やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

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はじめましての方はこちらをどうぞ。記事数だけは無駄に多いので、索引的なものです。

ブログ1周年の振り返りとおすすめ記事

ブログ2周年の振り返り

 

エッセイ

 Twitter等で見かけた話題について、何か思うことがあったら書くカテゴリ。メインコンテンツである作品の感想とは読む層が違いそう。

 

特撮

ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

戦隊

――ルパパト

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

――アギト

―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

―――アギト感想一覧

――龍騎

―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

―――龍騎感想一覧

――555

―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

―――555感想一覧

――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

――響鬼

―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

―――響鬼感想一覧

――カブト

―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

―――カブト感想一覧

――電王

―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

―――電王感想一覧

――キバ

―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

―――キバ感想一覧

――ディケイド

―――仮面ライダーディケイド暫定的まとめ

―――ディケイド感想一覧

――エグゼイド

―――手品のような作品『仮面ライダーエグゼイド』 本編感想

―――エグゼイド感想一覧

――ビルド

―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

―――ビルド感想一覧

――ジオウ

―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

―――ジオウ感想一覧

――ゼロワン

―――ゼロワン感想一覧

 

まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

魔進戦隊キラメイジャー エピソード3「マンリキ野郎! 御意見無用」 感想

キャラクター

 熱田充瑠
・我慢の悪さ
確かに、いいことばかりとは限らない。風邪っぽいの我慢した結果インフルエンザで人に感染しちゃったとか、過労で倒れた結果適度に休みを取った方がよっぽど良いくらい休むことになったとか。
でも今回の場合、少なくとも前半は我慢してなかったからと言って特に何かが好転する訳でもないのよね。騒ごうが騒ぐまいが痛いもんは痛いし。
本音を話してくれなくて寂しいというのは分かるし、これから戦っていく上で信頼関係を築くのは重要なことだとも思うけど、人に対して「スタンスを変えて欲しい」と言うなら、もう少しそういう根拠を明確に話した方がいいんじゃないかな。
個人的には、何事も我慢しない方がいいと思うけど。ここでいう我慢には今回の時雨はギリギリ入らなくて、重要なのは「周りが状態を分かってるか否か」。以前ゼロワンの感想で話した「情報のユーティリティ化」という概念と通じてくる。
撮影中に足を怪我してたってことを周りがきちんと知っていれば、必要のない我慢は減らすことができたはずなのね。それこそ今回ドラマの進行を変えたように、みんなで知恵を絞れば不自然にならないで足に負荷をかけない撮り方ができたかもしれない。にも関わらず"無駄"な我慢をすることは、あまり良くない。
時雨は我慢した自分かっこいいと思えるかもしれないけど、周りの人間は後からそれ知ったら「気付かずに無理させてしまって申し訳無かったな」と思うかもしれない。本当に自分の中だけに留めておくならともかく、武勇伝のようにべらべら喋ってるんならそういうことは十分起き得る。
「頼りにして貰えない」って、結構寂しいことよ。
この間知り合いから「寂しくて泣いてる」って連絡が来たから「今から会う?」って提案したんだけど、遠慮なのか何なのか断られた。無力感みたいなものをすごく感じたなぁ。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第23話「キミの知能に恋してる!」 感想)

 

 射水為朝
・割と好印象
前回と比べると共感できる主張だったし、「文句だけは一丁前だけどじゃあどうすればいいの?」に対するアンサー(時雨は戦闘に出さない)もきちんとあって良かった。代役ンもいる訳だし、ラグビー邪面のように「時雨じゃないと倒せない」局面でもなかった。
……ただ、対する充瑠のアイディアが「連携する」という大したことないものだったので、そこだけは惜しいかな。「一人の穴を他の4人で埋める」というのは"既出"のものなので、そこはむしろ為朝が言い出して、前回の名誉挽回してくれたら更に良かった。青メインなので仕方ないけど。

 

 押切時雨
・心情が分かりにくい
やせ我慢の代償(?)としてドラマの流れを大幅に変更したけれど、「機転を利かせ、動けないことをうまく利用した」のか「動けないことを誤魔化すために、当初の展開を諦め妥協した」のか、ちょっと分かりにくかった。「このタメが良いんだ」というのがやせ我慢という文脈のせいでただの強がりに見えてしまって、自分の体裁を気にしてドラマを疎かにしているようにも。結果的に後半で足手まといになってしまう描写も相俟ってね。
一応冒頭でスタッフのためにっていう部分も描かれてるので好意的に捉えることもできるんだけど、それも含めてかっこつけてるだけで本当は違うのだと見なすこともできてしまう。結局それ言ってるのもカメラの前な訳だし、いい奴に見せたいならあのセリフは一人のときに言ってた方がより効果的だったように思う。
・戦う動機
エピソードZEROを見ないと分からないと思われてそうだけど、見てもそんな分からないのよね。でもこの話で「単純にそれが"かっこいい"と思ったから」なんだろうなってのが分かった。
そういう意味では充瑠と同じだし、2人が共感し合ったのも頷ける。

 


合体後も魔進喋ったね。ごちゃごちゃするからてっきり黙るもんかと思ってたのに、技名とか叫んでてびっくりした。
それはいいとして、人を茶化して笑いものにするのはやっぱり見てて気持ちのいいもんではないなぁ。"内輪ノリ"なんだろうから僕が入れなくても不思議はないんだけど……イマジンズなんかは見られるのなんでだろう。謎だ。

 

前話

魔進戦隊キラメイジャー エピソード2「リーダーの証明」 感想

仮面ライダーゼロワン 28話「オレのラップが世界を変える!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・デイブレイク以前の或人
ゼロワンとしての活動以外の仕事として、デイブレイクタウン再建のために動いてたってのは普通に好印象だった。「頑張ってんだな」と。
改めて考えてみると、確か或人の父は彼が生まれてすぐに亡くなっている(墓石より)という話だったはずなので、彼が其雄と暮らしていた期間というのは、長ければ10年にもになる訳なのか。もちろん短ければ1ヶ月とかそこらの可能性もあるけれど、まぁ一人ぼっちの期間が長ければ長いほど短時間で強い愛着を持つというのはなんとなく分かるかな。
ひとつの分かりやすい事実として「デイブレイクのときに命がけで守ってくれた」ということが彼の信条の根拠として据えられているけど、実はもっと色んな経験が背景にあるんだろうね。都市計画ってそんな一朝一夕でできるもんではきっとなかろうし、そこそこ長い間ヒューマギアと共に仲良く暮らしていた実績があるんだろう。
・人間をどう思ってるのか
或人はヒューマギアのことばかり言っていて、人間に対する考え方があまりピックアップされない。
でも今回「悪いのはあんただろ」とか言ってたのを聞いて、なんとなく分かった気がした。ヒューマギアの自発的な暴走というのは、概ね人間の悪意に触れた際にしか起こらない。
つまり或人の「ヒューマギアはもう暴走しない」という無根拠な信頼は、同じく無根拠な「人間は本来みんないい人」という性善説を元にしている可能性がある。人間を信じているからこそ、人間がつくったヒューマギアも素晴らしいものだと思っているのではないか。
「人間をサポートする夢のマシン」という表現からも、人間を軽んじている訳ではないことがうかがえる。
前回福添達を助けに行かなかったのもそうだが、「人間の人権はもはや放っておいても誰かが守ろうとしてくれるので、自分はそうでないヒューマギアの方を優先的に守ろうとする」というのは、割と筋が通っている。
作劇的な視点でも「人間を守る」という描写はこれまでのシリーズで何度も何度も描かれてきたことだし、これからもお隣の戦隊や他のキッズアニメなどでも描かれていくことだろうから、わざわざそこをピックアップしなくてもいいと踏んだのだろう。
「人を守る仕事」をやりたいと思う人はたくさんいるだろうが、「ヒューマギアを守る仕事」はそうでもない。
プリンが人気だから自分はコーヒーゼリーで我慢する……といったように、1話同様、或人は周りの需要と供給を踏まえた上で「ヒューマギアを守る」という選択をしているのかもしれない。
僕が「ゼロワンは見た感じ批判が多いから擁護する方に回るか」と思ったのとも似ている。
愛されている者を守ることが正義なのか?
愛してもらえない者は唾棄すべきなのか?
この間僕は、消し忘れが多くて危険だからとストーブを没収された。忘れっぽいのは障害特性のひとつなんだけれど、だからといって火事になっても困るので、僕の権利は奪われてしまった。
だが、地活という福祉施設では、スタッフさんが責任を持ってストーブを管理してくれているので、僕はそこに行けば暖を取ることができる。
或人のやっていることって、そういうことなのではないか。

