうかというと、バグスターのうちポッピーとパラド(と元人間)のみを命と認めた。心や命は、基本的にあるのが前提。
……明らかに不公平ではないだろうか?

 

バグスターを生命とするならば、ソルティ達にも当然生存権を認めるべきだと思うのだ。
彼らが本当に『殺しても死なない』存在だったなら話はまた変わってくるだろうが、基本的にはそうではない。
むしろそう考えるとポッピーは自由に復活できる完全体なので、こいつこそ優先度的には低いはずなのだ。

 

まぁ普通はそこで『死なないなら殺してもいいの?』という話になるのだが……エグゼイドの世界では黎斗を殺すことはなんの問題もないらしいので、良いのだろう。たまに誤認している人がいるが、彼は悪人だから殺されている訳ではない。23話で永夢は『悪人だからと言って命は命だ』と明言しているから、彼が死刑をあまり快くは思っていないことは想像に難くない。残るは復活できるという理由だけである。

 

またバグスターが人間の脅威になるという前提も、見直す必要がある。漠然と"脅威"というのは簡単だが、原則彼らは一人しか殺さない(殺す必要がない)。もしこれが人間だった場合、1人の人間を"自分が生きるために"殺したとして、それですぐ死刑判決が下されるものだろうか? 少なくともその場で殺すほどのことではないようにも感じる。

 

まぁ今のは詭弁にしても、そもそもバグスターにとって完全体となる(人を殺す)ことにメリットがあるようにはあまり思えないのだ。空気に触れたら死滅してしまうなんてこともないし。
パラドが良い例である。彼は完全体ではないが、何不自由なく生活していた。
また黎斗や貴利矢を見るに、人間に感染せずとも自己を持った存在として生活もできるらしい。
説得、極論リプログラミングをすることで、容易に人間と共存することは可能に思える。元はといえば人間を襲って完全体になるという思考ルーチンを組み立てたのは黎斗だし、その洗脳から解放するのだと捉えれば、永夢に躊躇する理由は一切ない。

 

 

 

まとめ

エグゼイドの物語的に、当初インタビューで語られていたような「ひとつしかない命」と「コンティニューできる命」と言う対比はなんの意味もなしていなかった。彼らが意見を交え議論したことは、思い出す限り一度もない。押し付け合いならあったが。
精々、「苦しみたくなければ強いやつに気に入られるようにしろ」っていうメッセージなら伝わってくるかな。