やんまの目安箱

やんまの目安箱

ドラマ(特撮)、アニメ等の話を中心に色んなことをだらだらと、独り言程度の気持ちで書きます。自分のための備忘録的なものなのですが、読みたい方はどうぞ、というスタンス。執筆時に世に出ている様々な情報(つまり僕が知り得るもの)は特に断りなしに書くので、すべてのものに対してネタバレ注意。記事にある情報、主張等はすべて執筆時(投稿時とは限らない)のものであり、変わっている可能性があります。

サイトマップ・カテゴリ整理

はじめましての方はこちらをどうぞ。記事数だけは無駄に多いので、索引的なものです。

86ma.hatenablog.com

 

エッセイ

 Twitter等で見かけた話題について、何か思うことがあったら書くカテゴリ。メインコンテンツである作品の感想とは読む層が違いそう。

 

特撮

ほとんどの記事にはこのカテゴリがつくと思う。仮面ライダーはメインコンテンツなのでカテゴリだけでなく総括記事と、感想記事を体系的にまとめた記事のリンクも。

戦隊とウルトラマンに関してはほとんど知らないと言っても過言じゃないので、やるかやらないか、続くか続かないかは未定。

トクサツガガガ

 

戦隊

――ルパパト

 

仮面ライダー

―――大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想

―――"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として

――クウガ

―――独りよがりな意欲作『仮面ライダークウガ』 本編感想

―――クウガ感想一覧

――アギト

―――クウガへのカウンター『仮面ライダーアギト』 本編感想

―――アギト感想一覧

――龍騎

―――終わりのない戦い『仮面ライダー龍騎』 本編感想

―――龍騎感想一覧

――555

―――混沌への挑戦『仮面ライダー555(ファイズ)』 本編感想

―――555感想一覧

――

―――運命のマッチポンプ『仮面ライダー剣(ブレイド)』 本編感想

―――剣(ブレイド)感想一覧

――響鬼

―――鬼はそと、福はうち『仮面ライダー響鬼』 本編感想

―――響鬼感想一覧

――カブト

―――現代の童話『仮面ライダーカブト』 本編感想

―――カブト感想一覧

――電王

―――手繰り寄せ進む『仮面ライダー電王』 本編感想

―――電王感想一覧

――キバ

―――綺麗な物語から汚い現実へ『仮面ライダーキバ』 本編感想

―――キバ感想一覧

――ディケイド

―――ディケイド感想一覧

――エグゼイド

―――手品のような作品『仮面ライダーエグゼイド』 本編感想

―――エグゼイド感想一覧

――ビルド

―――どこまで本気か分からないギャグ作品『仮面ライダービルド』 本編感想

―――ビルド感想一覧

――ジオウ

―――仮面ライダージオウ レジェンド編(1〜16話) まとめ感想

―――ジオウ感想一覧

――ゼロワン

―――ゼロワン感想一覧

 

まとめ感想

 各話感想を全部読むとか相当な暇がないとできないっていうか自分でも読みたくないんで(僕としては、自分が全話見返そうという時におまけとして同時進行で読むのを推奨したい)、1つの作品を通しての感想はこのカテゴリにいれます。映画や小説なんかも"1つ"と数える。後はクール毎の感想とかも一応ここ。僕の感想の要点となる記事とでも言おうか……これらがコアメダルで、各話感想とかはセルメダルって感じ。"毎日更新"の満足感を得たいが為に書いてるみたいなとこあるからね、各話感想は。

あ、各話感想というのは、数話単位でより具体的で細かな感想を箇条書きにしたもの。記事タイトルに何話とか書いてあるのがそれ。ライダーのカテゴリどれかに飛べばズラっと出てくるはず。ほぼ毎日、書き溜めたものを作品順にローテーションで(例:クウガ1話→アギト1話→龍騎1話……)公開していってます。

 

ライダー感想一覧

例えば"クウガカテゴリーを開くと、クウガの話が主ではないが少し触れているだけのものも含めた記事が、新しい順に表示されてしまう。それだと使い勝手が悪いということで、下の画像のように、本編、まとめ、映画、小説、Vシネマ、ディケイドやジオウなど、その作品に焦点を当てた記事を中心に見やすくまとめたのがこのカテゴリ。

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書籍

多分小説版仮面ライダーが主となるだろうけど、一般の小説やその他の本についても時々書く。後は、おすすめの本について話した記事なんかもこのカテゴリに入れる。

 

映画

こちらも主にはライダーの映画について書くことになると思う。ライダーが落ち着いたらいろいろ見ることになるんじゃないかな。以下にはそれ以外の記事を載せます。

―――三葉は宇宙人?『君の名は。』 感想

―――エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想

―――現実と妄想、フィクション。そして自分『ビューティフル・マインド』『Serial experiments lain』 感想

―――本物の月光に見惚れる『BECK(映画)』 感想

―――夢への寄り道と現実回帰『ラ・ラ・ランド』 感想

―――A Clockwork Organ『時計じかけのオレンジ』 感想

 

アニメ

ここについては考え中。もしかするともう更新しないかも。あ、アニメ映画はこのカテゴリに入るか。

ヘボット!

ポケモン

 

ドラマ

昔見て気に入ってたドラマをいくつか見る予定。最近物語ってのが何なのかってことを考えてるので、「子供/大人向け」みたいなうるさい枠を付けられない普通の作品も見たい。

JIN-仁-

トクサツガガガ

LEGAL HIGH

 

玩具

その名の通り、玩具について話す記事のカテゴリ。いわゆるレビュー的なことをするときもあれば"遊び"について考えたりもするかもしれない。この辺はまぁ気分次第。

 

雑記

いつもはTwitterで色んなことをぼやいてるんだけど「記事にするほどの文量にはならないな」と埋もれていくツイートもある。そういったツイートを脈絡なく貼って残しておくのがこのカテゴリの記事。過去に書いた記事を補足するような内容だったり、記事にはしないような珍しい話だったりが読めます。

ニートによる「仕事論」

僕はニートだ。
高2で体調を崩して受験を諦めてから、アルバイトも1ヶ月以上続けた試しがないまま20歳になり、先日成人式及び同窓会に参加して「今何してるの?」「何もしていない」というやり取りを繰り返し、自分の無職ぶりを痛感している。

ギリシャの哲学者達は、奴隷に労働させて空いた時間を思索にあてていたと聞く。
そんな彼らよろしく、僕も父のおかげで持て余した暇をもって日々色々なよしなしごとについて考えさせてもらっている。僭越ながら、少しでも労働に従事している多忙な方々の"代わり"になればと思い、こうしてブログというかたちで発信をしていたりする。
自分の生活や経験から得た知見なので、いわゆる自分語りが必要に応じて挟まることは先に断っておく。

 

目次

 

労働の義務は何のため

当然といえば当然のことだが、金銭的な意味で親にすべてを頼っている生活をしている(そしてそれを肯定している)と、色んな人から「お前はクズだ」などと言われることがある。
その際に根拠とされるのは、概ね「勤労の義務を果たしていない」ということだ。
ただ、ここでは実は国家に対する義務であるとかいった細かい解釈の話は一旦置き、多くの人がイメージする「人は働かなければならない」という道徳律に近いものを扱うこととする。

「その義務は何の為にあると思うか」と問うと、大抵はまず「納税の義務を果たさせるため」だと返ってくる。
だが、僕は別に脱税をしている訳ではない。国の定めるところに従い、所得税は所得が基準を越してないので払わなくてよいし、住民税などは父がではあるがきちんと払っている(はず)。ちなみに年金はとりあえず納付猶予ということにしてもらっている。納税の義務を根拠に、「ニートたる僕に対する嫌悪感」を説明することはできない。


僕自身は、労働の義務とは「社会の構成員として、何らかのかたちで社会に貢献する("働きかけ"る)義務」だと感じている。
そしてその意味では、微力ながら僕も"働いて"いる。
まずこのブログ。自分自身に収益が入るようには設定していないが、表示されている広告によって"はてな社の広告収入"の一助となっているはずである。Twitterでの活動も同様にカウントできる。
また、僕は日中「地域活動支援センター(通称地活)」という障害者の通う施設に通っており、むしろ利用料100円を払った上で、本来ならばスタッフの仕事の一部である皿を洗ったり洗濯物を畳んだりといった簡単な作業を好んで手伝っている。他の利用者にスマホの使い方を教えたり、勉強中の手話で聴覚障害者への簡単な通訳をしたりする場面もある。
あと細かいところだと、道に落ちてるゴミを拾うことも割とする方だと思うし、スーパーや本屋で陳列が乱れていたりすると直したくなる性分なのでそれもよくやる。この間は道に迷った観光客を、30分ほどかけて駅まで案内してあげたりした。
文章の執筆や家事めいたこと、手話通訳にゴミ拾いに陳列棚の整理など、有り余る暇を利用して"仕事"となり得る活動自体は、人よりは少ないかもしれないがしているし、僕はこれらの行動に少なからず"やり甲斐"を感じて、そこそこに充実した日々を送れている。

 


抑圧されるマジョリティの悩み

話を「ニートに対する嫌悪感の根拠」に戻すが、僕に思い付くのはあと2つ。
まずひとつは「みんな我慢して働いてるのにお前だけズルい」という嫉妬。

これはここで扱うには根深過ぎる問題だ。
正直、「働きたくない」なんて全人類が思っていてもおかしくないだろう。
よくマイノリティがマイノリティ故に苦労するという話が取り上げられる。これは言わずもがな「少数者のためにわざわざコストをかけることに対する抵抗感」がもたらすものであるが、見方を変えれば対象が少数ならばかかるコストも高が知れており、その気になりさえすればなんとかなる可能性が高いということにもなる。
逆にこの「働きたくない」という悩みは、マジョリティ故に抑圧されてしまう。そう思う全ての人がいきなり働かなくなったら、この社会は立ち行かなくなってしまうだろう。
マイノリティは「みんな我慢してる」の"みんな"に含まれていないという点でこれを逃れ得るが、マジョリティに逃げ場はない。
ニートに限らず不労所得や莫大な富を得た故に働く必要がなくなった人たちにまで、その「ズルい」の牙は向けられる。

余談だが、以前プリキュアシリーズにおいて初となる"男の子が変身するプリキュア"が生まれたことがあった。その際、一部フェミニストから「結局救われるのは(男児向けアニメを好む女の子ではなく女児向けアニメを好む)男の子で男尊女卑的」という声が上がったのを覚えている。
女性仮面ライダーは一応だいぶ前からいたなどという話はさておき、差別されてきた誰かが救われることに対してまで「ズルい」は付きまわる。
女性が救われるまで他の誰も救われたらいけないって一体どういうことなんだろうね。できるところから少しずつ助けていけばいいのに。
性別にとらわれない生き方をできる人が生まれたことは、少なくとも男女平等を願うなら喜びこそすれ、批判するようなものではないと思う。僕はそういう意味で、自らを平等主義ではなく"女性主義"と呼ぶ人たちのことをあまり好んでいない。

 

おそ松さん現象」

これらの「ズルい」という感情に対する根本的な解決は、技術の発展に期待するしかないように思う。
世界の需要と供給の接続効率を高めていくことで、まずはやりたい仕事に就きやすくする。例えばギターを求めているバンドと、バンドを探しているストリートミュージシャンを繋ぐようなイメージ。従来あった物理的な距離の問題なども、通新技術の発達によって解決し得る。北海道にいながら沖縄の会社に務めるようなことができるようになれば、就ける職の選択肢は広がり、仕事への不満は徐々に減っていくことだろう。すると「自分は我慢している」という感覚が緩和され、働いていない人への嫉妬心も減る。