(参考:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)

・原稿
止めに入ったタイミングから察すると、相手の政治家のイメージを落とす方針自体は或人も承知の上だったと見るべきだろうか。
ヒューマギアの有用性とは関係ないところに論点をズラしていてコスい……とも思ったが、それこそ自治するにあたって汚職することがないというのをウリにするつもりだったのだろうか?
これらが結局は一長一短であることは、既に作中で描かれている。
不動産対決では"共感しないこと"について、「トイレを使わないし風呂にも入らないヒューマギアには本当に良いのかどうか確かめられない」という短所と「本人も予期しなかった新しい選択肢を提案できる」という長所、消防士対決では"共感すること"について「トリアージを無視するなどして不公平な判断をしてしまう」という短所と「かけがえのない誰かを助けることができる」という長所がそれぞれピックアップされた。
今回にもそのエッセンスは凝縮されている。

 

 福添トリオ
・TPOとは
彼らの言うことにも一理あるが、一理しかない。確かに常識としてスーツと呼ばれている格好や、格式張って本心の見えない喋り方が「良い」とされている流れはあるが、それ以外に利点があるか?
結局のところ飛電は勝ちたい訳なのだから、常識というのはひとつの基準でしかない。結果的にラップで勝つことができたならば、それはそれで「TPOに合っていた」ということに十分なる。
少なくとも僕は、不自然にかしこまった対応をするのが苦手だ。面接対策とか言って敬語の練習をするのも、馬鹿らしくて嫌いだったね。そんな採用されたいが為に作った嘘の敬意、嘘の自分でいいのか? 「表面すら取り繕おうとしないよりはマシ」というのは分かるけれど、裏を返せば取り繕わないといけないくらい、素の自分は敬意なんて持っちゃいないし綺麗でもないってことだよね。どうかと思うよ。
僕はホイップクリームの入ったメロンパンが好きなんだけど、大してクリーム入ってない癖にパッケージはたくさん入ってるかのように見せかけてるやつあるじゃない。それと同じ。むしろ、ギャップでがっかり感は更に増すということもある。
その"嘘"を付き通せるなら、少なくとも相手にとっては本当と変わらないけどさ。


 ゲスト
汚職
僕は必ずしも賄賂が悪いとは思っていない。
政治だって結局はコミュニケーションであって、国民の持つ色んな意見を戦わせて、全体の方針を決める営みに過ぎない。
法律だって元はといえば人の「安心して暮らしたい」という欲望の元に生み出されるものであって(というのは意見の割れる所だが)、贈収賄をしたがる欲と変わらない。
もし国民の多くが賄賂を認めよと思えば、法を変えることは不可能ではないだろう。というか、そうでないならば誰のための法なのかという話だ。
法律も賄賂も手段のひとつでしかなくて、例えば有能な人材が素早く上に登るためにコネクションを使うことは、果たして悪いことだろうか。僕はマキャベリストな部分もあるので、これに関しては全然悪いと思わない。
"The end justifies the means"だ。
死刑なんかは、国の持つそういう側面の権化と言っても過言ではない。あと正当防衛とかね。
「ヒューマギアを撤廃すれば人々が危険に晒されることもない」と考えてる人からすれば、この賄賂はむしろ喜ぶべきことのはずなのだ。

(参考:リーガル・ハイ 第5話「期限は7日! 金か命か!? 悪徳政治家を守れ」/『シン・ゴジラ』 感想)
・サクラ
これもなんとなく嫌な感じを受けるけど、実際のところ何が問題なんだろうね。
先導された民衆は無邪気に自分の意思だと信じて賛成してるんだろうから、まぁ飛電からしたら困ることではあるけど、自らの意思を信じる人にとっては、何も問題はないはず。きっと「自分はサクラなんていなくても賛成したはずだ」と過去の自分を正当化することだろう。
でも例えば「多くの人が賛成してたから、自分は反対だったけど公共の福祉のためにと思って賛成した」なんて言う人を想定したら、それは「騙された」と感じるかもしれない。
なるほど、"騙す"という行為は自由意志の存在を脅かすから不愉快に感じるのか。本当に強い自己を想定するなら「騙されたのもその人の責任」となるはずだけれど、そこまで受け負う自信がないんだな。

 

設定

・何故政治家になれないのか
弁護士と違って、ヒューマギアが政治家になることは法律で認められていないらしい。
以前『民衆の敵』というドラマを見てたんだけれど、それによると特になんの資格もない中卒の女性でも、選挙で選ばれさえすれば市議会議員になることが可能らしい。現実でも芸人がなったりしてるしね。とすると、なんだか弁護士よりもなるのが簡単な気がするにも関わらず、ヒューマギアがなれないというのは違和感を覚える。
ということで少し調べてみた。
少なくとも現在の日本では、選挙に出るためには参政権のひとつである"被選挙権"を持っている必要があるとのこと。
つまりごくごく簡単な話で、"日本国民"であるならその権利を持っているので中卒でもなれるけれど、まだ権利が認められていない"機械"であるヒューマギアには、どれだけ優れていてもなることはできないということ。同じ人間である外国人でさえ認められてないもんね。さもありなん。
弁護士になる為にそういった種類の権利が必要ないのかどうかは、少し調べただけでは見つからなかったけど。
・あの世界の人間
ウィルの意見をごまかした是之助のことを「ヒューマギア黎明期だから」と擁護する向きもあるが、政府が介入して、しかもそれを利用した都市までつくろうなんて結論に至るということは、ヒューマギア自体が実用できるレベルに達したのはもっと先だと思われる。暴走するのに実用レベルだと言えるのか? ということについては、既に何度も論じたのでここでは取り扱わない。
だいたい、ゼロワン世界よりもAIが発達していないこの現実世界においてさえ、フィクションという形が多いとはいえ「AIに人権を認めるべきか」という問題が取り扱われているのに、作中のAI開発に携わる人間がそこに無知って、大分おかしいと思うのよね。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)
作中で使われている"新2020年"という暦がどういうつもりのものなのかは知らないけれど、仮に人類が誕生してから経過した時間が現実世界と同程度だと考えてみる。
するとゼロワン世界の方が文明の発達速度が速いということになるが、ひとつの仮説として、現実世界よりも多く戦争をしてきたのだと考えられるかもしれない。戦争が技術の発達を促すという話はよく聞くだろう。あの世界の連中は我々よりも血の気が多く、天津の言う負の歴史も更に多く抱えているのだとしたら、AI技術の発達の他に、出てくるゲストに嫌な奴が多いことの説明にもなり得る。
・滅の強さ
「学習したから強くなった」というロジック……まぁ、ブラッドスタークよりは説得力を感じたかな。あっちは、フルボトルの多様な能力にも一度見れば対応できる触れ込みだったにも関わらず、能力に応じて多様な戦い方をしてたイメージがないという致命的な欠点があった。
対してこっちは、フルボトルの能力と違って一言で表せない複雑なこと(サウザー/天津の戦闘スタイル)なので、僕に伝わってこないのも頷ける。なまじボトルの能力が分かりやすいから、スタークの戦闘も分かりやすくないと対称性が崩れる。