最終的には、"仕事"という概念自体の解体が予想される。
上述した需要と供給の接続効率が極限まで高まると、「おそ松さん現象」とでも言うべきことが起こる。
おそ松さん』とは赤塚不二夫の『おそ松くん』を原作とし、ニートとなった6つ子の日常を描くギャグアニメであり、かなりの人気作となった。
もちろん『おそ松さん』自体はアニメスタッフが仕事として意図的に人気を取ろうと制作したものではあるが、例えとして「ニートの日常風景に需要が生まれる」というのは非常にキャッチーで分かりやすいのでこう呼ばせてもらう。
人の好みは千差万別なので、あなたの声や容姿、挙動や発言に至るまで、全てのものに「誰かが好む可能性」はある。
既にYouTuberなどというかたちで一般の人がアイドル的な人気を得る事例は起こっているが、それがもっと日常に溶け込むイメージ……というのは逆に分かりにくいだろうか。
「好きなことをして生きていく」なんて標語の通り、自分がやりたいことをやっているだけで、誰かがそれに価値を感じ、面白がったり必要としたりしてくれるようになったら、きっとみんな幸せだろう。
イメージはしにくいだろうが、例えるならば障害者アートの方が適切ではある。
重度の知的障害がある人でも、何らかの生産的な活動をすることはある。絵を描いたり砂場で山か何かをつくったり、気に入ったものを集めて"巣"のようなものをつくったり。そういったものを取り上げてみんなで面白がろうという取り組みだ。それが健常者にまで一般化されるような感じ。
趣味で書いた絵などに誰かが投げ銭をしてくれて、自分も気軽に他人の何かに投げ銭をする。
絵でもまだハードルが高く感じるなら、最近あったエピソードなんかでもいい。「今日こんなことがあってさ」「昨日こんなミスしちゃったんだ、笑えるよね」なんて他愛のない話にだって価値は生まれ得る。場合によってはそういう細かなエピソードを創作のネタとして買う人も出てくるかもしれない。実際、実話を漫画とかにしてる人いるものね。『私のおっとり旦那』とかかわいくて好き。
"苦労して我慢して手に入れたお金"でないのなら、そういったものに払う抵抗も減ることだろう。
詳しくは鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』という本の、中でもゲームプレイワーキングという話題についてを読んでみるといい。

 


プレゼントは一方通行

次に検討したいのは、当人が働かないぶん他人……親だったり国だったりが負担を被ることに対する義理の感情。

親に(強い)自由意志というものを認めるならば「義務の範疇を超えて養うのは個人の自由であり、他人が口出すことではない」で片が付いてしまう。国についても自ら勝手に社会福祉という制度をつくり、対象者も自ら吟味しているのだから同様のことが言える。
だがそれで終わってしまってはつまらないので、ここでは返報の是非について取り扱ってみることにする。


お返しをすることに非などあるのかと思われるかもしれないが、少なくとも僕は日頃から感じている。
至極単純な話だが、せっかくあげた厚意を、何が悲しくて熨斗つけて返されなければならないのかと、そう思うのだ。
例えば誕生日プレゼント。"交換"してしまうと、どうしても"チャラ"になってしまう感じがする。「それなら自分で買えばいいじゃん」なんて言う人(僕だが)が出てくるのが何よりの証拠。
「今月ちょっとお金ないからプレゼントってことで買ってもらって、相手の月までにゆっくり貯めよう」
「今月ちょっと余裕あるからプレゼント買って、忘れた頃に返してもらって喜ぼう」
みたいな風に考え始めると、実質的にやっていることは"お金の貸し借り"でしかなくなってしまう。


プレゼントとは本来、相手に得をさせたいという感情から発生するものであり、対価を求めると意味が違ってしまう。
もちろん、お互いがお互いにプレゼントしたい気持ちを持った結果として交換のような様相を呈すことはあろうが、重要なのは本人たちにその意図があるかどうか。
それが本当にプレゼントであるならば、その矢印は一方的なものでないといけないのだ。
だから……という訳ではないが、僕は昔から人からの厚意(特にモノ)に対しては、少なくとも意識的にはほとんどお返しをしてこなかった。
バイト先で差し入れを貰ったときも「ありがとうございます、いただきます!」以上のことが湧いてこない。今度は自分が……なんて、何年経っても出てこない気がする。
そろそろシーズンのバレンタインチョコなんかも、考えてみるとお返ししたことが滅多にない。人生で一回だけかもしれない。まぁ大抵はあげようかって言われたときに「ありがとう。でも、何も返せないけどいいの?」って言ってるからいいんだけどさ。……いいのか? 僕にとってはそれが普通なんだけど。おいしくいただいて、嬉しいなって感じて、それを伝えて終わり。
まぁ、くれるって言われたときの第一声が「何も返せないよ?」なのはちょっとオカシイ気もするけど。相手が見返りを求めてる前提の返事だもんな。ホワイトデーという文化があるとは言え。
でも見返りもなしに何かをもらえる前提なのも傲慢だし、ここは悩ましいところか。


そのような対応をしていて相手にどう思われてきたかは僕には想像することしかできないが、少なくとも僕が相手に厚意を与えた際は、それを返されてしまうと自分の厚意をなかったことにされたような気がしてモヤモヤする。
分かりやすさを重視して現金な表現をすれば、相手に5000円分の得をさせたかったのに3000円分のお返しをされてしまっては、相手の得は2000円に留まってしまう。それは自分の本意ではない。
上述した皿洗いや洗濯物、手話通訳に道案内などと言った行為がいい例だ。僕は直接的なお返しを得ないからこそ"やり甲斐"を感じられる。これは相手から与えられるものではなく自分の中から湧き出るものであるので、「相手に得をさせたい」という目的に反しない。
あと、「ありがとう」も別に言って減るようなものじゃないので、僕はここで言っているような"お返し"には含めて考えていない。

うちには祖母がいるのだが、最近人並みにボケてきている。そんな彼女も必要とされたいのか、僕の洗濯をやりたがる。ボケのせいなのか彼女に任せると高頻度で靴下や肌着がなくなってしまうので、正直に言えば自分でやった方がはやい。だから彼女に任せる際は、自然と「やらせてあげてる」という認識になる。
父もそうだ。彼は僕の苦手な食べ物を知らないので、食事の用意をしてもらうとこちらも不満が溜まるし向こうもせっかくの厚意が無駄になってしまう。そういった理由から普段は食費という形で貰って自分で用意しているのだが、時たま「食費を与えた上で用意したがる」時がある。自分の子供の食べるものを管理するというのは、支配欲を満たしてくれるのかもしれない。ここでも僕は「やらせてあげてる」と感じる。食べられない訳ではないのなら、我慢して食べてあげる。
僕がやり甲斐を得たくてやっている行為と同じように、「本人がしたくてしていること」ならば、見かけの恩に関わらず負債の感情を負う必要はないだろう。
有り難い(≒珍しい)ことだとは思うものの、仮に相手が対価を求めていても、これらに関してはとても返す気にはならない。

 

以上の内容を踏まえて考えたとき、対価を得て相殺されていない分、ひょっとすると僕はそこらの働いている人よりもむしろ社会に対し"生産的かつ貢献的"に活動していると言えるかもしれない。
さながら、無償で僕の生活費を負担してくれている父のように。

人は誰しも、20年近く与えられっぱなしで生きる。その負債の感情を、今度は自らが次世代を育てることで精算しようとする。
そんなような話を、この間ご老人から聞いた。
人と人との支え合いというのは必ずしも2者間で循環させるだけではなく、よりマクロな視点で人から人へ、更に人から人へと巡り移ろってゆくものなのではないだろうか。

 


"働く"とは

現在市場にある多くのものは、生きることに必要とは言えない嗜好品である。
そういった重要度の低いものを生産することに価値が見出され、あなた方の"働き口"が確保されているのは、緩やかな「おそ松さん現象」によるものだ。社会の余裕が増えれば増えるほど、それまで価値が見出されなかったものにも目を向けるようになる。
髪の毛にフケが付いてるなんて、シャンプーなどなかった昔にはきっと誰も気にしていなかったことだろう。放置したからといって大した害がある訳でもあるまいし。
しかしそれを勝手に取り沙汰してお金をかけるようになる。
化粧などもそう。自分たちで「やらないといけない」という空気を醸成してお金を浪費する。
人の需要なんてその程度のくだらないマッチポンプなのだ。
たまたま今の時代に必要とされていない、日の目を見ていないだけの生産活動はごまんとある。それらを「価値がない」と切り捨てることは、諸刃の剣だ。自分たちのやっていることも、他人からそう言われてしまえば簡単に瓦解してしまう砂上の楼閣なのだから。


「生きるために、生きるのに不必要なことをする」というこの大きな矛盾が、当たり前のこととなって久しい。
今日の食料を求めて狩りをするような、従来確かにあったはずの必然的な結び付きに基づいた生活に戻ることはもはや不可能と言っても過言ではない。
であるならば、まだ価値を見出されていないだけの人々をむやみに否定せず、無意味なことにも意味が生まれ得るということを認めていくほかない。

 


働いていないことの何が悪くて、働いていることの何が善いのか、少しでもこれまでと違った視点を提供できただろうか。
最後に、何故僕が働いていないかという話をしよう。
スーパーでアルバイトをしていた頃、自分の働きに時給800いくらの価値が果たしてあるのかと自問自答した。
正直、ないと思った。
ミスも多ければ手際が良い訳でもない。障害特性によって自覚なく迷惑をかけているかもしれない。
お金が欲しいだとか親に対する申し訳なさを解消したいとか言った自分の都合を職場に押し付けておいて、自分は一体何を返せているのかと。
給料という形で対価を求める限り、自分はそれに見合った働きができているのかという悩みはついて回る。
そこから逃れようとした結果が、対価を得ないという比較的な安全圏から人の役に立ちそうなことをするという現在の状況になる。
祖母や父のエピソードのように、「相手のためだと思っていても実はありがた迷惑かもしれない」という不安は残るものの、大分気持ちは楽になっている。

僕にとっての「働かないこと」というのは「自分が得をしないこと」であって、それすら責められるといよいよもう行き場がなくなってしまう。
これまで綴ってきた内容は有り体に言えば、僕がそういった罪悪感から心を守るための詭弁に過ぎないのだが、そういったものにだって幾許かの価値は見出されるかもしれないという期待を込めて、記事として残しておく。

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想

こちらはネタバレありの、既に映画を見た方向けの感想となっています。まだ見ていない方や、より抽象的かつ簡潔にテーマについて語る内容をお求めの方は、こちらをどうぞ。

86ma.hatenablog.com

 

キャラクター

 飛電或人
・寝坊していないケースが取り上げられることは(絵面として普通で面白くないから)ないので、寝坊ばかりしている印象になってしまうのはある種仕方のないことなんだけど、一応目覚ましを増やすという対策をしているというフォローがされている。
逆に考えると、13話にて「終了時間は未定です」とのセリフがあることから、遅刻してるのと同等かそれ以上の残業をしている可能性もなくはない。ゼロワンとしての業務も昼夜関係ない(劇中で明確に夜中戦ってる描写はないけど)し、多少は大目に見てもいいのかも。
・それはそうと、開始早々以前と全く同じシチュエーションでバイクを使っているシーンがある。本っ当に面白いよな。「遅刻しそうだけど雷電のことを思い出して使うのをやめておく」みたいな描写にしようと思えば作者には簡単にできてしまうのに、敢えてそれをやらない。
寝坊に共感を示した身としては、これにも共感の意を書いておきたい。人との約束ですら忘れてしまうことってあるのよね。健常者がどうかは知らないが、少なくとも僕はそう。「バイク(関連するもの)を見たら思い出すだろ」と思うかもしれないが、そうとも限らない。パッと思い付く例だと薬の飲み忘れくらいしか出てこないけど、薬自体は目に入ってても、「飲まなきゃ」というところまでは意識に上がってこない。まして遅刻しそうで焦ってる時ならなおさら。
ここからは少しずつ好感度を下げた解釈をしていく。

・バイクを呼び出してから約束を思い出したが、既に地上に降りてきてしまっている以上仕方ない(後でまた謝ればいい)と割り切った
・バイクを呼び出してから約束を思い出したが、『わざわざ衛生に戻さなくていいよ』と言えば万事解決すると思い、割り切った
・バイクを呼び出す前から衛生に戻す必要性に疑問を感じていたので、約束を気にせず呼び出した。『次から気をつける』はその場しのぎ
・約束を守る気はあったが、当の雷電が壊れてもういないので、守る必要を感じなかった

……ちなみに僕が一番に思い付いた解釈は最後ので印象最悪だったんだけれど、僕が思い付く程度のことを制作側が分かっていないとは今の僕は信じていないので、"敢えて"やってるんだと思えばこれくらいのクズさは全然アリ。「お前が父さんをハッキングしてるんじゃないのか!」という衝撃の発言についても同様。
ソウゴの"魔王っぽさ"と同じで、そういうものとして受け入れることで魅力にも転じ得る。僕はその抜き身な言動にゾクゾクしたね。
・其雄が或人の「父さんを笑わせたい」という言葉を曲解したのもそうなんだけど、今作においては勘違いというのがひとつのキーワードになっていて、本来其雄の夢というのはあくまで「自分と或人が笑う世界」でしかないんだけど、或人はそれを「人間とヒューマギアが笑う世界」だと拡大解釈する。これが勘違いであることは、其雄が或人に反対し戦ったという事実から明らかだろう。
この拡大解釈とか勘違いって部分こそが、其雄に直接由来しない"或人由来の夢"という描き方なのよね。 
仮面ライダーに原点も頂点もない」というセリフもある通り、"仮面ライダー"から学び取り受け継いだものはキャラクターによってそれぞれ違うし、勘違いや伝達ミスもたくさんあるかもしれないけど、それこそが仮面ライダー本人ではないそのキャラの"個性"であり"自由意志"なのだと。
例えば王蛇は原典の"仮面ライダー"とは定義も何も違う悪人かもしれないけど、"仮面ライダー王蛇"の原点であり定義であり、正解なんだよね。
同じ仮面ライダーという記号が使われていることを根拠に同じくあることを求めるなら、例えば仮面ライダーも元ネタたる『月光"仮面"』に忠実でなくてはならない。というのは多少無理があるかもしれないが、仮面ライダー自身だって何の背景もなく突如として現れた訳じゃあるまいし、更に遡るべきルーツ,原点があるはずなのだ。……そういえば昆虫は実際に生物史においてそのような存在だと言うような話がテラフォーマーズまことしやかに書かれてたな。まぁそれにしたって結局宇宙から来たなりなんなりという背景があるはずなのだが。
でも、そんな風に過去ばかり見ていてはキリがないので、今目の前にあるものを見ればいい。
月光仮面』を見ずに『仮面ライダー』を見てもいいし、『仮面ライダー』を見ずに『仮面ライダーゼロワン』を見てもいい。
エピソードゼロである本作を見ないままに『ゼロワン』を見てもいいし、『ジオウ』や『ゼロワン』を見たことない人が本作を見てもいい。
それこそが、或人が自分にとっての"仮面ライダー"とは何かを知り、名乗るまでの物語である本作の描こうとしたものだろう。

こちらも参考のこと。

86ma.hatenablog.com・これは完全に聞き流してもらって構わない余談なんだけど、「違う……俺が望んでたのは!」ってところ、時期も相まってクリスマスプレゼントで欲しかったのと違うものを貰った子供みたいだな、と。そうやって感情移入することを想定してたりして。僕も、誕生日やクリスマスで欲しいって言ったものもらえた試しがあんまないんだよなぁ。そもそも何が欲しいか訊かれた記憶もほとんどない。

 

 常磐ソウゴ
・「彼の言う"過去"ってなんなの?」というのは、多分多くの人が思ったことだろう。
僕もじっくり考えてみた。出た答えとしては、「タイムマシンを持っている人にとって過去や未来というのは相対的で、時間移動することで容易に変わってしまうので、"過ぎた過去"というのは実質的には『変えようという気にならない事実≒受け入れられるもの』ということになる」。
ソウゴにとって見れば、或人の苦悩は言ってしまえば他人事なので、受け入れることは容易なのだろう。だから過去認定。でも或人はどうしても納得がいかない様子で、話を聞いてみると「自分のせいで世界がめちゃくちゃになっている」ということだった。そうなってくると話は別で、ソウゴ自身にも似たような経験があって他人事ではないので「そう思うなら(自分の手で)変えればいいんじゃない?」と提案する。まぁ簡単に言えば、「勘違いされてたならこれから正せばいいじゃん」って話。
・それまではただの他人事として聞いていた"歴史"だったけど、努力した結果としてアークの発射を止められなかったという"現実"を目の前にしたら受け入れる気分になった(「手遅れだ」)というのも、分からないではない。
・ゼロワンライドウォッチが欲しくてゼロワンドライバー買った人間なので、ゼロワンアーマーが出てくれたら嬉しいと思っていたんだけど、予想通りというか出なかったね。その代わりと言ってはなんだけど、ゼロワンとのダブルライダーキックの表記が「ライジングタイムブレーク」になってたので、多少満足したかな。前まではジオウがレジェンドに成り代わるかたちだったけど、そうじゃなく並び立って協力するというのは、本編後としては確かに筋が通ってる。
・ラストのソウゴが或人の前に立ちはだかるシーンの意味を理解できてない人って、其雄が或人の前に立ちはだかるシーンのことはどう思ってんだろ。どっちも意味としては同じだと思うんだけど。
違う人間である以上、どこかで意見が食い違うことはある。ディケイド的に言えば、自分を成立させる世界観(宗教観とも言う)もソウゴと或人では根本的に違うので、共存はできない。となれば、戦って白黒つけることになる。
劇場で売ってるパンフレットには奥野さんの解釈も載ってるので、参考にしてみるといいかも。
まぁ、そんな小理屈をこねなくても「戦いたかったから戦った」で悪い理由はないんだけどね。

(参考:仮面ライダーディケイド暫定的まとめ)

 

 飛電其雄
・全体を通しての話なんだけれど、彼のスタンスというのは一貫して「力こそすべて」の一言に集約されると思っている。意見が食い違ったら殴り合って、それを制したものの意見が正しいという考えの持ち主。
その上で、ヒューマギア(自分)の発言権を確保するための力(サイクロンライザーとフォースライザー,ゼツメライザー)は当然として、それに対して人間(或人)が対抗するための力(ゼロワンドライバーとショットライザー?,フォースライザー?)も同時に用意して、どちらかがどちらかを一方的に抑圧することなく、対等に接するための環境をつくろうとしていたというのが、僕の感じた彼の目的。
以前から"変身"の意味ってなんだろうとぼんやり考えているんだけど、今のところの答えは「戦うという意思表示」なのよね。其雄は、神崎じゃないけども、ヒューマギアにも人間にも「自分の笑顔のために戦え」と言っている。ちょっと強引かもしれないけど、これはあくまで彼にとっての"道徳/モラル"の話であって、「俺が笑い、或人が笑う世界にしたい」という個人的な夢とはまた別のものだと捉えている。サイクロンライザーとゼロワンドライバーというかたちで、自分と或人だけには特別な力を用意していたのだともとれる。
また、社長になろうとしなかったことや或人と戦う前提だったことから、其雄が追求しようとする"自分の笑顔"と"或人の笑顔"はハナから共存し難いものだったと思われる。例えば分かりやすい例で言えば「世代交代したくない、いつまでも現役でいたい」みたいな思いがあったとか、或人の「暴走したヒューマギアは(葛藤しつつも)壊す」という立場に反対だとか。ゲイツとウォズがマギアを破壊した際に、ショックを受けるような描写があったし。
ただ、ショットライザーの開発に携わっていた根拠は作中にはなかったと思うので、もしかすると人間を守ると言いつつ人間のために用意してるのはリスクの伴うフォースライザーだけ……なんてこともあるかもしれないが、それはそれでそういう人なのだろうとしか言えない。
或いは、元々はそうだったんだけど、或人の「自分が望んでいたのはそういうことじゃない」というのを聞いてから、ショットライザーの制作を開始したのかもしれない。
・ウィルの解釈では其雄がアークに爆破プログラムを仕込んだということなのだけれど、彼がアークの中で操作していた画面には「Automatic Control Function」とだけ書かれていたように見えた。直訳で「自動制御機能」だけれど、これがどう爆発に繋がるのだろう。
相手にも力を与えて対等に殴り合おうとするスタンスと、暴走したヒューマギアも壊したくないという思い、そして1型に備わった暴走を止める機能を合わせて考えたとき、「街ひとつ爆発させて解決」とはならないと思うのよね。
アークが自分たちのプログラムと違って悪意を持つよう成長していることに疑問を抱き、細工をしている自分たちでない誰か(天津)の指示に従わず、自分で考えて作動するようにしていた……? 情報が少な過ぎてちょっと分からない。
あと其雄がアークの開発に関わっていたんだとしたら、アサルトウルフキーをショットライザーでも(そしてシャイニングアサルトとしても)使えた理由が、天津じゃなくて其雄にある可能性も出てくる。人間がヒューマギアに対抗するための力としてショットライザーを開発する過程で、対応させたのかもしれない。
・其雄がハッキングを免れた理由というのはなんなんだろうね。モブ達がアークからの支持で次々とマギア化する中で、イズとシェスタだけがそのままの姿を保っていたことと何か関係があるのかね。だとするなら、それが"ゼロワン計画"に関係あるのかは分からないけど、社長秘書などの重要なポジションにいるヒューマギアは特別なつくりになっているのかもしれない。
・これは其雄の人間性とは少し違う話なんだけれど、最後にロッキングホッパーキーが消えたことも踏まえると、"仮面ライダー1型"は正史のデイブレイクにはいなかったんじゃないかと思う。オーマジオウには"仮面ライダーの力を与える力"がある(世界の破壊と創造能力の応用かもしれないが、普通に奪う力の反対だと思う)ことがツクヨミの件で判明しているので、そんな感じでこの映画の事件に用意されたオリジナルライダーだと思っている。劇中でさらっと披露された暴走するヒューマギアを元に戻す(?)機能も本編の時間軸には存在しないものなのかも。シンギュラリティに達していた其雄には理論上はつくれたはずだが、記録が残っていなかったので再現不可能、とか。

 

 ウィル
・人間が自分たちを笑顔にしてくれないことに苛立ちを覚えるというシーンは結構今作のテーマ的には重要で、そこからウィルは他人任せにせず、自分の力で自分を笑顔にするべく、手を上げ声を上げ、力を振るうことを決意する。結局彼の意見は別の力(エイムズライダー)によって封殺されてしまうのだが、その姿勢自体は肯定されていたように思う。
・其雄とウィルがアークをプログラムし、そのアークの意思もまた2人に影響を及ぼす。
この循環の構図って、人間の創作活動全般で起こることで、一度自分の外に出力することでまた違って見えたりする。ストーリーに限らず、Twitterのようなものでも同じことが言える。ジオウで描かれてきたタイムパラドックスとも通ずるものがあるし、其雄と或人の"夢"もそう。或人は其雄と関わる中で「笑わせたい」と思って、それを聞いて其雄は「自分も或人も笑える世界をつくりたい」と願った。そしてそれを誤解した或人は、「自分も人間とヒューマギアが一緒に笑える世界をつくりたい」と決意する。
卵が先か鶏が先かという01じゃなくて、両方が模倣であり、同時にオリジナルでもある。
実際には、本当に其雄とウィルだけでやってた訳じゃなくて、単に責任者だったみたいな話なんだろうけどもね。本編で明かされた通り、天津も関わってたんだろう。
・彼がリンカーンの真似をしていたのと同様に、「ヒューマギアの言動は名言のコピペばかり」なのは事実ではある。ただ、僕らが普段使っているこの名言でも何でもない言葉のひとつひとつだって、元をただせば誰かが使っていたのを真似している模倣品の切り貼りに過ぎないのよね。にも関わらず、あるいくつかの場合(よくパロディと呼ばれているケース)においてのみ"軽薄"な印象を受けるのはどうしてなんだろう。これについてはまだ考え中。