 


モチーフ

・Check it out
前に少し話したshut upやbreak downと同じく、動詞と前置詞や副詞が組み合わさることで新たな意味を持つ"郡動詞"で、いわゆるイディオムのひとつ。な、懐かしいな……。英語はどちらかと言えば苦手科目だったのよね。
それはさておき、この慣用句というのはゼロワンにおいて非常に意味深いものがある。
日本語なら、例えば「矛盾」という熟語が挙げられるだろうか。
文字だけ見れば矛と盾でしかなく、装備について話しているのかと思われても仕方ないはずだが、同名の故事(エピソード)によって、よく言う「辻褄が合わない」という意味で使われている。
この場合の熟語というのは文字通り"熟した語"であり、慣用句とほぼ同じ意味だと思ってもらっていい。定着してしまった、みたいなイメージ。
ここで重要なのは、慣用句の意味は必ずしも単語の意味に"還元できない"ということ。
皆さんも学生時代、英語教師に「イディオムは覚えるしかない」と言われたことだろう。僕はずっと「それぞれの単語の意味から推測できて然るべきだ。どうしてできないんだ」などと駄々をこねていたけれど、"矛盾"が良い例であるように、分解して得られた元の意味からは推測不可能な言葉というのは結構ある。
そして人の脳が持つ"心"や"意識"もまた、そういう種類のものである可能性がある。
シナプスだとか細胞だとかいった小さな単位にまで分解し、その構造さえ理解できれば、そこから脳全体の構造も理解できるとする意見がある。これこそが還元主義である。
昔の僕はイディオムのエピソードからも分かるように、割とこの立場にいることが多かった。
文理選択ってあったと思うんだけど、僕は概ね文系が理系の上にあると思っている。これは別に優れているとかそういう話ではなくて、まず物理世界の法則が前提にあって、その上で人間という生物が生まれ、文化をつくった。そういう"順序"が階層構造となり、より下層のことをよく知らなければ、上層を本当に理解することはできないのではないかと考えていた。今は必ずしもそうとは思ってないけどね。

 


ラップは聞いてて気持ちいいよね。響鬼でも似たようなことを思ったけど、テンポよく進むことはそれだけで映像作品として価値がある。
ディスりはじめてからはまた見え方が違うけど、概ね楽しかった。

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第27話「ボクは命を諦めない」 感想

 

魔進戦隊キラメイジャー エピソード2「リーダーの証明」 感想

キャラクター

 熱田充瑠
・受け売りと個性
「それは自分の言葉なのか」と問われていたが、これもおそらくキラメイジャーにとってかなり重要なファクターのように思う。
ガルザの三日月仮面が印象的だけれど、宝石の輝きというのもそれ自体が光を発してるわけじゃなくて、太陽の光を反射しているものに過ぎない。
でも、宝石にはただの太陽光とは違う綺麗さがあるように、何かを"加工"して自分のものにすることはできる。
キラメイバスターなんかはまさにそんなイメージだし、魔進たちも変身前のメンバーからインスピレーションを受けなければ生まれなかった。
そういう意味で、充瑠が「支え合うために5人必要」という自分なりのロジックを生み出したのはとても良かった。

(参考:本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想)

……でもね、そもそもマブシーナが言ってた方の「5人必要」って話に説得力がまるでないので、全体的に何を悩んでるんだか分からない感じになってる。今回確かに瀬奈は必要だったけど、逆に言えば他の連中は彼女ほど必要ではなかった訳よ。5人合体武器がある訳でもないし。
クウガでも「なんで正体を隠さなきゃいけないのか」に対するきちんとした説明がないまま自明のこととして「分かるでしょ」で押し付けてくるようなところがあったけど、同じ感じ。そりゃメタ的な見栄えの話をするなら確かに5人必要だけどさ。そういうことじゃないでしょ。
・交換不可能性
リレーの方に本物を行かせるのも好印象。ラグビー邪面を倒すのに必要な「足の速さ」は瀬奈である必要ってそんなにないけれど、「オザワ先輩のためにという思い」は瀬奈であることに意味がある。
セリフからは充瑠がそこまで考えて言ったことなのかは分からないけど。
ただ、戦隊としての活躍にも必要性を持たせるために代役ンが役に立たないという描き方になってたのは「解決になってなくないか」と思った。残りの3人は知らなかった訳なので、当然いない分をカバーするなんてこともできてないし。射撃組……特に為朝にはそれができる可能性ってあったと思うんだけどな。
回を重ねることでメンバー同士の絆ができてくると、連携という意味で戦闘にも「瀬奈である意味」が出てくると思うんだけど、そうなったらそうなったでまたどっちを優先するのかって話になってしまうよなぁ。
このままじゃ結局問題を先送りにしただけな気がするけど……多分扱われはしないだろうな。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 速見瀬奈
・ギャップ
他の連中と違って、瀬奈の否定的な態度にはきちんと信念(先輩のため)があったから良かった。代役ンとの対比もあって、魅力である元気さも引き立ってたし。
最初は中の人も含めて、元気さに作為を感じてしまって見てて逆につらくなるのであまり好きじゃなかったんだけれど、そういえば中学の時クラスに(おそらく)素であんな感じの人がいたなぁと思ってからは見られるようになった。

 

 射水為朝
・カンジ悪い
1話でもメンバーが充瑠に難色を示すくだりがあったが、あれは一瞬のシーンだったからまだ良い。充瑠の「そんなこと」発言も同様。でも今回の為朝は全編に渡って否定的な姿勢が繰り広げられた。エピソードZEROのマブシーナもそうだったけど、キラキラを謳いながらあぁいうところ見せられると、必要以上に悪印象を抱いてしまう。全然輝いてない。
特に「ラグビー邪面を倒す為には瀬奈が必要。でも陸上の方にも必要」っていう無理難題に対して、リーダー任されてるからってだけで充瑠に丸投げして責めるの、見てて不愉快だった。そもそも別に彼のせいではないし。「じゃあお前がリーダーならどうするんだよ」って言われたらぐうの音も出せないでしょこの人。彼に限らず、全員それぞれの方面で活躍してるのは事実なんだろうけど、じゃあ充瑠の他に「チームをまとめること」に長けてる人がいるかって言ったら別にいない。ピンクだけはオペの時に指示とか出してるかもしれないけどその程度。
為朝が言ってたのは「戦闘の方が優先度高いだろ」ってことだとしても、充瑠だってそんなこと分かった上で悩んでる訳だし。
こういう嫌なところも、前回言った"2面性"として受け取ればいいんだろうか。
青とピンクの売り文句として"容姿端麗"が使われてるけど、これって「見た目が気持ち悪かったら輝いてない」みたいなニュアンスを読み取ることもできてしまう。もちろんそんなこと明言はされてないけど。
僕は友達いわく「眼鏡かけてるとオタクっぽい顔をしてる」らしくて、自分としては真顔はなんとも思わないけど笑顔がとても気持ち悪くて好きになれないというか、嫌いなのよね。
ある友達は「どんな人でも笑ってるときは輝いてる」なんて言って僕の笑顔も写真におさめて寄越したんだけれど、そんな感じでルッキズムに踏み込んでいくエピソードはあるんだろうか。ないだろうけど。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第5話「カレの情熱まんが道」 感想)

 