 

 フィーニス
・或人の項で書いた本作のテーマに照らし合わせると、「どういう経緯があってかは分からないが、『仮面ライダーは本来人類を滅ぼす悪の存在である』という信念の元に、新時代をつくろうとしているキャラ」として今目の前に存在していることが全てでいい

「男である」とか「女である」という背景を無視するキャラであるのもミソ。

 

 飛電是之助
・あくまで大衆に向けた発言であり自分の意見とは違うかもしれないが、彼はヒューマギアのことを「人間を労働から解放し笑顔にしてくれる存在」として表現している。
ウィルの質問をはぐらかしたことも手伝って、意外と多くの人から「印象が悪くなった」と言われているように見えるし、実際僕もそう思った。
ただ、流石にそういうことについて何も考えてない無能だと決めつけるのは可哀想なので、その問題の難しさ(特に、自分はヒューマギアに対価を払う気があっても、それを他の人間に共感してもらうことの難しさ)を理解した上で、あのような言動をとっていたのだと、とりあえずは理解しておこうと思う。
ヒューマギアに対価を求める意志が芽生えるのと同様に、人間にもそれを拒む意志がある。拒まれたら、今度は労働を放棄するとか、暴力に訴えることができる。それが"コミュニケーション"というものだ。

(参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)
・其雄型のヒューマギアをつくることは人工知能特別法第六条に反しているだろうという点については、当時はまだ黎明期で、そういった法整備が追いついていなかったのだと思われる。道徳的にはともかく、法的には遡及処罰(その行為が違法だと定められる以前に行われた行為について遡って処罰すること)は現実世界と同様に禁止されていておかしくないので、問題はない。
テレビ本編の時点でも「似た声のAIはいいんかい」というツッコミが可能なように、また現実世界の法律にも抜け穴があるように、法は完璧なシステムではない。其雄のような例が及ぼした影響を鑑みて、実在する人に似せたヒューマギアをつくることが問題視されていったという順序なのだろう。
・本編ではゼロワンドライバーは是之助から送られていたが、正史ではどういう流れだったんだろう。其雄が開発していたものを見付けて、その思想(何が正しいかは戦って決めろ)に共感した……のかまでは定かではないが、それでそのまま或人に託したんだろうか? それともそこから"ゼロワン計画"とやらを立ち上げて、何か手を加えたんだろうか。

 

 不破諫
・或人に対して「ヒューマギアをつくった人間の家族だから」というだけで敵意を向けていた。それ自体は本編でも同じはずなんだけれど、本編では確かそんな様子はなかった気がする。ヒューマギアの脅威が本編よりも差し迫ってるからかな。
・物語(或人)は人間とヒューマギアの共存という目標に向けて進んでいくけど、彼は変わらずヒューマギアぶっ潰すマンだったし、唯阿もヒューマギアは道具マンだった。こういうのを「物語の都合でキャラがブレてない」っていうのかな。当然のトレードオフとして、「テーマに逆流しているので邪魔だった」という感想もチラホラ見かけたけど。

 

 刃唯阿
・本編ではなんかイマイチ締まらない印象があったんだけど、この映画ではすごく頼り甲斐もあってかっこよかった。
銃弾をスローで捉える演出はそんな何度もやるもんじゃないだろと思ったけど(だって銃の強みのひとつは速さじゃない)、そういうくどさを抜きにすれば、彼女に対するプリミティブな好感を抱くに足るものだったと思う。
まぁ、人間がかっこよく見えれば見えるほど、変身しないで欲しい気持ちになってしまうのが仮面ライダーのややこしいところなんだけれども。

 

 ゲイツ,ウォズ,ツクヨミ
・誕生を祝いたくないだとか自分たちの世界を取り戻すだとか、分かりやすい老害ムーブしてて笑った。どんなに優しかった仮面ライダーも、ライダー大戦の世界では自分の世界を守るために他の世界を犠牲にしようと戦ってしまうのと似ている。
ジオウは過去のキャラたちに散々自己解釈を加えてきたので、今度はいじられる側になってるというのがもう面白いよね。

 

 モブたち
株主総会のヒューマギア達やレジスタンスの面々がどのように生きてきたのか、どのような性格でどのように物を考えているのか、我々視聴者にはほとんど分からない。でも、この無根拠性こそが本作のテーマなので、立派に作品を構成する重要なピースとして成立しているのよね。

 


設定

・人間をサポートするAIとしては必要性がない子供のヒューマギア。まぁ、子育ての予行演習みたいな使い道はあるかもしれないが(書いてみて思ったがあるとなかなか有益そうだな)、"未熟なAI"という意味では必要がない。ヒューマギアが支配権を握ると、そういったヒューマギアの愚行権が認められるというような描写なのかな。

(参考:大自然がつかわした戦士『漫画 仮面ライダー』 感想)
・ソウゴ達がウォッチを手にしたのは本編と同じでウォズが時間を止めて(というよりは作者特権で)渡したのだろう。
ここから察するに最終回でのソウゴは、自分たちの力と記憶の与奪権をウォズに託したということになるのかな? 完璧になかったことにするのではなく、可能性や余地を残しておくような感じ。僕の好きなディズニー作品『ファイアボール』に、「概ね万事においてそれほど完璧にしない法案、略してオバカン法」というのがあってね。ゼロワンについて考える上でも参考になるので機会があればぜひ。
・根本的な舞台設定として、ゼロワンの過去にタイムジャッカーが介入するという時点で(後のタイムマジーゲイツ機も含め)、既にジオウとゼロワンの世界が融合していないと成立しないのよね。
これについては、またソウゴが敵を倒す"仮面ライダーごっこ"をしたくなったから無意識に引き寄せたか、OQで言うところのSOUGOにあたるポジションとしての「令ジェネの作者」がソウゴの能力を利用したと取るかのどちらかが自分的には収まりのいい解釈。ウォズの本を真逢魔降臨暦に変えたり、そこに始まりのライダーについての記述を加えたりしたのも同様。
或いは、最終回の世界がそのままゼロワンの世界(とゲイツマジェスティに分岐する世界)だったと見ることもできるか。
ウォズが使っていた"元の木阿弥"という表現が気になったので調べてみたところ、庶民だった木阿弥さんという人の声が死んだ偉い人に似ていたということで影武者として取り立てられたんだけど、正当な後継者が育って必要なくなった途端に元の庶民に逆戻りしたという故事が元になっているらしい。この場合はむしろ逆というか、ソウゴは魔王(替え玉)としての権力を得ているところが面白い。
・アナザーライダーが生まれたのに何故ゼロワンライダーたちの力が消えていないのかという点は単純な話で、消えていたとしてもその改変された歴史の中で新たにつくられているので、消えていないように見えるだけ。
例えばソウゴが過去に戻ってバス事故を防ぎ、両親の死をなかったことにしたとする。でも、仮にその直後や何年後かにまた死んでしまうような目に遭ったとすれば、結局現在のソウゴに両親がいないという結果は変わらない。
本編で同じようなことが起こらなかったことや、今回だけそうなったことに対しては理由なんて要らないと僕は思うんだけど、どうなんだろうね。
・或人に正史の記憶が残ってたのは、イズの言う通り単なる"バグ"でもいいと思うんだけど、彼女はポンコツなので(いい意味で)鵜呑みにはできない。例えば或人にブランクウォッチを渡しておけば、ゼロワンライドウォッチという形で記憶を保持して置けるかもしれない。ゼロワンの力自体はさっき行った通りアナザーゼロワンと共存できてもおかしくはないように思う。劇中では一応アナザーゼロワンの(一時?)撃破と入れ替わりに変身してたけど。
・ゼアがシミュレートの参考にしたという"歴史の綻び"というのは何なんだろうね。
綻びのひとつとして考えられるのはやっぱり、歴史改変当事者ウィルの記憶。と言っても今回のウィルは未来から来た訳ではないんだけど、フィーニスから聞いた正史世界の情報をゼアに伝わる形で(例えば裏切る前のイズの前で)口にしていたとしたら、そこから逆算することは可能かもしれない。
・しかしもっとも大きな違和感は、偽史において或人が何をしていたのか、という部分にある。まるで世界五分前仮説のように、或人は冒頭のあのシーンではじめて(正確には幼少期以来に)あの世界に姿を表したかのような扱いを受けている。
ソウゴが"そういう舞台"を用意したととるか、或いは融合したジオウ世界の「主人公の夢が現実になる」というルールが或人に適用されて、今回は或人がジオウたち先輩ライダーを夢見たととるか。
・フィーニスがソウゴから「全てのライダーの力」を奪った結果何故アナザー1号になったのかというのは、僕には割と自明のことだったので説明が難しいんだけれど、例えば「あるものについて連想するものをたくさん羅列していって、元になったものを当てるクイズ」のようなものだと言えば伝わるだろうか。
バッタ,バイク,変身,仮面,触覚,Oシグナル,クラッシャー,涙,本郷……ここまでくればほとんど1号が絞り込まれ導き出されることだろう。そしてここに挙げた要素たちは、一人ひとりは部分的にしか持っていないこともあるが、全員から抽出していけば元の仮面ライダー1号帰納的推論によって逆算してかたちづくることは不可能ではないだろう。まぁ、元より完璧に再現なんてできずに歪んだ1号なんだけれども。
というか、そもそもアナザーライダーになるために人から直接力を奪う必要というのはないはず(ほとんどの場合遠隔)なので、全ライダーの力を奪ったのとはまた別に、世界の何処かにいる1号から力を奪ったのかもしれない。
ゲイツやウォズが基本フォームのままで戦ってたことに対して、というかそれに限らずライダーに対して"ナメプ"という評価を下している人をよく見るけれども(もちろん昔の僕も含め)、「必ず全力を出すべき」というのは、正しいけど人の自由を奪う考え方なのよね。理屈を通してしまうとこれも結局正しさに含まれてしまうのだけれど、例えば徒歩5分の場所へ行くのに車を使うかどうか。10分ならどうか。また自転車という選択肢もある。車は徒歩と比べて速度が速いぶん、流れていく視覚情報を処理する負担が大きいと聞く。僕は免許持ってないので知らんけど。
それと同じで、大きな力を使うのは僕らが思っているよりも気を遣うものなのかもしれない。人には"慣れ"というものもあるし、必ずしもスペックという視点で使うフォームを選ばなきゃいけないという考え方は少しかたいように思う。
・「全ライダーの力」を奪われたにも関わらず、終盤にてジオウがグランドジオウに変身したのも、テーマと合わせて考えれば答えは見える。
過去ライダーの力(元ネタ)は奪われたかもしれないけど、グランドジオウは過去作にではなく、『ジオウ』という作品に出てくるフォームとして存在している。故に"ジオウの力"という解釈の元に歴代平成ライダーも召喚できる。
……と思ってたんだけど、変身する直前に金色の光が降ってきて力が戻っているような描写があった。OQ的な感じで「溢れ出し」たのかね。
・ウォズは或人たちに記憶があるのはゼアと繋がっているからだと解釈していたけど、アナザー新1号を倒して世界が戻る際に、オーマジオウの創造の際に現れるコインみたいなエフェクトが出ているので、ゲイツのタイムマジーンを壊したから云々というのとはあんまり関係なく、ソウゴが満足したから事態を収めたのだと僕は勝手に思ってる。
だってそもそも、ゲイツがタイムマジーンを2007年に置いていく為には、フィーニスが過去に介入したという事実が先にないとおかしい。まぁ、こういう厳密な後先の理屈は、「未来は不確定で揺れ動くもの」だとされているジオウにおいてはあまり意味をなさないんだけれど。
で、ソウゴは2人の記憶をわざと残し、自分と戦って勝てば忘れないでいられるという選択肢を設けた。
結果としては「起こったことをはっきり覚えている訳ではないが、そこから学んだ"仮面ライダーとは何か"ということだけは覚えている」というような塩梅なんじゃないかな。