 ヨドンヘイム
・もはや下ネタにしか
ラグビーボールは、元々豚の膀胱からつくられていたらしい。その裂け目から覗く目の不気味さがいいね。前回長々と汚い話をしてしまったけれども、一時期流行ってたポーズも相まって、今回も同じような意図があるようにしか見えなかった。
でも敵側は汚いものを好んでる訳だから、実際そういうことなんだろうと思う。
邪面獣はヒルドンってのを素体に仮面だけ変わっていくのかと思いきや、全部違ったね。それで等身大の怪人がさっぱりめなのか。ザリガニはそのものというよりは住んでる場所が汚いイメージ。連想として、有川浩さんの『海の底』に出てきたサガミ・レガリスを思い出した。自分の想像力のせいなのか文章のせいなのか、めちゃくちゃ怖かった記憶がある。
有川作品は有名どころを一通りかじったと思うけど、友達に紹介されて読んだ『植物図鑑』が一番印象強いなぁ。樹とさやかのふわふわとした距離感が好きだったんだけど、所謂ベッドシーンがあって、「結局樹もそういうことしたい人なのか」とひどくガッカリしたのを覚えている。
僕がそういうの好いてないの知ってたはずだけど、どういうつもりで彼女は薦めてきたんだろう。

 

 

戦隊は1話完結で短くまとめるからか、問題に対する解決法に納得いかない印象があるんだけれど、まぁあんまり具体的な話ばかりされても困るしなぁ。
あと、やっぱり合体した後は魔進って喋らないのね。同化してるみたいなイメージで見たらいいんだろうか。

 

前話

魔進戦隊キラメイジャー エピソード1「魔進誕生!」 感想

次話

魔進戦隊キラメイジャー エピソード3「マンリキ野郎! 御意見無用」 感想

仮面ライダーゼロワン 第27話「ボクは命を諦めない」 感想

キャラクター

 飛電或人
・結局火災にはノータッチ
「できることがあるならするべき」という意見自体は、僕も共感するところではある。
これを邪魔するのは、やはりこれまで散々論じてきた「人間の頭が生み出す"壁"」である。不破の言う通り、立場や所属に関係なく縦横無尽に動けたら、どんなにいいことか。
今回の例で言えば、或人は一応"勤務時間中"であると思われる。消防士がいるにも関わらず、彼らの仕事を手伝うべきだろうか? まぁ彼の場合は社長なので、何を自らの仕事とするかはある程度の自由が利く訳なんだけれども、自分を含む数名の仮面ライダーにしかできないレイダー退治(に備えて待機し体力を温存しておく)より優先すべきことではないようにも思われる。
郵便局でバイトしていたとき、誤った郵便番号が書かれているハガキについて、書かれている住所から正しい番号を調べて訂正するという仕事を任されたことがある。電話帳みたいな分厚い本から該当の地名を探し出すように指示されたのだが、僕はポケットにあるスマホを使えばもっと効率よくこの仕事をこなすことができた。辞書を引くよりも検索した方がはやいでしょ、そういうイメージ。すなわち「目的を達成するためにできることがあった」のだ。
明らかに非効率的だったので僕は駄目元で進言したが、私物の業務利用は禁止されているとのことで、やはりそれは叶わなかった。
もうひとつ。友達が泣きながら電話をしてきたとき、深夜の2時頃だったが僕はその人の家まで行って、側にいて話を聞いたことがある。嗚咽混じりに「死にたい」とこぼされ、いても立ってもいられなくなった。後から思えばそんな時間に家(それも異性の)を訪れるなど"非常識"もいいところだ。普通はそんなことしないだろう。でも「自分にできることがある」と思い、軽率に行動してしまった。
でも僕だって実際の火災を前にしたら、例え目の前に消火器があったとしても手に取れるか分からないし、AEDなんて難しそうなモノだったら絶対手を出せない。僕がやってせっかくの消火器を無駄にしてしまうくらいなら、他の人が来るのを待った方がいいかもしれない。未来が分からない以上、どの判断が正しいかなんて分からない。
・ジューッ
どう見ても、綾波を助けたときのゲンドウだったなぁ。彼ってあんまりいいイメージはないキャラなので、意図的に被せることにメリットってあまりないように思うんだけれど、どう受け取ったらいいんだろうね。

 

 不破諫

・変身するべきだったか

「行けちゃうんだ」ってのは一旦置いといて、水かぶっただけで大丈夫だったのにそのうえで「変身しろよ」と言う意味が分からない。行けなかったならナメプっていうのも分かるけどさ。
「何事も全て変身して対処すればいいじゃん」とか「戦うならはじめから最強フォームなればいいじゃん」とか、そういうの見てて嫌なんだよな。僕は前から言ってるように「最善を尽くさない自由」って大切だと思ってるので。
せめて理屈を通すなら、毎度毎度仮面ライダーの力や最強フォームに頼ってたら、それが使えなくなったときに困るかもしれない。今回の不破の話をするなら、単純に自分の頭で考えるより先に「昔教わった火災現場への突入方法」を思い付いたってだけだろう。A.I.M.S.の装備を人工知能関係ない火災に使っていいのかも分からないし。
仮面ライダーに変身しなかったことで、不破が水を被るという映像的な多様性が生まれた訳で。そもそもそんなこと言ったら、常に変身してた方がいいに決まってるじゃないですか。いつどこで襲われるか分からないし、ゼロワンに関しては思考補助能力とか付いてるんだし。
いざって時にしか使わないからこそ変身のカタルシスがあるんだろうし、それこそ「等身大のはロボで踏み潰せばいいじゃん」みたいな話になってきてしまう。

・唯阿に水は?
あの場で唯阿を引っ張って行ったのは「一緒に火災現場に突っ込もう」ということではなく、「いつまで天津の言うこと聞いて自分を殺してるんだ」という一喝としての意味が強かったのだと思われる。とすると、とりあえず天津の元から引き剥がした後で、唯阿に「本当のお前は助けに行きたいのか?」と問うステップがあったと考えられるだろう。いま大事なのは"彼女の意思"なんだから。よって不破があの場で彼女に水をかけるということは有り得ない。そのやりとりの後に、彼女は彼女で水を被ったのかもしれない。後のシーンでは不破の髪だけ濡れているようにも見えるので、それこそ道中では変身していた可能性もある。或いは唯阿自身が「そのままで大丈夫だろう」と高を括って突入したとか。これは彼女の(最善を尽くさない)自由だ。
この二次創作を受け入れれば、不破は「唯阿を危険に晒したやつ」から晴れて「唯阿の意思を尊重しようとしたやつ」となる。
作り手が描写をすっ飛ばすのは、視聴者の不破に対する「バカではあるけど悪いやつではない」という信頼を信頼するからこそだろう。
作品を好意的に見るか、はたまた見捨てるかは、ひとえに作者と視聴者の信頼関係にかかっている。
以上を踏まえた上で、「不破はそんなことしない(作者もそう描きたい)はずだから、何か他の意図があったのだろう」と考えるか、「自分はこれまでの描写ではそこまで不破を(作者を)信頼できていない」と否定するかは、各々の自由だけど。

 