記憶消去能力なんてオーマジオウにあったっけ、なんて言ってる人もそこそこ見かけるけど、世界そのものを変えられるのに逆に何故一人の人間の記憶は変えられないと思うのかよく分からない。

 

 

 

なんだかんだでもう年末。僕はあまりそういうのを気にする方ではないんだけれど、世間的には大掃除とかほにゃらら収めとか言って区切りを付けたがる時期よね。
このような心の動きも、人間の認知能力の限界による"背景のリセット"機能だ。
過ぎゆく時間の中に本当は壁なんてなくて、そのまま地続きのはずなんだけど、歴史をひとつながりのものとして認識するのは非常に負担が大きい。故に我々は線を引き、1時間,1日,1年……更に平成や令和のような年号を使って"個別のもの"として捉える。
個人や作品も同じこと。
目黒の児童虐待死の件で、母親だけ「旦那からDVを受けていたから同情の余地がある」みたいな報道をされていたことに対して僕は腹が立ったのよね。
そんなこと言ったら父親だって小さい頃に虐待されてたかもしれないし、仕事で何か不運があったのかもしれないし、子供からのストレスだって実際相当あったんだろう。
そういった背景事情を気にしないために使われるのが、"自由意志"という幻想だ。
「由来を辿るとキリがないから、とりあえず個人(個体)を最小単位として認識しましょう。"わたし"の決断は、他の誰かではなくわたし自身に由来し湧き上がるものです」という暗黙の了解。それによって、父親は「何故かは知らないが、自由意志の元に子供と妻を虐待した」という解釈をされる。
全知ではない僕らは、意識しきれない背景を切り捨てて"自由意志"というブラックボックスに閉じ込めてしまう。
逆に、他の何かに責任を転嫁する立場は"自由意志"の存在を否定する。「ロイミュードや滅亡迅雷は人間の悪意に影響されただけなので、被害者みたいなもの」という主張は、ロイミュードや迅が自分の頭でものを考えているということを考慮していない。
分かりやすさ重視で言えば、自由意志という幻想を信じて行為主体である個人の責任を追求するのはアメリカ的、他からの影響を重視し責任の所在を曖昧にするのは日本的な立場だと言える。国境も幻想のひとつなんだけどね。
本作のテーマでもある前者の「背景をリセット(無視)する」方向の力というのは、さっきも言った通り人間の能力的な限界による自然なものなので、仕方ないなと"許容"はしてもいい。
でも、許容はその限界を受け入れ諦めることにも繋がる。
元ネタを知らずに楽しむことが駄目だとは言わないが、開き直って「背景を知ろうとする姿勢を捨ててしまう」ことはして欲しくない。という気持ちを最後に記して、筆を置きたい。

 

 

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ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想

公開日はクリスマス会があって行けないものかと思っていたんだけれど、上映スケジュールを確認してみたところなんとか間に合う回があったので、見てきました。
この記事はネタバレなしで、映画を見ていない人でも読めるような内容になっていますが、映画を見ていればより深く分かるようになっています。
映画を既に見た人向けの感想はこちら。

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想

 

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正直、めちゃくちゃ楽しかった。
唯阿をはじめとする(ちょっとくどい)ガンアクションやウォズも含めたキャラクターたちの派手な戦闘シーンはもちろん、其雄を中心とした、或人が"仮面ライダー"とは何かを知り名乗るまでのドラマも非常に面白かった。
こう書くとプロット自体は平ジェネfinalと似てるんだな。


以前、こんな記事を書いた。

JIN-仁- 第一期 まとめ感想:エグゼイドとの比較『面白いと楽しいの違い』
ざっくりとまとめると、

意味などの内面を見るのがドラマ、見た目などの外面を見るのがアトラクション。
ドラマは"面白い"もので、アトラクションは"楽しい"。
例えばジェットコースターが上がったり下がったりすることに意味などないが、それ自体を楽しむもの。

なんてことが書いてある。
1年半前の自分の雑な話の展開に我ながら恥ずかしくもなるのだが、荒削りながら興味深い点もある。
カイヨワの遊びの分類と通ずるものがあると思うのだ。
まぁ彼の著書は読んだことがなく、あくまでネットで調べて出てきたものからの孫引きなので、彼の主張にこだわることなく、あくまでそれをきっかけに引き出された僕の中にあるイメージの話として捉えてもらいたい。
要するに、秩序と無秩序のそれぞれに人は違った快感を感じるということだ。
ただ少しややこしくて、要素が繋がる構成の妙や制限をうまく利用する工夫などは秩序的な快感をもたらすが、これは同時に無秩序的でもある。新たな秩序の"発見"は、それまでの自分の秩序を乱すものであるからだ。
本当に秩序的な快感というのはもっと静的で、それは例えば、子供が同じ本を何度も何度も繰り返し読むようなものであるように思う。
とすると、普段我々が意識する快感の多くは"楽しい"に属するものなのかもしれない。


それを踏まえた上で今回感じたのは、自分の作品への向き合い方に、意識的な"信頼"が芽生えているということ。
「僕が気付く程度の作劇上の粗(違和感)は制作側も承知の上である」という、作品に対する基本的信頼感とでも表現すべきもの。
ジェットコースターの例で言えば「無秩序に振り回される乗り物に乗る」という時点で必要な、安全面への信頼。
これによって普段感じるあらゆるノイズが無効化され、おそらく広く言われているような意味で"純粋"に作品を楽しむことができた。

(参考:"純粋"と呼ばれる子供はサンタや仮面ライダーの実在を信じているのか?)

 


……しかし、それで本当に良いのだろうか。
仮面ライダーの映画として数えて前作である『Over Quartzer』で描かれたものは、我々ひとりひとりが誰かの支配を受けることなく、自分自身の王として君臨することではなかったか。

(参考:玉座を空ける『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』 感想)

 

ゼロワン14話の感想で書いたように、他者を信じて任せるということは自分の責任を、そしてその王権を放棄することでもある。
"純粋"とは自分という色眼鏡の喪失を意味する。
空っぽの自分で作品を見ることを、果たして向き合っていると言って良いのだろうか。

自らの目で見て作品を解釈し、切り取り編集し、異なる意見とは例えその作品そのものであろうと拳を交える。他力本願ではなく、自分の笑顔は自分の力で掴み取る。
……そういう姿勢でこそ、きちんと"向き合っている"と言えるのではないだろうか。
衝突を避けていては何も生まれない。事なかれ主義は何も生まない。


あまり共感を得られるとは思っていないが、僕は暴力もあくまでコミュニケーション方法のひとつだと思っている。
話し合う気にもならないくらい腹が立ったなら、それを伝えるために殴るなり蹴るなりすればいいと思う。それとは別に政府や警察は、暴力を振るった者を捕まえて罰を与えようと努力することを公に発信しているが、それを踏まえた上で自分がどうするかは自分で決められる。
殴られた相手も、殴られた事実を踏まえて暴力を振るうに至った理由を問うこともできるし、殴り返すこともできる。
暴力に訴えなければならないケースが多くなってきたことで、近年では話し合いばかりが殊更推奨される傾向があるが、極端な話 言葉でも人は傷付くし、死ぬことだってある。
記号表現という意味では、殴るという行為も「イヤダ」という発声も、同じ「嫌だ」という意味を持ち得る。
日本語の持つ暗黙の了解を解さない人には「イヤダ」の意味が伝わらないように、「殴るほど嫌だったんだ」という意味を受け取ることができない人もいるだろうが、そこは発信する際に相手を考慮し、伝わりやすい手段を選べば良いだけの話。
手段は発声や暴力に限らないが、何らかの発信をしなければ相手には伝わらない。
もちろん程度問題ではあるが、自分の中で勝手に完結してしまうのと比べたら、暴力というかたちでもコミュニケーションを計る方がよい場面というのは、あると思う。

 (参考:エゴとエゴの均衡『映画 聲の形』 感想)

 


ここまでは"確固たる自分"というものがある前提で話をしてきたが、僕は過去の記事でも何度か言っているようにそれにも懐疑的だ。
僕の文章を読んで、きっとあなた方は何かを思ったことだろう。
僕がこの記事を書かなければ、あなたが今そう思うことはなかったという意味で、僕やこの記事は紛れもなく「今のあなたの構成要素」のひとつになっていると言える。たとえ何も思わなくとも、黙読しているだけでも同じことだ。
更に言えば、僕がこの記事を書いているのは、当然令ジェネという映画を見たからだ。
そうやって、我々は絶えず相互作用を及ぼし合っている。
自分で閃いたと思っていた意見が、よくよく思い出してみると意識せず誰かや何かの作品の真似だった、なんて経験があるだろう。口調や口癖がうつるなんてのもそうだ。
多くの場合は複雑に絡み合っていて明るみに出ないが、"自分"というものが無数の他人の切り貼りで隅々まで構成されているのは、間違いない。
人と人とがコミュニケーションを取るのと同じように、一人の人間の中でも葛藤という名の殴り合いが行われている。

大きな目で見たとき、影響の元を辿ろうとすることはあまり意味を為さない。「彼の成功は親の七光りだ」としたところで、その親の成功もまた誰かの影響下にあるのは既に言った通りだ。
その調子で遡っていくと、この世のすべてのことは全部ビッグバンのせいということになる。更にその原因である量子ゆらぎだかなんだかのせいかもしれないが、もはやここまで来るとどちらでも大した差はないだろう。
「表現上は受け売りだけど、一度自分の中で咀嚼して出てきたものだからもうこれは"僕の言葉"だ」と、僕はたまに言う。
例え誰かの物真似でも、その時に数ある表現の中からその言葉を選んだのは紛れもなく自分自身であるという意味で、もはやそれは自分の言葉なのだ。
この感想にしたって、ネタバレに配慮という体裁で映画の内容に直接関係する話は、最初の数行を除けば意識的にしていない。
映画を見ていない人からすると、ひょっとすると見た人からも、「映画と関係のない話ばかり」だと思われるかもしれない。
だが間違いなく関係はあるのだ。
逆に、どれだけ「全く同じ物真似」に見えても、真似している人の影響が皆無ということも有り得ない。


誰もが誰かの模倣であるし、同時に唯一無二のオリジナルでもある。
そしてそれらは善悪に関係なくぶつかり合う。
この情報過多な時代には、そんなニヒリスティックな開き直りこそが相応しい。

 

 

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仮面ライダーゼロワン 第15話「ソレゾレの終わり」 感想

キャラクター

 飛電或人
・或人がまともかどうかはさておき、福添がまともってのもだいぶおかしいと思うけどな。山下は立場上あぁ言ってたけど、自社の利益のためにヒューマギア暴走の事実を隠蔽したりする方針で完全にうまく行くと思ってるのか? それはそれで社会正義に反しているという点で不満を覚える社員が出てきてもおかしくはない(特に、実際或人の方針でここまでなんとかやってこれてることからも、自分たちの利益より社会正義を重んじる社員が多いと想像することすら不可能ではない)ので、内部告発のリスクもあれば普通に隠し通せなくなって余計印象悪くなることも考えられる。
「或人は会社の利益じゃなくより広い視点での利益を選択してるって言うけど、身内贔屓なとこもあって矛盾してるよね」というのも最もだけれど、それは身内であるイズ(や或人)を切り捨てようとしてる福添も同じこと。どっちもどっちだよ。
福添が指揮とってれば根本的にマギア化を防げますってんなら話は別だけど、そうじゃないなら誰がどうやったって飛電はいずれ落ちて当然だよ。もしゼロワンとして社長自ら対処してることを公表してるのであれば、むしろ交代する方がまずい気もする。

(参考:仮面ライダーゼロワン 第13話「ワタシの仕事は社長秘書」 感想)

・今回イズを直そうとすんのはこれまでのヒューマギアを壊してきたことと何も干渉しないでしょ。マギアは元に戻らんらしいけど今回は別にそうじゃないんだから。迅も明らかにハッキングじゃなく攻撃を目的にしていたし。

・ギャグ披露の前後で感情の落差が大きいことに苦言を呈してる人も見かけたけれど、あのギャグは「イズを助けたいと思うのは素晴らしい」という意味なので、その後の「イズが助からなかったらどうしよう」と全く別の感情ではないのよね。むしろ根本は同じ「イズ大好き」でブレてない。ブレてるとするならむしろその後のゼロワンとしての出撃で、これはイズが心配な気持ちを抑えて人々を守るため判断をしている訳なので悪いことじゃない。敵討ち……って感じでもなかったしな。
本人も「俺が悪い」と言ってたように、あれが果たして"スバルらしい"のかどうかは微妙なとこだけども。ギャグを成立させるために現実の方を改変するの、意外とあるあるだよね。
適当な料理を前にして「これはまずいだろ」のフリがあったら、そんなでもなくても「めちゃくちゃうまい」と言うのが芸人。或いは「まずい! うまいってフリじゃないのか!」とするか。
・完全にこれまで積み上げてきた不破との関係が功を奏してパワーアップする流れだと思いこんでたけど、全くそんなことはなく、普通に落ちてたのを拾ったね。度肝を抜かれた。確かに見え見えの展開ではあるし、ありがちな上に去年もトリニティでやってる。平成のまとめでは「友達っていいよね」って話をやったから、令和では「力こそ正義」を押してくんだろうか。僕は虚無主義は嫌いじゃないがドラマにして面白いもんだとは思わないよ。まぁ、だからこそそれをやる作品が少ないから珍しくて逆に面白いという側面はあるけど。
基本的には、虚無主義が視聴者を満足させられるはずないもの。

 

 イズ
・彼女はある種典型的な意味で、"ポンコツさ"が魅力に直結しているタイプのキャラクターのように見える。似たような話は"人が嫌われる理由"と題して昨日のポケモン感想でもしたね。「ハザードみたいな暴走するフォームが好き」なんて人がいるのと同じ。

(参考:ポケットモンスター(2019) 第4話「行くぜガラル地方! ヒバニーとの出会い!!」 感想)
僕は別に特別好きだとは感じないけれど、「ポンコツでもいいじゃない」というメッセージ自体はまぁまぁ好き。イズは結構走ってるので、ポンコツなりに頑張ってるような印象もあるし。
全然関係ないけど、うちの書庫に『ロボットポンコッツ』って漫画があったなぁ。タンサンが好きだった。
・戦えないのにのこのこ出てきて犠牲になって……馬鹿じゃんという気持ちは分かる。僕も一昨年、エボルドライバーを奪われた美空に対して似たようなことを言ったっけな。「父親にショックを受けて奪われるのは仕方ないとしても、なんでお前が出しゃばって首相の送迎やってんだ」と。
でもまぁ、イズが戦いの場にいること自体はいつも或人に(あんまり役に立ってるイメージはないが)戦闘の指示をしている描写からそれほど不自然なことではなくて、襲われた理由である「同じピューマギアである滅が倒れたのに喜ぶ」ということにも不自然さはない。ところでピューマギアって誤字なんか笑えるから直さないどこ。
……要するに、この場で不自然さを感じられるのは視聴者だけなんだよね。「それまで"画面内"にいなかったのに突然出てきてやられた」ことに対する違和感でしかない訳で。
視聴者のためを思うなら何かクッションになるシーンを入れることは尺のことを考えなければそう難しいことではないはずなんだけれどそれを敢えてしないというのは、或人が自分の個人情報を気にしていたことや前回の突然キレる不破と同じで、開き直り的な清々しさを感じる。
どんなに取り繕っても結局「イズがピンチになる」という結論ありきなことは変わらないだろうし、作者という立場を長らくやっていれば、そういう虚無主義的な気持ちになるのも分かる。
でもじゃあそこを省いたぶん今回は何に注力してたんだ? というのは重要な部分なんだけれども……そこに納得いくかはそれこそ人それぞれだろうね。僕はもはやこの程度の雑さじゃ怒りを覚えないので、シャイニングアサルトホッパー変身シーンの神々しさは良かったなとだけ思うよ。釣り合わせるべきマイナスポイントがないので話にならないけど。

・あまり関係ないけど、イズのアレが雑だって言う奴はこれまでそんな素振り見せなかったのに急に音楽に詳しい(革命の曲名だけならともかく楽譜まで詳細に覚えてた)ことが発覚した一条さんの描写にも雑って言えよな。

割とマジで、ゼロワンとクウガはある部分で通ずるところがあると思ってる。
「ともかく"こう"なんだよ」と押し付けられるイメージ。

クウガはバックグラウンドできちんとシミュレーションされてるのかもしれないが、視聴者にはその途中式は公開されないので結局「作者への信頼」の上に成り立ってる。

(参考:ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想)

 

 滅亡迅雷
・墓ねぇ。正直、僕は祖父が死んでも我ながらびっくりするぐらい何も感じなかったのよね。そもそもそんなに関わる方じゃなかったというのもあるし、脳卒中で倒れてからは病院でずっと寝たきりだったので「いない」ことが普通だったし。
まだ生きてはいる頃にお見舞いへ行った際は、ストレスで何度か倒れそうになったり(おそらく血管迷走神経が云々ってやつ)とかしたんだけれど、祖父への個人的な思いというよりは"病気"だとか"死"に対する恐怖からというのが大きかったように思う。無意識ではどうか知らないけれど。
死んだ後も、葬式とか墓参りとか、まぁ面倒だとまでは言わないけども「これは何のためにやってるんだ?」と問いただしたい程度には共感できなかった。土の中に埋めることが故人を偲ぶこととは直接繋がらないように思うし、むしろ埋葬のルーツって「怖いから復活しないでくれ」って気持ちじゃなかったっけ。
「みんなやってるから」なんて理由で高い金出してやることにはあまり思えない。少なくとも僕は自分の大切な人にそんな無駄遣いをして欲しくはない。
でもまぁ、"家族"じゃなく"大切な人"が死んだとしたら、どうしたらいいのか分からなくなる気持ちは理解できなくもない。別に死んだからと言って何かをしなくちゃいけないなんてことはないはずなんだけれど、じっとしてはいられないような気はする。まだそんな経験したことないかは分かんないけど、好きな人に死にたいって言われた時とか、母さんが一家心中を計ってたと知った時とかは、少なくともそうなった。
そういう理屈(正しさ)で割り切れない部分というのは、ひとつ重要なテーマかな。
・逆に滅の言ってたような「計画通りに使命を果たして死んだのだ」という合理化は、これと食い合わせが悪い。
意味ある死と、無意味な生。
無意味な死と、意味ある生。
なんの意味もなく生きて死んだら駄目なのか?
この世に神様がいて、何らかの目的の元に筋書きを決めていたとして、その役に立てていなかったとしたら。
僕の父や育ての母は極端な運命論者で、「病気になったり事故に遭ったりするのは必ずそれに値する悪さをしているから」と、割と本気で信じている。そしてその善悪の基準は神様にあり、例えば「神様が応援している企業の商品を買う」ことが良いことなのだそうだ。当然その教えを布教している団体の会社は神様が応援していることになっているので、何かにつけて関連商品を買うし、他人にもすすめる。
それに従うことだけが本当に意味あることなのか?
或いは、受け手に媚を売り好かれることだけがキャラクターにとってのすべてなのか。
……などと言わなければならないということは、僕個人としては今回あまり気に食わなかったということなんですけれどもね。
僕はぶっちゃけ、AIはただAIのままでいればいいと思うし、作品はシンクロニシティ的に色んな要素が"繋がる"面白さがある方が好き。悪いやつ(少なくともその作品のテーマにそぐわないやつ)が死ぬなどの痛い目にあうのも度が過ぎなければいい。
・滅が「迅……!」って一瞬取り乱した後に冷静になる描写、良かった。理性の対としての感情の役割って「即座に対処しなければいけない時のためのもの」なイメージが強いので、人間の何倍ものスピードで思考できるならばそれだけ感情の必要性というのは薄れていく。
逆に或人がその機能をあんまり使ってない(ように見えるだけかもしれないが)のは感情があるが故に「この件はよく考えなくていいや」と即座に判断しているからとも言える。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)
・滅を迅を守ったということは、「守らなきゃいけないほど弱い」ということになる。覚醒ってのがなんなのかはよく分からんが、なにくそ精神で強くなったんだろうか。
・アサルトウルフキー拾う素振りがなかったね。雷と滅を倒した憎きアイテムだからだろうかね。

 

 

設定

・其雄が法律違反ってのも、そもそも或人は法律に関係なく「あまり問題ない」という立場だし、法律と違う信念を持ってたら悪いなんてことはない。法律は法律のやりたいようにやってるだけで、「問題が起こったら面倒だからそもそも似せること自体禁止」にしてるだけであって。
そもそも其雄制作当時にその法が整備されていたとも限らない。遡及処罰(まだ違法とされていなかった時期の行動に罰を与えること)は現実世界同様に禁止されていておかしくない。
「映画の録画録音を防ぐために携帯電話は使用禁止」と同じで、少なくとも或人にとっては、似せたヒューマギアをつくること自体は問題ではない。「信号無視は法律違反かもしれないけど、明らかに車が通ってないんだから本来の目的である安全は守られてるしいいよね」とも似ている。

・今更ギーガーのセキュリティがガバガバとか言ってる人は流石に話ちゃんと見てないでしょ。ここまで来て天津のマッチポンプ以外の選択肢ある? セキュリティとかそういう話ではもう既にないよ。
まぁ、人を見る目という意味でのセキュリティ(警戒心)はどうなんだってことだけれどね。飛電も A.I.M.S. も、ZAIAを信用してしまったという点は甘いと言えるかもしれない。世論的には「それでもやっぱり騙す方が悪い」「セカンドレイプ反対」の方が強い印象なのであんまり言わないでおくけど。

 

 

「血液型なんかで人の性格は分かるはずがない。人はたった4種類には分けられない」「昔から少女漫画読んでても『こんな男子はいない』って思ってしまう」と漏らす人を、「頭いいんだね。私なんてもの見てて否定しようなんて思わないもん。ただなんとなく『あーそうなんだー』って見てるだけ」と褒めちぎる人がいた。
これは極端な例だけれども、ただ否定することが頭のいいことなのか?
本当に血液と性格に連関があるかどうかはともかく、そうやって理由付けすることで心の平穏を保てる人がいるのは事実だし、少女漫画だって楽しんでる人は普通にいる。僕も小さい頃ミルモとかちびデビとか見てたしな。
自分の視点からしか物事を見られないなら見られないで、そのぶん深く思索してないと僕には「頭いい」とは思えない。

 

前話

仮面ライダーゼロワン 第14話「オレたち宇宙飛行士ブラザーズ!」 感想

 

映画

ニヒリスティックな開き直り『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 感想(ネタバレなし)