 天津垓
・シンギュラリティと劣等感
彼がまだ謎の人物だった頃、巷では「チェスの男」と呼ばれていた。僕は単に「すべてこいつの計画通り」という意味の演出だと流していたけれど、改めて目にしてはっとした。
チェスとAIって、切っても切り離せないじゃないか。どうして今の今まで気付かなかったんだろう。
近年囲碁や将棋の世界でAIが世界チャンピオンを超えたという話題が上がっていたが、最初にAIが人間に対してセンセーショナルな打撃を与えたのは、チェスの分野だった。
ディープ・ブルー対ガルリ・カスパロフ戦は勿論として、それ以前にも『トルコ人』という機械が話題になっていた。
確か、僕の愛読書である『なめらかな社会とその敵』(図書館の本だし2回しか読んでないが)にもその名が載っていたように思う。「コンピュータとは元々"計算する人間"のことを指す語だった」という文脈の中で取り上げられていたんじゃなかろうか。
トルコ人』もまたチェスを指す機械であり、数々の人間に勝利しその名を馳せたという。しかし実際は、中に人間が入って操作する仕組みであったというオチ。
これらのエピソードを知った上で見れば、天津がチェスを指すという事実は単なる計算高さに留まらず、「シンギュラリティに対する危機感の高さ」も表していることを読み取れよう。
とは言いつつもそれだけではつまらないので、僕はこの辺の話に茶々を入れてみたい。
一口に「AIが人間を超える」とは言うけども、人間の中でも特にチェスの達人と言う訳でも何でもない我々には、実は全く関係のない話なのではないか。
僕なんかはオセロでも将棋でも強めのコンピュータには普通に負けるし(オセロ最弱AIには負けられないし)、囲碁やチェスに至ってはルールすら知らない。僕はカスパロフ戦よりも後の生まれなのでちょっとややこしい表現になるが、「『AIが人間に勝った』などと騒がれるずっと前から、我々一般人は負けている」のだ。
極端な話、人間の中の一体何人が電卓より早く計算できるだろうか。
同じ人間に対する敗北(当然、羽生九段と指したら僕は負けることだろう)すら悔しがらない癖に、何故こんなにも他人事の方にショックを受けるのかと考えると、人の心の奥深さに感嘆する。
劣等感と、優越感。
この2つの語を並べると、なんだか歪な対比になっていることに気が付く。
さながら「愛の反対は憎悪か無関心か」という問いのように、「優/越の反対は劣か等か」と、それぞれ軸の違う"対"があてがわれている。
関心の有無を基準にすると愛(に憎悪も含めた"関心")の反対は無関心だが、関心の正負を基準にした場合は愛の反対は憎悪となる。越はプラスの意味を帯びているが、等はマイナスというよりはゼロ的だろう。
僕は学生時代、周りと比較して勉強ができる方だった。所謂「全然勉強してないけど(そこそこ)良い点取るやつ」。そのことを人並みに誇らしく思ったりもしていたけれど、クラスメイトから浴びせられる「頭いい」だとか「天才」だとか言った言葉たちに対しては、妙な引っかかりを覚えていた。
何度も聞くうちに、あれらの言葉は点数で勝った僕を褒めているのではなく、負けた自分を慰めているのだと分かった。
「こいつは"特別"だから負けても悔しくない」という言い訳なんだと。
彼らはきっと僕のことを"対等な人間"だと思っておらず、僕を「自分とは違う世界の存在」と認定することによって自尊心を守っているのだ。
随分と傲慢に聞こえるだろうし、実際僕は傲慢な方だろうが、この仮説自体は別に低レベル同士の争いだったからという理由で否定されるものではないだろう。
優越と劣等という表現には、実はそのような心理が働いているのかもしれないと、ふと思い出したのだ。
さっき僕が「我々は計算能力で電卓に負けている」と言ったとき、きっと似たような気持ちを抱いたのではなかろうか。
まぁ、他人事の方にショックを受ける気持ちの方はこれでは説明できないどころか真逆の話だけど。自分じゃない人の負けを"同じ人間"だからと自分の傷として捉えてる訳だから。

 

 迅
・勝った……?
今回の勝利、滅がまた仮面ライダーとなって猛威を振るうことはどう考えても天津にとってプラスなので、あのスコーピオンキーは奪い取ったというよりは「奪われたという体裁で天津が自らあげた」ように見えた。
まぁ、僕はそもそも"戦績"を気にする方の人間ではないので、仮にサウザーより弱くても何も思わないんだけど。
僕にとって仮面ライダーってのは"いる"ことが何より重要らしい。多分この見方は子供のそれにも似ている。新しいライダーやフォー厶は、あればあるだけ見てて楽しい。この傾向は僕の戦隊との関わり方に顕著で、ストーリーはほとんど知らないけれど、どんな追加戦士がいてどんなパワーアップをして、どんなロボがいて……みたいなのはある程度知ってて、その"存在"を楽しんでいる。それこそポケモン図鑑を埋めていくような感覚というか、「こんなのもいるんだ」という発見そのものに価値を見出しているようなイメージ。
パワーレンジャー限定の戦士とかフォー厶みたいなのも、活躍見たことないけど「かっこいい、好き」くらいの気持ちは抱いている。
・滅亡迅雷とフェミニスト
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、一部のフェミニストの方って滅亡迅雷と似てるなと思ったり。
例えばイズについて「男に付き従わされていてジェンダー的によろしくない」などと言う人たちがいるが、その人たちこそイズのことを"女"としてしか見ておらず、イズという個人を無視している。彼女が唯阿のように不満を覚えてるならともかく、そういう訳でもないのに自分の思想を押し付けて"解放"しようとするのは、滅亡迅雷が該当ヒューマギアの意思に関わらず人類に反発するようハッキングしてたのと変わらない。
でも多分今の迅は、そこのところのおかしさに気付いてるんだろう。ある意味では其雄のように、またある意味では天津のように、ヒューマギア達に力という発言権を与えるのが彼の目的なのかもしれない。今回、協力するという訳ではなさそうであるにも関わらず滅にキーを渡したことから、そう予想できる。「お前はお前の主張のために戦え」と。

(参考:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想)

 

 ゲスト
・穂村と119之助
前回或人を止めたのは「勝負なんて言ってる場合なのか云々と争ってる場合でもない」ということだったのね。確かにそりゃそうだ。
119之助と違って声で探してたのも、機械的な捜索は彼の方が慣れてるだろうと信頼して"分担"しているようにも思えるし、最初から協力するつもりだったんだろうな。
穂村が救助を諦めたのも、理屈は通ってる。119之助とは「助けられる」の基準が違っただけだ。前回のケースにおいて応用できる話を、僕は病院回の或人についてしている。あの場で「助けない」という判断をする意味は、「助かる可能性の低い人に構う時間を他の人に当てることで、より多くの人を救うため」である。つまり、119之助は「この人を助けるには多くの時間が必要だ」と判断した訳だけれど、穂村は自分の経験に裏付けられた"努力"によって、かかる時間を最小限に抑える自信があった、というかそうしてみせるという気持ちがあった、ということなのだろう。
(参考:仮面ライダーゼロワン 第11話「カメラを止めるな、アイツを止めろ!」 感想)
では今回はどうか。少なくとも彼の判断によると、普通に助けようとしていたのでは、ミイラ取りがミイラになって死体がひとつ増えるだけという可能性が高く思えたのだろう。だから「助けられない」と。最終的には、ヒューマギアのあると見なせるか分からない命ひとつを犠牲にすることで「救える」ことを良しとした。これもまぁ理解できる。
前回穂村がトリアージに反するように見える決断をしたことに批判が集まったが、「仕事だから」といって命を見捨てることに"葛藤"がなくなってしまうと、徴兵されて人を殺す……なんてことが起きる。
今回で言えば、119之助が自分を殺せてしまったのも100%美談として描かれているようには、僕には見えなかった。
というか、共感しない"割り切り"の良さは不動産対決の回で描かれてるので、今回はその逆、仕事だからと言って割り切れない部分にフォーカスしていると見た方が自分として収まりが良い。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第20話「ソレが1000%のベストハウス」 感想)

 


設定

・ボライド is 何?
ゼツメライザーのノヴァは聞いたことあるしかっこいいけど、意味分からん上に語感が間抜けって最悪でしょ。調べても出てこないし。
ジオウの"ザバルダスト"とかは、意味全く分からんけどなんかかっこいいよね。余談だけどこのザバルダストって原語で書くと「ज़बरदस्त」らしいんだけど、コピペして一文字ずつ消してみると面白いからやってみそ。あと僕が聞いたことあるのは「उपनिषद्(ウパニシャッド/ウプネカット?)」とか。
日本語は大まかには単純な足し算で、エ,ナ,マという3つの独立した音をほぼそのまま組み合わせて"名前"という単語をつくる。マナエでもナエマでも大体同じ。
対して英語はa,e,m,nという4つの音を組み合わせて"name"という単語をつくるが、こちらは並び替えるとanやmeとなり発音が大きく変わる。ABCソングを「LMNOP」と一息で歌うか歌わないかの違いと言ったら伝わるだろうか。
このヒンディー語だかサンスクリット語だかってのは、変化を見るに文字の段階から前後の影響を受けている。日本語話者の感覚からすると、かなり新鮮で面白いよね。
まぁ意識してないだけで、日本語でも起こってない訳じゃないんだけど。ザイアが時々ザイヤになってたりとか。

・消防士ヒューマギアなのに火に弱い?

これは見方が厳しいと思ってる。あれはAIの思考能力を以てしても「突入は無理」と判断されたところに無茶して入ったから耐えられなかっただけでしょ。見た目が同じだから耐久性も他の職業ヒューマギアと同じってのもガバい理屈だし。

 

 

 

最終対決は住民投票ということで、この間言った「TOBと五番勝負の結果が食い違う」みたいなことは起こらなそうね。
ラッパーというのもなんとなく意図は分かるけど、果たしてどうなることやら。

 

 

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

 

ゼロワン感想一覧

前話

仮面ライダーゼロワン 第26話「ワレら炎の消防隊」 感想

映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想

Do you love me? I miss you.

つい先日、たまたま買った500円の玩具が不良品だった。
接触不良なのか音声が鳴らず、電池交換したところでうんともすんとも言わない。
更に500円出してもうひとつ買うほどお金に余裕がある訳ではなく、かと言ってたかが500円のためにわざわざクレームを入れて交換して貰うかと考えるとそれも気が引ける。何より面倒だ。
となればすることはひとつ。
「何故こんなことになったのか。不良品があること自体"おかしい"のに、どうしてよりにもよって自分なのか。きちんと対価を払ったにも関わらず、こんなの理不尽だ」と、言っても仕方のない不平をTwitterに漏らすだけの、実質的な泣き寝入りしかない。


スーパーの鮮魚コーナーでのバイト中、値引きの担当だった僕は消費期限の近い牡蠣に半額シールを貼った。
すると、一人のお客さんが「これ、食べてもあたらないよね?」と訊いてきた。
個人的なポリシーで「変にかしこまらず、自然体で接したい」と決めていた(というか、それしかできないのでポリシーということにしていた)僕は、「少なくとも消費期限は今日までになってますけど……何事にも絶対はないので、運が悪ければあたっちゃうかもしれませんね」と答えた。
その人は「"運が悪ければ"? そんなこと言う店員初めてだよ」と驚きながらも、「まぁ大丈夫だよな、うん」と自分に言い聞かせて買っていった。
表示してある消費期限というのは、あくまで目安に過ぎない。全く同じ人間が二人としていないように、牡蠣もきっとひとつひとつ違う。他のが大丈夫だからと言って、今目の前にある牡蠣が大丈夫な保証にはならない。同じ種類の魚でも脂が乗ってる個体とそうでない個体がいるように、その牡蠣があたるかどうかは、その牡蠣を食べてみないと分からない。食べる状況にもよるだろうし。
また、バイトをしている最中色々なことがあった。正直「そんな適当でいいの?」と何度も首を傾げたが、1ヶ月ですぐ辞める予定だったので口は出さなかった。その牡蠣は外注商品だったが、同じ人間のやることなので、もしかしたら同じように適当な部分もあるかもしれない。「いつのやつか分かんなくなっちゃったけど、一番新しいのだった気がする」と、古いものに間違った表記をしていないとも言い切れない。
本当にそんなことがあるかどうかは分からないが、お客さんに対して「絶対にありません」と言い切る根拠を僕は持っていなかったし、その"絶対"だって所詮は「僕がそう思っただけ」で、勘違いかもしれない。

 

仕事という場においては、僕もパッケージングされたひとつの商品に過ぎない。
グラム売りされる細切れ肉のように、酷ければ1匹単位で並べられる魚のように、どんぶり勘定される。
お客さんに商品の場所を教えたらとても感謝されてやり甲斐を感じただとか、いつもよりうまくできたと達成感を覚えただとか、反対にミスをしてしまって注意されただとか、そんなあれこれとは全く無関係に、決まった金額が1時間に付き支払われる。
そこから見える僕というのは、生き生きとした人間ではなく、決められたタスクをこなすロボットと大差ない……などというとどこぞの小学生みたいだけれど、まぁ言いたいこと自体はちょっと似ている。
仕事の持つ「やって当たり前」という感じが僕はひどく苦手だ。成功報酬的というか、「0円でもいいならやらなくて(できなくて)いいけど、できたらできた分だけお金が貰える」くらいのスタンスなら気が楽なんだけれど。
僕の場合、本当に休みたいというよりは「休んじゃ駄目なのに休んでしまったらどうしよう」みたいな不安が強いので、「自由に休んでもいいけど(あまり)休まない」のが性に合ってると思う。
でも、今の社会は信用と責任で回っている。
雇う人は「これだけの成果は見込める」と信用できる根拠が欲しくてお金を払い、雇われる側はお金とそれに応える責任(重圧)を手にする。
「最悪できなくてもいい」なんて"無責任さ"は認められない。
本当のところを言えば、給料泥棒なんて概念がある通りお金を払ったからと言って必ずしも見込んだ成果が得られる訳ではないんだけれど、いちいちそれを言っては何もできないので「人は基本的に責任を全うする」という共有幻想の上に成立している。貨幣の価値と同じ。
「産休取りそう」みたいなのはまさにその弊害で、予想外の動きをされることを忌み嫌う。「これだけのお金払うつもりがあればこれだけの成果が返ってくる装置」という幻想を壊し得る不確定要素は排斥される。そこまで織り込んで計算するだけの余裕があればいいんだけど、現状はまだない。
給料自体は後払いなのに、"雇用契約"という手続きによってまるで既に貸付けを受けているかのような感覚に陥る不思議。


「500円払ったのにどうして音が鳴らないんだ」などと言っても仕方ないように、いくら「給料に見合った仕事」を期待されても、できないことはできない。
ちょっと極端な例が多かったのでもう少し共感の得られそうな話を探すと、「品切れ撲滅」への気持ち悪さが挙げられる。
お金を持って店に行ったけど商品がなかったとして、それって「運が悪かったな」の一言で済む話だと思うのよね。在庫を潤沢にした結果、廃棄となる商品が増えてしまう可能性を考えたら、少なくとも自分一人のために入荷数を増やせなどと言うほどのことではなくて、他の店を回ってあるところで買えばいい。
会社を休んだって、そのせいで何かを納品できなくたって、それで何かがうまくいかなくたって、実は意外と多くのことが「あーあ、がっかり」で済むのではないか。

だが人は、世界を不自然に捻じ曲げようとする。
それはひとえに、不安だからだろう。
とにかく予想外のことが起きて欲しくない。(暗黙の)約束を守って欲しい。
だからルールやマナー,常識,責任など、様々なかたちで人を縛り型に嵌め、画一化しようとする。
世の中には、「ぼぼぼー! ぼーぼー! ぼーぼぼ!」と突然叫ぶ人がいる。彼に対して抱くこの嫌悪感の正体は一体何なのか。「うるさい」という言葉ではとても表し尽くせているとは言えない。静かでなくてもいい状況ならば受け入れられるかと言えば、否だろう。
答えは「なんか怖い」だ。
自分の中に前例がないから、心の準備ができていないから、不安で仕方なくなる。
世界を自分の中にある型に当てはめて理解しようとし、はみ出す者の存在を「おかしい」と認定してしまう。

 