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション ネタバレ感想

ポケットモンスター(2019) 第4話「行くぜガラル地方! ヒバニーとの出会い!!」 感想

この間は朝起きることの話から入ったので、今回はもちろん(?)歯磨きの話から。
正直ねー、苦手なんだよねー。
理屈をこねるならば、育ての母さんと暮らしてた頃に、毎回赤くなる歯垢検査薬を塗られて綺麗になるまで1時間も2時間も磨かされてたりとか、時間がないと「仕上げはお母さん」てなノリで喉にささる勢いのブラッシングをされたりとかっていう経験から嫌いになったんだと、あるいは障害特性の感覚過敏からそもそもあのブラシの感覚が苦手だとか言えるかもしれないんだけれど、まぁ普通に嫌い。
明らかに挟まってて違和感があるならともかく、放置してても実害ってそんなないんじゃんね。虫歯も痛んできたらそりゃすごく後悔するけど、タイムラグがありすぎてあんまりそこの因果関係にピンとこない。
口臭がどうこう言う人もいるけど、口のニオイなんて嗅がれるシチュエーションが全く分からん。そんな顔と顔が近付くことなんてまずないし、仮にあったとしてもその時は鼻呼吸するだろうし。ニキビがどうとかフケがどうとか、みんななんでそんなに他人に興味があるのかね。近くにいるだけで体から不快な匂いがするとかはまだしも、他のことって不都合あるか? 「髪になんか付いてるよ」ってどうしていちいちそんなこと気にするの。毛づくろいしたがりのゴリラかよ。……いや、この場合僕がゴリラ以下の清潔感覚なんだろうけれども、ゴリラ以下でも問題なく生活できてますから。

いい機会なので言うけれど、僕はオタクかもしれないし、これまた障害特性なのか水に濡れる感覚が苦手でお風呂もあんまり入らなくて、友達に「汚物」だとか言われた記憶があるほど不潔だった時期もあるんだけど、それでもなお(我慢してまで?)友達として関わって貰えてたのよね。
だから、ある人が嫌われる理由は「オタクだから」とか「不潔だから」とかそんな単純なことじゃないんじゃないのって思う。
もっと色々なことが複合的に絡み合っていて、どうしても一言で表すなら、「お前が嫌われる理由は"お前だから"」となる。
すごく煽りっぽくてキャッチーで面白い表現なのでそのまま載せたけど、実際の意味としてはただのトートロジーに過ぎない。「お前(嫌われる人)が嫌われる理由は"お前(嫌われるような人)だから"」と書けば、なんの発展性もない無意味な文章だと分かるだろう。
例えば「顔が良ければ多少のずぼらさはむしろ魅力に転じ得る」としたとき、ある人が嫌われるのは「不潔で、そのうえ顔が良くないから」となる。或いは「多少顔が良くても、もっと良い人がその人の近くに多いから」なんて可能性も考えられる。周りの環境まで含めてその人を構成する様々な要素が複雑に作用して、好かれたり嫌われたりという結果が生まれる。それを一言で表そうとすることがそもそも無理な話で、敢えてやるならやはり"嫌われるような人だから"というようにふわっとせざるを得ない。
僕が(万人からは)嫌われない理由ひとつとっても、僕には複雑すぎて全然分からん。僕自身はお風呂に入らないことが原因で嫌われるならもうその人とは合わないから嫌われても仕方ないと思っているんだけれど。友達になってくれる人からよく言われるのは「かわいい」ということなんだけれども、容姿について言ってるとはどうも思えないのよね。僕は髭も剃らないし、剃ることをすすめられたことから似合ってるという訳でもないらしい。それもある年に限った話じゃなく、これまでの人生で適当に時間を潰し合う仲間に困った時期はほとんどない。うーん、不思議。

 

まぁいわゆる"子供向け"の作品として、劇中ではサトシが歯磨きの中にも楽しさを見出すって描写だったけど。
ヒバニーにカバンを盗まれるのも、「海外では日本よりはスリが横行している」というイメージを暗に感じる。そういう先入観を植え付けるのは良くないという立場がいるのも分かるけどね。
昨日までの3日間、歯磨きをしなかった代償として大量の虫歯を抜くために入院してて、待ち合い室に『かいけつゾロリ』シリーズがあったので読んでたんだけれど、コレクトコールに悪いイメージを付けるような描写があった。これは果たして功を奏したのか分からないけれど、良くも悪くも子供向け作品の役割ってこういうことだと思うんだよね。理屈とは少し違う、前回言った"無意識レベル"での学習。
ポケモンスタッフのインタビューにとてもいい言葉があったので引用させてもらう。

たとえば「ミュウツーの逆襲」(1998年)では、ミュウツーの言っていることをサトシは半分も理解できていないと思うけど、気持ちだけでなんとなく通じ合っていく。言葉で納得し合うわけではなくて、“どこかで通じ合う”というところが表現したいんです。

ピカチュウがモンスターボール入らない!? シーンに隠された意味|ウーマンエキサイト(1/2)より

僕が言いたかったことというのは、これにとても近い。言葉的な思考だと本当は微妙にニュアンスが違うと注釈したいところなんだけれど、気持ちは通じてる。


盗む側も生きていくために必死なんだってところも、通じていたら嬉しいポイントかな。

(参考:悪者とは弱者である『語ろう! クウガ・アギト・龍騎/555・剣・響鬼』高寺成紀編 感想)
人に言ったら怪訝な顔をされるんだけど、僕は「人から盗むほどお金に困ってる人になら盗まれてもいい」と思ってる。もちろん完璧に許す訳じゃないけど、ある程度は仕方ないかなと思う。裏を返せば、僕も盗むくらい困ってたらきっと盗むだろうなと思ってるというのがあるんだけれどね。
まぁ、盗む前に駄目元で「恵んでください」と頼んでみるだろうけど。意外と世の中には優しい人がいるもんよ。
山の中を通るバイパスの麓を自転車でちょろちょろしてたら「この道は自転車じゃ通れないけど、回り道してたら日が暮れるぞ」と言ってトラックの荷台に自転車ごと乗っけてってくれたおじさんとか、単純に疲れて道端に座ってたら「帰りの電車賃ないのか?」って言って断ったのに400円置いてったおじさんとか、ここ1年だけ振り返ってもめちゃくちゃ親切してもらった。もちろん「老後の面倒を見る気はありませんよ」と言ったのに未だに養ってくれてる親もそうだしね。


最後のゴウの語りかけは色々と不思議な部分があった。
サトシが「最近気付いた」って言ってたけど、これまでの劇中にそれらしい描写が見当たらない。世界の広さを知ったという意味でしっくりくるのはミュウとの出会いだし、恐れずやってみるというのも「ミュウを捕まえる」という目標を思えば分かるんだけど、最近の話ではとてもないどころかサトシは知らないはず。
強いて言えば、友達なんかいなくてもいいと諦めてたけどサトシに出会えた……みたいなことだろうか? 
あと「ヒバニーの足には幸運が宿る」って言ってたけど、あれ"高温"の間違いじゃない? いや、聞き違いならそれはそれで面白い(前回話した"自分だけの図鑑"の文脈)と思うんだけど、いかんせん配信には字幕がないので確信が持てずちょっとモヤっとした。本当に幸運なんだとしたら、元ネタか何かあるんだろうか。気になる……。

 

 

僕のポケット

『ティラミス』
チゴラス-ガチゴラス
名前が"チゴ"ラスだからなのか妙においしそうだと感じていたのがまずあって、更にニックネームをつける前に性格を確認したところ"さみしがり"だったということもあり、ティラノサウルスのティラとI miss youのミスで「これしかない!」と。寂しがりやと稚児(チゴ)もリンクしてるし、かなり気に入ってる。
こういう要素と要素がつながる気持ちよさというのは、やっぱり脳の処理が楽になることに起因してるのかね。

仮面ライダーの定義の記事では「孤高の存在」という表現をしたけれど、実際他の情報とリンクしない全く未知の情報というのは、そのまま受け入れるより他に処理しようがない。「誰々の子供」だったり「何々に似てる」だったり、必ずと言っていいほど過去に知った情報と結びつけて物事を捉えたがる。それがすなわち悪いとは思わないけど、自分にとって未知に見えるからと言って勝手にマイナスなイメージを抱いて排斥しようとするのはいかがなものだろうね。

 

第1話「ピカチュウ誕生!」 感想

第2話「サトシとゴウ、ルギアでゴー!」 感想

第3話「フシギソウってフシギだね?」 感想

仮面ライダーゼロワン 第14話「オレたち宇宙飛行士ブラザーズ!」 感想

キャラクター

 飛電或人
・また遅刻。永夢の時には既に否定の感情が先行しているきらいがあったので「やる気なし」との評価を下したけれど、今の僕は特になんとも思わない。むしろ「分かる、朝起きるのって大変だよな」とすら思う。きちんと対策した上での朝寝坊は当人の責任じゃない。詳しくはポケモンの記事で話したけど。

(参考:ポケットモンスター(2019) 第2話「サトシとゴウ、ルギアでゴー!」 感想)
まぁ、寝坊とは一言も言ってないし、対策してたとも言ってないけど、僕は勝手にそう思ってます。
ところで或人の出社時間は9時なのね。福添たちは既に出社してたけど、そういう勤務時間なのか自分の自由で早く来てたのか。
あと、まだドードーキーを求めてたところから察するに、窃盗団は白状してなかったみたいね。前回一段落ついたように見えたからそう予測したけど。
・たくさんの人が思ってるだろうけど、ライズフォンをわざわざ衛生に戻す必要あるのかね。携帯モードがある意味についてもつっこまれてたけど。
管理統制という意味で言うなら、長らく放っておくとヒューマギアのように制御できなくなる可能性があるので、できるならそれを防ぐためにゼアの元に直接戻しておくのが安全、というのは分からんでもない理屈。以前ローカルネットワークの話をしたがそれと同じで、距離が近ければ近いほど手の中に収めやすい。
少し話は変わるけど、"片付け"ってなんのためにやるんだろうね。
僕はこれが大嫌いで、服とかをタンスの中にしまってしまうと完全にその存在を忘却してしまうんだよね。おもちゃも同じ理由で滅多にしまわないし、しまったら滅多に取り出さない。だからいつも容易に目につくところに置いとくんだけれど、家族からは「散らかってる、片付けろ」と言われるのよねぇ。
フライパンみたいな調理器具も、水につけとくくらいはするが、大抵片付けはしないでそのまま放置しとく。洗うのは次に使うときの直前。仮にもう二度と使わないなら洗う必要がないし、洗っても放置してたら結局ホコリとかは付く可能性があるし、だったら使う直前に洗う方が理にも適ってるよね。
場所がなくて困ってるんだったら確かに整理して収納する必要はあるかもしれないけど、そうでもないなら、よく使うものは結局すぐ出すんだから出しっぱなしでよくない?
きちんとした理由があるというよりは、なんとなく定着してしまっている形式的な習慣のように思える。
或いは、目に入る"雑情報"を減らしなるべく脳が楽できるようにしたい、というのが目的なのか。だとすると僕とは根本的に話が噛み合わないけれど。
・自我が芽生えたことを、飛電は感知できるらしい。でも、これって別に「できるなら最初からやれ」とはならないんだよね。
滅亡迅雷が自我に芽生えたヒューマギアを狙っていると明かした7話以降、8,9話は自我に関係なく(?)明確に"病院"を狙っていたし、10,11話の俳優は8話以前と同様、探すまでもなく(偶然)或人たちの近くにいて即座に対処できている。
予防はできないのかという意見もあるだろうが、滅亡迅雷が自我に目覚めている者全員を必ずマギア化している訳でもどうやらなさそう(必要なゼツメライズキーの種類に限りがある)なので、調べていれば必ず防げるとも言い切れない。むしろ下手に先回りして別の場所に駆け付けたことでマギア化した者への対処が遅れる可能性すらあることを考えると、僕的にはトントンに思える。
同じ理由で、パトカーの巡回みたいなものの必要性もあるのかなって疑問。見た人の道徳心を刺激して襟を正させることが主目的だとするなら分かるんだけどね。
或人自身が「自我に目覚めることが必ず飛電にとって損であるとは限らないからわざわざリセットしにいく必要はない」と思ってるのも手伝って、自我の目覚めに関係なく、コービーのように使用者が不具合を訴えてきた時と、マギアが暴れ出した時にだけきちんと対処すれば(少なくとも或人的には)何も問題はないんだよな。
飛電の制御下に置きたい理由というのは人に害を加えさせないためだろうから、裏を返せば害さえなければ制御下になくても別にいいのよ。
ただ、自我が芽生えることの"メリット"が劇中であんまり描かれてないというのは、見る側としては不満かもしれない。一応、腹筋崩壊太郎に人々が感じるような「健気さ」みたいなものはメリットにはなり得るけれど、実用的なメリット(しかも、命令を聞かなくなるかもしれないことを超えるメリット)は今のところピックアップされてなかったんじゃないかな。
ドードーキーより不破と自分を優先させることについては、前回長々と語ったからいいよね。