浮気って、悪いことなのだろうか。
いくら「病めるときも、健やかなるときも」と誓い合ったとて、自分の中に湧いてくる気持ちをコントロールすることはできない。
好きな人に交際相手がいたからといって諦めることも、する相手がいないからといって性欲をなくすことも、人生うまくいかないからといって生きたいという気持ちをなくすことも、意識にはできない。
自然と消えるのを待つより他ない。
それと同じで「他の人を好きにならないようにする」なんてこと、土台無理な話だと思うのだ。
「死ぬまで自分だけを好きでいて」なんて、「自分を好きになって」の比にならないくらい無茶苦茶な要求だ。
"約束"は、あくまで理性のできる範囲において意味をなす。
だが不安だから、どれだけ無茶でも人を縛ろうとする。そうしないとやってけない。
怖い。寂しい。すがりたい。
この気持ちのうまい収め方というのは、果たしてあるのだろうか。

 

"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

仮面ライダーゼロワン 第26話「ワレら炎の消防隊」 感想

キャラクター

 飛電或人
・勝負に賛成? 反対?
冒頭では、まだ訓練だとは言われてないにも関わらず受けて立ったのに、後半では「命が脅かされてるんだから勝負どころじゃない」と言っていた。これは矛盾に見える。
僕が思ったのは、まず「倫理的に有り得ないので、本当の現場で勝負するという発想がそもそも浮かばなかった」のではないか。口に出して確認するまでもなく、訓練に違いないと。
まぁ提案者が天津(それも弁護士対決の前科あり)なので本当に少しもその可能性を疑わなかったのかという疑念はありうるんだけど、一応社会的な体裁を気にする(面もある)人だしない話ではない。実際訓練だった訳だし。
似たような話として、前回或人がトリロバイトマギアになった奴らを爆破しているシーンがあった。或人の基本スタンスは「ヒューマギアは助けたいけど、助けられないなら仕方なく壊す」であるはずなので、それを信じている視聴者には「或人が直せるはずのヒューマギアを壊した」という発想がそもそも出てこない。これは僕がエグゼイドに対して散々言った「11話で永夢は黎斗を殺してるよね?」という話とも繋がってくる。永夢を信じている人は、彼が人を殺すとは思い至らないし、その見方を提示されてもなお擁護する。
今回の僕はそちらに回ろうと思う。
まず、既に述べたように「ハッキングによる暴走は元に戻せるが、本人の意志によるマギア化は戻せない」のだとしたら、あのトリロバイト達は救えない個体だったのかもしれない。
以前白倉さんが似たようなシーン(無数のアナザーアギトが爆発し消える描写)について、Twitterにて「彼らは画面外で助かりました」ということを言っていた。

 或人の放った"ファイナルスラッシュ"によって、特撮のお約束としての爆発は起こってるし、元に戻ったヒューマギア達も見当たらないけれど、制作側の認識としてそれでもなお助かっているつもりで描いてることがある。つまり助かっている可能性はある。爆破に紛れて画面外まで移動しただけってことね。死んでないのに爆発することはマジでよくあることなので僕は気にならん。
そんな際どいことする理由は単純で、素面ヒューマギアの描写を成立させるのに必要なものを用意するコストの節約と、敵を倒すという爽快感の演出。(児童誌にて)100人斬り!とか言ってて、明らかにそういう意図のあるシーンだし。
ここまで懇切丁寧に脳内補完してあげてもなお、シャイニングアサルトの状態で1体(以上)倒してる描写があるのは正直「手がかかるなぁ……」って感じなんだけど(擁護ならぬ介護でもしてるのか僕は)、改めてそういう目で見てみると、不破にオーソライズバスターを渡したことに思わぬ意味が発生してくる。
つまり、前回確立された「暴走前に戻すプログラム(?)」が既にホッパーブレード以外でも使えるようになっていて、不破に渡したのは「これなら(ショットライザーや必殺キックと違って)壊さずにマギアと戦えるからよろしく」ということだったのだと解釈できる。仮に不破が壊さずに済むことを知らなかったとしても、彼にとっては現状における最強武器であり使わない手はないので自然と救われるし、そもそも不破が壊すのは或人の責任ではない(と見なせる)。
我ながらなるほどなぁ。
……話を訓練の是非に戻すが、やはり僕は「実戦だったとして、それってそこまで駄目なことなの?」と思う。
そりゃあ、協力して救助に当たる(こともできる)のが最善ではあるけれど、ライバルがいた方が速く走れることもあるし、結局は悪い結果が出たかどうかじゃない? 下手に連携しようとして失敗することだって考え得る。
・自分で助けるべき?
ゼロワンとして火災に対応しろという声もいくつか見かけたけども、氷で消火ができるかについてはなんかできそうな気もするからさておくとして、これって簡単な問題ではないよね。
「門外漢の自分が介入することで余計に状況を悪化させるかもしれないのに、それでも自分で助けようとするべきなのか」というのは、至極まともな考えではある。
でもそれっていうのは、例えばマギア化騒動も本来ならば A.I.M.S. という組織に任せるべきなんじゃないかとか、飛電社の経営も引き受けるべきじゃなかったんじゃないかとか、そういうことにも繋がってきてしまう。
単純な話として、これらを分けるのは或人本人が「やりたい」と思ったかどうかなんだろうけど。より正確には、「悪い結果になった場合自分の責任になるかもしれないという不安よりも、やりたい気持ちが勝った」かどうか。
火災現場に関してだけ及び腰になること自体は、別に悪いことではないだろう。次回やるかもしれないし。

 

 天津垓
・勝負の結果に意味はない?
今回はややヒューマギアに有利に見える勝負だが、まぁ第1回の生花対決が人間に有利だった(そして勝った)ので、フェアプレーの精神で説明は付くかなと。フェアっぽく見せることはイメージダウンを防ぐ目的に沿う。
まぁそもそもこの五番勝負、なくてもTOB自体はできるところを、その成功率を少しでも上げる(ついでにザイアスペックのプロモーションの)ためにやってることなので、実はZAIAが勝っても「株主は飛電を見捨てなかった」ということにすれば買収は成功しないし、その逆で飛電が勝っても買収されることはあり得るのよね。それで視聴者が納得するかはさておいて。でも実際、未だに飛電が潰れてない現状を思うとない話ではない。
そういう理由があるので、ヒューマギアに対するネガティブキャンペーンという意味で、マギア化はやり得というか、百利あって一害なしなのだ。いや、まぁ前にも言ったようにわざと暴走させてるのバレたらそれは害のはずなんだけど、あそこまで気にしてない以上、本当に揉み消せる算段があるんだろうきっと。
・100%?
迅が復活したこと自体は完全にシナリオ通りだけど何か違う部分もある、ということなんだろう。察するに、製作してたスラッシュライザーを持ってかれたこと、またそれによってアークに接続していないこと、かな。
人類滅亡以外の選択肢を考えられるようになったら、天津の望む"人類に対する驚異"としての役割は果たせなくなっちゃう訳だから。或人と仲間になることだって今なら不可能じゃない。

 

 迅
・あの鎖……
どう見ても、おもちゃ屋さんでよくある試遊できるアレだよね。そのまま持って帰れないようになってるやつ。特に僕はあれでショットライザーを遊んで購入を決めた人なので、もうそうとしか。
簡単に外れたのでただのファッションなんだろうけど、"自由,解放"を表すために鎖をわざわざ付けてるの、前回話したマッチポンプと通ずるものがある。

 

 ゲスト
・好色消防士と無能アナウンサー
救う相手が男か女かで明確に態度を変える消防士や、突然振られたからという理由でパニックに陥る(バカっぽい)女性アナウンサーの描写に対して「旧時代的な価値観に囚われている」との難色を示している人が多く見られた。
前者についてはいつものゼロワンというか、ただ"ギャップ"を駆使して後半の消防士達をかっこよく見せようという意図であって、つまり制作側の意図としては「訓練だからあんな風にふざけてたけど、実際に被害に遭っていれば平等に助ける人」として捉えて欲しいんだろうけど……あれを例えば"公私"がハッキリしてると捉えるのは流石に無理がある。どっちも仕事中でしょうと。
でも逆に、人間そう簡単に平等にはなれないよとも思う。
常日頃から趣味のように「あの子はかわいい」だの「あれはブス」だのと人を評価している男や、勤務中に「あのハゲ親父マジでキモかった」などと愚痴る女を僕は見てきた。そこまで悪し様でなくとも、ほとんど平等な2人の要救助者を前にどちらかを優先しなくてはならないとき、絶対に好みが出ないかと言えば、それは難しいだろう。本当に自分の意思とは違うところで判断したいなら、コイントスでもして決めるしかないけれど、それこそなんだか不謹慎だ。
「命を賭して人を救う」なんてこと、やって当たり前じゃない。救えないことをマイナスと捉えるのは厳しい。誰か一人でも救われるならそれはいいことだと、今の僕は思う。
仕事なら対価を貰っているのだから果たすべき責任があるというのも分かるが、給料は後払いなのだからこれは順序が違う。働いた分だけ雇用主に金を払う義務が発生するのであって、前借りでもしない限りその逆はない。
「給料貰えなくていいからやーめた」「辞めさせられてもいいから適当にやろ」と仕事を放棄する権利は、誰にでもあるのではないか。

(参考:ニートによる「仕事論」)
アナウンサーの方に関しては、正直更に厳しい。
「火災現場を前にして取り乱すな。冷静でいられないなら無能だ。女性をそんな無能として描くなんて許せない」って、無茶苦茶でしょ。いや、冷静でいられる人はすごいと思うけど、それはその人がすごいのであって、それができない人を責めるのは違うんじゃないかと。新人だったのかもしれないし、火災関係のトラウマがあったのかもしれない。
ぶりっ子を演じているようにも見えるが、もし素であぁなのだとしたらむしろ可哀想だな。めちゃくちゃ見え方悪いよ。僕の心が汚れてるだけかもしれんが。

アホな女性がいることの何が悪いんだ? 「(物語の中の)女性は全て、既存のジェンダーを肯定する道を選んではいけないし、聡明であり、活躍していなければならない」って、どんなディストピアですか。

スイーツ云々も「予想外のことでパニックになってる」演出の一部だろう。"スイーツ"って部分と、その後の"頭悪そうな感じ"を、彼女個人じゃなくて女性全体の特徴として描かれてると捉えてるのは視聴者の方であって、制作側がどういうつもりで入れたかは現状分からないので責めようがない。

僕がクウガに対して「かっこよくて尊敬できる人ばかりで、息苦しい」と感じたのと似ている。「女性をアホに描いているのが名誉を傷つけるので悪い」という主張そのものが、現実にいるかもしれないアホな女性に対する侮蔑だよね。アホで何が悪い。「スカートを履きたいので、私は性同一性障害、つまり心が女性なんだ」というロジックそのものが、「男性はスカートを履いてはいけない」という価値観を元にしているのとも同じ。

要するに僕が言いたいのは「不愉快だったなぁ」ってだけなら別にいいと思うけど、「制作陣許せねぇ」ってのは早計でしょと。

僕はこれまでのゼロワン見てきて、既存の倫理観への問いかけは意図的にやってる部分が多いと思ってるし、これもジェンダーバイアスなしで見ることを要求してるだけに見える。

(参考:トランス女性(MTF)は女風呂に入れる?/性別とは一体何か)

 

 

設定

・ザイアスペックの有用性
本編ではあんまり実感することないけど、その理由って明快だと思うのよね。
すなわち「基本スペックで言えばヒューマギアの方が圧勝に決まってるところを、互角以上にまで持っていく為の舞台装置」がザイアスペックであって、その"良さ"はこれまでヒューマギアを使って描いてきたものとほぼ同じなので、わざわざピックアップする価値がない。しかも天津は(ヒューマギアよりは)人間の可能性を信じている立場なので、ザイアスペックの描写はあくまでサポートにまわされる。描きたい構図はAI vs 人間であって、AI vs AIではない訳だから。
1回戦が生け花だったから分かりにくいけど、例えば不動産対決において顧客の求めてるものを探す為に、ライズフォンに含まれてる「公開可能な全データ」を閲覧,処理できるというのはAIだからこその利点だろうし、それは裁判対決においても同じこと。
人が口で望みを伝えようと思ったらかなりの時間がかかるところ(書類にまとめるならなおのこと)を、データという形で普段から記録しておけば、ライズフォンをかざすだけで複製も転送も容易にできる。
でもこれらの機能はあくまで「人間がヒューマギアと対等のリングに立つため」に使われ、その上で浮き彫りになる"人間らしさ"こそを描く。だからこそ、ザイアスペックの有用性が犠牲になろうとも、1回戦は芸術分野での対決だったのだろう。
レイドライザーによって負の感情が増幅されてるというのは、平成2期でよくあったロジックだ。メモリやスイッチの毒素ってやつ。「風都の女はみんな悪女」なんて冗談はよく聞くが、ゼロワンのゲストの扱いもそれらとそう差はないように思う。「現実にはこんな悪い人なかなかいないよ」と思うけど、「ドラマに出てくる強調された人」としては十分理解できる。
・守るべき自分
それを踏まえた上でも、今回の描写では「人間に見つけられなかった要救助者をヒューマギアが見つけた」かのように見える。
これは単に、「同じだけの分析力があってもどこに注目するかは人によって違う」ということでいいのかね。
要は、119之助が心肺停止の人を見つけられたのは"たまたま"に過ぎないと。完全な偶然と言うよりは、穂村が最初に目に入った一人の対応をしてたから、彼に他のところを見渡す余裕ができた、みたいなことでもいいと思うけど。
問題なのは、その後の判断の相違。
穂村はザイアスペックが出した結論を無視したのか、それともザイアスペックもその結論を出したのか。
もし後者なのだとしたら、考えられる可能性がひとつある。

『日々救命の現場で働く看護師や救命士であれば、典型的な場合の迅速・確実な判断ができると思われるが、医師のような正確な診断は困難と思われる。「黒」はすなわち「死亡」「助けられない」として切り捨てる判断そのものであり、死亡の診断を下すことが法的に許されていない救急救命士トリアージで「黒」を付ける決断が難しい、特に善きサマリア人の法が存在しない日本では誤った判断をした場合に重過失とみなされ法的責任を負う可能性がゼロではないため、心理的な負担が医療関係者以上に大きい等の問題がある。』

トリアージ - Wikipediaより

ザイアスペックはあくまで人をサポートするためにある(そしてヒューマギアよりもその側面が強い)機械なので、"穂村の立場"を考慮した上で、見過ごすのは悪手だという結論を出したのかもしれない。
119之助には「守るべき自分」がない、という問題については次回扱われるようだし、意図的にそういう演出になっていてもおかしくない。
一方的にどちらが正しいという話ではなくて、実際穂村の判断によって他の助かる人が助からなかった可能性は十分にある。でも、どちらの人だって誰かにとってはかけがえのない人かもしれないし、ひょっとすると、Aさん一人を見捨てた結果B,Cさんの2人を助けられたとしても、B,Cさんは生きてても誰も喜ばないクソニートで、反対にAさんは社会的に重要なポストにいる価値のある人かもしれない。
結局誰かは死んでしまうのだとしたら、どのような決断をしても「本当に良かった」とは言えない。
だが、「目の前の命が助かった結果」を見てモブと同じく「よっしゃ!」と思ってしまった僕に、彼を責める権利はない。

 


仮に来週協力して窮地を乗り越えた場合、"引き分け"ということになるのだろうか。すると飛電に勝ちはなくなる訳だけれど、まさか白黒つけるためにもう一戦とか言わないよな。ただでさえ不評なのに。
僕はどっちでもいいけどさ。

 

魔進戦隊キラメイジャー エピソード1「魔進誕生!」 感想

 

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