 不破諫
・昔の僕に言わせれば"唐突"に、或人のギャグを否定し初期に戻ったかのような言動をし始めた不破だけれども、思ったより嫌な感じは受けなかった。
むしろ怒りということでいくと「エボルトー!」とか「何笑ってんだよ!」みたいな感じで、変に正しげに描写されると逆に「でも結局やることは怒りに任せて敵をボコるんでしょ?」とモヤモヤすることが分かってるので、今回敢えてそうやって正当化する様子がないのが、潔くて好印象だった。
14話を見てるだけだと完全に突然キレてる危ない人なんだけど、感情に理屈はあまり通用しないからな。好印象のお礼に好意的な解釈をしておくと、前回滅が「恐ろしい存在になってきたな、ゼロワン」と言っていたのが「知るか、お前のことなど」と対比になってて、不破が焦りを覚えたきっかけのひとつはそれだったんじゃないか、ということを書いておこう。普通に虫の居所が悪かったってのでもいいけど。

(参考:ポケットモンスター(2019) 第3話「フシギソウってフシギだね?」 感想)
・ただ、パワーアップとしてはまたしても「過去からの贈り物」パターンで、あんまり面白味がない。或人と違ってフォローらしきものも見当たらなかったし。
来週が総決算だとするなら、1クール目で積み上げてきたものというのは或人と不破の関係性ということになるんだろうから、強いて言えばオーソライズバスターを借りれたこと(そして次回のシャイニングアサルトホッパー)が不破の"遊び心"の賜物ということにはなるんだろうけれど。

 

 滅亡迅雷
・迅もハッキングできたのね。それとも最近それについてのラーニングが完了してできるようになったのか。どっちにせよ彼は子供なので「できるなら最初からやれよ」みたいな理屈の通じる相手ではないんだけれど。
・迅「デイブレイクから生き残っただけあって」
やっぱり4話で少年のお父さんが言ってた"すべて"は本当じゃなかったのね。それか雷電は工場の中にいなかったってだけなのか。
それはともかく、この説明セリフって本当は全く必要ないのよね。今回の中で「実はハッキングされてた」って明かされるし、これまでだってなんの説明もなく耐えてた(アンナ,オミゴト)んだからさ。そんな時間があったらもっと他のこと説明した方がいいんじゃないのってちょっと思ったけど、長期スパンでの身心地よりも今回の雷電に対するびっくりを優先させるなら、これが最善策なのかね。
仮面ライダー
仮面ライダーの名前を冠しながら悪事を働く存在……いわゆるダークライダーに対しては僕は寛容だけれど、今回の雷のように、これまでのゲスト怪人程度のモブと言ってもいいキャラクターにまで仮面ライダーの名が付き始めたら、僕も流石にちょっと抵抗感を覚えるなぁ、と。
まぁ、僕にとっての"仮面ライダーらしさ"のひとつは見た目のカッコよさなので、扱いとしてはシザースも似たようなもんだし雷はまだ全然アリなんだけれど、これから先更に仮面ライダーの名前が氾濫していくと思ったら、ちょっと不安になった。
逆にね、これまで怪人だったところが全部シザース程度にはカッコいい仮面ライダーに変わるんだとしたらそれはむしろ僕にとっては喜ばしいことなんだけれど、(見た目が)怪人っぽい奴が仮面ライダーを名乗ることに社会的抵抗がなくなってしまうのは、たぶん嫌だな。
シリーズ自体はマンネリに抗い市場に適応するという必要性にかられて多様になって、受け手もその多様な作品を目にして「〜なのに〜らしいと思えない」という状況に適応するために、自然と寛容になる。
そこに「寛容/不寛容だから良い/悪い」とか、そういった価値判断が入る余地はない。むしろ龍騎かなんかの記事で言ったように、寛容であるというのは何かを諦めているという表現もできる。こう書くとむしろ寛容さのほうが悪く見えるかもしれない。善悪なんてその程度のものなんだから好きなようにすればいいのよ。

(参考:"仮面ライダー"の定義を考える/自然と自由の象徴として)

 

 福添准
雷電に「社長の教育がなってない」と責められてたけど、まぁそういう見方もできるよな。「全部或人がやったことなので私に責任はありません」というのは「滅亡迅雷の仕業だから飛電は何も悪くありません」というのと大して変わらない。
責任という概念は、"確固たる個人"を前提にしている。
「自分の責任」と言えば自分以外は無関係であるというニュアンスがつくし、逆に「あいつの責任」と言えば自分は無関係だというニュアンスが付く。
でも、この世の中において本当に"無関係"であることなんて果たして可能なんだろうか? 濃い薄いはあっても、本当に関係(責任)が無いなんてことは、ないと言っても過言ではないと思う。6次の隔たりと言って、ある人の知り合い(1次)の知り合い(2次)の知り合い(3次)……という風に辿っていくと、6次目ではやくも世界中の人間が繋がるという話がある。
0と1だけでこの世を捉えようとすると、必ずどこかで歪みが起きる。
福添ほど或人に近い人間が無責任であることなんて、ほぼ無理だろう。実際、「或人が会社に損害を与えればクビになって自分が社長になれる」なんて言ってたこともあったし、関係は普通にあるでしょ。それが悪いことかどうかはさておき。
また先月やったバイトの話なんだけれども、僕は仕事の1つとして見切りをやってたのよね。賞味期限が近い商品に値引きシールを貼るの。
で、基本的には品出しの人が賞味期限の近いものをより手前に陳列するように決まってるので、仕事を教わった際には「手前らへんを一通りチェックすればいい」という風に言われた。んだけれども、僕は不安性なので指示を無視して奥の方までチェックしてたところ、賞味期限の近い(特に生鮮コーナーなので当日とかの)商品がボロボロと出てくるのよ。
確かにお客さんが見たときに順序が入れ替わる可能性はあるので、そもそも絶対に信頼できるようなものではないんだけれど、それを加味してもなお明らかに、期限を気にせず適当に品出しをしているらしい。
品出しの人を信頼して無責任に手前だけチェックすれば、値引きの仕事は早く終わってそのぶん別の仕事ができる。
でも品出しの人を信用せず責任を持って全部チェックしてると、とても時間がかかってしまう。品出しの人がちゃんとしてた場合、二度手間でもある。
どこまでを"相手の領分"として切り捨てて自分は無関係だと言い張るのかというバランス感覚が、非常に難しい。
もちろん、どれだけ責任感を持って自分事として仕事に向かおうとしても、単純に物量の問題として一人で全部の仕事をやることはできないので、どこかで他人を信頼し役割分担をする必要は出てきてしまう。
今度はこれまた何度か話に出してる障害者のための施設での話で、そこにはく希望する人たちが200円ずつ出して集まり、一緒にご飯を食べるという場がある。
メニュー決めやら調理の分担やらで互いにコミュニケーションをとり交流を深めるというのが一番の目的で、あとは単純に200円で1人前を用意するより1000円で5人前つくった方がコスパがいいというのもある。
僕は他の人にやらせることを申し訳ないと思うタチなので何でもかんでも自分でやりたがってしまうのだが、そうすると本来の目的であるコミュニケーションが取れなくなってしまうのよね。
この間、ある人が料理を残して「どうしても食べ切れないから捨てる」と言うので、それを許せなかった僕が代わりに食べるということがあった。
僕は人の食べかけを食べることはかなり嫌いな方なんだけど、それ以上にまだお腹に余裕があるのに目の前で食べ物が捨てられるのを無視するというのが不愉快だったし、食前に食べきれるかどうか訊かなかった僕にも責任の一端があると思ったので。
多分多くの人は「自分で食べきれるかどうか判断して申し出なかったその人の責任」だと思うだろうね。というか僕も途中までそう思って腹立ってたし。
でも「その人の責任」ということにしたからってその人が食べられるようになる訳じゃないし、食べ物を粗末にしないことを僕にも相手にも共有の目的だとするなら、僕もその目的のために相手に食べきれるか確認した方がよかったというのは事実。相手も相手で、食べ切れると見誤ってしまったのかもしれない。それを責めても仕方ない。
「なんの為に責任の所在を明らかにするのか」を見失ってはいけない。
自分の利益が目的なら、いかに自分に落ち度があろうとも誰かに責任をなすりつけることが合目的的だし、逆に自分を含めた集団全体(例えば会社)の利益が目的で自分に余裕があるなら、いかに落ち度がなく見えても「自分にも責任はあった」として被るのが合目的的。
"落ち度"や"関係度"の高い人に責任を被せるのは、あくまで「誰に事の対処をさせるか」を決めるためのひとつの手段に過ぎなくて、それが絶対じゃないということは意識しておいた方がいい。

 

 

設定

・「目的の数」
べローサ,クエネオ,エカル,ネオヒ,オニコ,ビカリア,ガエル,マンモス,ドードー,アルシノで10本。
対してプログライズキーはコング,シャーク,ベアー,タイガー,ウルフ,マンモス,ファルコン,スコーピオンの8本。仮に唯阿のチーターとホーネットのデータは既に送られているとすると、ホッパーを除いた変身(フォームチェンジ)に使われたキーが一通りということになるのだろうか? それを集めることにどんな意味があるんだろ。うーん保留。
・ゼアの情報を自動転送するプログラム……どこかで聞いたことがあると思ってたけど、3話で唯阿がニギローに仕込んだものと似てないか? もうここまできたら十中八九、滅亡迅雷は天津の下にいるので、「 A.I.M.S. にも滅亡迅雷にも突破されるガバガバセキュリティ」じゃなくて、「開発に協力していた企業が裏で糸を引いていた」という筋書きになる。
ポケモン剣盾のリーク情報が云々みたいなのが最近話題だけどそれと同じように、そろそろ「飛電の情報管理が甘い」んじゃなくて「機密情報を悪用したZAIAが悪い(飛電はゲームフリーク同様被害者)」という認識にアップデートした方がいいんじゃないかな。少なくとも制作側はそう認識して欲しそうに見える。
・滅亡迅雷の基地にザットに似た構築装置があるのは、まぁさもありなんって感じだよね。キーのケースみたいなのも同じだったし、ゼツメライズキーもあれでつくってたんだろう。

 

 

シャイニングホッパーと違って面白い演出が見られる訳でもなく、新フォームの登場としてはあんまりワクワクしなかった。攻撃をものともせず突っ走るとこくらいかな。
そのぶん次回で盛り上げてくれることに期待しよう。

 

前話

仮面ライダーゼロワン 第13話「ワタシの仕事は社長秘書」 感想